「兄ちゃん、ちゃんと着いてきてるか?」
「えぇ、なんとか……。あれ、何なんですか?」
突如現れた暗闇に対し、僕と村の人は背を向けて逃げるしかできなかった。というより、あれは僕ら常識の住民がどうにかできる問題ではない。その領分は式や鮮花、橙子さんのものだ。大体、どうこうできてもああいうモノには後生関わりたくない、と切実に思う。
「あの暗闇はな、本当につい最近、一週間前くらいだな。その辺りから現れた。それに最近はこんな村にもお客が来るようになってなぁ……」
「あの、すみません。そのお客さんなんですけど、もしかしてこの人ですか?」
そう言って取り出した顔写真を見て男はおぉこの人だよ、と得心した表情を見せた。どうやら探している人物はここで消えたのだと確信した。
「その人、何か言っていましたか?」
「いやぁ……何だか疲れていたような感じだったなぁ。声をかけても何だか遠くでも見たような感じで生返事だしよぉ。それで、二日三日したら帰るって言って、それっきりだな」
他にも、詳しく話を聞かせてもらったがやはりこの村で消息を絶っている。ここからどこへ行ったかの情報はどうにも分からなそうだ。ここで僕のできることは完全に潰えてしまっただろう。ここに何か情報がない限りはいくら僕でも限界がある。
『だったら、私が教えてあげましょう』
声が、確かに聞こえた。甘い、囁くような……蠱惑的ですらあるその声が確かに。
視界には誰もいない。そう、隣にいたはずの男の姿さえも。
僕の意識が、視界が景色を捉えられていたのは丁度ここまでだった。意識が消えていく感覚を痛いほど押し付けられながら僕が考えたのは、誰が僕のことをこの昏倒から目覚めさせてくれるかだった。
◇
「兄さん! どこですか!?」
「……鮮花、少し落ち着け。大丈夫だよ、あの巫山戯た妖怪は黒桐を殺さない」
暗くなった田園風景の中を幹也を探しながら二人が歩いていく。焦る鮮花の肩を後ろから叩き、橙子は鮮花に冷静になれ、と諭した。
「どうしてそう言い切れるんです!?」
「アイツが交渉をしようとして、黒桐が死んでいることにまずメリットがない。大体、現代において弱体化した神秘単体でどうこうしようなどと考えているなら、とんだ思い上がりだよ」
そういうと橙子は歩き出し、鮮花は渋々その後に続く。
「……本当ですか?」
「お前だって分かっているだろう? ここにいる私の使い魔なら、勝つのはまぁ難しいだろうがまず負けることはないだろう。それに向こうもそれを分かった上で黒桐のところにいるんだ。……恐らく、あの妖怪が必要としてるのは、『人形師』としての蒼崎橙子だろうな」
人形師としての蒼崎橙子。
本人と寸分違わぬ人形を作り出し、錬金術最盛期に打ち立てられた一種の概念といっても過言でもないそれを打ち砕いた、正に魔術師の中でも最も魔法使いに相応しい才能を持っている。
たった二年という期間で、荒廃しきったルーン魔術を実用できる物にまで昇華させた魔術師としての疑いない手腕。努力と言っても、それは唯の言葉だけの努力では到底足り得ないものだろう。
そして、何よりも現代に寄り添い生きている、人としての、人間性としての蒼崎橙子の存在。
これらの要因が蒼崎橙子を蒼崎橙子足らしめてるものだろう。
そしてこれらの要因で出来上がった魔術師を、あの妖怪は求めているのだ。
「まぁ、そういうことなら今から用意しておくか……鮮花、少し先に行っていてくれ。村長の家だ」
「……分かりました。ちゃんと来てくださいよ、橙子さん。いつ背中のこの子が騒ぎ出すか分からないんですから」
そう言って顎で背中の女の子を示す。すやすやと眠っているように見えるその少女は他ならぬ鮮花の手で気絶させられたのだ。だが、鮮花本人としてはあのような化物じみた力を持った少女であればすぐに意識を取り戻し、自分の頭を喰い破るのではないか、と気が気でないのだ。
