幻の理想の果て   作:惣菜

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番外編 空の境界 境界経験(中)

12月3日

 

「うん、それじゃあ。……うん、分かってるから。そしたらあと一時間くらいでそっちに着くから準備しておいてね、鮮花」

 

『分かりました。それにしても急ですね、兄さん。いきなり仕事を手伝ってほしいなんて。寮監に外出許可取るのに手こずりましたよ。それと今回の手伝いのお礼も忘れないで下さいね?』

 

「分かってるよ。それじゃあ」

 

高速道路のPAで休憩を取っていた僕がしていたのは何のことはない、ただの連絡である。昨日の夜、無理を言って鮮花に電話をして、外出許可を取ってもらった。外出許可を取れるかどうかというのは微妙なラインだったが、それでもこうして確保してしまうのが鮮花のすごいところである。

 

橙子さんから聞き及んだ所では、鮮花は礼園女学院の名前に薄をつける、いわば傭兵のようなものだという。

 

……鮮花が一体何を言ったのかはここでは考えないことにしよう。きっとそうするのが僕のすべき最善の行動だろう。

 

「……そこの君、ちょっといいかな?」

 

突然、声を掛けられた。振り返るとそこには一人の女性が立っていた。ただ、その女性を漠然と女性というのは失礼だろう。

 

絶世の美女という言葉をその女性には送るべきだ。目の前の揺れる金色にただ目を引かれた。立ち姿だけでそれが『普通』という境界線を軽く飛び越えるような絶世の美女だと。一瞬、惚けたような表情をしていたのが自分でも分かる。だが、いつまでも惚けたままでいるのは相手にも悪い。

 

「あ……えぇ、別に構いませんがどうしました?」

 

「少し車の調子が悪いみたいでね……しょっちゅう乗る訳ではないから、どうしてこうなってしまったか見当もつかなくてね」

 

チラリと傍らに鎮座する自動車をチラリと見た。パッと見では何も問題ないように見える。

 

「……試しに、エンジンを掛けてもらっても構いませんか?」

 

「分かった。しかし、掛からないから君に頼んだのだが……」

 

そう言いつつも車のドアを開けてくれる彼女に感謝し、キーを回す。カチリ、という音のみが響く。僅かな振動すら起きない。二度、三度と繰り返しそれでも一切の反応もないことを確認した。

車の下にできた大きな水たまりを見つけた。これが原因か、とこの現象にも合点がいった。

 

「この車のエンジンなんですけど、多分オーバーヒートしてます。水で冷やしながらエンジンは動くんですけど、その冷やすための水が漏れてるんですよ。ここら辺にそういう水を確保できる場所はありませんし、ロードサービスか何かに電話してレッカーしてもらった方が良いと思います」

 

自動車のアクシデントなどへの対応は講習所で習ったものだが、早くも役に立つこととなった。これがもう半年も経てば僕の脳内からは跡形もなく消えているんだろうが、今は純粋に役に立てた事を喜ぼう。

 

「そ、そうなのか……いや、済まない。助かったよ。連絡はこちらでしておくから、少し待っていてくれないか? お礼に飲み物か何か受け取ってはくれないだろうか?」

 

断ろうか悩んだが、別段急いでいるわけでもないし、無理に断る必要もないと思いその提案を受けることにした。

 

自動販売機の前でホットの缶コーヒーを手渡されると、それを悴んだ手で揉むように包み込んだ。彼女も同じように缶コーヒーをもむようにして自分の手を温めていた。

 

「それにしても本当に助かったよ。君がいなければ私はここでひたすら右往左往するしかなかっただろう」

 

「いえ、そんな。まぁ、何はともあれよかったです」

 

珈琲を一口飲むと、彼女は自分の車へと足を進めだした。

 

「それでは、失礼するよ。また縁があれば」

 

「はい、それでは……」

 

そういって歩いていく彼女とすれ違う、ほんの一瞬だった。

 

『手を引け』

 

鋭く、脳を揺らすような重く強い声を聞いた。思わず振り返った。

 

