衛宮切嗣が幻想郷に来て、最初に望んだものは武器と情報だった。
衛宮切嗣が『魔術師殺し』としてこれまで戦い続け、そして生き残ってこれたのは他でもないそれらの存在によるものだろう。そう考えれば、衛宮切嗣がこの無知と無防備という状況に対して並々ならぬ危機感を持っているのは何ら不思議ではなかった。
必要なときに必要な行動を。最小の犠牲を払い最大の成果を出し、それを最短で行う。今までの切嗣の行動原理である。そして今自分に必要なものが情報であり、それを得るために自分の目と足でこの幻想郷についての情報を集めるのが最大の成果を得る方法であり、それが最短で行える行動だと判断するとすぐに行動を起こした。
だからであろう、不測の事態に陥ったとしても切嗣は自分のすべきことを見誤ることはなかった。
この状況からの脱却だ。
「早く遊ぼうよ~」
「おじさん、早くこっち来てよ~」
「おじさんって外来人なんでしょ? なんか面白い話して!」
この状況になった理由を説明するには、半日ほど時間を遡って説明していく必要がある。
あの後、地獄から八雲紫の式の式――名前だけだが
「人様を上げられるような状況、もとい本拠地として扱えるような状況じゃないの」
そんなことは言っていられないと抗議しようと思ったが、今のうちに人里へ視察に行く機会だと思いそこは割り切った。
だが、そこからが問題であった。これからを左右する大問題といってもいいだろう。英霊になった者はその身を霊体化させることができるはずなのに、切嗣はそれができなかったのだ。霊体化していれば他のサーヴァントが自分の存在を知覚することはほぼ不可能だろう。
門を通り抜け、人里の中へ入るとまず目に入ったのは数々の木造建築であった。やはり外の世界よりも幻想郷は生活水準が低いらしい。慣れ親しんだ文明の利器は存在しないだろう。どちらにしろ、自分の戦闘方法に対しての免疫がないというのは好都合である。さらに調べていくと、魔術の心得のある者が何人か、自警団と呼ばれる集団に所属するものが数十人ほどいることが分かった。やはりいずれも機械の類を使用していないという。
「(結界なら、僕が直々に解除してやれば侵入は容易。もしも戦闘になるというなら負ける要素は存在しない。警戒すべきは魔術の心得がある数人か。外から切り離されたとはいえ、魔術なら成長の余地がある。そしてサーヴァントのマスターがいない可能性も否定できない。警戒するに越したことはない)」
手に入れた情報を分析しながら歩いていると、切嗣は市場に辿り着いた。野菜から日用雑貨、その他にも色々な物が売られている。昼時ということを考慮しても市場はこの人里でも最も賑わっている場所であると容易に想像できた。
「おーい、そこの君、そこのコートの……」
その雑踏の中で、後ろから急に声を掛けられた。敵襲かと身構えたが、声を掛けてきたのはただの女性であり、サーヴァントではなかった。手の甲を見ても令呪は見当たらない。しかし、この人里の中でのその女性は特徴的であった。江戸時代から明治手前ほどの文化が混在しているこの幻想郷の住人の服装はほとんどが和服だ。だが、彼女の服装は中国風のものであり、頭に被っている帽子も正にそれだ。それらの特徴に加え、肩まで伸びた銀色の髪。それが目の前の女性へ注目する要因の一つとなっていた。
「僕ですか?」
その対応は普段の切嗣のような刺々しい対応ではなかった。どこにでもいる普通の青年のそれと大差はない。
「そう、君だ。見たところ外来人のようだが……」
その対応に対して訝しむ様子を見せない女性を見て切嗣は更に続ける。今、目の前にいる女性に対して仮初の人間を作り上げていく。
「えぇ。今さっき、この人里に辿り着けたです。道も分からず、どうすればいいか分からなくて……本当に運が良かったです」
銀髪の女性はその発言を本物と信じているようだった。罪悪感はある。だが、それに引かれて無様な行動はしない。ただ平然と、虚を実として演じ続ける。
「そうか。本当に良かったよ。ほとんどの人は妖怪に襲われて死ぬか、ここまで辿り着けずに野垂れ死ぬかのどちらかだからね」
「そうだったんですか。本当に運が良かったな、僕」
