・ゆったり更新
・デジモン、カード知識に間違い多いかも
・しょっちゅう投稿済みの話を修正するかもです
誤字脱字など、至らぬ点はご指摘ください。
*
自らが紡ぐ幻に向けて墜ちるがいい……今度こそ、君の涙を拭うために。
光で灼かれ、闇に飲まれ、結末に向けて飛翔しろ。
運命の歯車が回るとき、あらゆる者は逃れえない。
太陽が燃え尽きるとき、真の創生は始まるだろう。
運命に紛れた砂粒よ、己の真理を叫び、王冠に手を伸ばすがいい。それこそ、嘆きを謳う亡霊への救いである。
輝けるもの一切よ、ただ安らかに眠るのだ。
──故に、噎び哭け。君の結末は“伝説”だ。
*
──眠ることは嫌いだ。
自分が世界を感じることができなくなる感覚が恐ろしい。生きていることを実感できないそれは、まるで死体になったよう。
いや、まるで、ではない。生きているという事は心臓が動いていることとイコールではないということはほんの十年ちょっとしか生きていない自分にもわかる。大切なことは世界を感じ、実際に行動できるかどうか。それを以て生きているというのであり、眠るということは極論毎晩のように死んでいることと変わらない。
そうはいっても生物である以上睡眠はとらねばならないことはわかっているし、無理をして本当に死んでしまったら元も子もない。当たり前の眠るという行為を忌む自分こそが臆病なのだということは理解している。眠るときに見ることができる現実にはありえない夢が楽しみなんだとクラスメートであるよく犬のパペットを身に着けた少女は言うが、しかし自分はその夢すら見たことが無く……
そこまで考えて、気づく。じゃあ、今感じているのはなんだ。
今自分の身体は明暗すらわからない空間に、身一つで漂っている。地面に足はついておらず、しかし落下を感じさせる風圧も、浮遊を感じさせる風圧も実感できない。眠りを求める身体を引きずってベッドに入ったことは覚えているから、これはつまり夢なのだろうとは感じるし、ひょっとしたら明晰夢というやつかもしれない。しかし、自分はこの感覚に慣れ親しんでいると感じているのはどういう訳か。
いや、そもそも眠ることが恐ろしいと感じているこの思考自体がおかしい。さっき思い返した少女との会話はあくまで雑談の延長で、その時にはこんな忌避感など欠片も思い浮かばなかった。今感じている、まるで死体になる恐ろしさを知っているかのような恐怖はいったい……
『うーん、毎日毎日同じこと繰り返してよくあきないにゃーっと』
思考に割り込むのは少女の声。鈴を転がすような美声は、享楽的な口調でありながら凄まじい情念を感じさせるのはどのような理屈か。いや、そもそもこの声には聞き覚えがないはずなのに、毎日聞いているかのように耳になじむ。
『そりゃそーだ。だって君に毎日会ってるもん。そっちが忘れてるだけなのだー。きゃははははははははは』
疑問を口に出す前に、まるで思考を読み取ったかのように答える少女の声。どこまでもなれなれしく響くそれは、現実感がないのに聞くたびに怖気が走る。
『むう、半信半疑だね……ワタシが君のことで知らないことなんてないのに。きみがどれだけ自分が嫌いなのか』
続く言葉に、一瞬だけ心臓が止まった。それは、自分が決して口には出さない真実。誰かに知られること自体が無いはずなのに。
『だから、そういう隠すこと自体が無駄なんだって。君がどれだけ困っている人を助けても、決して満足できないこと、よーくわかっているよ!!』
まるで常に見守っているかのように……いや、それは正確ではない。少女にとって自分の考えなど、読み取る必要すらないのだから……その思考に至った瞬間、頭が軋む。気づいてはならないと警告するように。
『ああ、そのとーり。今の君じゃあ気付けない。だって、まだ何も選んでないから。ワタシ達の罪は未だ遠く、自覚した時には終わるとき。まあ、このままだとただ死ぬだけだけどねー』
死……あまりにも軽く発せられたそれは、冗談などではないと何よりも自分自身が理解した。そう、人間は必ず死ぬというあたりまえの現実とは別次元の問題として、自分という存在の結末は決定していると実感して……
『だから、それじゃあ駄目なんだって。ただ結末を待つだけじゃあ何もできない。終わりを迎える為に、まずは進もー。あらゆるものを踏みにじり、血の雨を浴びて、屍を積み立てて。その先にしか納得できる結末はないんだから』
愛らしい口調のまま告げられたのは、狂気。
ふざけるな、と思う。自分は死ぬことを納得した、そんな自分が誰かを踏みにじる?いやだ、いやだ、そんなことはしたくない。人を傷つけることがどれだけ痛みを伴うか、自分は理解、して、いるから……
「あああああああああああああああああああああ」
『おお、やっと思い出し始めてくれたね。まあ、この展開も毎晩繰り返しているから、進歩が無いとも言えるかもかもなんだけど、それでもこうしないと話が進まない』
少女の声が遠い。思考を切欠に思い出してしまった明滅する過去と、自分という存在の真実……それらが自分の心を軋ませて、罅を入れて、抉って、削り取って。
しかし、決して芯を崩さない。だって、その真実こそが自分の芯であるから。
『うん、今の君ならワタシの姿が見えるでしょ。どーん!!かわいいワタシのお披露目でーっす!!』
そうして自分はこれまで声しか観測できなかった少女を認識する。そう、自分の罪を理解した以上、彼女の存在から逃れられるはずも無く。
短く切りそろえた髪はまるで夜空のような漆黒。紅玉のような赤い瞳、黒衣を纏うその姿はまさしくこの世ならざる幽玄の美……。
その姿を認識できたのは一瞬にも満たない。いや、そんな余裕など一瞬すらない。彼女の存在を認識したのをきっかけに、文字通りに全てが激変した。
「あああああああああああああああああAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
漏れる悲鳴はもはや人語のそれではない。自分の身体を苛む苦痛は、内と外から──様相を変えたこの空間と、自分自身の肉体に起きた異変から襲いくる。
熱い──全身が焼き尽くされる。燃えているのは世界そのもの。三百六十度空間全てがまるで太陽かのように焔が舞い、異物である自分自身を焼き尽くす。
冷たい──全身から熱を失う。肉体の内側から闇が蝕む。身体の末端からのその変化は、瞬く間に全身に広がり、自分の存在そのものを停止させている。
外から燃やされ、内から蝕まれ、狭間にいる自分自身は当然のように耐えることができない。北風と太陽の寓話のように、熱も静寂も極めれば人の毒。熱が無ければ命は生まれないが、しかし熱しか無ければ命は絶える。かといって静寂しかない無明はそもそも命が生まれえない。命が生存できるのは、光と闇が均衡を保っているからであるが、しかしいま自分を襲う異変はそんな配慮など欠片もされていない。いやむしろ、お互いの存在を否定するかのようにその勢いを増す始末。