だが、それは強く吹いた風の音と共に消え去ってしまった。僕とすれ違うようにして歩いていく彼女の背中を追おうとしたが、その姿は車ごとこの駐車場から消え去っていた。

 

手を引け。つまり、この浅上悠斗の捜索依頼から手を引け、ということだろう。本当に、式の言った通り拙い方向へと進んでいるのかもしれない。

 

「気にしたらダメだ。拙いことになる前に仕事を終わらせないと……」

 

急かされるように、僕はPAを出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

side 黒桐鮮花

 

 

私の学校の期末考査が終わったのはつい先日のことである。自画自賛というのはあまり好きではないが、それを抜きにしてもかなりの成績だったと思っている。学年主席、更に言えば学校でもかなりの順位に食い込んでいる。

 

その成績を売りにして私はこの学校の厳しい校則に対し少し(・・)融通を聞かせてもらっているわけなのだから、これは私がするべきこと、義務であると思っている。

 

まぁ、そんなことをしても今の私の一番の目標である兄、黒桐幹也への想いは届かない、いや、届いていないのである。少しくらいは気にしてはもらわないと私もやりがいというものがない。

 

閑話休題。

 

今私は礼園女学院の門の前で厳冬の寒さに身を晒していた。こうなった原因はといえば聞こえは悪いだろうが、私の待ち人が一向に来ない今、それくらい言っても罰は当たらないだろうと思う。

 

そしてこのように寒い中、根気強く待っている私をそうさせているのはただその待ち人が黒桐幹也であるということだけ。さながらデパートで迷子になった子供のように、また相思相愛の相手を待つ健気な女のような心持で待っていた。

 

というか、そうでなければ待ち合わせ時間か三十分経っても現れない相手を待たないだろう。

 

そうして身体を厳寒の下に晒しながら待っていると、遥か遠くから車のエンジン音が響いてきた。こんな時期にわざわざ田舎にも等しいこの礼園女学院まで車で来るなんて、よほど酔狂な人間か約束のある人間だろう。

 

「おーい鮮花「兄さん遅いです!」」

 

好きな人だからといって怒らないという人がいるが、それは間違っていると思う。というか絶対に違っていると思う。要するに一言言ってやらねば気が済まないのだ。いくら好きであっても寒いものは寒いし、辛いものは辛いのだ。

 

「待ち合わせの時間から三十分も経ってるんですよ! 冬なんですからスピード出せないのも見越して……」

 

「悪かったよ鮮花」

 

「分かったならいいんです。それじゃあ早く連れて行ってください。その胡散臭い場所に」

 

「……うちの事務所ってデザインの仕事がメインのはずなんだけどなぁ……」

 

「橙子さんは興味のあることは何でもしようとするんですから。もうずいぶんと長いこと付き合ってるんですから分かってるでしょう? 諦めてください」

 

その後、数分と経たずに車は走り出した。

 

この時から、少し予感はあったのだ。どうせ橙子さんに頼まれた仕事なんだ。陸なことになりはしない、と。

 

だが、この時の私はただ目の前の兄の姿に見惚れるだけで想像もしていなかったのだ。

 

この僅か三日の間に、よもやこんな経験をし、とんでもないモノに出会うことになるとは。

 

side out

 

 

 

 

 

 

鮮花を乗せた後、車はひたすら西へ進んだ。狭い日本の中とはいえ自然は確実に表情を変える。礼園女学院の周りにあった自然を整えられた美術品のような自然と形容するならば、今僕たちが見ている自然は荒々しく動物のような自然と言えるだろう。

 

「で、兄さん。今度の依頼(やっかいごと)はなんですか?」

 

「……そう言わないでくれよ鮮花。僕だって一応困ってるんだから。で、今回の依頼で探す人についての資料がバックの中に入っているから見ておいてね」

 

「分かりました。……浅上、ってこれ藤乃のお兄さんじゃないの!?」

 

「そうなんだよ。一応知り合いの親戚だからできるだけ早く見つけて安心させてあげたくてね」

 

