幻の理想の果て   作:惣菜

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第五話 理想と現実

衛宮切嗣が衛宮切嗣であることを理解し始めた場所は、南海の孤島、アリマゴ島であった。

 

母は物心が付く頃には既に亡くなっていた。身体は弱かったらしく、父の逃亡生活の中で死んだと聞かされている。この島で共に暮らしているのは父であり、封印指定の魔術師でもある衛宮矩賢と、家政婦として雇われたシャーレイという少女だった。

 

幼いころから一つの土地に長くいることはなかったが、別に不満はなかった。

 

魔術師という職業が普通のものではないことは知っていたし、自分もまた普通の人としての生活を送るのは難しいことも分かっていた。だが、父は魔術師である前に普通の父であった。こと愛情に限っては普通の家庭よりも深いものがあったと言える。

 

シャーレイは家政婦として、というよりも一人の友人として付き合うことがほとんどだった。そして、初恋の相手が彼女だったことも覚えている。明るくて、とても優しくて……。

 

「だから僕は彼女を殺せなかった」

 

未熟だった。まだ人を殺すということが分からなかった。人が死ぬということが感じられなかった。

 

ただただ、恐ろしかったのだ。だが、それは彼女が恐ろしかったのではなく、彼女がいつも持ち歩いていた月の光を煌々と反射するナイフだった。殺すという行為ではなく、殺せてしまうということが恐ろしかった。

 

だから苦しんでいた彼女の願いを叶えてあげることはできなかった。そして彼女の願いを叶えることができなかったせいで……。

 

美しかった島は灰と血の匂いに包まれた。

 

初恋の人(たったひとり)を殺すことができなかった所為で、自分は島の人々を一人残らず殺してしまった。愛しい彼女の心臓をこの手で抉り出していれば、己の恐怖に立ち向かえれば、こんなことにはならなかった。

 

絶望と深紅の炎に包まれた島で、切嗣は彼女と出会った。銀色のショートヘアを炎の光で橙色に染めながら手を差し伸べてきたのは、ナタリア・カミンスキーという女性であった。彼女は言った。

 

「封印指定の魔術師を探してる」

 

ナタリア曰く、この島の住人はほとんどが死徒という化け物になっている。そしてこの惨状を作り出したのはそいつだと。

 

また、島では二つの勢力が死徒の殲滅に精を出しているとも言われた。 

 

魔術師という一言で、この惨状が自分の父が引き起こしたものだと容易に理解できた。しかし、納得はしたくなかった。そしてまだ幼かった切嗣はこう言った。

 

「僕がやる」

 

森に強力な結界が張ってある。入り込むのには時間が掛かる。だが、自分なら容易に入れると言った。全くの嘘であった。しかし、ただ一言、本心で言った言葉があった。

 

「僕がやらなくちゃいけない」

 

そういうと、彼女は切嗣に拳銃を手渡した。三二口径の拳銃。些か少年の手には不釣り合いなそれは、いとも簡単にズボンのベルトの間に収まった。否、収まってしまったと言うべきだろう。

 

森を抜け、切嗣は森の奥深くにあるバンガローへと走る。壁のように茂る木の枝も、その間にある僅かな抜け道も覚えていた。ひたすら、己の足に鞭打ち走る。予想が正しければ、父はまだあの小屋にいるはずだ。

 

ガタンッ、と大きな音を立てて開かれたドアの方へ衛宮矩賢は振り返った。驚いた表情を見せていたが、音の主が自分の息子と見るとその表情は安堵へと変わった。

 

「ああ、切嗣、無事だったか。本当に良かった」

 

そう言って息子を抱擁する。普段堅物の父が感情を露にすることなど滅多にない。だが、確かに愛情を持って接してくれている。それだけは胸を張って誇れることだろう。

 

父は何故森の結界から出た、と叱り付けた。切嗣はただ一言、シャーレイが心配だったと告げた。そして、「シャーレイ」と聞いた父の表情が曇るのを切嗣は見逃さなかった。

 

そしてそれだけでこの島の惨状、事の次第を確認できた。

 

父は言った。彼女のことは残念だ、好奇心には勝てなかったか。その父の言葉に表情を歪めながら、切嗣はこう問いかけた。

 

「どうして、死徒の研究を?」

 

その問いに当然のように父は答えた。根源の探求のため、死徒の研究は必要なものだった。それよりもこの島から脱出しよう、と。

 

「いずれ僕のことも、あんな姿に?」

 

その問いに対しては当然のように否定する。そんな馬鹿なことがあるか。

 

そしてこの計画は失敗だった。根幹から理論を見直さなければ、と言った。

 