「分かっているさ。それに、その子はしばらく起きないよ。いくら妖怪だからといって人の形に収まったのだから、ある程度人間の身体と同じような仕組みを持っているはずだ。まぁ存在自体が概念みたいな妖怪は例外だがね。どちらにしろあんな一撃を貰ったのだから、しばらくは目覚めないよ」
そういうと橙子はクスクスと笑い出した。
「……何がおかしいんですか?」
「いやいや、花も恥じらう女子高生のお前がまさかの一本背負い、しかも頭から叩き付けるエグイ方法を取るとはね……黒桐が見たらどう思うか……ククッ」
耐え切れない、といった様子で橙子は笑い出す。そんな様子を見てしかめっ面を浮かべる鮮花。この場面だけであれば、日常のほんの一部でしかないはずだが、、僅か五分前に起きた奇妙な現象を思えばそれは単なる平和ぼけでしかない。
「あの妖怪、目的はなんでしょうね」
「……鮮花。もしもの話なんだが、私があの妖怪に殺されそうになったり、身に危険が迫ったりしたら即座に逃げろ。意味があるかは分からんが、まぁ私のためを思って残ったりはしないようにしろ。命の無駄だぞ?」
「……それはその危機を切り抜ける自信があるから、ということですか?」
「いや。全くと言っていいほどない。神秘の量ではこの怪物が勝る可能性がないわけじゃない。だが、私は別だよ。いくら行使する力が強いからと言って、その力を行使する私が多少この世の非常識を知っているだけの一般人と変わらない時点で勝負は決している。私は相手の攻撃を躱す術もないし、相手を一撃で仕留める方法もない。向こうはこちらを一方的に弄ることはできるんだからまぁ不利な戦いもいいところだ。式は今回どういうわけか動きたがらないし、これはもう首を括るしかないかね。使い魔だけ放っておけばそれはそれで別の方面で拙いしな。」
「……」
ひたすら困惑と絶望の色を浮かべた鮮花を仕方なさそうに橙子は眺める。目の前の人が二度と戻らないかも知れない。そんな嫌な現実に心が揺れた。そんな様子を察してか橙子は軽く笑いながらこう言った。
「まぁもしもの話だ。行くぞ鮮花。化物を少しばかり化かしてやろうじゃないか」
絶望という状況に対して行うのは愚直な前進。
もう、止まることは許されない。そこで何が待っていようとも。
◇
意識の覚醒は眠気のようなものに微睡むことなく、痛みに魘され急き立てられることもなく、朝日が差し込むように鮮明に起きた。明確に夜の終わりを告げるように頭にかかった不鮮明な何かはどこかへと消え去った――
「ようやく目覚めたのね。御寝坊さん」
わけではない。一つの不可思議を超えたところにいたのは、そんな些事に向いた目すら容易く奪う絶世の美女だ。丁度横になっていた僕の隣を彼女は陣取りつつ、見下ろしていた。だが、見下ろすという位置の違いによって起きる自然な行為だけで、僕は目の前の存在の不可思議さと異様さ気持ち悪さを一片の脚色なく受け取ったのだろう。
体の震えは止まらず、視界は途端にその者に引き付けられた……否、惹きつけられた。吐き気と恐怖、興味と色欲に魅かれる二律背反は他ならぬ己の呟きでどうにか消し去ることができた。
「何なんです、貴方は……」
「先に名乗っておきましょう。私の名前は「名乗るのは役者が揃ってからにしてほしいものだな」……どうぞ、お入りなさい。鍵は開いてるわ」
聞き覚えのある声に安堵すると共に、大声で叫びたかった。だが、それは助けてくれと言う人間の本能の願望からなのか、逃げてくれという僕個人の心の動きなのかは、本人である僕ですら分からない。それくらい、目の前の異質に心を奪われていた。
「邪魔をするぞ、妖怪」
「妖怪だなんて、酷いわ。私には八雲紫と言う名前があるの。覚えてほしいものね」
「たった一度の出会いを覚えておくなんて、普通の人間は無理さ。まぁ相手が本物の妖怪なら話は別だよ。三日間くらいは覚えておいてやる。……私の名前は蒼崎橙子だ」