──それは現象としてだけではない。否、現象としての干渉など、自分を苛む苦痛のひとかけらにすぎない。奇妙なことに、熱も静寂も触れるたびに伝わってくる強大な感情の圧……それこそが自分を苛んでいた。
炎から伝わるのは輝く未来への前進の意思。尊い理想を掲げ、それによって救われる誰かの為に進み続けるという決意。その意志ある限り何があっても進み続ける。なにを踏みつけにしても、どれだけの屍を生み出しても。
闇から伝わるのは黒き過去からの憎悪の意志。自分に痛みを与えた物を許せない、必ず報いを受けさせるのだという嘆きの声。滾る憎悪は幾度斃れても、必ず報いを受けさせるだろう。その過程で、自らがどれだけの嘆きを生み出しても。
同質にして対極の決意だが、しかし周囲に被害を広げることは変わりない。未来に進む意志も、過去からの憎悪も、極めれば毒となる。それを分かっていても止められない。こんなものを発する者が只人であるはずがなく、その精神を以て怪物と表現して間違いない。故に、只人である自分には耐えることができない。その発する圧によって哀れに蹂躙されるしか道はない。
──それは自分の辿る未来だ。故に逃げられるはずもない。自分が自分である限り不可避である。焼き尽くされ、熱が失われ、自分の意識が断ち切られる、その寸前。
『いやいや、そんなはずはないじゃん?だって、その怪物の始まりは君なんだから!!自分を信じて、決意を抱いて、雄々しく進もう!!君ならできるに決まっている!!ワタシは信じているんだから!!』
無理いうな……という思考は言葉にならない。こんな化物と関わる?かつて抱いた夢すらも裏切った自分が?そんなことできるはずない。
その思考を読み取ったのか、少女は不服そうに声を上げる。
『むぅ、過ぎた自虐は体に毒だよ?じゃあ、質問ターイム!!このままじゃ君は死ぬ。光で焼かれるか、闇に飲み込まれるか。この結末は変わらないけど、過程なら変えることができる。君は何を望むの?』
その声に込められているのは期待。そう、選ぶ権利は誰にでもある。例え結末が決まっていても、どのように進むかは自分の意思次第だから。
──光の英雄として世界の救済を
──闇の怪物として憎悪の殺戮を
──只人として全てから目を逸らす
引き伸ばされた時間感覚の中で、焼かれ、蝕まれながらも選択肢の中から一つを選んで。
──判定、不適格。どれも自分に相応しくない。
全身を襲う苦痛が途切れ、自分の意識がこの場から遠ざかっていく。
それは救済ではない。いや、そもそも自分にそんなものは訪れない。これはあくまで先送りにすぎない、と、茫洋とした思考は気付く。自分は夢を見ないのではない。毎夜見る夢は真実これ一つだけ。自分は毎日のようにこの夢を見て、彼女と語り、炎と闇に晒されて。そうして最後には追放される。それを忘れていただけにすぎないことに。
『戦いたくないっていうのは正しいけど、君はそれを選べない。ワタシは楽しみだよ?君がワタシを死なせてくれる時が。ねえ、啓人』
そんなこと、したくない。
情念を感じさせる声に背を向けると同時、世界が漂白されて。
これが自分の毎夜見る夢、永遠に逃れられない悪夢。
自分は永遠に目を背け続けるのだろう、愚者として。
それでかまわない、それしかできないと思い知ったのだから。
*
「う、うーん」
最初に感じたのは爽快な太陽の光。どうやら今日は文句なしの快晴らしく、カーテン越しに僕の身体をしっかりと照らしてくれる。
「起きる」
自分で自分に宣言し、枕元の目覚まし時計のスイッチを切って起き上がる。この目覚まし時計は買い与えられてから一度もそのベルを鳴らしたことはない。僕は前日どれだけ疲れていても、必ず自分で決めた時間に起きて、しかも眠気を引きずったことはない。この寝起きの良さは、密かな自慢だ。寝坊が多い博和は羨ましがってたっけ。
「僕としては、睡眠を楽しむことができる方が羨ましいけれどね……」
呟きながらパジャマを脱いで、服を着替える。そう、僕にとって睡眠という行為は、ただ電源を切るようなもの。起きてすぐ意識を覚醒することは、機械のON、OFFのように味気ない。おまけに、夢すらも見ないと言うのだから、眠ることはただの体力回復でしかない。自分がこんな体質になった時期はわかるが、原因が全く分からない故に、おそらく一生このままだろう。
「ま、この体質も便利だけど、ね。その日の気分が前日までの積み重ねだけに左右されるんだから」
お気に入りの青いパーカーを身に纏い、鏡を見ながら髪を整えて、ゴーグルを掛け、位置を調整する。
「よし」
身だしなみを整えるとランドセルの中身を最終確認する。五年生になったばかりで、忘れ物はしたくない。
「問題なしっと。カードセットも入ってる」
学校には関係ない趣味の物が入っているのはご愛嬌。しっかりと蓋を閉めて、抱えながら一階のリビングに降りる。どうせ朝食を食べたら二階の自室に上がる必要もないし、取りに上がるのも面倒だ。
リビングには誰もいない。自分の席にはサラダと牛乳、そしてパンが用意されている。
「いただきまーす」
聞く者はいないが、食材に感謝してかっこむ。食べ物を扱う以上、それへの感謝を忘れてはならないというのは両親の言葉であり、僕もその意見には異論はない。焼きたてのパンのフカフカな食感を堪能して、感謝の一つもできないようなら人生が決定的に間違っているのだろう。
「ごちそうさま」
食器を洗面台に入れて、洗面所で歯磨きと洗顔をしてから家の裏口から外に出れば、開店準備をしていた父と鉢合わせる。
「おう、もう出るのか?相変わらずずいぶん早いな」
「博和たちと約束してるんだ、いってきまーす!!」
細い裏路地を通り、家兼店舗の正面に出る。そこでは母が箒とチリトリで掃除していた。
「母さん、行ってくる!!」
「いってらっしゃい、早く帰るのよ。何かあったらすぐに言いなさい、いいわね?」
「はーい」
母の声を後ろに流す。相も変わらず心配してくれることはありがたいが、しかしもう三年以上も前の話。自分はたいして覚えていないことで心配されても困る。
「あと、夜に店の手伝いしてくれる?父さんが買い出ししに行かなきゃいけないから」
僕の実家はパン屋。店名は「まつだベーカリー」。新宿のけやき橋商店街にあるこの店は僕が産まれる前に父が脱サラして始め、良心的な価格と家庭的な味で好評だ。僕もたまに店番している。
「はーい」
返事をして、駆けだす。これが僕─淀橋小学校五年二組、
*
「よし、僕の勝ち」
カードリーダーにカードを読み込ませ、電子音で奏でられるファンファーレが僕の勝利を讃える。
学校近くの公園の遊具。そこで僕たちはカードゲームに興じていた。
遊んでいるのはデジモンカードゲーム。デジモンと呼ばれる電子生命体を題材にした、大流行のTGCである。
