「
そのたった一言で人形はその身体を目の前の敵へと走らせる。自然体であったそれは手刀の形を取り、藍へと迫る。
「甘い!」
妖力で強化した爪を剣のように伸ばし受け止める。双方ともに威力は互角。一瞬の均衡、そして連撃。忙しなく強化の魔術を掛けた目と指を動かしながら魔術師は少しずつ後ろに下がっていく。双方の狙いは相手の無力化ではなく殺害。
いや、魔術師である空蔵創也は逃亡することさえできればそれでいい。
今までの最高傑作であったこの人形を実戦で試すのはこれが初めてである。そういう環境に出会えたこと、それ単体でも喜ばしいものだった。だが、それに加え目の前に現れた妖怪。更に言えば飛び切りの強さを持った九尾の狐との出会い。この世界に存在するであろう神秘に比べれば、目の前の最高傑作を囮にして逃げることも吝かではない。それにこの幻想郷という環境があればこれ以上のものを作り出すことも、量産することも可能であると考えていた。
そして己の右手に現れた令呪。つまりは聖杯戦争への参加を聖杯から認められたという証も逃走という選択肢を後押しする要因になっていた。願いを叶える願望器というその謳い文句は魔術師ならば、いや、願いを持ち欲を持つ人間ならば魅かれぬ道理はない。
「(そろそろ力のある妖怪か何かなら、この事態に気付いてもいいはずだ)」
そろそろ辺りに住んでいる者に気付かれてもおかしくはない。それは藍も考えていたことだ。
「(こんなタイミングであんな奴やこんな奴に出会ったら面倒でしょうがない)」
頭に思い浮かぶのは根っからの呑兵衛の小さな鬼であったり、暇で異変を起こしたりする天人であったりする。だが、今はそんなことに気を取られているわけにはいかないと、藍は大きく切り払い相手との距離を取る。
「そろそろ幕引きとしよう。あまり長居しすぎるのも問題だ」
「ほう、お前もか。ならとっととその首を置いていけ、人形でもなんでもない、お前の首だぞ?」
そういうとゴウッ、と辺りに旋風が巻き起こる。藍が周囲の魔力と自分の魔力を練り合わせ、己の身体を全力の状態へと引き上げようとしているからだ。その変化はすぐに身体に現れた。人間と同じ骨格だったはずの身体が、徐々に獣のそれへと変化していく。
「一瞬で楽にしてやる……」
「っ!
人形の身体の前半分がパカリと開き、そこから幾重にも渡る紋章が現れた。瞬時に全力の物理障壁を張り、目の前の獣との衝突に備えた創也の実力はかなりのものだろう。これほどの規模を発生させるとなると、普通の魔術師が自身が所有する魔術工房で尚且つ準備を施した上で発動することが可能になるというレベルだ。それを一瞬にして発動させるということは正に空蔵創也という魔術師が如何に優秀かを如実に表していた。この防御結界の前では機関銃のような連撃にも、手榴弾のような莫大な威力にも、またその両方を兼ね備えていたとしても貫くことは難しいだろう。
目の前の獣の実力がその程度であったのならばの話だが。
「ウオオオォォォォォォォォ!!!!!!!」
地面に四つのクレーターを残し、藍は創也に飛びかかった。止まろうとしなかったのは、防御の魔術を張られているのを知った上でそれを貫けるという確信があったからであろう。その突進の速度は瞬間的にではあるが遷音速にまで達していた。そしてその速度と強化された肉体から放たれたそれは機関銃の連撃の速度を超え、手榴弾の爆発の威力を超え、襲いかかった。その一瞬だけを切り取れば、それはかの槍使いのサーヴァントと比べても遜色ないものであった。藍が此方へ飛びかかるのを見た創也は瞬時にこの防御結界では自分を守り切れないと察した。そう察するや否や瞬時に結界のみを置き去りにし、人形も自分も近くの森に飛び込んだ。後に爆風。結界を暴走させたものによる爆発と、その場に転がっていた人形の頭を爆破したことによる二つの爆風が藍を襲う。
「グウウゥゥゥゥ!!??」
