ラチェット&クランク:インフィニット・ストラトス 【Ratchet & Clank:Infinity Sphere】 作:George Gregory
悩んでも悩んでも答えは出ず、ひたすら逃げるように、その前日の夜も彼女に
起き抜けのベッドに既に彼女の温もりはなく、いつものようにバイト先に向かったのだろうと、最初は思った。そして、肌寒さに昨夜乱暴に脱ぎ捨てた寝巻を着ながら向かったキッチンで、ポツンと物寂しく置かれた合鍵が残されていたのを見つけた。
初めはその意味を理解できなかった。暫し呆然とその合鍵を見下ろしたまま微動だに出来ず、そのまま5分とも数時間とも判らない時間が流れ、日がすっかりと昇ってようやく理解した瞬間に、取るものも取らず彼女のバイト先である洋菓子店へと駆け出した。
「来たね。君が来たら渡してくれ、と頼まれていたよ」
開店準備中だったにも関わらず、店長はすんなりと店内へと通してくれた。そして、差し出された紙箱の中には、私がいつも決まって買っていく洋菓子が詰められていた。
「まだ夜も明けない頃に彼女が来てね、作っていったんだ。初めてこの店に来た君に『何がおススメか?』と訊かれて、自分の好きなこれを薦めたんだ、と」
暖かい紅茶を淹れてくれた後、「今日くらいはゆっくりしていくといい」と言い残して、店長は開店準備へと戻っていった。用意された椅子に力なく座って手に取ると、生地のビスキュイはまだほんのりと暖かく、芳しいカカオの香りが鼻腔を擽った。一口食べると、ふんだんに使われたチョコムースの優しい甘味が口いっぱいに広がり、ムースの下に敷き詰められた梨の仄かな酸味が後味を心地よく洗い流す。その瞬間にようやく“アニーの答え”を悟って、何もかもが溢れ出した。
「すまない。本当に、すまない」
どんどんしょっぱくなっていくそれを、私は外面も気にせず手掴みで、夢中で貪った。美味かった。ただただ美味かった。止め処なく零れ落ちていく懺悔の涙は食べ終えても一向に止まらず、汚れるのも厭わずに生地やチョコレートに塗れた両手で顔を覆い蹲って、ただひたすらに、私は泣いた。
そして、何時間後かも判らない、ぐちゃぐちゃになるまで全てを吐き出した後で、ようやく私は随分と久し振りに、自分の足で大学へと向かった。すると、正門の前に人だかりがあり、何事かと近づいていくと、その中心で大勢の男たちに言い寄られていた女がこちらに気付いて、彼らを掻き分けこちらに歩み寄ってきた。ロゼンダだった。後に知ったことだが、
「――そう。勝ちを譲られたようで
ボロボロになった私を見て全てを悟ったロゼンダは、『仕方がないわね』と呆れたように肩を竦め。
「ようやく、
そう言いながら不敵に微笑んで、徐に私の唇を奪った。彼女に言い寄っていた男たちは悲鳴を上げ、遠巻きに見ていた女たちは黄色い声で祝福してくれた。
それからの日々はあまりに目まぐるしくて、あまりに筆舌に尽くしがたい。
思っていた通り、ロゼンダの手腕は素晴らしかった。特にずば抜けていたのが営業スキル。その広い伝手を総動員して、あらゆる業界に我が工場の技術力を売り込んだ。私も『まさかこのような分野に需要があろうとは』と何度も驚かされたものである。故に、彼女が次のターゲットに“IS”を定めた時、私は一も二もなくGOサインを出した。その結果は、言うまでもない。片田舎の小さな町工場は、今や世界に通用する大企業へと出世した。だが、それまでの道が決して平坦であった筈もない。
社のIS開発業がなかなか軌道に乗らず停滞期に陥っていた頃、ロゼンダが不妊体質であることが発覚した。気丈な彼女にしては珍しくしおらしい様子で「……ごめんなさい」と小さく溢していた。当時は私も第2世代機の開発方針が定まらずにいて、慮るべき彼女を蔑ろにしていた事実を突きつけられたようで、何も言えずに産婦人科の待合室で彼女の手を取るくらいしか出来ない自分を余計に情けなく思ったことを強く覚えている。
それからの彼女は、その悲しみを振り切らんと、一層仕事に励み始めた。この頃から、私たちの間にあった些細な、けれど確かな
そして、その日も同じように、あの店でチョコムースと梨の菓子を買って、工場に籠ろうと実家への道を歩いていた、その時だった。
(人が、倒れている)
道端、まるで床に放り投げられた人形のように横たわっている成人男性を見つけた。体格は私よりもずっと良い。恐らく身長は180強といった具合か。身体付きががっしりとしているので、夜勤明けの警備員が酔っ払ってそこらで寝てしまったのかと、最初は思った。けれど。
グゴルルルル……
(何の音だ? いびきか?)