そう言いつつアクセルペダルへと掛ける力を徐々に弱めていく。メーターは既に60km/hを越えていたが、十分以上この調子だったからか、別段その速度に恐怖心を覚えることはなかった。数十分走っていたが、公道でありながらすれ違うモノは皆無であり、標識も疎らである。

 

そしてこの先には道路は存在しない。

 

「兄さん、この先は……?」

 

「彼が使ったクレジットカードの履歴、携帯電話の電波を拾った地点、目撃情報……それら全てを吟味してみたけれど……。彼が消えたのはこの先の集落、もしくはその先の樹海だよ。集落にはもう殆ど若者も残っていない。村民全員で50人は割るだろうね」

 

広がるのはただ地平線の向こうまで続いているのかと錯覚するほどの田園風景と、低く輝く夕陽だけだった。民家の数は視界の中だけだが、両手の指で足りてしまう程度しか見えない。そもそもこれが全てなのかもしれない。

 

「で、この山の中からその藤乃のお兄さんを探さなきゃならないわけですね」

 

「今日はとりあえず宿を探して、本格的な調査は明日からにしよう」

 

そう言って田園の中を歩いていく。すれ違う人はいないが、遥か遠くを歩く人が見えた。この町には宿はないかもしれないし、住民の家に泊めてもらうことになるかもしれない。呼び止める形で声をかけた。

 

「すみませーん!」

 

「おう、お客さんかい? こんな遅くにどうした?」

 

振り返って初めて分かった。この人は少なくとも自分の倍は長く生きている。髪は白く、皺も寄っているが、全く腰は曲がっていないし表情も明るい。歩くのに杖を使う訳でもない。農村とはこういうものなのだろうか、などと考えていたがすぐに頭は今日の宿の確保に向かって思考を始めていた。

 

「いえ、この村に少し用がありまして……でももう夜になりますし、どこか宿泊施設に泊まろうかと思っているんです。この村にそういう施設はありますか?」

 

一瞬の間を置いて、その老人は思い出したように話し出した。

 

「うーん。泊まると言ってもねぇ……この村に宿屋はねぇしなぁ……。その代わりと言っちゃなんだが、村長さんとこに行ってみたらどうだい? 二、三日くらいなら泊めてくれるだろう」

 

「村長さんの家の場所はどこですか?」

 

「おぉ、あれだよ。こっからでも見えるだろう、あのデカい屋根の家だ。他の家より立派なのが村長の家だ、分かりやすいだろう?」

 

「えぇ、ありがとうございます」

 

どうやら野宿という最悪の事態は免れたようだ。ほっと一息吐くと、鮮花も釣られるように溜め息をついた。

 

「そういえばよぉ、最近この辺でおかしなこと……というよりおかしなモノを見るようになったんだ」

 

「おかしなモノ……ですか?」

 

今回の失踪事件との関係性が捨てきれない今、その情報は多少なりとも有用だろう。あわよくば核心に至る可能性も捨てきれない。

 

「差し支えなければ、お話を聞いてもよろしいでしょうか?」

 

「まぁ、構わんが……そのことについては村長にも話があったし、ついでだ。送っていってやる」

 

「すみません、何から何まで……」

 

「気にするこたぁないさ」

 

そう言って歩き出した男性の後を追い掛ける。流石に暗くなってきていたので、男性の足も心なしか慌てた様子が見られた。だが、突如空気が変わった。本能が警鐘を鳴らしたわけでも、超人的な危機察知能力が働いたわけでもない。ただ、何かが彼らを追い立てようとしていると、人間としての本能が気付かせた。

 

「おい、あんたら……少しだけ走るぞ」

 

「あ、あの……一体どうし「いいから走れ兄ちゃん!」」

 

そしてそれが帯びた殺気は幹也たちを煽り追い立てるには十分すぎるものだった。

 

男性に腕を掴まれて半ば引き摺られるように走り出した。鮮花もその後を追うように走り出した。その鮮花の姿を確認するのと同時に走り出した理由を明確に理解した。

 