目の前で起きた爆発の原因を理解した藍はすぐさま森の中を逃げる創也を追おうとしたが、その瞬間、ガクリと身体から力が抜けた。一つは無理矢理力を使ったせいで起きた反動だと分かった。一瞬だが獣としての骨格へと無理矢理な変貌を遂げていた身体が元の人の形に戻ろうとして発生しているこの激痛は長らく味わうことはないと思っていたものだ。だが、それ以上の他の力が自分に働いているのを感じた。そして、藍の隣にふわりと降り立つ人……否、妖怪がいた。
「ずいぶんとやられたわね、藍」
「ゆ、紫様……」
「分かってるわよ。それじゃあ貴方は早く屋敷に戻っていなさい。……動けなさそうね。仕方ない、送ってあげるわ……それと、帰ったらお説教が必要ね」
「分かり……ました」
そう言って藍は開かれたスキマの前に歩みを進めた。しかし、そこから動かない。表情は曇り、自分の無力さに対して落ち込まずにはいられなかったのだろう。そんな藍をチラリと見て、紫は少し脱力しながら笑いかけた。
「橙が待ってるわよ。あとは私たちに任せなさい」
半ば無理矢理、その立ち止まった背中を押した。その表情は多少驚きはしていたものの、やはり暗いものであった。藍の身体が完全にスキマに沈み込んだのを確認すると、紫は目を閉じて深呼吸した。それだけで、辺りには張り詰めたような緊張感が漂い、彼女が纏う雰囲気もまた戦いに赴く戦士のものへと変わっていた。
「行くわよ切嗣。……これが、私たちの聖杯戦争よ」
side 切嗣
サーヴァントとマスターは契約することによって視覚などの感覚を共有することができる。これは聖杯戦争に参加したもの、または聖杯戦争を知る者ならば常識といっても過言ではないだろう。
そして今どんな状況かと問われれば、マヨイガに持ち込まれた武器を確認していて、従者である八雲藍が侵入者を迎撃して、そしてその対象が逃走を図ったのを八雲紫を介して確認したとしか説明できない。それにしても八雲紫はとても素早く動いてくれたと思う。外の世界に置いてきた武器をとりあえずとはいえ幾らか手元に戻してくれたのだから。まだ例の武器はないが、それは自分で揃えなければならないものだ。短期間でここまでの成果を上げるとは流石妖怪の賢者といったところか。
そしてここまで辿り着けたのも正にその能力のおかげと言えるだろう。自分の使う暗示と八雲紫の能力が合わされば人間一人程度の存在に対する意識など簡単に消し飛ばせる。
それとは別に、彼女自身がその暗示に半ばされるがままになっていたのは正直、想定外だった。
今すべきことは装備の確認と迅速な準備である。自分の目の前に広がるのはキャリコM950Aが二丁、弾薬は9mmパラペラム弾が4000発。かなりの量だろう。
そして、ワルサーWA2000が一丁。全部で176丁しか生産されなかったが、その性能は折り紙付きである。前回の聖杯戦争の時にアインツベルン家の援助によってようやく一丁手に入れることができた。そこに掛かった労力と資金を考えれば、今目の前に平然と当たり前のように用意させられる八雲紫の実力を如実に表していた。余談ではあるが、この銃は一丁7000ドル――現在で換算するなら約70万円である――と高価な品である。AN/PVS04暗視スコープとスペクターIR熱感知スコープも注文通りに用意してあった。弾薬は抜きにしても、これらの装備はワルサーと同じくとても高価である。どこかから盗んででも来たのだろうか。いや、それ以外に方法は思いつかない。
その他にも各種手榴弾にサバイバルナイフを数本。あと一つ足りないものがあるが、それはこちらで準備するしかない。これらを収集してくれた八雲紫には感謝しなければならないだろう。
「あの地形なら迷いの竹林に入る選択肢はない、か」
