あにます。   作:tolpel

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第1話

 やや肌寒い朝の大気の中、大きめのキャスケットの鍔を少し下げる。

 眼鏡のブリッジを指で押し上げつつ、うつむき加減で正面から来る男性とすれ違う。

 狭い歩道の中、大きく半円を描くようにして男性を避ける。

 気分はまるで探偵か何かのよう。

 けして見つかってはいけないスリルが、彼女に程よい緊張感を与え、

 どこか本番直前の胸の高鳴りにも似た感覚を呼び起こした。

 

 赤いチェックのパーカーのポケットに両手を突っ込み、

 誰とも目を合わせないようにしながら、少し足早に。

 

 目的地に近づくに連れて、徐々に道行く人も増えてくる。

 黒いスーツ姿のサラリーマン、黒や紺の制服に身を包んだ学生たち。

 

 人混みの中に突っ込んだため、周囲を伺いながら歩くスピードを緩める。

 

 そうやって周りにペースを合わせて歩いていると、

 人の流れに溶け込んだような気がした。

 

 近くの人たちにぶつかってしまわないように注意をしつつ、

 今日のスケジュールを軽く頭の中で思い返す。

 確か、午前中はレコーディングを1本。午後から歌のレッスンと

 雑誌の取材が1本ずつ入っているが、午前のレコーディング次第では

 調整もあるかも…とプロデューサーが言っていた。

 そういえば、取材をしてくれる雑誌の名前を聞いていなかった。

 後で確認、と頭の中でメモ。

 

 「私達の新曲、聞いてください!」

 

 街頭スクリーンから聞こえた自分の声に思わずドキッとする。

 なんとなく気恥ずかしい思いをしつつ、立ち止まってスクリーンを見上げると、

 満面の笑みを浮かべて歌を歌う自分たちがいた。

 

 「ふわぁ…」

 

 思わずため息のような気の抜けた声が出てしまった。

 立ち止まった彼女を慌てて回避し、不機嫌そうに一瞥をくれて

 去っていくサラリーマンがいたが、彼女は全く気づかなかった。 

 

 彼女はその不似合いな伊達眼鏡の奥の大きな瞳が

 こぼれんばかりに目を見開き、まじまじとスクリーンを

 見つめていたかと思うと、ぎゅっと強く目を閉じ、何かをこらえるように

 腕を真っ直ぐ地面へと伸ばし、固く握りこぶしを握った。

 

 と、ついでその瞬間、まるで内側で何かが弾けたかのように

 彼女は走りだした。道行く人たちにぶつかり、そのたびに大きな声で謝りながら、

 それでもその声は喜色をにじませ、口元をどうしようもなく緩ませながら、

 彼女――天海春香は、彼女の所属する「765プロダクション」へと駆けていった。

  

 

 

 後方へと遠ざかっていく男性が、不審げにこちらを

 振り返ったことには気づかずに、彼女――天海春香は足早に事務所へと向かう。

 

 

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