今回、空の境界と銘打たせてもらったのは、Fate/Zeroにて橙子さんの存在を匂わせる一文があり、この作者は短絡的に「伽藍の堂も、空の境界メンバーもいるんじゃね?」という結論に行きついたわけであります。言ってしまえば、この『空の境界 境界体験』という話をご覧にならなくとも本編を楽しめるようにはしてあるつもりです。と言いつつも、皆様からの感想なども期待しているダメ作者ですが……。いつもと変わらずご意見ご感想に誤字の指摘、お待ちしております。
改めて、新年のあいさつを。この作品を通してという形になりますが、今年一年、よろしくお願いいたします。この作品共々、作者も頑張っていきますのでよろしくお願いいたします。
~1998年12月2日 伽藍の堂~
「黒桐、少しいいか?」
「何ですか?」
時刻は正午を少し過ぎた頃。珈琲を飲みながら蒼崎橙子は自分が行っただろう仕事の書類の山を片付けていた。
時折、「こんな仕事もあったなぁ」などという呟きが聞こえてくる度に数少ない従業員である黒桐幹也は溜息を吐く。昨日支払われるはずの給料が未払いだということも原因の一つ、というよりもそれが一番の原因なのである。半ば諦めたように、半ば安心するように吐かれる溜息に橙子も時折笑みを浮かべていた。
そんな調子で書類の山の半分を片付けた橙子はふと机の中から封筒を取り出し、幹也を呼び寄せた。
「君は不可思議な生き物、現象……あぁ、魔術とか鮮花みたいな超能力みたいなのは抜きにして、そういうものを信じるかい?」
「どうしたんです、いきなり……」
黒桐は直感した。また面倒事が舞い込んだのだと。そしてそれを断ることは幹也も出来ないと分かっていた。
「まぁいいから、答えてくれ黒桐」
「まぁ、そういうものも存在するでしょうね。今まで色々なものを見てきましたし」
「そうか。なら君は神隠しを信じるかい?」
「神隠し……ですか」
神隠し。天狗や神の仕業と言われるそれは簡単に言えば行方不明。昔の人からしてみれば、行方不明になった人間を探すという行為はとてつもなく難しい。連絡手段もなく、痕跡を探すにも人手やそれに見合った技術がいる。
現代ならば警察や探偵に頼るという手段があるため、神隠しは行方不明という名へ形を変えたが、昔の人からしてみれば正に神に隠されたようにその人の消息は絶たれるのだ。
「やっぱり、あんなものまで見てしまってますし主観も入りますけど……あるんだろうな、じゃなくてあるって言い切れちゃいます」
「そうか。まぁ分かってると思うが今回の依頼は……この事務所に、取り分けお前向きの依頼さ。人探しだよ」
「この事務所に似合うのはデザイン系の仕事だと思うんですけどね……。その人の名前とか情報とかって存在しないんですか?」
「まぁ、その辺りは依頼人から受け取ってるよ。というより、お前は一度見ているかもしれんな。小川ビルに入居させられていた居もしない人の内の一人だよ」
最もいないから入居させられたのだがね、と橙子は呟きながら封筒を幹也に手渡した。丁寧に封がしてあることに幹也は「あぁ、一応情報守秘はされてるんだな」という何とも言い難い感想を思い浮かべる。
「……行方不明者の名前は浅上悠斗……。この『浅上』は藤乃ちゃんの家の、あの浅上ですか?」
「あぁ、そうだ。一応跡取りになるはずの息子が消えたから探してくれという内容でね。謝礼は弾む、だそうだ」
妙に『謝礼』のあたりに感情が滲み出ていると思わずにはいられない。が、そこに突っ込むと痛い目を見るのは明らかであり、またこの依頼に対して幹也は嫌なものを感じずにはいられなかった。
「あまり気が進まないというか何というか……」
「あの一件があるからか?」
あの一件……退魔としての能力、浅神としての能力である『湾曲』の魔眼に目覚めてしまった浅上藤乃と『直死』の魔眼を持つ両義式が対峙することとなった、あの依頼のことである。依頼者は浅上康蔵。前回の依頼者であり、また今回の依頼者も彼である。
更に言うとするならば、彼は浅上藤乃の養父に当たる人物だ。実父もいるようだがこの二つの依頼で関わることはなかったのでそちらの説明は省かせてもらう。
この養父が出した依頼が問題であった。依頼内容は『浅上藤乃を止めてほしい、最悪の場合は殺害も黙認する』というものだった。これには幹也も嫌悪感を感じずにはいられなかった。いくら直接の血の繋がりがないからとはいえ殺害すら黙認するその態度に幹也は悪意を感じずにはいられなかった。
「えぇ、まぁ……。お金でなんとかするっていうのは賢い方法なんでしょうけど、多少主観は入りますが褒められたことではないでしょう?」
手に持ったマグカップを揺らしながらつぶやく。事務所に珈琲の香りが僅かだが強くなった気がした。立ち上る湯気は換気扇によって起こる僅かな気流に乗り、霧散していった。
「私としてもその意見には大方賛同はするがな……。感情を以て解決できるはずのことを金で解決というのはあまりにも無粋だ。それは解決ではなく解消だよ。分かりやすく言うなら、PCの電源を無理矢理落とすか手順に則りシャットダウンするかということだよ」
「つまり、綺麗な形で終わるはずのものが下手をすれば壊れてしまうということですか……」
「……そういう意味じゃあ式の魔眼とも似ているな。この二つの終わり方は」
「どういうことです?」