あぁ、彼女は今本気なんだろうと一瞬で分かった。橙子さんのあの表情は、あの様子は、あの地震に満ちた全てを見通す瞳を遮るものがない今状況から読み取れる。あの眼鏡を掛けていない橙子さんは人間らしく、女性らしさを持ち合わせた優しい蒼崎橙子ではなく、ある種残酷な思考を持つ魔術師らしい蒼崎橙子なのだと。
「よろしく、人形師さん?」
「単刀直入に聞こう。何が要求だ?」
「その前に一つ、話をしましょう。ほんの小さな、でもとても大きい不思議な楽園と、そのきっかけになった小さな不幸な話を」
◇
紫は口元をどこからか取り出した扇子で隠しながら妖艶に微笑む。対する橙子も口元に笑みを浮かべてはいる。だが、その様子はどこか焦燥したような雰囲気を感じずにはいられない。
「とあるところに、少し力を持った妖怪がいました。その妖怪は人らしい意思を持ち、自分の持つ欲求を暴力とすることも破壊とすることもなくただ平和に暮らしていました。いっそ人間らしいとすら言えたでしょう。その妖怪は旅に出ました。己の見聞を深め、更に強くなろうといういわば修業のようなものです。しばらくしてその妖怪は見つけました。小さな恋の始まりを見つけました。小さな山奥の村で見つけたその恋愛の様子は、長く生きた妖怪ですら羨むものでした。お互いに優しさを持ち、慈愛に満ち、誰もが羨むような仲の良さでした。一つ違うところは、彼らは羨まれることはありませんでした。むしろ忌み嫌われてすらいました。何故ならその二人は……」
そこまで聞くと、橙子は呟くようにその続きを吐き出した。同じように紫も同じように言葉を紡いだ。
「「種族が違っていた」」
明らかに異質である二人。二人と表現することすら敵わないかもしれないこの対談は初めて行われたものだ。だが、その二人が発した言葉には、一縷の違いすら見当たらない。その様子に満足したように紫はまた話し出した。
「種族を超えた恋愛は遂に二人の間に子を設けるまでに至りました。人間である夫と妖怪である妻。そしてその二人の特徴を持ったとても可愛らしい子供。三人は村を離れ、山奥で暮らしました。人里には二月か三月に一度訪れました。その家族の様子は普通のモノであれば羨むもののはずですが、違う種族ということが原因でしょう。後ろ指を差され、貶され、次第にその村の人たちの態度は冷たくなっていきました」
まだ、話の途中なのだろうがそこで紫は言葉を切った。橙子は未だ用心深くその話を聞くだけだ。傍らにいる鮮花も幹也もただ話に聞き入ることしかできない。酷く妖艶なその様子はこの暗さの中でも華のように存在を輝かせていた。
「そして、ある日事件は起きました。いずれ起こるだろうと思われていたそれはある種当たり前のように行われました。子も歩ける程度に育ち、ようやく外に連れ出そうかという頃です。三人仲良く村に入った直後、その三人を村の男達が後ろから殴り倒しました。手には鍬を持ち、斧を持ち、刀を持つ者もいました。数十人の男に殴られれば妖怪といえどただの女と大差ありません。半刻ほど殴り続け、そして男達は満足して帰っていきました。残ったのは元が何だか分からない、ただの赤黒い肉塊でした。そしてそんな様子を見ていた旅の妖怪は思いました」
『こんな理不尽な世界があってはいけない』
「そうしてその妖怪は誰にも気付かれず、小さな楽園を作り上げました。しばらくしてその楽園は世界から忘れ去られていく存在を救うための理想郷になりました。妖怪も、神も、悪魔も、皆が恋い焦がれるようにその楽園へと足を踏み入れました。できてからどれくらいの時間が過ぎたのかも分かりません。ですが、確かにその楽園は存在しています。今もどこかで……」
そこまで言い切ると、紫は伏せていた目を少し上げこちらを向いた。そんな話を聞いて橙子はまるで絵空事を語る子供を笑うように口元を歪めながら言った。