そう言いながら父は二つのスーツケースを持ち上げ、家を出ようとする。準備はすでに終わっていたのに、出発しなかったのは息子を待ち続けからなのだろうか。 だが、父がこの実験を他の地でも続けようとしていることが分かってしまった。

 

ドアへと向かうその背中に警戒心はなかった。何を警戒する必要があるのだろうか。その後ろにいるのは愛する息子なのに。

 

「そして僕は撃ったよ」

 

目を瞑ってしまいたい。ただ引き金を引くだけだ、見なくても当てられる。そう思っていたのに、切嗣の両目は見開かれていた。

 

思いのほか軽い乾いた音と、目の前で倒れる父を他人事のように見つめていた。その冷静さにほかでもない自分が恐ろしく感じた。

 

後にナタリアから語られる才能とは、このことだった。胸の内の想いを一切斟酌することなく、文字通り機械仕掛けのように事を終える才能。その時は分からなかったが、後にその才能は嫌というほどに働いてくれるのだ。

 

手に握られた拳銃が重かった。しかし指は何かに縋るように拳銃から離れなかった。振りほどこうと何度も腕を振ったが、それも無意味であった。

 

その手を後ろから手品のように解いたナタリアは半ば叱り付けるように言った。

 

「坊やに警告されたほど、森の結界は強力じゃなかったよ」

 

分かっていた。だが、ここで確実に父を殺そうと思ったなら、それは確実に切嗣でなければならなかった。その様子を見たナタリアは悲しそうに

 

「そいつは子供が親を殺す理由としちゃ下の下だよ」

 

ナタリアは優しく、語りかけるような口調で問いかけた。

 

「何か持っていくものはあるのかい?」

 

その問いに、悲しいぐらいに聡明に切嗣は答えた。

 

「なにもない」

 

島の外までは連れて行ってやると言われた切嗣はその後をナタリアの元で生活することとなった。彼女の稼業に手を貸しながら、着実に殺しの技術を覚えていった。ただ殺すだけではない。追跡術、暗殺術、兵器の扱い方。切嗣の青春期で最も多感な時期のほとんどは、これらの技術と、硝煙の匂いとともにあった。

 

彼女の仕事に付き合い始めてから、自分の島で起こった悲劇は、この世界ではただのよくある出来事の一つでしかなかったことを知った。

 

その頃、ナタリアは魔術協会との交渉で、彼の父の魔術刻印の二割を手に入れ、それを切嗣へ与えた。切嗣は父の後を継いで研究する気はなかったので、二割ほどしかない魔術刻印でも十分だった。

 

切嗣はナタリアの仕事を手伝いながらも、着実に正義の味方として活動していた。少しでも多くの人を助けるために少しでも少ない方の人の命を迷いなく捨てる。繰り返せば繰り返すほど、後には引けなくなっていった。

 

そしてその彼女が危機に瀕していようと、切嗣の行動に何ら変わりはなかった。彼女の生存を最後まで信じたかったが、街一つと一人の命を天秤に掛け、どちらに傾くかは必然であった。

 

海上で旅客機を待つ切嗣は通信機でナタリアとの雑談をしていた。曰く、祈るには長すぎるからだそうだ。そしてその会話が二人の最期の会話になった。

 

「坊やがこの稼業を手伝いたい、って言いだした時にはね、本当に頭を痛めたもんさ。どう言い聞かせようと諦めそうになかったからね」

 

「そんなに僕は、見込みのない弟子だったのかい?」

 

「逆さ。見込みがあり過ぎたんだ。度を過ぎて、ね」

 

通信機の向こうにいるナタリアの表情が少し歪んでいるのは、切嗣の想像に難くはなかった。

 

「指先を心と切り離したまま動かすっていうのはね、大概の殺し屋が数年かけて身に着ける覚悟なんだ。坊やはそれを最初から持ち合わせた。……とんでもない素質だよ」

 

辛い言葉と、事実と分かっていてもなお、ナタリアは続ける。

 

「でもね、素質に沿った生業を選ぶっていうのは、必ず幸せだとは限らないんだよ。才能ってやつはある一線を越えるとそいつの生き方を決めちまう。意思や感情を無視してね。人間そうなればオシマイさ。『何をしたいか』を考えずに『何をすべきか』だけで動くようになったらね。そいつはただの機械、ただの現象だよ」

 

「……僕はさ、あんたのこと、もっと冷たい人だと思ってた」

 

「何をいまさら。その通りじゃないか。坊やを甘やかしたことなんて、一度でもあったかい?」

 

「そうだな。いつだって厳しくて、手加減抜きで。本気で仕込んでくれたよな」

 