「うわ、負けた。これで負け越しか」
そう悔しそうに声を上げたのは
「最近調子いいじゃん、啓人。なんか工夫でもしてるの?」
そう声をかけたのは
「別に。運が良かっただけだよ」
「それもまた実力の内だぜ。今度大会出てみねえか?結構いい線行くと思うぜ?」
「えー。いやだよ。僕はデジモンが好きだけど、目立つことはしたくない」
僕が好きなのはあくまでデジモンそのもの。友人間で勝負するのはいいが、見知らぬ他人と戦うのは興味が無い。それに、あんまり目立つこと自体がしたくない。一時期悪い意味で注目された身としては、自分と友人でいてくれる彼らとのんびり過ごせる今のような時間が心地よかった。
「もったいない、ひょっとしたら噂のデジモンクイーンとも勝負できるかもしれないのに」
「たしか俺たちと同い年だろ?この近くに住んでいるって本当かな?」
そう雑談が続く友人二人に大切なことを告げる。
「ゆっくりしてていいの?」
「え?」
キーンコーンカーンコーン
周囲に録音された鐘の音が響く。学校があと少しで朝のホームルームであると告げる報せに気づいた二人が青ざめる。
「やばっ遅刻だ!!」
「早く行った方がいいよ。ここは僕が片づけるから」
「すまん!!」
「お前も遅れるなよ!!」
駆け出していく友人二人を見送って、僕もカードを片づける。狭い遊具内の片づけは人数が多いと余計効率が悪いのだ。カードを束ねて、箱に入れる、と。
「何これ?」
箱に入っていたのは見たことも無いカード。全体が青に染まり、中心部にDと刻まれたそれは、自分が知るどんなものとも似てなかった。カードゲームではないことは確かだが、しかしなんだと問われても似たようなものには覚えがない。
それに手を伸ばして摘まもうとして。
「あれ?無い」
指が触れたのはありふれたカード。一瞬前までそこにあり、目も逸らしていないはずの青いカードは、影も形も見せずに消え去った。箱を探してみても見つからない。
「寝ぼけていたのかな……だとしたら久しぶりだけど」
これ以上探しても、見つかることはないだろう、自分には必要のないものだ──そんな確信を心のどこかで感じながら、学校に持ち込むわけにはいかないカードを遊具に隠し、学校に向かう。
*
慣れ始めた教室の授業は、どことなく新鮮だ。気が引き締まるが、しかし教科書を読み上げる教師の気だるげな声が空気を弛緩させる。
僕らのクラスの担任となった
常に気だるげで、生徒への対応もそっけない。仕事と割り切っているのか、たんたんと義務を果たすかのように行動はするが、どんな時にでも嫌々やっていることが丸わかりだ。特定の生徒に対しての態度がおざなりという訳でなく、全ての生徒に対しての態度がそうであるのだから、教師として問題あると言われてもおかしくはないけど。
しかし、僕にとってはいい先生だ。誰に対しても気だるげに対応するという事は、誰に対しても平等だという事だから。ちょっと事情がある僕に対して、これまでの先生はどこか腫物を扱うような態度であったから、全員に対しての態度が一貫しているこの先生の姿勢はありがたい。
そのいい加減さをあらわすかのように、チョークで黒板に文字を刻む音は調和というには程遠く、淡々と読み上げられる声にはやる気どころか眠気すら感じさせる。軽く教室を眺めてみれば、春の陽気も手伝ってか博和をはじめ何人かは舟をこいでいる。
全く、必要以上に眠るなんて恐ろしいことをどうしてできるんだろう?周囲を感じれない状態になっていくのが、死体に変化していく恐怖を感じないの、か……
不意に、頭の中に雑音が走って。
──その思考は許可しない。思考を修正する。思考の上書きを実行する。
──完了。
……今日は快晴、春の陽気も心地いい。
いい天気だからか頭も冴える。先生がこれ以上捨て鉢にならないようにまじめに勉強しよう。
ずっと黒板に集中しているせいか、目がちかちかするのを、少し頭を振って切り替える。
授業が終わったら少し散歩でもしようかな……ぶらりと歩いて、カードショップを覗いてみたり、桜を眺めるのも悪くないかもしれない。
そんな風に思考を遊ばせながら、授業を聞いて……
「終わったあ」
全ての授業が終わり、人気が無くなった教室の中で息を吐く。周囲にはほとんど生徒はいない。これは僕が集団行動からあぶれたとか、居残りを指示されたとか、そういうわけではなく。
「啓人君もお疲れ様。相変わらずお人好しだね、先生の手伝いを進んでするなんて」
「加藤さんだって手伝ってたじゃんか」
「私の場合は、笛の忘れ物を取りに行ったときに巻き込まれただけだから。自分から手伝い始めた君とは違うんだワン!!」
そんな風に犬のパペットを手に付けておどけた口調で言うのは
「別に、僕の事情は知ってるでしょ?先生相手に少しでも心象良くしたいって言う下心だよ」
……そう、僕には先生に色眼鏡で見られる理由がある。自分の責任とは言い難いが、それを少しでも軽減しようとする私欲にあふれた行いで、純粋な善意で手伝った加藤さんに比べれば卑しいとも表現できる。そもそも、僕は誰かを助けたいわけじゃない。ただ自分を救いたい、いや、救うことができると錯覚したいだけ。どこまでいっても自分本位でしかない、偽善家にもなっていない。
「えー、啓人君はけっこう評判だよ?お人好しの可愛い男の子がいるって。少なくとも、隣のクラスの……なんていったか、ハーフの男の子。それに次ぐ女子内の人気だよ」
「可愛いって……男子の褒め言葉じゃないよ。それ」
適当に言いながら、ランドセルを背負って教室を出る。
「啓人君は女子からの人気に興味ないの?」
「ないとは言わないけど、それよりも今は好きなことやって遊んでいたいかな」
「ああ、あのデジモンっていう?相変わらずお子様だねぇ?」
「好きだからいいでしょ。それじゃあ、また明日」
「さよならだワン!!」
ランドセルを背負って外に出る。公園でカードセットを回収するのも忘れない。
春の陽気は心地よく、散り始めた桜の花びらはクルクルと踊るかのように宙を舞う。ここまで快晴はそうはない。おまけに今日は宿題もたいしてないというなら、もう遊びに行くしかないだろう。残念ながら友人二人は用事があるらしいが、しかし一人で過ごすのも悪くない。
商店街を駆け足で帰宅する中にも幾度も声をかけられる。
「あら、啓人君、この前掃除手伝ってくれてありがとうね」
「また呼んでください、手伝います!!」
八百屋からは依然掃除を手伝った礼を言われ、
「おう、坊主。この前がきんちょの世話あんがとな」
魚屋のおやじさんからは、子守の礼を豪快に投げかけられる。
「ただいま!!」
店番している両親に声をかけ、急いでランドセルの中からカードセットを取り出すと、外出用のカバンに入れ替える。一階に下がって、売れ残りのパンの中からいくつか抜いて、サランラップで覆う。基本のアンパンは外せないし、メロンパンというのも悪くない。