「それが貴様の作った理想郷か? その楽園は忘却を蒐集する箱舟だとでも言うのか? 違うな、忘れ去られた時点でその存在は確実に根源へと回帰される。あくまで人間の意識から外れたそれをいつまでも停滞させておくには明らかに役不足だぞ。ノアの方舟にでも作ったつもりか? 挙句神すらもその境地へと誘うとはな。私から言わせてもらえば、それは無意味な延命治療と何ら変わらん。今死なずとも、それは確実に死に絶えるものだ。今はそれでいいかもしれない。だが、その次はないんだ。どうあっても貴様らは消滅という絶望を否応なく見せつけられるのだぞ?」
「いいえ、そこに集う者たちは死なない。切り離された世界が穢れようと傷付こうと、籠の中の鳥からすればそれはどうでもいいこと。そして忘れられたくないものもいれば、忘れられたいと願うモノがいるのもまた事実。幻想郷は全てを受け入れるわ。それはとても残酷なことですわ」
そういい、口元を更に深く歪ませた。妖艶であったその様子から生まれたのは、僅かな畏怖だ。
「……まさか、人間までその中に蒐集したのか。馬鹿め、いくら外と切り離そうとしてもそれに限度があると言う事がなぜ分からん。いずれ破綻する境界線をひたすら引き続けるお前は賢者ではない。壊れたように繰り返されるその行為が如何に無力か分からないのか。いっそ愚者と名乗るのが一番だろうに」
「だが、彼らの願いは生き永らえることであり、私の願いはその相容れぬものの邂逅。異と異が交わり合う混沌の誕生。己が境界を知り、経験し、それを飛び越えること。それが叶うのであれば、私は愚者となろうとも構わない」
「……神秘は信じることによって、またそれらに対して純粋な無知であることにより神秘足り得る。そこに何人たりとも介入してはならないはずだ。そうしなければ一瞬にしてその関係は破綻するぞ。種を明かせば消えてしまうような小細工がしない方がいい。それでも続けるというならばそれ以上は何も言わん」
「そう、分かったわ」
どうやら紫の話はここまでのようだ。畏怖も、妖艶さも消え去った紫を見て察した橙子は溜め息を一つ吐いてから続けた。
「今度は私の番だ。浅上悠斗、攫ったのはお前だな? いや、貴様の場合は隠したと言った方が正解か? そいつを返してもらおうか」
「……まぁ、いいわ。そんな器では、来るべき災いに対抗するには役不足だから」
「攫った理由はまぁなんとなくだが分かっている。退魔の家系にあり、その素質があれば貴様のいう災いに対する力になると踏んだのだろうが、残念だったな。既に能力を発現させた者がいるんだよ。それに、二日三日でどうこうできるほど異能や魔術は安くない。それに万が一発現したとしても、お前にそいつを抑え込めるか?」
「えぇ。それは分かっているわ。最初は良いかもしれないけれど、彼女が境界を理解してそれを視認した瞬間、存在ごと捻じ切られるのは目に見えているからね。それほどに、『浅上』の能力は強い。見ることと攻撃がフラットだなんてふざけているわ。最も、初撃で殺してしまえばそれで済むのだけど。そういう意味じゃお互い最初に相手を認識した方が勝つっていうなんとも言えない関係が出来上がるけれど、まぁどうでもいいことね。結局使わないのだし」
「それはもういい。もう一つだ。この娘はどういう理由で此方側に出てきた? あの様子だと下手すれば人を喰らっていたぞ?」
橙子は傍らに寝かせられている少女を見下ろしながら言った。
「あぁ、その娘? 原因といってもたまにある事としか言えないわ。結界が緩んだ時にそれに巻き込まれることがあるの。それに、人を喰らうことをどうこう言うのはナンセンスよ。そういう生き物なのだから。――藍、出てらっしゃい。この娘を連れて行って」
そう言って扇子を一振りすると、虚空にぽっかりと孔が空いた。その孔から覗く無数の目を見て、一同は顔を顰める。この世のものではないという直感と恐怖が全身を覆い、思わず後ずさりする幹也と鮮花。しかし幹也はその孔の中から現れた女性を見て驚いた。何故ならその女性はほんの数時間前に出会った人なのだから。
「やはり、来てしまったか。まぁなんとなく君は来そうだなとは思っていたんだがね」