「男にそういうのを教えるのは、普通父親の役目だからね。坊やからそのチャンスを奪ってしまったのは私のせいみたいなもんだ。……引け目を感じないわけでもなかったんだろうな」

 

「あんたは僕の父親のつもりで?」

 

「おいおい、性別を間違えるなよ?失礼な奴だな」

 

「そうだね……。僕もあんたのこと、まるで母親みたいに思ってたよ」

 

そう言いつつ、切嗣は準備をした。自分の意思を……願いを無視して、目の前の旅客機を撃墜しなければならない。決してあの旅客機は着陸させてはならないのだ。もしできなければ、300人もの屍食鬼を街に放つことになる。ニューヨークの夜の街を駆け巡り手に入れたブローパイプ携行地対空ミサイルを構え、ひたすら待つ。

 

「ひょっとすると、私もヤキが回ったのかもしれないね。家族ごっこで気が緩んでさ。そろそろ引退かねぇ……」

 

「引退したら、どうする気だい?」

 

「引退したら……今度こそ母親くらいしかやることがないじゃないか」

 

目に滲む涙を堪え、狙いを定める。この距離ならば……外さない。

 

「そうか。…………あんたは……僕の、本当の家族だ」

 

数秒の手動誘導の後、ミサイルはまっすぐ旅客機へ突き進んでいった。そして着弾。その崩壊の様は、積み木の城を突き崩すように一瞬だった。しかし、この一瞬を切嗣は忘れることはできないだろう。

 

「これ以外に方法なんてなかった。誰かがこうなるしか、なかった」

 

この行為の真意を世界の人々が知れば……衛宮切嗣という男は世界の英雄になるのだろう。

 

しかしそれは妄想。それが伝わることも、認められることもないのだ。

 

「見ていてくれたかい? シャーレイ……今度もまたたくさん殺したよ。君の時みたいなヘマはしなかった」

 

涙はついに、意思と重力に負け、溢れ出る。その悲痛な嗚咽と慟哭とともに。

 

「ふざけるな……ふざけるなッ! 馬鹿野郎ッ!!」

 

自分の目指したかったセイギノミカタという道は、父を奪い、母同然の人を奪っていった。そうなるしかない、と分かっていても実行するしかないのだ。理想を追えば追うほど、その理想に雁字搦めにされ、動けなくなっていく。

 

その後も彼の戦いは続く。狙撃、毒殺、公衆の面前での爆殺など、手段は多岐に及んだ。

 

そして年月は進む。始まりの御三家、アインツベルン家の代表として雇われた切嗣はアイリスフィール・フォン・アインツベルンと騎士王アルトリア・ベンドラゴンとともに聖杯戦争を戦い抜いた。

 

望むものはただ一つ。『恒久的世界平和』

 

彼の戦闘方法は変わらなかった。騎士道を貫かんとするサーヴァントへの理解を否定した。相手が魔術師として戦おうものならば、それを魔術師として再起不能とした。

 

そして言峰綺礼との戦い。正に死闘というべき戦いだった。己の限界を超え、ひたすらに戦った。

 

だが、この聖杯戦争の最後は悲惨なものであった。その夢を叶えるならば……それは彼の知り得る方法で行われなければならなかった。奇跡ではあった。しかし、それは個人では成し得なかった行いを決して人の手で及ばぬ規模で完遂するというもの。そしてそれは願うものの知り得る方法でのみ行われる。即ち……恒久的平和のための全人類の滅亡。

 

それを語りかけてきたのは、己自身と、愛する家族の形をした呪いだった。多数を救うために小数を切り捨てた。その先に会ったものは、ただの破滅だった。

 

「あぁ、キリツグ、やっと来てくれた」

 

「これが聖杯による、貴方の祈りの成就……」

 

あとは祈るだけ……妻を生き返らせろ、娘を取り戻せ、と。膨大な魔力によってそれはいとも容易く完遂される。60億の人類を犠牲にして。たった三人になった地球上で、家族は末永く幸せに暮らしていけるだろう。

 

「もう、クルミの芽を探しに行くこともできないね」

 

「いいの。イリヤはね、キリツグとお母様さえいれば幸せだよ?」

 

「ありがとう。お父さんもイリヤのことが大好きだ。それだけは、誓って本当だよ」

 

愛娘であるイリヤを抱き締め、ただ涙を流す。しかし、その手に握られたコンテンダーは娘の小さな顎を捉えて……

 

「さよなら、イリヤ」

 

何も分からない、という表情をした娘の頭が吹き飛んだ。銀髪が赤く染まり、肉塊を纏いながら飛び散る。

 

「何を……あなたッ、何をッ!?」

 