ちなみに今行っているのは予想される逃走ルートを抑えて待ち伏せし、仕留める準備である。幻想郷の地形としては、盆地にある人里を囲むように魔法の森と迷いの竹林が存在している。そして侵入者が幻想郷を囲む二つの結界から直接入ってきたのであれば、必然的に外周部に出現する。人里へ行くには確実にどちらかを通って行くことになる。紫から報告された侵入者の位置は、正にその二つを見下ろすことができる小高い丘の近くである。
「今魔術師が必要としてるのは……拠点。霊脈でもいい、大気中の魔力量が豊富なところでもいい、人混みに紛れられるでもいい、この聖杯戦争で戦い抜けるような拠点が必要になるはずだ」
迷いの竹林はその名の通り、この幻想郷の住人ですら迷わせるという深い竹林である。しかし、ここには永遠亭なるものが存在しているらしく、新しく拠点を作ろうとすればそこの住民が気付かないはずがない。というよりもあそこを通っていくメリットがほとんどないのだ。大気中の魔力量もそうだが、何より竹があることを除けばあそこはほぼ平地だといってもいい。何か洞窟が存在するであったり、起伏が存在するわけでもない。逃走するなら必然的に魔法の森の方へと進路を取るはずだが……。
「だがあの人形遣い、封印指定を受けていたはずだ。……なら強行軍も選択肢に入るか」
となると思い付くのは、先ほどの戦闘。強力な人形、というだけならば何体も見てきたが、人間サイズに収まった、というのは前例がない。人の身を持ち人の形をしながら、それでいてあそこまでの性能を持っていて更に言えばまだ全力を出していないというのが恐ろしい。故に危険な選択肢、普通なら愚かとしか言えないような選択肢も一つの選択肢になり得るのだ。
「紫、今すぐ僕を迷いの竹林と魔法の森の入口が見えるところに飛ばしてくれ」
『分かったわ。……あの魔術師の使ってる人形、かなり強いわよ。真正面からぶつかっても勝ち目は薄いわよ』
「そのための
『分かってくれて何よりよ。あと一つ。あの人形遣いと人形。それで二人分の侵入ということなんだけれど、それとは別にもう一人侵入しているわ。最もこちらも相手側もお互い認識できていないから敵かどうかは分からないわ』
「……了解した」
ここに来て不確定要素の存在が浮上するのはあまり喜ばしいことではないが、文句を言っても状況は変わらない。ナイフと手榴弾をコートの内側に、ワルサーとキャリコも装備する。切嗣が理想とする『絶対に勝てる状況』とは程遠い。だが、だからといって目の前の敵を見逃すわけにはいかない。
「いいぞ、飛ばしてくれ」
そう呟いて数秒もしない内に、切嗣は奇妙な浮遊感に襲われながらスキマの中に落ちていった。
side 空蔵 創也
「ハッ、ハッ……!!」
自分の身体と人形の身体を強化しながら深い森を駆けてゆく。後ろの方から追手が迫っていることは分かり切っている。絶体絶命ともいえるこんな状況であれど、人間の身体は人間なのだろう。それを証明するように段々と強化の魔術によって動かしていた足が痛み始めた。
「(魔力を使い過ぎたわけじゃあない。どういうことだ?)」
分からない。
だが、大方予想は付いている。恐らくは無理に使い続けた身体の方にダメージが出ているのだろう。感情に浮かされてこのようなことになるとは、まだまだ甘い。
「(これが、本気でやった力か……)」
沸々と先ほどの感覚が蘇ってくる。普段ならただの作業でしかない詠唱でさえ、その時はこの上ない達成感を得ることができていた。人形を操る指の動きさえ、まるで淡い初恋の人に触れた時のように愛おしく感じる。
「素晴らしいっ! これが、失われた地か! 何故今まで気付かなかった! 何故今まで知らなかった!」
そう叫びながら、彼はなおも加速していく。自分が現れたあの場所からこちらに直進していけば、集落のような何かに辿り着く。戦闘中にちらりとそれらしきものを視認していた。その手前に大きな森があったが、指して大きな問題ではないだろう。だが、それは誰にも遭遇しなければの話である。先ほどから自分を追跡する存在を確認していた。しかも恐ろしいのがそれが直線ではなく点のように、簡単に言えば瞬間移動しながら迫ってきていたのである。