「式の魔眼はな、簡単に言えば無限を無限たらしめる『有限』を探して、それを殺しているんだ。その在り方をもっと端的に言うなら、無限の『適当な所』を見つけて終わらせる。その後には何も続かないし、何も残らない。だから殺すというのさ。その原理を詳しく説明してもいいが、君はそっち方面にはからっきしだし、これからもそうあってほしいからな」
「まぁ、詳しくなって面倒事が増えるのは御免ですよ。それでその『適当なところ』っていうのが式の言う『死の線』っていうことですか?」
「あぁ、そうだ。最も話題のそれと違ってその線はモノの方の壊されたい、作り直されたいという衝動に伴って起きるものだからな。要求の形としての破壊、という一点だけは解決といえるだろうな」
そこまで言うと、珈琲を一口飲む。自分の入れたものであったが、黒桐としては珈琲や紅茶の淹れ方などには少しばかり自信があった。マグカップから離れた口元が小さく微笑むのを見ると、安心したように小さく息を吐く。
「そのまま触れずにいれば、その物質はその物質として在るべき形で生を終えることができる。だが、その一線を越えてしまえば、触れてしまえば瞬く間に終焉へと進む。その先に何があろうとな……」
そう言うと橙子は机の上に無造作に置かれた煙草を一本口元に咥えた。こんな暗い事務所であっても、その動作は思った以上に映える。橙子の容姿が一般女性のそれと比べれば途轍もない美人でもあるからだろうが、それに以上にここは何もない事務所である。人の動作であれば誰が何をしようと目立つものだ。
口に咥えた煙草に火が付いた。味わうように紫煙を肺いっぱいに溜め、吐き出す。珈琲の湯気のようにあっさりとその煙も消えていった。唯一の違いと言えば、残ったのは少し鼻を刺すような嫌な臭いが残った程度のものであろう。
「終わりであるべきところではなく、終わらせたい場所に終着点を作っているんだ。相互の了承ではなく、一方的な終了。そうしなければならん状況もあると思うとなんとも言えんがな……おっと、話を戻すぞ」
橙子との会話で本題から脱線することは良くあることなので、幹也としても気にすることはない。
「はい。それで行方不明者の浅上悠斗さんの目撃情報とか、連絡先はあるんですか?」
「連絡先はその書類の三ページ目に書いてある。目撃情報があればこんなところには頼らない。まぁそういうことだ」
ペラリと書類を捲るとそこには浅上悠斗が小川マンションに住んでいた時の連絡先などが書かれていた。最も、これらは幹也が自分で調べたものなのだが。
「……こんなにいきなりいなくなるなんて、正に神隠し、という訳ですか」
その書類には、六日前の両親への連絡を最後に職場へも友人へも連絡がされていない、という現時点までの調査状況が記されていた。
◇ 同日 深夜
「人探しだぁ? ……お前がモノを探そうとすると陸なことにならないじゃないか、やめておけよ、幹也」
「そうはいっても僕は給料を貰って働いてる身だからね。それに困ってる人が依頼してきてるんだから、おいそれとは断れないだろう?」
寝室兼居間と洗面所を持つだけのアパート。しかし何ら不便さを感じさせることはない。強いて言えば、この部屋は二人で過ごすには丁度いい程度の大きさだということだろう。
時刻にして深夜、その部屋の持ち主である私こと両義式と黒桐幹也はベッドに腰掛けながら呟くようにして話していた。式は面倒くさそうに、そんな式を宥めるように幹也は話していた。
「で、またしばらく家を空けるんだろう?」
「うん、まぁ……」
「分かったよ。で、鮮花とかには手伝い頼まないのか?」
「今回ばかりは、危ない空気もなさそうだし……。連絡が取れていないのも、携帯の電源を切れば済む話だろうし、原因が仕事とかが嫌になって旅に出た、とかなら説得して連れて帰ってくるよ。それに橙子さんは神隠しなんて言ってるけど、そこまで心配することはないよ」
耳元で、大声で叫んでやりたかった。何を馬鹿なことを言ってるんだろうか。式はただ自分の中に積もっていく苛々を今すぐにでも声に変えてしまいたかった。
「どう考えても危ない匂いしかしないじゃないか。いきなりいなくなってるんだぞ? 今頃は東京湾の底で魚と仲良くやってるだろうさ」
「でも、一応そういう繋がりはなさそうだし……」
「……いいよ、幹也がそんなに東京湾の底にダイビングをしたいって言うなら止めないよ」
呆れたような声を出しながら式はうつ伏せになるように寝返った。
「今の寒い季節なら、僕はハイキングがいいんだけどな……まぁ、今回は橙子さんが安全な仕事だって念を押してくれたからね」
信用ならない。というより、そう言って無事だった試しがない。黒桐幹也はそういう危険なことに巻き込まれやすい星の下に生まれてきたのだろう。
そして、止めても止まらないのがこの黒桐幹也という男だと今更ながらに思い出す。そして、そういう男に惚れたのだと再確認する。そんな自分が小恥ずかしくなって、頬を赤く染める。
幾度となく続けてきたこの思考に対する恥ずかしさは、しばらく無くなることは無いのだろうな、と式はそこで思考をやめた。こういう時は諦めて眠るに限る。
「……期末考査が終わって、鮮花も休みがあるんじゃないか? 実家に帰るついでに、手伝ってもらえよ。鮮花も会いたがってたぞ」
「そうか、そういえばそんな時期だったね。方面的にも礼園の方に寄れるし、やっぱり手伝ってもらおうかな」
笑顔を浮かべる幹也を尻目に私はいつも通り深い眠りについた。