地鳴りのようなそれを聞いて最初にそう判断したのは仕方のないことだと思いたい。何せてっきり寝ているものだと思っていたのだから。不用意に近づくべきではないと判っていながらも、余りに人通りの少ない道であり、万が一病人で翌朝のニュースや新聞で『死亡』なんて記事を目にしようものなら堪ったものではない、とその顔を覗き込んで。
「…………ハラ、減った」
これが丁度6年前のこと。私と彼、アリスター・カデンソンとの、初めての出会いである――――
「――――甚だ破天荒な男だとは思っていたが」
デュノア社の駐車場。指定の場所に愛車を停め、運転席でシートベルトを外しながら、私は思わずそう溢した。荷物を小脇に抱え、車を降りて鍵をかける。
確かに彼に助けを求め、了承を得られたのは何よりも心強い。けれど、まさか頼んだ直後に、自律行動し流暢に会話までこなすロボットを送り込んでくるなど、一体誰が予想できようか。何をどうすればそんな真似が出来ると言うのだろう。
『あまり驚かれないンスね。もっと反応されるものかと思ってたッス』
「十分驚いているとも。だが、
クランクくんのくぐもった声にそう返しながら思う。先ほどまで助手席に座っていた姿はさながら赤ん坊のようで、未だ短い時間だが、その滑らかな会話の組立に驚嘆させられる。一体どれほどのメモリを積み、どれほどの演算処理を並行して行っているのか、解ったものではない。これではまるで『機械仕掛けの人』だ。SF作家たちの長きにわたる"荒唐無稽な夢"を、あの男はとうとう現実のものにしてしまったのだ。
「静かに、社内に入るぞ」
『了解ッス』
ロビーへ入ると、大勢の社員たちがこちらを見て挨拶してくる。彼らに空いた手を挙げて返答しながらセキュリティゲートにIDカードを翳し、指紋と網膜のスキャンをする。傍らの警備員が私の持つ荷物に気付いて、声をかけてきた。
「社長、荷物をお預かりしますか?」
「いや、大丈夫だ。妻へのプレゼントでね。ご機嫌窺いも大変だよ」
「そうですか。喜んでくださるといいですね」
「あぁ」
ゲートを抜け、エレベーターで上へ。途中で擦れ違う社員たちに挨拶をしながら、社長室へと入る。自分のデスクに腰かけ、『妻へのプレゼント』と言った荷物を置き、開いて。
「―――フゥ。なかなか機転が利くッスね、社長」
「私であれば、手荷物検査も多少強引にスルー出来るからな。普通は出来んよ。ここに盗聴器の類はない。それは保証する」
「フム……成程、そのようッスね。それでは早速で悪いッスけど、現状を整理させてもらっていいッスか?」
「あぁ、いいとも」
窮屈な思いをさせたであろう、クランクくんに出てきてもらう。彼はデスクの端にちょこんと座ると、辺りを見回して何かを確認してから、指を立てて質問してきた。
「まず、アナタが“反デュノア派”の存在に気づけたのは何故ッスか?」
「そういったことを報告してくれる者がいる。町工場だった頃からの社員、あるいはその親族や友人という形で入社してくれた者たちでね、信頼できる」
「ナルホド。どれくらい前に発足したかは、解るッスか?」
「正確には判らないが、少なくともここ3~4年になって朧気ながら耳にするようになったことを考えると、もっと前からいたのかもしれない」
「フムフム……では、先ほどの入場ゲートのセキュリティシステムは、どういった手順を踏んでいるッスか?」
「IDカードは社員証と社内のカードキーを兼ねている。読み取ったカードに登録している指紋・網膜の情報をスキャンしたものと照合、問題がなければゲートが開く」
「ゲートを映しているカメラはあるッスか?」
「あぁ。誰かがゲートを通る度に録画する仕組みになっている」
「このシステムはいつから?」
「この社屋が建ってからずっとだ。今年で丁度12年になる」
「では、カメラとゲートの
「サーバーに自動的に書き込まれていくようになっている。私のデスクトップからでも確認できる筈だ」
「何年分あるッスかね?」
「……流石にそこまでは解らんが、何をする積りかね?」
「見てみるッス」
「何を?」
