ホットスパーズ ~命知らずの騎士と二人の女神~ 作:公私混同侍
ゲルマは馬を走らせる。昨日通った道は夜中に降った雨でぬかるんでいた。
馬は主の心を理解しているのか定かではないが上体を左に左にくねらせている。ゲルマの意図なのか分からない。明らかに昨日通った道からかけ離れている。はたからみれば馬の動きが不自然だが人気のない道だから問題はない。
聞き覚えのないせせらぎが聞こえてきた。ゲルマは前方を睨んでいる。視界は良好だ。デッサンをしていた女と出会ったあの川がはっきり見えた。力強く
ゲルマ「大した問題ではない。だが、万全な備えが憂いを断つはずだ」
川沿いに馬を歩かせると、川の流れが速く水位も高くなっていることに気づいた。近くにはカインから死守するよう依頼された村がある。胸騒ぎがするのも無理はない。
橋が見えてきた。脆そうに見えるが
橋を渡れば次は森。あの女が絵に書いていたどこにでもある殺伐とした光景だ。暫く森の中を歩いていると薄暗い景色が明るい景色へと変わる。民家が見えた。目的の村はまだ先だ。ゲルマは好奇心を掻き立てられ窓ガラス越しに中を覗く。
ゲルマ「住んでいる痕跡はあるな」
ごく普通の民家だが、屋の隅に腕のみ描かれた絵画が見えた。全体が判然としない。恐る恐る中を覗き込もうとした途端、背後から人気を感じ動きを止めた。窓ガラスに人影が映っている。ゲルマは本能的にナイフへ手を掛けた。
?「
ゲルマ「何?」
?「気が遠くなるような遥か昔、東の国で生まれた言葉だ。聞いたことないかね?それはもったいない。お主の心境を表すにはもってこいの言葉だと思ったのだがね」
ゲルマ「お前、この家の持ち主か?」
へルマン「もう少し年寄りには敬意を払うべきだ。それに私にはへルマン・ラングニックという名がある」
ゲルマ「失礼した。先の非礼を詫びる」
へルマン「そんなに殺気立っていては身が持たんぞ。肩の力を抜いてもバチは当たらんよ」
ゲルマ「オレの生き方は今さら変えられない。そしてこれからもだ」
へルマン「お主は昔のワシによく似ている。だからこそワシも過ちを犯したのだ。だが、今なら分かる。お主を正しい道へ導く事など造作もない」
ゲルマ「誰の助けもいらない。オレの未来はオレが決める」
へルマン「そうかね?ならばここに来たのも自分の意思だとでも言うのかね?」
ゲルマ「ご託はいい。これ以上老人の世迷い言に付き合う義理はない」
へルマン「全ては女神の思し召し。誰も宿命からは逃れられないが運命ならば――」
扉がゆっくりと開く。中に人がいたことに気づかなかったゲルマは後ろに跳び跳ねた。
女が姿を見せる。顔色がすこぶる悪いがゲルマは昨日出会った女だと理解した。
ライナ「オジさんってば、お客さんが来てるなら中に入れてあげてって何度も言って……え!あなた、もしかして昨日会った馬の人?」
ゲルマ「馬の人ではない。それより具合が悪そうだが、まさか
ライナ「そんなわけないじゃない。ペストに感染してたらとっくに全身真っ黒よ。確かにペストに感染した方がましだと思ったこともあるけどね」
ゲルマ「どういう意味だ?」
ライナ「立ち話は体に障るから中に入って」
ゲルマは村の様子を見るだけのつもりだったが初老の男に一杯食わされたと思い内心穏やかではない。しかし、どうしても気になる事があった。部屋の隅にある絵だ。
初老の男は絵の近くに座る。ライナは何かを淹れ始めた。ゲルマは立ったままだ。左には白髪が目立つやや老けている男。右には調子を狂わせる女。ゲルマは目のやり場に困り絵を鑑賞しているふりをした。
