時系列は、『続・爆焔』の後。
俺達が、アクセルの街近くの森の中に建っていた、ドネリー一族の屋敷に忍びこみ、モンスター召喚の証拠品である魔道具を盗みだしてから、数日が経ったある日の事。
すっかりクリスとの待ち合わせ場所と化している喫茶店にて。
「またハズレだったねえ……。無駄足踏ませちゃってごめんよ、助手君」
「いや、今回はめぐみんの敵討ちってのもあったし、良いって事ですよお頭。それに、これでドネリーを追いつめられるって、ダクネスも喜んでましたよ」
「そう言ってくれると助かるよ。いつもすまないねえ」
「それは言わないお約束ってやつですよ」
意外とノリの良いお頭は、笑いながらそんなバカなやりとりをしてから、困ったような表情を浮かべ。
「でも、本当にどこに行っちゃったんだろうね、あの神器は……。あたしの盗賊としての勘では、まだこの辺りのどこかにあるはずなんだけど。怪しい貴族の屋敷を宝感知で調べても反応がないし、ここらで大きな反応があるのは、アクアさんの羽衣くらいかなあ」
「あいつが女神だなんて何かの間違いでしょうし、取り上げるって言うなら協力しますよ」
「い、いやいやいや、何言ってんのさ助手君。アクアさんは女神の中でも凄く力を持っているし、あの羽衣はアクアさんが持っているのが一番良いんだよ! それに、あたしはアクアさんと敵対するなんて嫌だからね!」
「まあ確かに、前に羽衣を取り上げようとした時は泣いて嫌がってたし、仮面盗賊団として盗もうとしたら、抵抗されてどんなロクでもない事になるか分かりませんね。酒を飲ませて眠りこけたところを狙うのが良いと思います」
「取り上げないって言ってるじゃんか! ……まったく、キミってば本当に鬼だよね。あと、仮面盗賊団じゃなくて銀髪盗賊団だよ」
俺がその言葉を聞き流していると、クリスは席を立ち。
「とにかく、あたしはもうちょっと捜してみるよ。……それで、また貴族の屋敷に忍びこむ事になったら、助手君も手伝ってくれるかな?」
不安そうにそんな事を言ってくるクリスに、俺は力強く頷いて。
「分かってますよ。その時に予定がなくて、ターゲットの屋敷の警備があんまり厳重じゃなくて、気が向いたら付き合いますよ」
「結構条件が厳しくないかなあ! ねえ、これはキミにしか頼めない事なんだよ! この世界のために協力してよ!」
「平穏な生活を送りたい俺にそんな事言われても。あ、せっかく下部組織が出来たんだし、めぐみん達に強襲させればいいんじゃないですか?」
「あの子達は誰も盗賊スキルを持ってないから、盗賊団じゃなくて強盗団になっちゃうよ……。それに、アイリス王女に本当に犯罪をやらせたりしたら、あたし達がどうなるか分からないんじゃないかな」
クリスが青い顔をして、そんな事を……。
…………。
「……分かりました。俺が手伝うので、あいつらには絶対に何もさせないでください」
「――戻ったぞー」
「おかーえり!」
屋敷に帰ると、まだ昼過ぎだというのに、アクアが広間で酒を飲んでいた。
……真面目な方の女神が苦労しているというのに、こいつと来たら。
「ぷはー! この一杯のために生きてるー! ねえカズマ、どうしてもって言うなら、ちょっとだけお酒を分けてあげなくもないわよ? マイケルさんのお店のお酒は美味しいけど、一人で飲んでいても楽しくないし、一緒に飲まない?」
「昼間っから何やってんだよ、お前は」
「何言ってんの? 遅く起きてきたカズマさんにとっては昼間かもしれないけど、世間的にはそろそろ夕方って言っても良い時間帯じゃない。夕方って言ったらもう夜とそんなに変わらないし、お酒を飲んでも良いと思うの。それに、アクシズ教の教義、第七項を知らないの?」
「知るわけない」