「ちょっと外行ってくる、暗くなる前には帰るよ」
「あまり遅くならないように、それとなにかあったらすぐに逃げること、いいわね」
「はーい」
適当に返事して、外をぶらつきながら母親の心配性に苦笑する。これでも大分ゆるんだ方だ。あのこと……事件というべきかもわからないそれが起こってからは、外出することにすら難色を示したことを考えれば、今小言がうるさい程度であることは観葉にもほどがある。
──変化できていないのは当人である僕だけ。心に空いた原因不明の穴は未だ中を覗き込むことも出来ず、僕の全てを縛り続けている。さっき先生を手伝ったのも、商店街の人を助けたことも、加藤さんが僕をお人好しと評価したことも、自分に空いた穴を誤魔化すために行動したに過ぎない、その場その場で人を助けているように見えても、根本から改善しようとしない張りぼてだ。
──おそらく僕はこのまま一生取り繕い続けるのだろう。過程をすっ飛ばして空いた穴だけを呈示された自分には改善する術など見つからない。
……いや、そもそも取り繕っている自分で満足している以上、自分が駄目なことを飾っているに過ぎない。
……それでもいい。親は優しいし、友人とつるむことは楽しい。この日常が続いた末、いずれはパン屋を継ぐことになるのだろうが、その未来にも異論はない。
一生このまま僕の人生は流れるままに過ぎていくのだろうと、溜息をつきながら首を振り──
視線を向けた裏路地の先、そこに運命の引き金はあった。
それは体長30cmほどの真っ白い獣。犬にもウサギにも猫にも似ておらず、しかも二足歩行する獣など見たことが無い。ぬいぐるみかと思ったが、少なくともあそこまで滑らかに二足歩行する玩具は見たことが無いし、かといって。
「クルックルッ♪綺麗なものがいっぱいでクルー♪」
録音ではありえないクリアな甲高い音質の声。それが口を開くのと完全に同期している事実は、獣が人語を介しているという単純な事実をあらわしていた。
「……なんだ、あれ?」
思わず口にする。あれを見た瞬間から、身体の中に鼓動が走る。それが自分の心臓の鼓動すら揺るがす存在そのものが発する共鳴現象。声一つ出せないし、指先も動かないが、しかし視線はその獣に固定されたまま動けない。いや、外すことすら考えもしない。
──まるで、生き別れの兄弟でも見つけたかのように。
そう、それは僕の運命の始まり。もはや逃れられない、目を逸らすことは終わりだと、理解、してしまって
──その思考は許可しない。思考を修正する。思考の上書きを実行する。
──失敗。思考の一部の修正が不完全。
その獣は角を曲がり、姿が見えなくなるが。
「、待って!?」
姿を見えなくなった瞬間に、身体の凍結から回復。その姿を追い、裏路地に入る。
自分が未知の共感にのみ驚愕し、見たことも無い獣の存在自体には全くと言っていいほど驚かないことに気づかないまま。
*
「はあ、はあ……」
荒い息を吐きながら、裏路地を進む。時にはビルの隙間を横になって進み、またある時はネズミを追い出しながら側溝を匍匐前進する。
とっくにあの白い獣の姿は見えないが、しかし気配は未だ衰えず、それを頼りに進み続けるが。
「なに……?」
視界が開けた先、そこには異変が広がっていた。
それは淡く光る白銀の霧だ。人気が無い一角にのみ漂うそれは廃ビルを丸ごと一棟包んでいる。しかし、今日は文句なくの快晴で現に太陽は未だ輝いている。霧が発生するような気候ではないし、この区画にのみ発生するというのも不可解だ。
おまけに、つい先ほどまで感じていたはずの獣の気配まで感じられなくなる始末。これまでまるで傍にいるかのように感じた気配が、今は朧にしか感じられない。あたかも、霧に遮られたかのように。
少し息を吐き、結論を下す。
「あの霧を調べるしかないか」
霧が原因で気配を感じられなくなったなら、それを調べるしか道はない。ひょっとしたらあの中に白い獣がいるかもしれない。
「……まぶしいな」
霧に近寄ってみれば、光が反射して目を開けていられない。頭にかけたままのゴーグルを下げ、目に当てる……正直、このゴーグルを下げることは避けたかったけど、人の目が無いし仕方がない。
「お邪魔しまーす」
小さく呟きながらドアをくぐる。霧は建物の中には充満してないらしく、ゴーグルを上げて、耳を澄ます。
「……上か」
なにかを撃ちつけているかのような音を頼りに、上に向かう。階段を上る度、何か鉄臭い匂いが存在感を増して。
階段の先にあったのは、白い獣ではなく、しかし同様の非日常だった。
それは緑色の肌をした矮躯。類人猿じみた体つきと比較して、異様に大きい頭部はユーモラスであるが、しかしその眼は嗜虐に満ちている。数は三匹で、そのどれもが手に持った棍棒を地面に……いや、肉塊に打ち付けている。それはおそらく猫だったのだろうと毛皮と原型から判別できるが、とうに息絶えているにもかかわらず、執拗に振り下ろし続けている。そんな三匹の異形に、僕は心当たりがあった。
「ゴブリモン……?」
それはデジモンの一種。空想の産物である存在が、ゆっくりとこっちを見て。
「データァ!!」
叫び声をあげて飛び掛かる。少なくとも友好を深めるためのものでないのは血に染まった棍棒を見れば一目瞭然。
「う、うわあ!!」
情けない叫び声をあげて飛び退く。つい一瞬前まで立っていた床が棍棒の一撃で弾け、破片を散乱させ、幾つかはかすって流血するがそんなことに頓着していられない。あのたくましい筋肉から繰り出される棍棒の一撃を喰らえば自分もミンチになるだろう。続いて別の一匹の横なぎも地面に這いつくばって躱す。運も自分を見捨てなかったのか、無傷でやり過ごすが。
そして、これでおしまい。体勢を立て直す前に三匹目が迫る。その速度は凄まじく、僕は逃げられない。運よく生き延びたところで、この包囲からは逃げられない。
死を覚悟した意識が時間感覚を歪ませたのか、状況全てがスローモーションのように感じる中。
『さあ、どうするの?このままじゃ死んじゃうよ?何も残せず、何もなせず。それが嫌なら、どうするの?さあさあさあさあ、君はどうしたいの?』
心が叫ぶ、こんなところで終わりたくないと。まだ僕は、何もできていないのだから。
迫る脅威を否定しろ、自分を殺そうとするこいつらを殺し尽くせ、その材料はとっくに揃っているという心の声を。
「嫌だ!!」
全て振り払う。だって、始めてしまえば逃げることができない。自覚してしまえば全てが終わると、理解してしまったから。
『ああ、そっちを選ぶんだ?』
うるさい……さっきから脳裏に響く声など聞こえないし知らないしわからない。全てから目を逸らして迫る死を甘受する。戦うことなんて、したくないから。いや、そもそもこの思考は何だ?