ライナ「あなた、絵に興味ないんじゃないの?」
ゲルマ「ああ」
図星をつかれたが平然としている。
へルマン「無理もない。若者に絵の奥深さを説くことはカトリックにプロテスタントの主張を認めさせるぐらい難しいことかもしれん。まあ、ワシはプロテスタントの存在そのものを疎ましく感じているがね」
ライナ「例えが極端過ぎるわ。若い人でも絵に興味がある人はあるし、プロテスタントだって元を辿ればカトリックじゃない。一人一人個性があるんだし、主義や思想は同じじゃない方が良いに決まってるわ」
ゲルマ「綺麗事だ」
へルマン「ほう」
ライナ「どこが綺麗事なのよ」
ゲルマ「主義や思想が対立すれば火種が生まれる。宗教は特に内部対立を起こしやすい教義を持つ。
長舌だ。長舌だったゆえにありきたり語句を並べたのはうかつだった。二人に本心から出た言葉でないことを見透かされてしまう。
ライナ「ゲルマは自分の言葉で話しちゃいけないって両親から教育を受けたの?」
へルマン「いかんいかん、話し手に人間味が無さすぎて途中で聞き飽きてしまった」
ゲルマ「くっ……」
ライナ「まるで誰かに操られているみたいね」
ゲルマ「なんだと!?」
へルマン「ライナ、口が過ぎるぞ。申し訳ない、
ゲルマ「オレは……あの人の為に……」
ライナ「あの人?あの人って皇帝のこと?」
ゲルマ「違う。オレを拾い立派な兵士に育ててくれた恩人だ」
ライナ「兵士?」
へルマン「知らんかったのか?ゲルマとやらは傭兵だ。それに皇帝軍を指揮するヴァレンの右腕に相当する腕前の持ち主でもある。そうであろう?」
ゲルマ「何故オレが傭兵だと知っている?それにヴァレンの事もだ!」
ライナ「傭兵?皇帝軍?もしかしてゲルマも戦争に参加しているの?」
へルマン「ライナ、お前は黙って聞いておれ。ゲルマとやらの質問に答えよう。ワシはヴァレンと繋がっておる。言うまでもないかもしれんが異端の軍勢に関する情報をもたらしているのもワシだ」
ゲルマ「何?」
ライナ「オジさんの言うことなんかに耳を貸さなくてもいいの!最近妄想が激しくて突拍子もないことを言っちゃうから!」
ゲルマ「妄想だけは遺伝のようだな。お前のせいで皇帝軍は苦戦を強いられている。どう言い逃れする気だ?」
へルマン「ワシを責めても失われた名誉は返ってはこない。そもそも有益な情報を上手く使いこなせない無能な指揮官にも非があるのではないのかね?」
ゲルマ「――き、貴様ぁぁぁっ!?」
ゲルマは目にも止まらぬ速さでナイフを引き抜いた。同時に右腕でへルマンの胸元を押さえつけ壁に叩きつけ、左手で持っていたナイフを喉元に突きつけた。
ライナ「や、やめて!――うっ!」
ゲルマは怒りのあまりライナがうずくまっていることに気づいていない。
へルマン「怒りに身を任せてしまえば本当に大切なものを見落としてしまう。もっと周りを注意深く観察すれば救える命もあるのだ」
ゲルマ「黙れ!オレは老いぼれの説教で意志を曲げるような薄弱な人間ではない!」
ライナ「……痛い」
ライナは腹部を押さえながら苦痛に顔を歪める。悪夢から目覚めたかのような表情でライナを見た。へルマンは解放され服装を整えている。
ゲルマ「おい、どうしたんだ?」
ライナ「ちょっと痛むだけよ」
へルマンは歯牙にもかけず外へ出ていった。
ゲルマ「医者には見せたのか?」
ライナ「ワタシ、生まれつきお腹が弱いの」
ゲルマ「薬は飲んでいるのか?」
ライナ「少し横になれば大丈夫よ」
ゲルマはライナをベッドに横たわらせる。間近にある腕しか描かれていない絵画が湿っぽい室内をより一層よどませているようだ。