「『汝、我慢をする事なかれ。飲みたい気分の時に飲み、食べたい気分の時に食べるがよい。明日もそれが食べられるとは限らないのだから』。……私は女神として、アクシズ教の教えを守っているだけで、誰かに文句を言われなきゃいけないような事はしていないわよ」
このまま酔って眠りこけるようなら、本当に羽衣を取り上げてやろうか。
「というか、お前、小遣いがなくなったって言って泣いてなかったか? その酒はどうやって手に入れてきたんだ? またセシリーに貢がれたのか? お前はアクシズ教徒の連中と関わるとすぐ面倒くさい事になるから、あんまり関わらないでくれって言ってるだろ」
「ちょっと、憶測でウチの子達を悪く言うのはやめてちょうだい! そういう風評被害がアクシズ教団の評判を貶めているんだから! このお酒はちゃんと私のお金で買ってきたんだから、カズマに文句を言われる筋合いはないわよ。ダクネスが、私のコレクションの石を買ってくれて、臨時収入があったのよ」
「お、お前、平然と仲間にたかるのはやめろよ。ダクネスの家は貧乏貴族なんだから、無駄遣いさせるなよな」
「無駄遣いじゃないわよ。一緒にお酒を飲んで、お互いの理解を深めるの。日本でも、飲みニケーションっていうのがあったでしょ?」
「飲んでるのはお前一人なのに何言ってんだ? 大体、飲みニケーションはアルハラとか言われてたくらいだし、飲みたくないのに付き合わされる方は堪ったもんじゃないぞ」
「一緒に飲もうってダクネスを誘ったのに、断られたのよ」
「そりゃ昼間っから酒飲もうなんて言われて、頭の固いダクネスがホイホイ釣られるわけないだろ。一緒に飲みたいって言うんなら、せめて夜までは待ってろよな。今のお前の姿を見たら、ゼル帝だって呆れるんじゃないか?」
「ゼル帝をダシにして脅かすのはやめてほしいんですけど! まったく、カズマさんったら、嫌がらせをする事にかけては悪魔にも負けてないわね!」
「おいやめろ。善良な俺と悪魔を比較して、しかも悪魔の方がマシみたいな事を言うのはやめろよな。あんまりふざけた事を言ってると、悪魔にも負けない嫌がらせをその身で受ける事になるぞ。具体的には、ここにゼル帝を連れてくる」
「……そういうところが悪魔よりひどいって言ってるんですけど」
誰かに文句を言われないといけない事はしていないと言っていたくせに、アクアはそう言って口を尖らせた。
*****
――翌日。
昼過ぎに起きだしていくと、広間には誰もいなかった。
めぐみんはこのところ、盗賊団の活動で出掛けている事が多いし、アクアはどうせウィズの店で茶でも飲んでいるのだろう。
ダクネスがどこにいるのかは分からないが、ここにいないという事は、どこかで忙しくしているのかもしれない。
ダクネスは最近、ドネリーを追いつめてやると言って、大喜びで駆けずり回っていた。
それも落ち着いたという話だったが、事後処理か何かがあったのだろうか。
そんな事を考えながら、台所に置いてあった料理を食べて空腹を満たしていると、屋敷のどこかから物音が聞こえてきて……。
「……?」
食事を終えてもまだ物音は続いていたので、聞こえる方へと向かってみると。
一つのドアの前に辿り着き。
「おいダクネス、いるのか?」
俺が、ダクネスの部屋のドアをノックし呼びかけると、部屋の中でガタンッと驚いて跳び上がったような音がして、息を潜めるように静かになった。
「……ダクネス? いるなら返事しろよ。何やってるんだ?」
何度も呼びかけてみるが、中から返事はなく。
物音はずっと聞こえていたし、俺の声に反応したようだったから、聞き間違いという事はないはずだが……。
…………。
いや、ちょっと待て。
国内で一番治安が良いというアクセルの街では考えにくい事だが、ひょっとして泥棒が入っているんじゃないのか?
