「アンタ、MMO自体が初めてなのか?」
「うん。兄のゲームを一日貸して貰うだけだったんだけど……」
隣を歩く男の子――キリト君が同情を込めた顔で、こちらのフードに隠れた顔を伺ってきた。
彼から見れば、アスナは初めて乗った飛行機がハイジャックに会う並の不幸を体験している様なものなのだろうが、そういう目で見られるのは少し気に食わない。
「わたしの不幸は、この世界では全員に訪れたものよ。MMOが初めてだからと言って、変に同情しないで。……それに……」
デスゲームを強要されているので不幸には違いないが、アスナはゲームクリアの他に明確な目標を持っている。
このゲームはクリア不可能だと噂されている現在、もう一つの目標――キリト君は大きな支えとなってくれているいる。
他のプレイヤーと比べてみれば、今の自分は十分幸運な部類だろう。
それに、未来でアスナは全プレイヤー中最高の幸福精神パターンを発信した――らしいのだ。
その事実がある限り、絶望なんて、正直あんまりしていない。
――というより、キリト君に依存気味のわたしにとっては……
「キリト君にそういう目で見られるのは、ちょっと悲しいかな……」
思わず声に出てしまい、うつむき気味になって溜息を吐いてしまう。
一ヶ月前にユイちゃんから未来を聞いたアスナと違って、何も知らない彼は、いきなりこんなことを言われても、ただ困惑するだけだろう。
アスナとキリトの間には大きな認識の差があるのだ。
彼の顔を見てみると、案の定顔をそらされた。
とっさにどう返していいかわからず、聞かなかったことにしようと判断したのだろう。
そういう反応もちょっと悲しい。
なので――
「キリト君にそういう目で見られるのは、ちょっと悲しいかな……」
大事なことなので二度言いました。
キリト君が言い逃れできないように、少し大きめの声で呟く。
「ぅ……ゴメンナサイ」
よろしい。
とにかく落ち着いた場所で話をしようということになり、二人は第一層で迷宮区に一番近い町《トールバーナ》へ戻ることになった。
話し合いの場所を決めるときに一悶着あったが、キリト君の宿が風呂付という反則的なアドバンテージを保有していたので、すこーしだけ強引に彼の宿で話し合うことを納得させ、ついでに風呂の恩恵にあずからせてもらうことになった。
農家の二階を丸ごと借りている彼の宿は広かった。
ふかふかのソファーにでかいベッド、そして風呂。
宿に着くなり風呂を勧めてくれるキリト君が天使に見えた。
男の部屋に押し入って、いきなり風呂に突進というのもなんだか変気分になってくるが、目の前にあるオアシスに浸かりたい欲求を抑えることができるはずもなく、バスルームに滑り込む。
久しぶりのお風呂は最高だった。
お風呂だ。わたしの体はバスタブの湯に浸かっている。
仮想世界がどうこうとかは関係ない。
唯々人類が編み出した最上の休息――命の洗濯に溺れてゆく。
このまま湯船の中で眠ってしまいたい衝動に駆られたが、この後にはキリト君から初心者講座を受ける予定がある。
この世ならざる法則に縛られたこの世界には、まだ未知の部分が大きい。
それに加えて、本来の目的達成のためには幾らかの作戦を練らねばなるまい。
本来の目的とはゲームクリア――もあるが、今は自分の娘だという少女、ユイとの約束――キリト君との結婚だ。
あの不思議な存在感のある少年は、たいへん用心深い性格であるようで、たった数日前の自分のパーソナルデータの流出をいち早くリークし、相手側の情報まで手に入れていたのだ。
彼にとってわたしは「自分を嗅ぎまわる天然の入った
不本意だが、少々強引ながらも、この宿に案内してもらえたのは「天然の入った」の部分が彼の警戒心を薄めてくれたおかげだろう。
それでも、心の中では何かあると疑っているはずだ。
さて、問題はここからだ。
アスナがアルゴさんからキリト君の情報を買った理由が解るまで、彼は警戒を解かない気がする。
しかし、その理由を正直に話しても警戒を解かない気がする。というか絶対解かない。
早くも雲行きが怪しくなってきたウェディングロードだが、実は一発で問題解決させる方法がなくもない。
最も、結婚云々の前にキリト君のことをよく知るのが先だが、それも警戒された状態では簡単にはいかない。
ここは娘より託された秘中の秘をお見せするとしよう。
満足が行くまで入浴を堪能すると再び服を装備し始めたアスナは、最近外では常時装備となっていたフード付きケープを着るか悩んだが、彼の警戒を解くためにも素顔を隠すのはやめることにした。
素顔のままバスルームを出たアスナを、ソファーに座っていたキリトは落ち着かない様子で出迎え――瞬時に凍り付いた。
まるでこの世界には存在しない魔法にかけられたように凍り付く彼に、アスナは微笑みかける。
「ありがとう。お風呂貸してくれて」
「どっどういたしまして…………。あっああ、そうだ!ここってミルクも飲み放題なんだよ!よかったらどうぞ」