意思と反する言葉の数々、それでも変わらぬ己の表情。それらに対して切嗣は半ば自己嫌悪に陥っていた。昔なら、『魔術師殺し』として生きていたあの頃の衛宮切嗣ならば、もっと上手くやるはずだと思わずにはいられなかった。
「そういえば自己紹介がまだだったな……。私は上白沢慧音。この人里にある寺子屋で教師をしている」
「衛宮切嗣と言います」
「衛宮くんか。よろしく頼むぞ」
「えぇ、こちらこそ」
「それにしても、本当に運が良かったな。どこから迷ったかは知らないが、この人里の方向まで歩いてこれなければ、今頃死んでいたんじゃないかな?」
「今生きてるのは正に幸運としか言えないですね……」
そう言うと慧音は切嗣にこの人里の案内をしようと言った。まだ人里を全て見たわけではない事もあり、更に言えば現地の人間の声も聞いておくべきだと判断した切嗣はその提案に頷いた。
慧音と連れ立って歩いていると人里の住民が慧音に向けて気さくに挨拶をしていた。慧音もそれに笑顔で答える。それだけで、慧音がどれだけ人里に貢献し、信頼されているかが窺えた。周りからの声にも答えつつ、雑談を交えながら二人は大通りを歩いていく。その途中で小さな茶屋を見つけた。慧音にそこでこれからのことについて話をしようと誘われた。先ほどまでの案内で人里の中は粗方見てしまったし、別段急ぐ用事があるわけでもない。その誘いを断る理由はないだろう。
話された内容はこの人里のルールから注意すべきことなど多岐に渡った。ひとまず全て話し終えた、と慧音が言う頃には日は既に真上から徐々に沈み始めていた。夕方というほどではないが時刻にすれば三時から四時というところだろう。そろそろ店を出ようかと考えていたが、突然慧音は思い出したかのように話しかけてきた。
「……ところで、君は外来人だと言ったね。外の世界に帰るつもりはないのかい?」
純粋な気持ちで勧められたのであろうその提案は、この幻想郷を出て外の世界へ戻るというものだった。幻想郷を包む結界を管理する博麗の巫女。その巫女の住む博麗神社は外の世界と繋がっていて、外来人のほとんどがそこから外の世界へ帰っているという。もしそれが本当ならば、今すぐにここから引き返してしまおうか。
「……っ」
一瞬、迷ってしまった。他でもない衛宮切嗣という人間が、目の前にある甘い救いに意思を揺さぶられた。目の前の目標から逃げ出すという『選択肢がある』という状況になってしまった。
それは他ならぬ弱い意思の存在を許容してしまっているということに他ならない。
英霊というカタチを持ち、己の全盛期の状態にあるこの身体と、その全盛期とは比べようのないほどに疲弊し、弱り切った精神。この二つの状態の矛盾はサーヴァントとしてではなく、衛宮切嗣という個人の弱点に他ならない。
「どうした? 外の世界に帰るのが嫌か?」
切嗣が僅かに言い淀んだのを見て、慧音は顔を覗き込んでくる。本気で心配してくれているらしいが、それが切嗣の心を苦しめた。
「……実を言うと、あまり戻りたくないです。いい思い出もありませんし、向こうで僕のこと待ってる人はいませんよ」
「待ってる人がいないってそれはないだろう? 君も一人の人間なんだ、それなら戻ってやるべきだよ」
「本当に、誰もいないんです」
「え?」
本当のことだ。父と母を自分の手で殺してしまった。愛する妻とその愛娘も、全人類の命を救うためとはいえ、自分の手で殺した。唯一救えた少年も、今は周りの人に支えられて生きているはずだ。今更衛宮切嗣という人間が必要になるとは思えなかった。そして何より、これ以上誰かを不幸にする自分が許せなかったのかもしれない。
慧音も切嗣の暗くなる表情を見て察したのか、咄嗟に話題を変えた。
「そ、そうだ。これから君に見せたいものがあるんだ」
「でも、これ以上迷惑は掛けられないです」
「君とはまだ話したいこともある。少しの間でいいんだ」
「……分かりました」
恐らく謝罪を兼ねて、というところなのだろう。切嗣がその誘いに対して首を横にふることはなかった。
