ホットスパーズ ~命知らずの騎士と二人の女神~ 作:公私混同侍
アンドロイド暴走事故で恭一郎を失って四年が経過した。麗華は精神に異常をきたし入退院を繰り返すようになる。幸いにも恭夜とサリーは星宮夫婦の助けもあり月並みの日常を送れるようになった。
幼かった恭夜は父を失った事実を聞かされることはなかった。それでも心を病んでしまった母の無惨な変わり様にサリーもまた心を痛めた。四年経った今、父の死を実感していてもなんらおかしくない。恭夜は無関心を装いながら、すくすくと育ち新たな環境に溶け込んでいった。
更に月日は流れ海外旅行の計画が持ち上がるまでに母の体調が快方に向かう。海外旅行は恭夜が生まれた時以来であり、もちろん生まれたばかり恭夜が覚えているはずがなかった。
外国の建造物に恭夜とサリーは驚く。母は顔をほころばせるが声に出すことはない。ベッドの上で過ごす時間が長かったからか、肺活量まで衰えてしまったようだ。ホテルの受付で手続きをしている。はやる気持ちを抑えきれない恭夜は母に手渡された鍵の番号をチラッと見た。
恭夜「お姉ちゃん、早く行こうよ!」
お姉ちゃんとはサリーのことだ。
サリー「まだお母様が来てないから待たないと――」
恭夜「じゃあ、先に部屋に行ってるね!」
サリー「えぇっ!?部屋がどこにあるかわからないのに行ったらダメだよ」
恭夜はサリーの忠告に耳をかさずにエレベーターに乗ってしまった。追いかけようとしたが母に気苦労をかけてしまうと思い引き返す。
母「恭夜は?」
サリー「ごめんなさい……」
母「あの子ったら鍵も持たずに先に行っちゃったのね」
サリー「次はちゃんと注意します。だから恭夜を怒らないで下さい」
母「このぐらいじゃ怒らないわよ。恭夜とサリーが元気でいてくれれば気にしないわ」
恭夜は一人でエレベーターを使い覚えた番号を口に出す。
恭夜「ななさんさん……ななさんさん……」
一緒に乗り合わせた客が気を利かせる。ボタンに手が届かない恭夜を見て『7』を押してくれた。
恭夜「あ、ありがとう」
照れくさそうに降りる。広い廊下にはたくさんの部屋が並ぶ。番号を口に出しながら一つ一つ確認していく。前を見ていなかった恭夜は他の客とぶつかってしまった。
恭夜「わっ……ご、ごめんなさい!」
カイン「ボクは大丈夫だ。キミの方こそ怪我はないか?」
恭夜「大丈夫……です」
カイン「そうか。それなら良かった……うん?」
恭夜「え~と、ななさんさんってどこにありますか?」
カイン「……おっと、部屋を探しているのか?『733』だったらボクの目の前にある部屋から二つ隣だ」
恭夜「ありがとうー!」
部屋の前に行くが鍵を持っていない。待ち伏せして母とサリーを驚かせるつもりらしい。
カイン「あの少年が唯城恭夜か。まだ子供ではないか……」
カインはエレベーターに向かうと母とサリーとすれ違った。母は会釈するがカインは返さない。
サリー「なぜあの人は頭を下げないのですか?」
母「誰にでも頭を下げるのは日本人だけだからよ」
都市部とあって人々は活発に動いている。歓楽街は大人達の社交場。子供一人見当たらない。窓ガラスから夜景を見下ろす恭夜は人々が行き交う光景に首を傾げる。
母は星宮夫婦と連絡を取るためロビーにいる。二人だけで留守番をしていた。
扉を叩く音がする。母が帰って来たと思いサリーが扉を開けるが誰もいない。
サリー「お母様?」
猫の鳴き声がする。サリーは見下ろすと子猫が潤んだ瞳でちょこんと座っていた。可愛らしい首輪がついている。
サリー「どこから来たの?」
子猫がすり寄ってきた。飼い主が困っているのでは?
サリーは子猫を抱き抱え扉を閉め忘れたままロビーに向かってしまった。
恭夜はソファに座りテレビを見ていた。閉め忘れた扉がゆっくりと開く。突然、部屋が真っ暗になった。恭夜はサリーがいたずらをしたと思い冷静を装いながら扉に向かう。
カイン「キミが唯城恭夜だろうか?」
恭夜「だ、だれ?」
カインはナイフを取り出した。
恭夜「ああっ!さっき会った人だ!」
カイン「驚いた。こんな暗闇でも判別出来るのか。だが、顔を覚えられたところでボクには関係ない」
恭夜「ぼ、ぼくを刺すの?」
カインは恭夜の首元を抑え壁に叩きつけた。呼吸に苦しむ恭夜は足をばたつかせる。心臓に狙いを定めナイフを突き立てた。
恭夜「だれか……たす……けて……」
カイン「慈悲深き魂よ、安らかに眠れ。汝に女神のご加護があらんことを――」
ナイフをじわりじわりと押し込んでいく。
恭夜「うぅっ!?」
赤黒い血が服に広がっていく。肉と骨を切り裂く。
恭夜「あっ……あっ……あっ……あっ……」
恭夜は死への恐怖と耐え難い痛みに顔を歪ませた。手足から抵抗する力が失われていく。心臓に到達したと確信するとナイフから手を離した。
意識を失い力なく倒れ死を見届けぬままカインは去っていった。
子猫をロビーに届けていたサリーが帰ると扉が開いてる事に気づいた。見知らぬ男の背中が見えた。血相を変え部屋に飛び込む。真っ暗の部屋から漂う血の臭いが鼻についた。廊下の明かりを頼りに恭夜の名を呼び続ける。返事がない。ソファの横から手が出ているのがうっすら見えた。
サリー「恭夜?またいたずらしようとしてるの?」
顔を確認してほっとしたのも束の間、心臓に刺さったままのナイフらしき物を見て背筋が凍りついた。
サリー「なに……なんなのこれ……!?」
恭夜に触れようと手を伸ばした。
サリー「恭夜……どうして……起きて……だれか……」
無意識にナイフを握る。ぼろぼろと涙が溢れた。抜こうとするが奥深くまで刺さっている。なんとか引き抜いた。
サリー「血が……恭夜が死んじゃう……お母様……助けて……」
恭夜「うぅぅ……」
サリー「恭夜?」
恭夜「……だれ?サリー?」
サリー「血が止まらない。早くしないと恭夜が……」
恭夜の心臓に手を当てると少しずつ意識が戻ってきた。
恭夜「すごくあったかいね。お姉ちゃんの手」
サリー「痛くない?もうすぐお母様が帰って来るから」
恭夜「あれ?痛くないよ。なんでだろう?ここに刺されたんだよ――」
恭夜は体を起こし胸の傷を調べている。サリーは悪質ないたずらだったのではないかと考えナイフを探し始めた。ちょうど母が帰って来た。部屋が明るくなり目が眩む。
室内に血溜まりがどこにもない。恭夜の服には確かに血がついている。最初こそ母は悲鳴を上げたが、すぐに我に返った。
母「ちょっと!いくら食べ足りないからってケチャップを飲むことはないでしょ!」
サリー「ち、違います!お母様、これは――」
恭夜「えへへ、ごめんなさい」
恭夜の側にはナイフではなく刀が落ちていた。