世界一初恋・エメラルド発売記念2017 高律SS 作:bui
美しい旋律が聞こえる・・・。
これはヴィヴァルディの協奏曲『春』だ・・・。
待ちわびた春の訪れに小鳥は悦び祝う。小川のせせらぎがまぶしく、吹く風は優しく頬を撫でる。
春を告げる雷が轟音を立て黒い雲が空を覆う、そして嵐は去り小鳥は素晴らしい声で華やかにうたいあげる。そんな曲・・・。
小さいころ習っていたヴァイオリンの練習曲にこの曲のアレンジがあって、Cisのところで引っかかって何度も何度もやり直しをさせられた。
フィンガリングはどうだったか・・・。
左の指でそのコードを紡ごうとした次の瞬間、指をギュッと握られてハッと覚醒した。
ヴァイオリンを弾こうとしていた自分は深層心理の奥に押しやられ、重かった目がビスクドールのスリーピングアイのようにクルリと開き、遠くにアイボリーの波紋が広がった。
隣の家の・・・、寝室の天井?だな・・・。
「なにか探してる?」
テノールの声が耳元で響いて、続いて温かいものが頬に軽く触れた。
「探してる?」
夢と今の境目を漂っていた俺には答えをうまく紡げずに、オウムのように言われた言葉を繰り返すと、声の主は取り立てて答えを欲していた訳ではなかったようで、軽く[[rb:啄 > ついば]]むようだった口づけを強くし欲情を刻み始め、掴んでいた手をシーツにきゅっと押し付けた。
少し身体に重みがかかって、言葉にされなくても彼が先に進みたがっていることが気配で分かる。
「朝なのに・・・。」
そうつぶやくと
「朝だからな・・・。」
と彼が言った。
部屋の中に満ちているのはクラッシック音楽だった。
彼に愛される時、静かな部屋に響く自分の吐息とか、衣擦れの音が恥ずかしくて、ラジオでもテレビでもいいから何か音を流してと言ったら、早速彼が嬉々としてコンパクトなオーディオのセットとクラッシック音楽の全集のようなものを用意した。
「これでいつでもOKだな」といじわるな微笑みともに。
ああ、だからヴァイオリンを弾く夢を見たんだ・・・。
あの頃はまだそんなお稽古を続けていた。
まじめな生徒ではない俺には桜の花びらを見ながら弾く練習曲はいつも思うようにいかなくて、それが自分のすべてのようで、晴れやかな曲なのに辛くて、桜の花びらが儚くて、先輩が好きで、そして何もかもが信じられなくなった。
先輩は、高野さんはここにいる。
今年の桜は散った・・・。
桜は散りかけから緑の葉を広げ、今年のことなどなかったかのように未来のために鋭気を蓄える。
木に[[rb:縋 > すが]]りついているように貼りついた名残の花びらは、儚く散った先達の足元にも及ばないほど暗くくすんで顧みられなくなる。
儚さは美しさだ。
だけど力ではない。
きっと今の自分を例えるなら、最後に[[rb:縋 > すが]]りつく灰桃色の花殻に違いない。
しかしこれからの希望に光る緑の葉が俺を包む。
身体中に這うようにつけられるあなたの印・・・、それに埋め尽くされながら俺は緑に染まる。
もうすぐあなたでいっぱいになる。
いつだって最後は何も分からなくなるのだからヴィヴァルディの四季もパッフェルベルのカノンももう不要なのかもしれない。
あなたの音に染まって、俺の精神は緩く転生を繰り返す。
唯一あなたの存在だけを残して。