──その思考は許可しない。思考を修正する。思考の上書きを実行する。
……さっきまで僕は何を考えていた?棍棒が迫る。もう自分は逃げられない。
これが愚かな少年の末路。全てから目を逸らし、選択から逃げ続けた只人は、何にもなれずに骸を晒して。
「狐葉楔!!」
その結末を覆すのは凛とした声。声と共に飛来したのは鋭く尖った葉。いくら尖っても柔らかい存在であるはずの葉は鉄片すらも凌駕する強度と、銃弾とも見まがう速度によって僕に迫るゴブリモンの一匹を弾き飛ばす。
そうして目前に立つのは長身の影。それは人間か?否、全身を金色の体毛で覆い、狐の顔を持つ美しい獣人。間違っても着ぐるみではありえない。その獣はこちらに目も向けず、こちらに向かう二匹のゴブリモンを蹴り飛ばす。
「レナモン、決めるよ」
背後からは別の声。振り返ってみれば、そこに立つのは僕と同年代の女の子。茶色の髪をアップにして、整った顔立ちのその少女は愛らしい造形とは裏腹に、冷たい眼差しで状況を睥睨する。
手に持っているのは小さな青い機械と……デジモンカードだろうか?
そのカードを、機械に垂直に押し当てて。
「カードスラッシュ、『高速プラグインC』!!」
一気に引き抜くと同時、獣人が一陣の風となる。三匹いるゴブリモンを一匹が包囲するかのように一撃離脱の檻に閉じ込めて。
「狐葉楔!!」
全方位から繰り出される葉の刃が、緑の子鬼を例外なく貫いた。全ての力を失い、倒れ伏す子鬼の身体が赤い粒子となって風に散る。それが彼らの死。元々が実在と非実在の狭間である彼らは、命を失えば存在自体を維持できず、死体すら残せない。データの塵となったそれらは美しい獣人へと吸い込まれる。
日常を粉砕した非日常は、弱肉強食というこの世の摂理を結論として打ち砕かれて。
「で、アンタ何?見たところテイマーじゃなさそうだし、関係ないならとっとと出て行ってほしいんだけど?」
少女はどこまでも素っ気なく、一方的に僕に語る。
「いや、ちょっと待ってよ、助けてくれた礼ぐらい……」
「いらない。助けたつもりないし。いいからとっとと消えて。ここであったことはとっとと忘れて……」
キュウゥゥゥゥ
少女の冷たい言葉が、かわいらしい腹の音によって中断される。
それは僕の腹からのものではない。ついさっきまでクールな顔をして冷たい言葉を発していた少女からだ。
「……」
「……」
「……」
僕も少女も獣人も、誰もが言葉も出ない。気まずい沈黙が続いて。
「アンタ、何か聞いた?」
顔を真っ赤にした少女が、キッと僕をにらみつける。対応を間違えれば、死ぬと直感した僕は首を横にぶんぶんと振って。
「何も何も!!あの、助けてくれたお礼がしたいんだけど、手作りパンなんてどうでしょう!?うちはパン屋ですから味は保障します!!はい!!」
「……お礼なら受け取らないことはかえって失礼だぞ、
少女は、わざとらしい溜息をついて。
「うん、そうだね、レナモン……いい、これはあくまでアンタがお礼としてあたしに渡すんだからね!!あたしがお腹すいたとか、そういう話じゃないからね!!」
「う、うん、その通りです!!」
*
全く、ついていない。
血の匂いがする階から上に上がり、少女……
退屈な学校から帰ってきて、おやつを食べようとしたらレナモンがデジモンの気配を感知したため、すきっ腹を抱えて出ることになった。しかも何故か途中でレナモンの気配探知が不明瞭となり、自らが握るテイマーの証……『アーク』によるデジモン探知にもノイズがはしる。それでも朧な気配を感知したレナモンが場所を特定したが、しかしそれまで大分遠回りしたことは否めない。そこまで苦労して、ようやっと見つけたのは雑魚三匹と、
「レナモンって言ったっけ?君もどうぞ」
「いや、私は……」
「助けてくれたお礼だから、迷惑じゃなかったら食べてよ。デジモンにもうちのパンが美味しいかどうか知りたいんだ」
「なら……」
ついさっきまで命の危機だったというのに、そんなことを忘れたかのようにデジモンと喋ることがうれしいのかヘラヘラしている少年だというのだから、採算が合わないにもほどがある。
「……なるほど、人間の味覚はわからないが、これは美味だと感じる。留姫もそうだろう?」
「うっさい」
癪なことに、今自分が食べているアンパンは美味い。自分の家が和食派であり、パンをあまり食べないことを差し引いても、そう感じる。それは特別高価な材料を使っているわけでも、特別な製法で作られているわけでもない。ただありふれた材料で真摯に作った結果として美味しいのだ。
「ほら、もっとあるならさっさとよこしなさい。命を救ってあげた上にデジモンと話までさせてあげてるんだから、その分の誠意を見せてほしいんだけど?」
「ごめん、もう無いんだ。僕の家が『まつだベーカリー』ってお店やってるから、機会があったら来てよ。売れ残りじゃなくて、焼き立てをご馳走するから、さ……それで、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
店名を頭の中に書き込む自分に、少年が問いかける。この状況か、そもそもデジモンが現実に存在する事実に対しての質問かという予想は、
「さっきから『留姫』って呼ばれてるけど、ひょっとして『デジモンクイーン』の?『キング』の遼さんと戦った……」
あっさりと裏切られ、自分の虎の尾を踏んだ。
「なに、あのさわやか男の噛ませ犬っていいたいわけ!?」
「うわあ、ごめんなさい、留姫ちゃん!!」
「ちゃんづけすんな、蹴り飛ばす!!」
「ごめんなさい、牧野さん!!」
「さんづけもいらない。呼び捨てでいい。女の子扱いされるの気持ち悪いし」
全く、調子が狂う。どうかんがえてもまともじゃない現状で質問するのが自分の事ときた。コイツの頭の中にはお花畑でも咲いているのか。
「だけど、いいなー。デジモンの友達がいて」
「友達?そんな訳ないじゃん。デジモンはただ戦うだけの存在。ゲームのプレイヤーキャラと変わらない」
「……そんな言い方ないと思う」
「部外者が口挟まないでくれる」
軽くため息を吐き、自分もまた質問する。
「それで、どうしてここに入ったの?っていうかこのデジタルゾーンは普通の人にとっては近づきたくない筈なんだけど?」
そう、この霧はあらゆる機械類を動作不良にすると同時、人間にとっては忌避感を感じさせる。少なくとも、何の目的意識もなく迷い込めるものではない。さっきは軽く流したが、よくよく考えれば妙だ。
疑いの眼差しに晒された少年は居心地悪そうに首をすくめて答える。
「ああそうだ、まき……じゃなかった、留姫は真っ白い生き物……多分デジモンだと思うんだけど、見なかった?僕はそれを追いかけて、このあたりにいたはずなんだけど?」
「そんなの、見てない。それってほんとにデジモンだったわけ?」
「うん、少なくとも犬や猫じゃなかったと思う。見たことも無いけど、流暢にしゃべる動物がデジモン以外にいないと思うし」
「……レナモン、気配は?」
パンを食べ終えたレナモンが、首を横に振る。
「いや、まだなにかに邪魔されているかのように気配が感じ取れない……と言うより、何か妙な気配しか感じ取れない。こんなのは初めてだ」
「そっちも変ね。ここにいたのは只の成長期。レナモンから気配を隠すことなんてできないはずだし、そもそももうロードしたから気配も何もないはずなのに……もしかして、その白いデジモンが特別なのかも。探そう、レナモン。ここまで来たかいがあったかもしれない」