「『結界 動と静の均衡』」
その声が耳に届いた時には既に行動を開始していたのだろう。自分を狙う身の丈ほどもある光弾が真正面から襲いかかるのを視界に捉えると、それをまるで弾丸が回転するように飛びながら避けた。その隙を狙うように放たれた波のような低速弾の合間を縫うように走り抜ける。
「すばしっこい鼠ね。……本当に腹が立つわ」
そんな声が聞こえ、その次に耳に届いたのは鋭いものが大気を切り裂いて進む音だ。実際にそちらに目を向けてみれば苦無のような弾が此方を貫かんと迫ってくる。ほとんど無規則に迫るそれを半ば反射的に避けながら走る。この程度ならまだ避けられる。それを行えるという自信があった。だから走る速度を落とさずにただひたすら集落のある方向へ走る。このままの速度で走ればあと十分もしないうちに集落に辿り着くはずだ。
最も、その確信は誰も周りにいない時にしか成立しないものである。
「はい、ご苦労様」
その小さな呟きはすぐ耳元から聞こえた。一瞬だけ、そちらに意識をやってしまった。ちらりとそちらを見て確認してしまった。だが、そこには何もなかった。その代わり、何もなかったはずの自分の進行方向に、更に言えば顔の高さとと変わらない場所に浮かぶ物体が新しく現れた。
拳ほどの大きさのそれを認識するのとほぼ同時に、それは閃光と爆音を発した。
「(
外の世界では何度か目にしたことのあるその物体が何であるかということはもう些細なことだ。そして今、目の前で炸裂した閃光と爆音によって空蔵創也の視力と聴力は一瞬にして奪われた。
「(くそっ……早く人形を使って逃げないと……)」
自身の平衡感覚が失われようと、今は見えないが傍にいるはずの人形を使えば感覚をリンクさせることも自身を運ばせることも何ら難しくはない。
「
即座に詠唱を行い脱出しようとする。人形の背中に乗せられてそのまま人形が全速力で駆け抜けようとした瞬間、ガクリとその姿勢が崩れた。投げ出されることはなかったが、人形はその場に膝をつくような姿勢で動きを止めてしまった。銃撃だろうか、魔術による狙撃だろうか。どちらにしても今の自分にはただただ大きな脅威でしかない。
「(遠距離からの攻撃か! すぐに脱出しないと……)」
殺られる。一方に、回避の余地なく、抵抗の余地なく、許しを請うことも、許されることもなく。
ただ、現象としての死を無理矢理与えられるように。
「(まだ、諦められない)」
その一念だけで人形と自分の身体は動いていた。近くにいる一人と遠くにいる一人、合わせて二人から逃げ切るにはどうすればいいか。それを全力で考えていた。
だが、その思考は新たな閃光と爆音で掻き消されていった。
「おいおい紫、お前は人間を襲うようなやつだったか?」
「……消えなさい。今は貴方の相手をしている場合じゃないのよ」
頭上で交わされる会話にひたすら困惑していた。
「誰だ、あんたは……」
思わず、つい反射的に呟いていた。見ず知らずの自分を助けてくれたその人を知るために、つい反射的に。その呟きは助けてくれたその人に届いたのだろう。叫ぶように、その声は聞こえてきた。
「霧雨魔理沙、普通の魔法使いだぜ!」
皆様、長い間更新できずに申し訳ありませんでした。作者の遅筆と忙しさが合わさってこのような事態になってしまったことをここでお詫び申し上げます。そしてこれからは学校生活もありますので、更新は遅れると言う事も共にお伝えしておきます。誠に申し訳ありません。
読者の皆様の感想や増えていくお気に入り数に励まされながら執筆しております。もしよければ感想の一言でも書いていただければこの不肖私こと惣菜はやる気と元気と少しの才気を奮い立たせて執筆活動を行わせていただきます。ご意見ご感想のほどをよろしくお願いいたします。