勘定を済ませ、切嗣は慧音に連れられて人里の中を歩いていく。目的地へ向かう慧音の足取りは心なしか重く見えた。切嗣と慧音はお互いに罪悪感を感じながら、他愛ない会話を交わす。しかし、歩いている二人の距離はおおよそ人間一人程度。罪悪感がそうさせるのか、二人の間の距離は縮まらないまま目的地まで辿り着いた。
寺子屋と書かれた看板を掲げ、周りの建物よりも二回りほど大きいそれは、正に今まで切嗣が知識の中でしか知らなかった寺子屋そのものだった。
寺子屋の扉を開けようとしていた慧音とそれを後ろで待つ切嗣はふと視線を感じて振り返った。その視線から感じられるのは、純粋な興味だった。
「「「…………」」」
寺子屋の周りを覆う塀の陰からこちらを覗いていたのは、十歳前後の小さな子供たちだった。
「どうしたんだお前ら? 今日は寺子屋は休みだぞ?」
「この人が慧音先生のカレシなのかなぁって思って」
子供というのは素直であることが良しとされるが時にそれは残酷である、というのを身を以て体験した二人であった。疑問をそのまま口にする子供たちを前に慧音は顔をトマトのように真っ赤にして驚愕と困惑を露にし、一方の切嗣は生前の自分の立場を思い出しつつ、気まずさと罪悪感を感じていた。
「(生前は一応家庭を持っていたんだけどなぁ……。イリヤが普通に成長していたなら、丁度このくらいか、少し大きいくらいだろうか)」
慧音の立場のこともあるので、誤解を解こうと切嗣は子供たちに語りかけた。
「君たち、僕は慧音先生の彼氏なんかじゃないよ」
「えぇ~! つまんな~い!」
つまらない、という発言に苦笑いしつつも切嗣は続けて言う。
「慧音先生なら、もっと立派で優しくて、君たちも納得するような人を選ぶに決まってるじゃないか」
「じゃあ、おじさんは何で慧音先生と一緒に歩いてたの?」
「まぁ、僕は外来人だからね。この人里でこれから生活するための説明を受けてたんだよ」
その返答に若干の疑いを持ちつつも、子供たちは納得してくれたようだ。寺子屋に入るように慧音に促すと、切嗣も寺子屋へ入ろうと歩き始めた。だが、自分のコートの袖を引かれていることに気が付いた。切嗣はそちらの方を向いた。丁度右後ろ、そこにはあの少年少女の内の一人が立っていた。
「それじゃあ、おじさんも一緒に遊ぼうよ!」
「「「さんせー!」」」
子供たちの大きな声と袖を引く手に引きずられながら寺子屋の方に視線をやると、慧音が手を振っていた。満面の笑みでである。
「(どうやって切り抜けようか……)」
こうして冒頭へと至るわけである。純粋に興味があるからという理由で遊びの場に引きずり込まれたが、どのように脱出しようか目下検討中である。
「(いきなり断るのも拙い、遊びの途中で抜け出せそうにない。上手いことを言って抜け出そうにもこの子たちに通用するか分からない……)」
そしてさっそく脱出不可能という判断を下すことになることも知らせておかなければならない。普通の父親として真っ当に生活していればこんなことにはならなかったのだろうが、その普通を望むには彼の人生には少しばかり時間が足らなかったのである。
結局、日が暮れるギリギリまで子供たちの相手をすることになった。英霊である――些か中途半端ではあるが――切嗣の身体には疲れを感じさせるほど多量の運動をしたわけではない。だが、少なくとも幸せな時間ではあったのだろう。それを苦痛と感じていたのが何よりの証拠というべきなのだろう。当たり前の幸福に対し、それを味わう自分を不幸と感じてしまう。衛宮切嗣という人間の生き方を変えてしまったのは、他ならぬ彼の願望によるものだったのだから。
子供たちが帰ったのを確認すると、切嗣は寺子屋の方へ向かった。近くの空き地から歩いてきた切嗣を出迎えたのは満面の笑みの慧音であった。
「子供に懐かれるとはね。君はそんな表情をしているけれど、好感が持てるよ」
「そう……ですか」
ただ、一言。その返事だけで会話は途切れてしまった。お互いに気まずさを感じながら慧音は切嗣を寺子屋へと招き上げる。授業で使っている部屋の奥に私用の部屋を置いているらしく、切嗣もそちらに招かれた。適当に座っていてくれと言われた切嗣はそのまま部屋の中央に鎮座する卓袱台の前に腰を下ろした。しばらく待っていると慧音が緑茶と和菓子を持って部屋に現れた。卓袱台にそれらを置くと慧音は茶を一口飲んだ。そして数拍の間を置き、こう切り出した。