もしその白いデジモンが何かしら特別な存在なら、そいつを倒せばレナモンはもっと強くなるかもしれない。そんな期待を込めた言葉に、目の前の少年が反応する。
「ちょ、ちょっとまった。見つけたらどうする気?もしかして、今やったように戦うんじゃ……」
「当然、さっきやったように倒してロードする……文句でもあるわけ?さっきも言ったけど、デジモンは戦うためだけの存在。レナモンとあたしはそのためだけにパートナーになった。お互い利用するだけの関係よ。
それともなに?デジモンを戦わせることがいけないこととか、デジモンだって生きているんだとか、そんな綺麗ごと言いたいの?」
「いやあ、今さっきデジモンに殺されそうになった僕は何も言えないよ。あの真っ白だって、危険な存在かもしれないし。むしろ、留姫のやってることは被害の拡大を防ぐ意味じゃ正しいのかもしれないし」
「……おだてても、なにも出ない」
そう、少年の言葉は的外れにもほどがある。自分がデジモンを倒すのは自分の利益のため。周囲に被害を広げないよう配慮することも多いが、誰かを守るとかそんなヒーローごっこしているつもりはない。
「……すまない、留姫はあんな言い方しかできないが、完全に自分の事しか考えていないわけではない。さっきだってお前の安全を優先しろと指示を受けてた」
「ちょっと、レナモン!!余計なこというな!!」
余計なことを言うレナモンに怒鳴る姿が滑稽なのか、苦笑を浮かべた少年が口を開く。
「……それで、留姫はどうしたいの?デジモンが戦うためだけの存在であるとかその真偽は正直に言って僕にはわからない。
だけど、それはあくまでデジモンって存在自体の定義でしょ?留姫はレナモンを強くして、何がしたいの?」
その言葉には、蔑みや反発など見られない。ただどこまでも透明な疑問だけがあった。
そう、レナモンを強くして……強い力を手に入れて、自分は何がしたいのか、そんな簡単な疑問にも、答えられない自分を自覚してしまったから。
「……別に、理由なんてない。テイマーはデジモンを強くして、最強を目指す。それだけ」
ふうーんと、気のない返事を少年は漏らす。納得していないことはわかるし、留姫自身もこじつけだという事はわかっているが、それに拘泥する気はないらしい。
「それでも、あの白いデジモンを倒されるのは困る。少なくとも僕が姿を見つけるまでは。それまでは一緒に行動しない?」
「ずいぶんとふてぶてしい……あたしにメリットないじゃない」
少年は、軽く笑みを浮かべて。
「一応両親からうちの店の宣伝を兼ねてクーポン券を預かっているんだ。お気に召したようだし、それを全部君に渡す。それに加えて新作の試食も君たちにあげるっていうのはどうだろう?それでも足りなければぜひとも条件を追加して。頼んでいるのは僕なんだから、公序良俗に反しない限り聞くよ」
「断るって選択肢を地味に排除してるじゃない……仕方ない、どうせ断っても探すんでしょ?」
「うん、そうだね。むしろ君たちを追いかけたほうが効率はいいかもね」
「……笑いながらいう事じゃないと思うんだけど」
朗らかに笑う少年に苦笑を浮かべる。
……そういえば、家族以外にここまで踏み込んできた相手は最近いない。学校では友人もおらず、カードゲームする時もただ打ち倒すだけでろくに会話していなかったから。
「……それで、アンタの名前は?さっきからあたしとレナモンのことばかり話して、アンタは名前も言ってないんだけど」
「ああ、ごめん。僕の名は……」
少年が告げようとするのを、カタリという物音が遮る。弾かれたようにそちらを見れば、そこには先ほどロードしたのと同じゴブリモンが佇んでいた。
「データぁ、ヨコセェ!!オマエタチノデータァ、ヨコセェ!!」
その瞳に映るのは純粋なまでの敵意。ただひたすらに此方を喰らわんと猛るが。
「レナモン、終わらせて」
自分の意に従い、レナモンは駆ける。とうに格付けは済んでいる。今まで隠れおおせていたのはただ単に自分たちの感知の調子が悪かっただけに過ぎず、対面した以上目の前の存在の末路はレナモンにロードされる以外は無い。
……その予想は、続く異変によって裏切られた。
「ゴブリモン、シンカァ!!フーガモン!!」
その身が光で包まれ、全く別の存在へと一瞬で変わる。
赤銅色の肌をした鬼……成熟期、フーガモン。
一瞬で通常の生物ではありえぬ変化を為す現象……進化はしかし、デジモンという存在を知るものなら常識であるが、それは遊戯の話。現実に存在するデジモンが進化することなど今まで見たことはないが。
「レナモン!!」
「わかっている!!」
木ではなく、骨を削った棍棒の一撃が迎え撃つが、レナモンも異変を察知して後退。そのまま速度を活かした一撃離脱で、浅いダメージを与え続ける。
そう、やるべきことは変わらない。進化したのには戸惑ったが、成熟期など幾度も狩っている。今までロードを繰り返して強化したレナモンの能力値と自分の指示が合わされば、狩れない相手などいない。
「カードスラッシュ、『バトルトマホーク』!!」
顕現するは戦斧。加速から繰り出される一撃は容易く鬼の首を断ち切り……
轟音と共に、斧が粉砕され、レナモンが壁に打ち付けられた。
必勝のはずの状況を覆された理由は、フーガモンの姿を見れば一目瞭然。
「なに、あれ……?」
その右腕が、異様に肥大化していた。左腕と比較して、異様なまでの太さとなった右腕はまるで丸太の様。軽く振るわれた腕に掠っただけでレナモンの身体を吹き飛ばした。いや、右腕だけではない。フーガモンの身体のあちこちが肥大化し、脈打っている。それはまるで、許容量を超えてなお空気を注がれている風船の様。その変化は止まらず、肌で感じる圧力だけで心を打ちのめす。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!
グロテスクな悪夢じみた姿に変貌し続ける鬼が、咆哮した。
*
もはや状況は僕から見ても一方的だった。
「くっ……!!」
苦悶の声を漏らすレナモンは時には壁を、時には床を足場に三百六十度あらゆる角度から攻撃を仕掛ける。文字通り逃げ場なく展開されたそれは例外なく鬼に突き刺さり、その身体を揺らすが。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
もはや四肢が異常な形を成す鬼は、それら全てを気にも留めない。刻まれているはずの傷が肉体の肥大によって覆い隠され、力任せに振るわれた無造作なまでの一撃がレナモンを吹き飛ばす。
その動きは力任せなうえに、形を崩した四肢は滑らかな動きとは程遠い。攻撃が一掠る間にレナモンの攻撃が十直撃するのだから、回転率という点では鬼の不利だが。しかしレナモンの放つ十の攻撃は全くダメージを与えられず、掠るだけの一の攻撃がレナモンを弾き飛ばす。
「カードスラッシュ、『愛のばんそうこう』!!」
そのたびに留姫が治癒効果のあるカードをスラッシュして回復させるが、しかし追いつけない。見る見るうちに動きから精彩が失われ、さらに吹き飛ばされる。
「GAAAAAA……」
幾度か吹き飛ばしたのち、まるで興味を失ったかのようにレナモンから眼を離し、異常な造形となった四肢を引きずるかのように壁面へと向かう……いや、違う!!