そこだけがポッカリと、まるで何かに喰われたかのように闇があった。辺りも僅かだが薄暗くなっている。本来なら差し込んでいるはずの夕日が陰る。辺り全てを有耶無耶にしてしまうその闇はただ静かに漂っていた。

「鮮花! あれが何だか「分かるわけないでしょう!」」

 

鮮花が叫ぶように答えた。闇はじわりじわりと広がっているが、こちらに来るまで数十秒はかかるだろう。だが、その数十秒が恐ろしく感じられた。

 

「兄さん、先に走っててください! ちょっとだけ試してみたいことがあります!」

 

「危険だと思ったらすぐに逃げるんだよ! 鮮花!」

 

そう言うしか今の幹也にできることはない。その手を引いて走ることも、彼女を諭して共に走らせることもできない。

 

だが、そんなことをしなくとも彼女が負けることは……死ぬことはないと漠然と思っていた。後ろを振り返らずにただ直走る。ただ、目の前の異常に奪われた普通に縋るように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて……」

 

鮮花は二人の背中を見送ると上着のポケットから皮の手袋を取り出した。だが、それから漂う異様さはそれが常識(ふつう)へと牙を剝く非常識(いじょう)の証拠だと理解している。火蜥蜴の皮で出来た手袋は彼女の唯一の武器である発火の魔術を引き起こすための部品だ。

 

「AzoLto!」

 

彼女にとって戦闘は音楽だ。言ってしまえば静と動。程遠く見える二つを黒桐鮮花は結び付け、己だけの武器として行使する。突如現れた闇を炎で焼き払う、というより自分で燃えてもらおうというのだ。決して炎を相手に付けるのではなく、相手から燃えてもらう。その性質上、半ば必中といってもいいその一撃はその闇の根源をいとも容易く捉えた。

 

「あっつい!」

 

「次は……うぇっ!?」

 

思わず素っ頓狂な声を上げた。それもそうである。闇の根源を焼き切ろうとそれを発火させ、根源のあるはずの闇の中から響いたのは炎の燃える音でもなく、炭化し地面に崩れ落ちる音でもなく、小さな子供の悲鳴だったのだから。

 

「あついのだー……ねぇ、貴方は……」

 

この時、黒桐鮮花は感じ取っていた。

 

目の前の闇を操るモノが何であれ、戦えばまず自分に勝ち目はないということを。

 

目の前の敵がどのような目的であれ、この場を逃げ出すのはほぼ不可能だということを。

 

「な、何かしら?」

 

子供の声で闇の中から告げられたのは何でもないほんの小さく短い一言だった。だが、その内容は……

 

「……食べていい人間?」

 

有り体にいえば、ただの死刑宣告であった。




皆様お久しぶりです。随分と時間が経ってしまいました。バレンタインデー? あぁ、嘘をついてもいい日のことですね……などという余裕のあるうちはこの作者は大丈夫でしょう。

まぁそれはそれとして、この先の更新はかなり難しくなるということを伝えておきます。まぁ有り体に言えば四月になれば受験生になってしまうからです。いくら小説を書くのが好きだからと言って、PCに触るのが好きだからと言って今のご時世で大学に行かない訳にも行かず。そして大学入試の勉強そっちのけで小説を書くなどと言う事が受験生に許されるはずもなく、ということです。でも誤解してほしくないのは決して失踪するということではない、ということです。唯でさえ低い更新頻度が更に遅くなるということと、今年の八月にはもうほとんどPCなどに触ることはできないということだけです。来年の今頃には全てから解放されていればいいな、などと夢見つつ、今回はここで筆をおかせていただきます。

いつもながらのお願いになりますが、誤字脱字、ご意見ご要望があれば遠慮なく書いてくだされば作者ももっとやる気を出して頑張れます。そして酷評でも構いません。評価の方もしていただければそれはこの作者にとってはもう法外の幸せです。気が向いたらで構いませんのでよろしくお願いいたします。
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