倒れるソレを受け止めようともしない切嗣に、アイリスフィールは掴み掛った。それを逆に押し倒し、その指を首に絡ませた。

 

「何故……聖杯を……拒む……の……イリヤは……私たちの……どうして!」

 

「だって……僕は、世界を救うからだ」

 

その目を狂気に光らせながらアイリスフィールのようなものは叫ぶ。

 

「お前を……呪う……死ぬまで、悔め……」

 

「それでいい……僕は、お前を担う」

 

その指が頸椎を砕くまで、彼の手の力が緩むことはなかった。その後、彼はサーバントを使い、聖杯を砕いた。しかし、それは冬木の街に残酷な傷痕を残すこととなった。

 

その地獄に燃える街を切嗣は歩いた。まだ、生きている人はいないか。まだ、助けられる人はいないか。だが、自分が手を差し伸べた人は皆、炭化した蛋白質の塊か、助かる見込みのない人のみだった。だが、彼は諦めなかった。諦められなかった。まだ、止まることは許されない。

 

一人だけ、見つけた。小さな少年。虚ろな瞳をしているが、助かる。助けられる。

 

「生きてる……生きてる……!」

 

ただ、それだけで救われた。ただ、それだけで衛宮切嗣という男の生き様は救われたのだ。

 

「ありがとう……!」

 

場面はその五年後へと映る。幼かった少年は、この五年で大きく成長した。衛宮家の養子として引き取られたその子は衛宮士郎という。この頃の切嗣は「この世全ての悪」(アンリマユ)に身体を蝕まれ、魔術回路の機能も八割方失い、魔術師殺しとして名を馳せていたころの面影を見ることは出来なかった。

 

そして、その弱った身体ではアインツベルン本家へ辿り着くことなど不可能であった。ユーブスタクハイトは森の結界を一切解こうとはしなかった。切嗣が魔術師殺しとして生きていた頃ならばその結界を越えることもできたかもしれないし、白銀の嵐の中佇む城から愛娘であるイリヤを取り返すこともできたかもしれない。

 

だが、叶わぬことはしょうがない。そしてもう一つ、心残りがある。信じて託した、と切嗣はあの時思っていたが、やはりあの子の未来を歪めてしまうのでは、と心配になる。できるならば、そんな夢を捨てさせられれば良かった。

 

「子供の頃、僕は正義の味方に憧れていた」

 

だから、こうして語るしかない

 

「なんだよそれ。憧れてたって、諦めたのかよ」

 

士郎が口を尖らせて言う。その夢は、諦めるしかなかったのだ。他に選択肢は、存在しない。

 

「うん、残念ながらね。ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ」

 

「そんな事、もっと早くに気が付けば良かった……ごめんね、士郎。もっとちゃんと話してあげればよかった」

 

残されたわずかな時間。その中で語れることは本当に少ない。

 

「そっか。……それじゃ、しょうがないな」

 

切嗣が彼に掛けられる言葉は、本当に少ない。ただ、彼の夢が呪いになることだけは、なにより切嗣自身が許せない。

 

「……ああ、そうだね。本当にしょうがない」

 

「うん。しょうがないから……俺がなってやるよ。爺さんは大人だから無理だけど、俺なら大丈夫だろ。まかせろって……爺さんの夢は俺が……」

 

その誓いの言葉は思いのほか聡明で、それこそ此方が救われるような……。そして、こんなに月が綺麗な夜の誓いだ、きっと、忘れるはずがないと切嗣は思った。

 

「あぁ……安心した」

 

浄玻璃の鏡に映っていた映像は、そこでふつり、と切れた。反応は正に三者三様であった。

 

小野塚小町は滂沱のごとく涙を流し、切嗣の一生に悲しみと憐みを感じていた。

 

四季映姫はその表情を曇らせ、理不尽なその一生に何も言えないでいた。

 

八雲紫は口元を扇子で隠していたが、その顔はまるですべてに絶望しきったような疲れた表情を浮かべていた。そしてそのまま、一言。

 

「これが、正義の味方だというの? ……たったこれだけが、救いだというの?」

 

賢者の泣き出しそうなその声はただ一人の人生を悲しんでいた。




皆様、本当にすみません。更新が完全に遅れてしまいました。一週間。皆様には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

今回はかなり長くなりましたが、ある意味切嗣の回想だけで終わっているのが残念なところです。

そして皆様に聞きたいことがあります。というかどなかに考えていただきたいことがあります。

この小説のタイトルです。東方projectとFateが主体になっているのに、それが題名に全く現れていない……。作者のネーミングセンスのなさが溢れています。読者の方、どうか助けると思ってこの小説の題名を考えてはいただけないでしょうか? ご意見、ご感想お待ちしています。
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