キリトは硬直から解放されると弾かれたように飛び上がり、部屋の隅にあるワゴンの前に移動した。
大型のピッチャーから新鮮なミルクを二つのグラスに注いで、ソファーセットに戻ってくる。
ローテブルにミルクを置くと、向かい側に座るよう座るように勧めてくる。
促されるがまま柔らかいソファーに腰かけ、風呂上がりの一杯を一息に飲み干す。
「こんなに美味しいミルクが飲み放題だなんて……。つくづく贅沢な宿だねー」
「宿の外に出すと五分で《激マズな液体》になっちゃうんだけどな」
そう言う彼には先ほどの動揺はもう見当たらない。
もっと慌てた彼も見てみたかったが、その他の「したいこと」ともども我慢する。
まず最初に自分がすべきこと――それはこの世界の法則を知り、生存率を上げること。
自分はこの世界では何も知らない無知な存在なんだということを、今日の戦闘で改めて思い知らされた。
親しい人も作らずに、ただ剣を振ってきたアスナだが、幸運なことに目の前にはトップクラスの実力者がいる。
「さっそくだけど、教えてほしいことがあるの」
彼はアスナの質問に予想がついてるのか、黙って先を促した。
「あの時の《スイッチ》ってヤツのこと……ううん、この世界で生き抜くために必要な知識を――」
「――教えてもいい。だけどその前に……」
こちらの言葉にかぶせるような肯定の後、一泊置いてから条件を付け加える。
「……どうして俺の情報を買ったのか教えてくれないか」
――きた。
「君がどういう経緯で俺の情報を買うに至ったのか、全く見当がつかないんだ」
本当に疑問に思ってか思案顔で聞いて来る。
彼の疑問はもっともだ。
自己防衛のための至極まっとうな質問。
それゆえに予想できる。
そして、対策を立てることもできる。
アスナは落ち着いた動作で右手の人差し指と中指を揃えると、上から下へスッと振り下ろし、メニューを出した。
いくつかの操作をよどみなく行ったのち、可視化ボタンを押す。
今、アスナの目の前にあるのはユイが自分の設定を弄った時に施したギミックの一つ――娘から授かったキリト君とお近づきになるための奥の手だ。
こちらの動きを黙って見ていた彼は、アスナの指が止まっても変わらず観察を続けている。
アスナはこのメニュー画面を見たときのキリトの反応を想像し、思わずニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
それを見たキリトは嫌な予感を感じ、ゴクリと仮想の唾を飲み込んだ。
ウインドウの上下をタップし、キリトから見えやすいように表示位置を移動させる。
意を決したように画面を覗き込んだ彼の目に、トンデモナイものが映り込んだ。
開いているのはクエストログ。
画面にはアスナが受けている、とあるクエストの詳細が表示してある。
それはキリトが初めて聞く《Yui》というNPCから受託したらしいクエスト。
ベータテストにはなかったそのクエストの達成条件は――
――プレイヤーネーム《Kirito》との結婚――
「へ…………?」
開いた口が塞がらないとはこのことなんだろうなー。
間抜けにも見える顔で問うような目を向けてくる彼に100点の微笑みを返す。
「……ぅ…………」
先はアスナの素顔を見てもすぐに平静を取り戻したキリトだが、SAOの過剰気味なフェイスエフェクトは流石にごまかせないようだ。
彼の顔は首から頭のてっぺんまで徐々に赤くなっていき、
あまりに期待道理なその反応に、クスクスと笑いを漏らしてしまう。
「これで理由は解ったでしょ。次はキリト君の番だよ。」
その後、キリト君の説明を聞きながら、赤くなった彼の顔を観察するという時間が一時間ほど続いた。
午後四時。《トールバーナ》の噴水広場には多くのプレイヤーが集まってきている。
あるプレイヤーの呼びかけにより、初の《第一層ボス攻略会議》が開催されるのだ。
アスナはフーデッドケープで頭をスッポリと覆い、キリトの隣を歩いている。
この状況で命を懸けてボスに挑もうという
五十人。
それが噴水広場に集ったプレイヤーの総数だ。
確かキリト君の話では、一度にボスに挑める上限人数は四十八人。
ボスには最大戦力で挑める人数なのだが……ちょっとマズイかも。
「これは……あぶれる可能性が高いぞ……」
彼の言う通り、基本的にパーティー単位で行動する人がほとんどで、この場に居るソロなんてキリトとアスナぐらいだろう。
ということは、ボス攻略に参加できない二人に収まる可能性がとても高いのだ。
思わぬ障害にぶち当たり――しかし、対応策などある筈もなく、会議は進行していった。
呼びかけを行ったプレイヤーは《ディアベル》
長身の各所に金属装備を煌めかせた片手剣使いだ。
大振りの直剣とカイトシールドを装備している。
言葉にするなら爽やかな青色の騎士といったところか。
「あの人は……」
「知ってるのか?」
前にすこーしだけ「あの人がキリト君だったらー」って考えてたんだよー
なんて言えない。