呼吸すら忘れさせるほどの存在感を示す
正しく魔性。明滅する意識の中で、それ以上の思考は幹也の脳のキャパシティを超えてしまう。しかし、誰かに引き寄せられるような感覚でその危機から脱出することができた。後ろにいた鮮花が異常な様子を見かねて助けてくれたのだろう。
「さて、本題に入りましょう。貴方達が無事に帰りたいと思うなら少し私のお願いを聞いてもらえるかしら?」
「内容によるな」
鋭い声色の橙子さんの表情は固い。やはり、戦って切り抜けられるような相手ではないことを確信している。
対する紫の表情は、今まで見た中で一番妖艶であった。それだけが目的であるかのように彼女はこう言い切った。
「簡単な話よ。死体を用意してほしいの。何のことはない、ただ五十人に満たない程度の死体をね?」
◇
ここから僕が語るのは、何のことのないただの後日談である。元も僕はあんな奇妙で難解な事件の後を語るほどその本質を知ってはいない。
決して、ただの人間という境界を飛び越えることはしなかった。
そんな人間が語るほんの少しの感想と見当違いを交えた後日談であると自負している。
「橙子さん、例の仕事終わったんですか?」
「……あぁ、つい一昨日にな。黒桐、しばらく仕事はキャンセルだ。二日ほど休業するぞ」
疲労困憊、満身創痍の橙子さんを尻目に僕は書類の整理をしている。内容は人形の製作に必要だった材料の領収書、その他並行して行っていた仕事の書類である。鮮花もテストで休みのところを雑務をこなすために狩り出されていたりする。割と貧乏くじを引いているのは鮮花かもしれない。
あの後、あの農村に何が起きたのかと言えば一言、『神隠しにあった』のだ。
あの事件の原因である八雲紫が要求したのは二つ。
一つは、ここに村があったことを忘れること。それを公言したりしないこと。
二つ目は、あの村に住んでいる人と変わらない姿の人形を要求したこと。それが何を意味しているかと言えば、とんでもない規模での神隠しだろう。
あの妖怪は幻想郷の中へとあの村を住人ごと移住させ、その親族たちには村の住人たちが偶然死亡したことにして完全に村との繋がりを絶ってしまったのだ。葬式の仲介やそれとなく身内の不幸を知らせる役目を果たしていた橙子さんの心労は僕が考えるよりもキツイものだろう。
やることの規模が違うというのが一般人である僕の見解である。そしてそれは橙子さんも少なからず思っていただろう。まさか地図から町が消えるのをこの目で見ることになろうとは思わなかった。
「結局、あの妖怪は何が目的だったんですかね」
「お前がこちら側のことについて足を突っ込もうとするなんて、珍しいじゃないか」
眼鏡を外した橙子さんは僕から言わせてもらえば冷たい人間なのだ。眼鏡の有無で性格を切り替えているというが、それだけで人間としてのスイッチを入れられるのは元から人格としてそういうものを持っているとしか思えない。
そんな橙子さんが今の僕の質問に答えてくれた。いつもならば適当に聞き流すところなのだが、こればっかりは僕にも引っかかるところがある。
「今回はその好奇心に免じて少しだけ話してやろう。言ってしまえば海に埋立地を作るようなものだ。幻想郷は察するに人間には少し厳しいところなのだろう。魑魅魍魎が闊歩しているだなんて、この国の陰陽師からしてみれば面白いのかもしれんが私は御免だ。そしてそんな幻想郷の中にも人がいる。人は異性がいればそれこそ鼠のように増えていくからな。その村に収まり切らなくなった人を押し込めるのが今回消えたあの小さな村だろう。そうして日本から未確認の土地は消えていき、不可思議は消え、また忘却は加速していくのだろう」
「……それって堂々巡りじゃないですか?」