尋ねると、クランクくんはすっくとデスクの上に立ち上がり、私のデスクトップパソコンの前に座り込む。
「そのセキュリティのログと、ゲートのカメラの映像ッスよ」
「……全部か?」
「エェ、全部ッス」
そして、その胴体部分から出てきたコードをパソコンに接続した瞬間。
「こ、れは」
画面には碁盤の升目のように膨大な数の、何十・何百倍速かも判らない早回しのカメラの映像と、それに連動するように並行して流れていくセキュリティゲートの通行記録情報。とてもじゃないが、私の目では追いきれない。やがて10分程度だろうか、戸惑うようにパソコンとクランクくんの間で視線を行き来させていると。
「――――フム」
画面の端、1つのウインドウの中に物凄い勢いで文字が打ち込まれていく。やがてそれが止まると、部屋の中にあるプリンタが動き始めた。どうやら今のテキストを印刷しているらしい。
「今プリントしたものを、見てもらえるッスか?」
「あ、あぁ」
取りに行って見てみると、書かれていたのはとある社員1人の出退社履歴だった。
「
「オヤ、ご存じだったッスか?」
「あぁ。我が社がIS開発業を始める当たって大規模に募集した際に雇った青年で、中々優秀な成績を修めてくれているプログラマーだが」
「フム。では、そのザーゴさんとやらは、この人のことッスかね?」
そう言って、クランクくんは幾つかのゲート正面カメラの録画映像を画面に映し出す。ザーゴ君は頬のこけた痩せ型で分厚い眼鏡の、いかにも
「――――そんな、まさか」
「フム。その反応を見るに、やはり
映っているのは4つのカメラの映像。正面ゲートを通り抜けようとしているのは、4つとも別々の
「この映像が録画された際に使用されているIDカードは全てそのザーゴさんのものッス。なのに、この4人の女性は指紋と網膜のスキャンを難なくパスしてるッスよ。それもこの4人だけじゃなく、そこに書いてあるのは全て、残っていた履歴の中でザーゴさんのIDカードを使って、ザーゴさんじゃない人がゲートを通った履歴ッス。全部で軽く100回は下らないッスね」
「いや、待て、待ってくれ」
この短時間で膨大なセキュリティの記録全てを確認したというのか? それもカメラの映像と全て照らし合わせて違う人物が映っている箇所だけをピックアップしたと? それだけでも驚異的だと言うのに、クランクくんはなんてことのないように、更に驚愕の事実を続ける。
「それで、このザーゴさんの偽物が社内のどこに向かっているか、カメラの映像とIDカードの使用履歴を辿ってみたッスよ。そしたらほぼ毎回、必ずこの部屋に入っているようで。誰の部屋ッスか?」
「……開発部の、幹部役員室だ」
「オヤマァ、
「ザーゴくんは開発部所属だった、
「こうなってくると、話は別ッスねぇ」
カメラの記録映像は
「では社長。次の質問ッスけど」
「あぁ、何だね?」
「――――この社屋の図面、見せてもらえないッスかね?」
補足説明
・“スチュアート・ザーゴ(Stuart Zurgo)”(初出『2』)
『2』の惑星トダーノに登場するキャプテン・クォークファンの少年。彼の下にクォークのフィギュア(別ステージで水道管に詰まってたのをデカケツがくれる)を持っていくと、遠くのボルトを引き寄せられる"ボルトマグネタイザー"をくれる。この時は純粋なファンの少年、という感じなのだが……おっと、この先は『銀河戦隊Qフォース(PS3)』にて。
どうも、作者のGeorge Gregoryです。
新型コロナが猛威を振るい過ぎててドン引きです。志村けんさんの命だけじゃなく、未だ若いキラメイレッドまで襲うとは。彼の症状は落ち着いているそうですが、一刻も早い事態収束を願うばかりです。皆さん、手洗いうがいアルコール消毒は欠かさずやりましょう。デマに流されず、買い占めや濃厚接触になりうるような外出も控えましょう。次は貴方の家族かもしれませんよ(元生化学研究室大学院生の作者からのお願いです)
では、また近い内にお会い出来ることを願って。
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