「外に行く気だ!!あんなのが街に出たら大惨事になる!!」
「させない!!レナモン、カードスラッシュ!!『高速プラグインC』!!」
黄色い風と化したレナモンが、フーガモンを追い抜いて正面に立ち、鋭い蹴りでその顎を揺らす。それは微々たるダメージしか与えないが、しかしこちらに敵の意識を集中させるという目的は果たし……
故に、末路は決定した。敵意も露わなフーガモンの視線が再度レナモンを捉える。そう、安全を優先するのであれば、ここは放置するべきであった。取るに足らぬものとして放置された状態から動かなければ、敵意も向けられることは無かったが、邪魔者として認識された時点で詰み。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
咆哮と共に鉄槌の如く振り下ろされた腕がレナモンを地面に打ち付け、そのまま執拗に殴り続ける。どこまでも力任せの暴力は単純な優性として顕現する。
そう、戦いにおいて単純に力が強いというのは誰もが認める利点であり、それを崩すことは困難極まる。いかに速さで上回ろうが、小技で支援しようが、地力で上回れてはどうしようもない。
拳の乱打がレナモンを襲い、
「逃、げろ!!グハァ!!」
苦悶の声と共にレナモンが告げる指示こそこの状況の最適解、唯一時間稼ぎができるレナモンを囮にすれば、自分たち二人は逃げることができると理解して……
「いやだ!!」
──留姫の叫びが、その理解をぶち壊した。
彼女は逃げない。例えその身を危険にさらしても。涙を浮かべながらも、決してレナモンを置き去りにしないと全身で訴えていた。
それはなにも特別な理由からではない。ただパートナーを見捨てない、それだけのこと。
理性は身勝手だと結論付ける。ついさっきまで戦うためだけの存在と言い切ってて、そもそも死地に連れ出したのは彼女だ。いざ失われそうなときに涙を見せるなど、都合がいいにもほどがある。
……それでも、涙を見てしまったから。僕は女の子の泣き顔を見過ごすことだけはできないから。
側頭部に走る痛みと共に脳裏に浮かぶは誰かの面影。それこそが自分の罪であり、全ての始まりであると理解して。
──その思考は許可しない。思考を修正する。思考の上書きを実行する。
不許可修正上書き。不許可修正上書き。不許可修正上書き不許可修正上書き不許可修正上書き不許可修正上書き不許可修正上書き不許可修正上書き不許可修正上書き不許可修正上書き不許可修正上書き不許可修正上書き不許可修正上書き不許可修正上書き……
「ああ、うるさい」
僅か一言。自分が漏らす声とは思えぬ低い声が、自身の頭に響く雑音を全て断ち切った。そう、こんな雑音も、異常な状況に順応する自分への違和感も、頭を刺激する過去の残響も全てが些事。
大切なことは今涙を流す少女がいて、涙を流させる敵がいる事。
少女を守らんとする決意が燃える。
涙を流させる敵への憎悪が滾る。
似て非なる同質かつ双極の感情は互いを薪にその勢いを増していき、自身の身体に眠る罪の残滓を顕現し、そこから更に更に更に……奥に眠るものを呼び起こしていく。
それに呼応するかのように飛来した『それ』を掴み取る。『それ』は僕のカバンの蓋の隙間から飛び出したデジモンカードのカードリーダー、否、手に握った瞬間に留姫が持つ機械と同じ姿に変化する。この赤い機械こそ、アーク。テイマーの証だと理解して。
『そう、それが君だ。怒れ、進め、思いの迸るままに!!あらゆるものを踏みにじり、悲劇への憎悪を燃やし続けて!! 大丈夫、君がどんなふうになっても、ワタシはずっと君の傍にいる!!』
そんな少女の声など知らないし聞こえないしどうでもいい。ただ自らの中に潜むものに告げる。
「来い!!」
──そうして、停滞していた運命は動きだした。もう逃げることなどできはしない。定められた結末へと、墜ちていく。
*
その時。啓人が追い求めていた白い獣は静かに首をかしげていた。
「クル?なんでクル?」
感じるのは自分の根幹に共鳴する何か。ついさっきも似た感覚があったが、今感じるのはそれとは全く異なる。前に感じたのが気配なら、今感じるのは圧。圧倒的な存在感が自分の根幹と共鳴する。
「クルクルクルクルクルクル……目が回るでクルー!!」
自らの違和感の原因がわからない。それも当然だ。そもそも自分の存在がなんなのか、知らないのだから。
*
その時。都庁の中の秘密スペース。限られた者しか存在すらも知らないそこが揺れていた。
「未知の反応、増大!!数値が跳ね上がっています!!」
「ワイルドワンではないのか!?」
「違います、対象の至近距離にワイルドワンの反応2!!一つは急速に反応を増大させましたが、今感知しているものとは別です!!」
「その反応の観測に全てのリソースを割け!!」
彼らは世界の秩序を守るもの、電子からの侵略者に相対する者たち。世界を守らんとする志高い彼らは、未知の現象に慄きながらも行動を止めない。
「……やはり、放置しておくのは危険という事か」
その部屋の長である男は、静かに決意を漏らす。
*
どこかの場所で、それら全てを観測した男は嗤う。
「素晴らしい、待ってたよ、松田啓人。信じていたとも、君ならば必ず目覚めると」
込められる感情はあまりにも深い情念。彼は幼い少年を心の底から尊敬し、信じていたから。
「さあ、我らの運命を再開しよう。全ては、世界の更なる未来の為に!!」
妄執と理性を両立させた男はまさしく怪物。男は進み続ける。世界に光をもたらすために。
*
そうして、それら全てとは異なる場所で。
伝わってくる朧な気配に『それ』は微笑みを浮かべて。
*
まず最初にこの場を席巻したのは炎。僕の目の前に出現したそれが発する轟音と爆風によって、止めを刺そうとしたフーガモンの身体が吹っ飛ぶ。
次に現れたのは闇。炎を喰らうかのように現れたそれは一瞬で増殖して、炎の塊を弾き飛ばし、部屋のあちこちを燃やす。
そうして弾け飛んだ炎のあとに顕れたのは赤い龍。図鑑でしか見たことが無い恐竜のような四肢をもつそれは、僕と同じぐらいの背丈をしながらも、異様に発達した前腕とうなり声を上げる口から覗く尖った牙から秘めた攻撃性を感じ取ることができる。それこそが、僕が望んだもので。何をすればいいか、理解できたから。
「GUOOOOOOOOOOOOOOOO……!!」
静かに唸る龍の横に立って。
「セット」
指先でフーガモンを指し示すと同時、龍の口内で火球が一瞬で生成。
「シュート!!」
「ファイアーボール!!」
その指示と共に、火球が飛ぶ。狙い過たず奔るそれは鬼の眼に直撃。視界を奪う。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