「さて、君はこの幻想郷で暮らすつもりなんだね?」
「えぇ、一応そのつもりではありますけど」
先ほど悩んだのは自分が弱いからだと切嗣は思わずにはいられなかった。その問いを否定して逃げてしまいたかった。
「向こうの世界とは勝手が違うぞ」
「覚悟してます」
口から、喉から絞り出す一言一言が辛い。口を動かそうと思っていても、普段とは比べ物にならないほど重い。
「命の危険だってある」
「自分の身は自分で守ります」
だが止まれない。止まっているなら、あの南海の孤島で既に止まっているはずだ。ただの不幸な少年として生きていく選択をして、ひたすら記憶から逃げる日々を送っていたはずだ。
「……分かった。君は今から幻想郷の住民だ。里の集まりの方には私から伝えておこう」
「ありがとうございます」
そういうと切嗣は立ち上がり、寺子屋を出ようとした。しかし、慧音は切嗣のことを引き止めた。その場に座るように言われた切嗣は渋々座り直した。
「もう日も暮れるし、君のための家も用意できていないぞ。今日はここに泊まっていくといい」
「ですけど、これ以上お世話になるのは「泊まっていくといい」……」
人里の宿屋に泊るから大丈夫だ、とは切り出せそうにないこの空気にまたしても切嗣は折れることとなった。断る理由に正当なモノはなく、違和感のある解答しか持ち合わせていない。今この場を切り抜けることができない。
「分かりました。お世話になります」
とりあえず首を縦に振る。この決断は今日何度目だろうか。無理矢理にでも慧音に暗示を掛けて人里を出ようかなどと考え始めていた。そろそろ人里を出ないと拙い時間になる。夜に出ると言われている妖怪たちがどのような実力を持っているかは知らないが、恐らく自分の全速力には及ばないだろうと切嗣は考えていた。事実、夜に妖怪に出会ったという人間に何回も出会った。普通の人間が逃げ切れるであろうそれは英霊である切嗣の脅威になるとは考え辛い。
「(僕の心配はもう一つのほうだ)」
それは自分と同じ英霊に出会うという事態だ。お世辞にも
「(聖杯戦争は夜に起きている、と言ってもいい。それもこの人の手が入っているのがほんの一部でしかないこの幻想郷では、正に夜は絶好の時間……)」
ふと窓の外を見ると既に陽は妖怪の山の頂上から僅かに差し込むのみとなっていた。いよいよ時間がない。他のサーヴァントとの遭遇するという事態が俄かに現実味を帯びてきた。
「(八雲紫に念話をすればここから移動することもできるが、突然いなくなることによってできる矛盾は暗示でも誤魔化し切れるかどうか……)」
元々、暗示の使い方は有る物を別の物に置き換えるという使い方が普通なのだ。無を有に、またその逆もできなくはないが、対象がその矛盾に気付いてしまえば、素人でも自然に解呪できてしまう。そしてその矛盾は限りなく分かりやすいものなのだ。自分が突然いなくなるという現象は正に誤魔化しようのない矛盾を生んでしまう。だからこの手は使えない。
「衛宮くん、夕飯は和食だが大丈夫か?」
「えぇ、ありがとうございます」
またチラリと外を見た。夕陽は山の陰に隠れ、雲は僅かに漏れ出る光すらも覆い隠していた。
そして夜が始まった。
ただ遠く見える山に沈んだ太陽と己の不幸を呪うことしか、今の衛宮切嗣にはできなかった。
しばらく更新期間が空いてしまいました。誠に申し訳ありません。そして微妙な幕切れ。この作者、本当に何をやってるんでしょうね。夏休みの宿題も終わっていないのに。
ちなみに夏コミには行けませんでした。学校の部活動の合宿と重なってしまいまして……。でも今年は行かなくてよかったと思います。この猛暑ですから。
皆様はこの暑い夏、如何お過ごしでしょうか? 作者は壊れかけの冷房のある部屋で執筆中でございます。皆様が有意義な夏休みを過ごすことができるようにと作者は祈っております。そしてこの小説へのご意見ご感想、評価の程をよろしくお願いします。作者はそれだけが栄養です。厳しい批判でも構いません。こんなものが見たいという希望でも構いませんので、どしどし感想を書いていただければと思います。