結局、黄泉川から解放されたのは完全に日が暮れ始めてからだった。
「ったく、余計なことをするもんじゃないな」
見知らぬ職員室で説教を受けるのは新鮮なことだが、それ以前に能力を自発的に使用してしまったのが悪かった。
三七度の微熱で頭痛がする中、数時間立たされて話を聞かされたといえばこの苦しみはわかるだろう。なまじ重症でない分タチが悪い。
「さて、帰るか」
「――――……瀬さーん」
遠くで誰かが誰かを呼ぶ声がする。
こんな時間まで待ち合わせとは結構なことだ。
「今日はどうするかな。久しぶりにハングリーバーガーなんてのもいいが………」
『クーポン券はとったぞ』
「よし、でかした」
自前の携帯端末に映る割引の広告を眺め、今夜は五〇円食費が浮いたなと心の中で密かにガッツポーズを取る。
「師匠ーーー!!!」
「師匠?こんな時代に恥ずかしい呼ばれ方をする奴もいるもんだ」
そんなヤツの顔を見てみたい気もするが、今はこの手札のクーポンでハングリーバーガーを儀式召喚するのが先決だ。完全下校時刻後では割引が効かないこともあり、事態は急を要する。
しかし、歩けど走れど件の声は遠ざかるどころか確実に近づいてきていた。
「師匠っ、待って下さいよー」
ついには目の前に中学生くらいの少女が召喚されるではないか。
いつの間に召喚方法を間違えたのだろう。現在の持ち手では明らかにコストが見合わない。
「って、師匠ってもしかして俺?」
「いやー、やっと気づいてくれたんですね。歩くの速いですって~」
若干息を切らしながらも佐天涙子は安堵したようにこちらを見据え、
「魔女のうわさって知っています?」
そう問いかけたのだった。
「で、なんで師匠なんだ?」
「湊姫さんがこう言えば話くらいは聞いてくれると、アドバイスを頂きまして」
「あの変人
断っておくと秋瀬に異性にそう呼ばせて喜ぶ悪癖などは存在しない。師匠などと呼ばれるのは拳法家か伝説の黒魔術師だけで十分だ。
「言っておくけど俺は奢るつもりはないぞ。ここの料金は割り勘だ。奢ってくれると言うなら遠慮なく乗るが」
「いやいや、最初から奢ってもらう気なんてないですから。自分の分は自分で払いますとも!」
「さらっと、こっちの提案は無視か。調子のいいやつだな、佐天さん」
時刻は後一時間ほどで完全下校時間。
当然夏休み期間とはいえ、中学生が出歩いていいような時間ではない。
第七学区のフードチェーン店側もそれを警戒しているようで三十分前になるとフワリ、とした警告が入るようになる。
言うなれば三十分だけ話を聞いてやる、という状態でしっかりと逃げ道を用意しなければ年下の少女とお話などできないレベルの小物である。
「話ってほどじゃないですけど、師匠にお尋ねしたいことがありまして…………都市伝説って興味ありますか?」
「いや、興味ないけど」と、即答しようとしたところで不意に脳細胞を掻き回されるような目眩に襲われる。
原因は制服のポケットの奥底に眠るクーポンもとい魔道書が擬態している通信ツールだった。
大きさは全長二十センチほど。その手のものにしては随分と大きく、一昔前の無線機のような外見をしていたはずのそれは自力で秋瀬の体をよじ登り、テーブルの上へとその日本の足で降り立った。
『その話、多いに興味がある』
「へ?」
(おいおい、変形機能なんて付いていねえぞ!?クソ、どうやって言い訳すれば………)
余分な質量のある自らの体型を変形させ、人間と同じように直立不動で佐天と会話を試みるそれは如何にも当然のようにテーブルに置かれたグラスを背もたれに寛ぎながら話を続けろと催促する。
「あ、もしかして師匠の携帯ですか!?いやー、白井さんのも未来未来って感じですけどまさか自分で動いてしゃべれるなんて凄いですねー」
『長点上機で開発中の試作モデル「ムクロ」だ。よろしく、涙子』
「はい、よろしくです!」
(あれ、意外にその設定で押し通せるのか?)
確かに長点上機学園にはこういった人工知能搭載型のロボットを制作するチームがいくつかあり、彼等からすればこの程度の作品数年前には完成している程度のものだろう。
一芸特化の長点上機と揶揄される以上、何も知らない外部の人間に対してはある程度の真実を織り交ぜて話せば対して隠さずともこの魔道書を覆っぴろげにしても問題ないのではないか。
(そもそも、自分で動けるなら俺が常に肌身離さず持たなくてもよくね?)