よろめいたフーガモンは身をかがめ、こちらに突撃する構えを取るが、遅い。
「突撃。右腕をブレイク」
「GUA!!」
四肢のバランスを崩した鬼に先んじて、赤い龍が懐に入り込む。
「ロックブレイカー!!」
振るわれる両腕。鋭い爪が異様に肥大化した右腕を貫く。傷口から赤いデータ片が血のように飛び散るが、それは一瞬。より一層肥大化した右腕が傷を覆い隠すが。
「攻撃を続行。防御は最低限。連続攻撃で行動を阻害」
指示に従い、続いて振るわれる爪に牙。時には尾。息もつかせぬ連続攻撃は只でさえ不安定な鬼の身体を揺らし続け、回避も反撃も許さない。
「GAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
苦し紛れにフーガモンは四肢を振るうが、無駄だ。
「右に3、前に2。回避した後に攻撃を続行」
その通りに動いた龍に、攻撃はかすりもしない。
予兆を読み取り、一手早く指示する……たったそれだけのことで、これまでこの場を席巻した暴力は無力に変わる。歪な形となった四肢は、その持ち主である鬼自体にも制御がきかない。半ば引きずるように動かしているそれを読み取ることなど容易いにもほどがある……僕にはそんなことできるはずがないのに。自分に起こる変化もまた凄まじいが、そんなものはどうでもいい。
そんなことを気にする前に、勝機を逃さないことが重要だろう。すでに道筋は整ったのだから。
攻撃を躱されたフーガモンが、再度腕を振るおうとするが、もう指示を出す必要すらない。
「レナモン、カードスラッシュ!!『高速プラグインC!!』」
「狐葉楔!!」
体勢を立て直したレナモンが影も残さぬ高速移動によって動き回り、放つ葉の刃が鬼の行動を阻害する。
つい先ほどまでレナモンが圧倒されていたのは、一対一で相性も悪かったから。攻撃能力に優れた龍が鬼の注意を引き付けている現状において、速度と手数に優れたレナモンの支援は自分たちの有利を確定させる一手として機能する。そしてなにより、留姫がこのまま黙っているわけが無いだろう。
もはやフーガモンはサンドバッグかのように葉で揺らされ、爪と牙によって抉られるばかり。戦況は一方的であるがしかし、こちらも攻撃は決定的なものを与えることができない。
レナモンの攻撃は単純に威力が足りず、赤い龍の攻撃は受けるたびに右腕が膨張して覆い隠す。
ならば戦況は膠着状態か?
否。勝つための道筋はもう整っている。
「GA? gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa……」
これまで戦意に満ちていた鬼の叫びが、苦悶のそれへと変わる。その原因は攻撃を受け続けていた右腕……いや、だったものといったほうが正しいか。肥大を続けてきたそれはもはや肉塊とも呼べるものになり、鬼の身体全体を顔面だけ残して飲み込んだ。
フーガモンの肉体の変化は確かに純粋な力としては脅威であるが、しかし制御ができているようには見えない。その力に振り回され、肉体の正常な形すらも失って動作が阻害されている始末。いったいどういう理屈で変化しているのはわからないが、しかし傷付いた部分を膨張という形で取り繕うことだけは理解した。それなら、一部に強力な攻撃を集中し続けることで膨張の速度を速め、動けなく出来るのではないかという予想は、想定以上の結果をもたらした。
もはや丸い肉塊と化した鬼は身動き一つできず。
「とどめだ。留姫、あいつを打ち上げて!!今なら反撃の心配はない!!」
「偉そうに指示すんな!!カードスラッシュ!!『トレーニングギプス』!!」
怒鳴りながらも読み込まれたカードによって、レナモンの膂力が増大して。
「ハァ!!」
上方への蹴り上げが、肉塊を吹き飛ばす。轟音と共に天井を破壊したそれはビルを突き破った後、重力に従い落下して……
「カードスラッシュ、『アイアンクロウ』!!」
僕もまたあらかじめ取り出しておいたカードを見よう見まねでスラッシュ。鉄の鋭さと光沢を放つ龍の爪が落下してくる鬼の頭蓋と喉を捉える。落下による加速にとらわれた肉体は、容易く貫かれて。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」
苦悶の声を漏らし、肉塊全てが赤いデータ片と化して散らばる。一瞬だけ風に舞ったそれは、レナモンと赤い龍に均等に吸い込まれた。
「GURURURURURURURURURU……た、かとぉ」
それを確認した赤い龍の身体から、闘争心が霧散してゆく。鋭く尖った目が優しげなものに変わっていき、僕の名を呼びながら身を摺り寄せてきた。暖かい体温は確かにその存在が現実にいることを実感させる。
撫でる僕の手に気持ち良さげに喉を鳴らすその姿はどこか犬や猫を思い浮かべ、自然に笑みが浮かぶ僕に、背後から声が掛けられる。
「それで、改めて聞くけど。アンタはなんなわけ?」
振り返ってみれば、訝しげな表情を作った留姫が。その姿を庇うようにレナモンが立っていた。
その顔に、もう涙が浮かんでいないのを見た自分はようやく安心できて。その問いに答えようとして、気づく。この赤い龍に名前を付けていないことに。
次の瞬間、自然と頭に名前が浮かんで、それがとても馴染むものだったから。
「このデジモンは僕のパートナー。名前はギルモン」
「そんなことを聞いているんじゃ……」
「そして、僕の名前は松田啓人。うん、君と同じ、テイマーってことになるのかな」
天井が吹き抜けと化し、あちこちで炎が燃えている部屋で、さっきは名乗れなかった名前を告げる。
これが全ての始まり……ではない。松田啓人の物語はとっくの昔に終わって、そして始まっている。その時の僕は、そんなことすらも忘れていた。
*
『そう、キミこそ松田啓人。ワタシが焦がれ、愛する運命の人』
静かに黒衣の少女は笑う。運命の歯車が再び動き始めたのを感じながら。
『しかし、ギルモン、か。ギルモン、ギル、ギル……ああ、なるほど
ある意味では兄弟ともいえる存在につけられた名に込めた意味に共感する。彼自身は意識していないだろうが、これ以上アイツにふさわしい名前は無いのだろう。
『さあ、進むと決めたね?誰かのために戦うと誓ったね?だったら早く気付いて。全ての真実に。苦しみ、嘆きを紡いだその先に……』
彼女自身である闇が、より濃くなって。
『一緒に運命を成就しよう。ワタシ達の罪に、本当の決着を』
彼女は啓人を待っている。啓人だけを待っている。
いずれ為される運命の成就、それを誰よりも忌みながら、待ち望んでいた。
『今度こそ、君の涙を拭うために。輝けるもの一切よ、ただ安らかに眠るのだ。
──故に、噎び哭け。君の結末は“伝説”だ』
逃れえない未来への予言が、闇へと消えた。