「……あっあの人はどうして髪が青いんだろー」
「髪染めアイテムってのがあるんだよ。この層で手に入れるにはモンスターのレアドロップしかないけど」
物知りさんだねーと返事を返しつつ、一人浮気を追及されたような気分になる。
順調に進んで行った会議だったが、途中いざこざが起きた。
ディアベルの非の打ちどころのない演説が終わり、拍手喝采となったところで一人のプレイヤーが声を上げた。
ガッチリとした体格に、やや大型な片手剣を背負っている。
「こん中に、五人か十人、今まで死んでいった千五百人にワビィ入れなあかん奴らが居る筈や」
サボテン頭の片手剣士はドスの利いた声で憎々しげに吐き捨てる。
「奴らがなんもかんも独り占めしたから、一ヶ月で千五百人も死んでしもたんや! せやろが‼」
途端にざわめいていた五十人の聴衆が一人残らず押し黙った。
キバオウが何を言わんとしているのかを全員が理解したようだ――もちろん、アスナ以外の。
まるで何か言えば自分が《奴ら》の一員にされてしまう――と言わんばかりの静寂の中、アスナは説明を求めようと物知りさんの方を伺ったが、恐ろしく強いはずの彼の顔には、緊張が走っていた。
アスナの疑問に応えてくれたのはディアベルだった。
「――キバオウさん。君の言う《奴ら》とわつまり……元ベータテスターの人たちのこと、かな?」
《元ベータテスター》。
キリトの説明には一切出てこなかったその単語の説明は、キバオウの糾弾によって成された。
9000千人のビギナーを見捨てた自己中心的なプレイヤー。
このデスゲームで情報の独占を行い、一ヶ月で千五百人もの死者を出す要因の一つとなった。
一度自分たちを見捨てた奴らが、何食わぬ顔で自分たちとボスの攻略に参加するのが気に食わない。
仲間になりたければこの作戦のために、コルとアイテムを軒並み提供するべきだ。
というのが、キバオウの主張のようだ。
どういう経緯かは解らないが《元ベータテスター》はこのゲームのことを熟知しており、デスゲームとなった後も自己強化のために効率の良いクエストを、
そして、それは周りの反応を見る限り周知の事実であるようだ。
彼らはキバオウの言う通り、自分たちがこの世界で生き抜くためにビギナーを見捨てたのだろう。
誰よりも早くスタートダッシュを切り、高効率のレベリングを行い、安全を確保する。
自分たちがビギナーの命を助けることのできた可能性を振り払って。
ビギナーの心の声の代弁ともいうべき彼の
やはり、利己的な彼らは今まで通りに見て見ぬふりを続けるのか、死んだのは自己責任だと弱者を笑っているのか、それとも――隣に座る少年のように、叫び返すのを堪えているかのように震えているのだろうか。
その姿を見たとき、アスナの胸に悲しい気持ちが去来した。
衝動的に、怯えた黒ウサギの握り込まれた左手の上に、右手をそっと置いた。
顔を前向けたまま、安心させるように掌で包み込む。
彼の握り拳は徐々にその力を緩め、やがて体の震えと共に弛緩した。
「発言、いいか」
その時、豊かな張りのあるバリトンが響き渡った。
人垣の左端の方からぬうっと進み出るシルエットがあった。
大きい。身長は百九十ほどもあるだろう。
背中につられている両手用戦斧が実に軽そうに見える。
チョコレート色の肌、スキンヘッド、堀の深い顔立ち。
明らかに日本人ではないその風貌には見覚えがあった。
「あの人は……」
「知っているのか?」
前に本気で「キリト君じゃありませんようにー」って祈ってたんだよー。
なんて言えない。
「……あの人はどうしてスキンヘッドなんだろー」
「髪型を変えるアイテムもあるけど……あれは元からじゃないかな」
そうかもねーと返事を返しつつ、一人罪悪感と戦う。
巨躯の黒人《エギル》は、アスナもお世話になった《エリア別攻略本》の製作協力していたのは《元ベータテスター》以外ありえないと説いた。
無料配布されていた攻略本は誰にでも手に入れることだ出来た。
それでも、多くの人が死んだ。
この場に集った者たちがそうなるかどうか、それがこの会議で左右される。
エギルの真っ当な主張に、キバオウも噛みつく隙を見出せないようだった。
最後にはディアベルが爽やかに話をまとめ、場の雰囲気を和らげた。
魔女狩りの様な空気が遠のき、安堵の息を吐く。
第一回ボス攻略会議は、結局顔見せの様なものだけで終わった。
まだ情報のない今回の会議で、作戦を立てられるはずもない。
――元ベータテスターが情報を提供しない限りは。
もしここで元ベータテスターが名乗りを上げ、ボスの情報を提供したとして――と考えてから溜息を吐いた。
そんなことになれば、先の魔女狩りの様な空気が舞い戻ってくる可能性もある。
ビギナーと元ベータテスターの確執は想像以上に複雑なもののようだ。
これからは不定期更新という形で連載させていただきます。
ようは、書きたくなったら書くということです。
不真面目な姿勢のある方針ですが、よろしくお願いします。