魔道書の維持というのは想像以上に手間が掛かる。
多くの魔道書の特性として物理的・間接的問わず関わった人間の精神を汚染するというものがあるが、それ以外に魔道書を保有する条件として魔道書自体に認められなければならない。
それは生贄や供物だったり、自分達の知識をより多くのものに広める事だったりと多種多様だが、秋瀬の持つ魔道書『複写幻本』はイギリス凄教の所持する第二の魔道書図書館という役割から知識を貯蔵するという部分に重きを置いている。これは魔道書における製造理由――言うなれば本質そのものなので、イギリス凄教を離れた今でも変わらない。
「あ、じゃあ、こういうの知ってます?」
『ああ、今し方涙子に教えてもらったサイトに投稿されたものじゃな?』
知識というのはただ本を読むだけではなく、会話による情報交換の中でも蓄えることが出来る。
もし、こう言った秋瀬以外の人間との会話でこの魔道書の欲求が少しでも抑えられるというのなら今回くらいは見逃してやろう。
「ま、二人の趣味があったようでなによりだ。俺は俺のやるべきことをやろう」
テーブルの上に置かれた自らの獲物と向き合う。
可愛い女子がテーブルの上の人形サイズのものに対して話しかけるというのはムサイ男がやるよりかなり華がある光景ではあるが、残念ながら今の秋瀬にそんな余裕はない。
二十センチ級の魔道書に対し、目の前に置かれたジャンクフードはおよそ倍以上ある。
バンズに挟まれたトマトやレタスなどの食材は自分がハンバーガーの一部であることなど認めはしないとでも言うように凶悪な個性を放ち本来捕食する立場である秋瀬を見据えている。
大量に押し込められたと思われるそれらによって大きく開かれた口はまるでこちらを丸呑みしようとでもしているようでどちらが喰らう側なのか疑問の思うレベルであり、
「………こいつは、ジャンクフードハンターの血が騒ぐぜ。店員さん!この店の調味料ありったけ持ってきて!」
『完全下校時刻です。外出中の良い子の学生は速やかに元の居場所に引き返しやがれー!!』
日は完全に沈んだ。
その証明として学園都市一治安が悪いと言われるここ第一〇学区では、学園都市の支配が終わりを告げるかのように海賊放送が鳴り響く無法地帯と化す。
学生寮に帰ろうとしない不良少年やスキルアウト達でごった返すこの地区は喧嘩など日常茶飯事、傷跡やタトゥーが眼鏡やコンタクトレンズ感覚で普及するような場所であり、チンピラ達の鉄則と言う名の様々な妨害のせいで風紀委員や警備員などが容易に踏み込めないほど入り組んだ地形に姿を変えており、無数の違法駐車や廃棄ゴミ、ビニールシートやトタン板で作られた即席のバリケードにより日々その姿を変える学園都市屈指の迷宮となっている。
そのカオス具合は第一〇学区内のとある地区を根城にしていたグループが二,三日根城を空けただけで帰り道がわからなくなるという具合で、その特徴から謎の失踪事件や暗部絡みでの死傷者が最も出やすい地域であることでも知られている。
「は、はっ、はっ、はっ、はっ――――」
第一〇学区の入り組んだ路地を一人の不良が必死で走り抜けていた。
泥水を蹴り飛ばし、無作為に放置されていたドラム缶型のゴミ箱を弾き飛ばす。
「クソ、話が上手すぎると思ったんだ!何が簡単な仕事だ!?これならまだ暗部の下請けの方がマシじゃねえか!」
追手の影に怯え、最早彼自身今自分がどの地点にいるのかすらわからないような状態で尚、必死に科学の街にはおよそ似つかわしくない手の平サイズのお守りを握り締める。
「お、お願いだ。アンタの話を信じるから、だから、だから―――――」
いつの間にか目の前に現れていた少女に向けて必死に祈る。それは祈りというよりは命乞いに近いものかも知れない。
彼の命懸けの祈りに答えるように少女は科学者や医者が着るような白衣を真っ黒に染めたような袖から手を伸ばし、自身の身長のよりも三十センチ以上高い彼の頬に優しく触れる。
「ダーメ、アナタを助けたいのは山々だけど、ここで運命は終わる。私、言ったよね?諦めなければ必ず道は開けるって。でも、アナタは今諦めて私に助けを求めた。その時点でもう私にはどうにもできない」
少女の表情は長い黒髪とその小さな顔全体を覆うフードによって伺い知ることはできない。ただ、その両眼から溢れるどうしようもないほど紅い光だけが憐れむように彼を見つめていた。
「い、嫌だ。死にたくない!アイツは、アイツは!俺の仲間を何の容赦もなく殺した!それだけじゃない。アイツに殺された奴はアイツの操り人形にされちまう。あんな化物に勝てるわけねえ!だから、俺は同じ都市伝説であるアンタに!」
「うん、それであわよくば同士打ちをさせようとしたんでしょ?」
「っ!?そ、それは!」
「でも、残念。私も彼等もアナタ達の
その少女に対して嘘は無意味だ。
心は見透かされる。
その少女に助けを求めてはならない。
少女が行うのは救いと実験であり、資格のない者に待つのは凄惨な末路だけ。
その少女は全てを知っている。
だから、今日も答えを求めて誰かが探し求める。
少女は魔女と呼ばれ、科学の街に舞い降りた。
「見ィーつケタ」
「、っひ!?」
その声はすぐ真後ろの壁の中から聞こえた。
ケタケタ、と笑う子供の声は強烈な死の匂いとともに彼をそちら側へ引きずり込んだ。
彼の頭上に鉄骨が降り注ぐ頃には魔女の姿は無く、グチャグチャにすり潰された肉の塊がその場をいつまでも蠢いていた。