「言ってしまえばそれまでだが、多分あの中にもなかなか珍妙な能力の持ち主とかがいるんじゃないか? 例えば……時を操ったりとか。まぁ時を操るというのは総じてそれに連なる空間を操れるのと同義だからな。スペースだけなら困らないんじゃないか? それで済ませられることならば多分それをするだろう。だが、空間が増えるだけで実質的な土地が増えたわけじゃないからな。農耕をするための土地と、ただ無闇に増やした領域ではそれこそ使用方法が違うのだろう。第一そんな土地で作物が育つのかが疑問だが」
手元の漫画にそれらしいキャラクターでも出てきたのだろうかそのような例えをしたが、あのような妖怪がいるならばそれもまぁ納得できない話ではない。
「いつまでも、それを繰り返せるわけではないのにな。止まるしかなくなったら、次はもう壊れるしかないのに虚しく続けていくしかないんだ。それを選んでしまったのだからな。引き返せる境界はもう既に飛び越えてしまった。それは私たち人間という種族も何ら変わらないがね。寒冷化か、戦争か、環境破壊か……何かしらの要因で私たちは壊れるよ。それはいくら抑止力が働こうとも止めることは難しいだろうな」
「そんな面倒なことは、そういうのを考える奴らに丸投げするしかないだろう。それこそ人の関わるべき境界って奴を越えちまう。……それより幹也、今回もやっぱり厄介事だったじゃないか。それについての弁明をしてほしいよ。挙句妖怪に遭っただの抜かしやがって……」
式の言う通りである。……一応言い訳をしておくが、これだけは僕が全ていけないのだろうか。というか、僕を巻き込んだ橙子さんが悪いのか、巻き込まれた僕が悪いのかははっきり言って分からないのだ。まぁ僕はぶっちゃけてしまえば橙子さんが悪いと思っている。口には出さないが。胸の内でそう小さな反抗心を燃やして、普段の雄弁な橙子さんに仕返ししたつもりにでもなっておこう。
だが、済んだことをとやかく言ってしまうのも気が引けるのでここは素直に折れておこう。蒼崎橙子と親しい人物であると目をつけられ、随分長いこと監視されていたらしいが、それに気付けていれば、まぁ少しは違った結果になっただろうに。
「悪かったよ。式、心配させてごめん」
「で、次はいつそいつらと会うんだ? できることなら鬼退治と行こうじゃないか。最近やることがなくて体が鈍ってるんだ」
「もう会わないし、そんな物騒なものは来ない。第一戦っても君じゃ勝てないだろう。体が普通である以上一撃で即死だよ」
「なんだ、結局私だけ不完全燃焼じゃないか」
そんな物騒な話題が飛び出すのを尻目に、僕はただただ珈琲を入れて、書類を整理するしかできないのだ。これからも、こんな風に僕は少し遠いところからしか彼女たちを見ていることしかできないのだ。だが、そんな僕でも、少し後ろから支えてやれることくらいできるだろう。
今回みたいな摩訶不思議な出来事は勘弁してほしいが、それが式の隣ならそれもいいかなと思う。
他ならぬ、僕の好きな両儀式の隣は、できることならば誰にも譲りたくない。
そして式が最後の境界を越えてしまわぬように、これまで通り彼女とその周りを守り続けよう。並び立てないのならば、ほんの少し斜め後ろからでも。
それが半分部外者の、一般人の僕ができることなのだと知れたのが唯一にして最高の経験だった。
読者の皆様、大変長らくお待たせしました。
一万字に届こうかというところまで話が伸びたのは作者が書きたいこと書きまくったからです。そんなダメな作者もとうとう受験生です。流石に人生を決めると言っても過言ではないこの受験を優先せざるを得ない状況でございます。それほど頭が良いわけではありませんので、更新もほとんどできなくなると思います。しかし、ちゃんと受験が終わればバリバリ更新いたしますのでよろしくお願いします。それまでは、作者の活動報告で生存確認でもしていただければと思います。
最後に毎度のことになりますが、ご意見ご感想、評価をしていただければこの小説のみならず作者の生きるモチベーションにつながります。こんな駄目な作者ですが、感想という形で読者の皆様から意見を貰えるのをとても嬉しく思っております。何卒、よろしくお願いいたします。