部屋の中から物音は聞こえないが、敵感知に薄い反応がある。
と、俺がドアに耳をつけて物音に集中していた、そんな時。
「……んっ……!」
もう何度も聞いているから、俺が聞き間違える事はない。
ダクネスのちょっと興奮した時の声が……。
「こ、こら、声を出せない状況だというのに何を……! や、やめろお! 私はそんな事を望んでいるわけでは……! んくう……!? こ、こんな声をカズマに聞かれたら……!」
そんな、押し殺したダクネスの声が聞こえてきて。
俺は潜伏スキルで気配を消し、ドアに耳をつけて部屋の中に意識を集中する。
「……ま、待ってくれ。今は駄目だ。さっき呼びかけてきたし、カズマはまだ廊下にいるはずだ。あの、エロいくせに肝心な時にはヘタレな男が、こんな状況で部屋の様子を窺っていないはずがない。……んっ! だ、駄目だと言っているだろう! 私の言う事を聞け!」
ダクネスが、俺に聞かれないようにか、小声でそんな事を言っている。
……部屋の中に、ダクネス以外の誰かがいるらしい。
…………。
なんだろう? 別に俺は、ダクネスと付き合っているとかそんなんじゃないのに、なんとなくモヤモヤする。
自分でも面倒くさいとは思うが。
というか、あの真面目なダクネスが昼間っからそんな事をするだろうか?
「くっ……、こ、この……! やめろ、そんなところに触るな! んあっ! だ、駄目だ、きっとカズマが部屋のすぐ外で聞き耳を立てているに違いないのに……! そんな状況で抵抗空しくとんでもない目に遭わされると思うと……! ……んくうっ……!? い、いい加減にしろ!」
「うおっ!?」
ダクネスがいきなり大声を出すので、俺は驚いて跳び上がってしまい。
「カ、カズマ!? いるのか? やはりそこにいるんだな! は、離せ! 私はもう、特定の相手にしかなぶられたりしないと心に決めている!」
……よく分からないが、ものすごく流されそうになっていたくせに、こいつは今さら何を言っているのだろうか。
俺は改めて部屋の中に向けて。
「えっと、ダクネス? 昼間っから何やってんの? お前はそういうの、もっと恥ずかしがるもんだと思ってたんだが。ついに純情娘の仮面を脱いで、変態痴女として覚醒したのか?」
「き、貴様という奴は! 誰が変態痴女だ! 場合によってはその言葉だけで、侮辱罪を適用してやる事も出来るんだからな!」
「はあー? また実家の権力に頼るんですかお嬢様。お前、ドネリーの一件といい、最近はダスティネス家に頼る事に抵抗がなくなってきてないか? 昔は貴族の権力を行使するのは嫌いとか言ってたくせに、すっかり汚い貴族が板についてきたじゃないか。大体、変態痴女に変態痴女って言って何が悪いんだよ? 部屋の中に誰がいるのか知らないけど、この状況で言い逃れ出来ると思ってんのか?」
「ま、待てカズマ! 部屋の中にいる人間は私だけだ! そこは誤解しないでくれ!」
ダクネスは、焦ったようにそんな事を……。
「ほーん? じゃあドアを開けて部屋の中を見せてみろよ」
「!? い、いや、それは……」
「別に嫌なら良いよ。お前だって、自分の事は自分で判断できる年齢だし、付き合っているわけでもないのに俺が文句を言ういわれもないしな」
「ま、待て! 分かった、ドアを開ける。開けるが……、引かないか?」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、今にも泣きだしそうな、弱々しい声で。
俺は、そんなダクネスを安心させるように。
「安心しろ。俺はダクネスがどんなエロい事をしてても引かない自信がある」
俺がそう言うと、内側からドアの鍵が外され。
ゆっくりとドアが開いて。
部屋の中にいたのは、上気して顔を真っ赤にし、息を荒くして、日本のOL風の服を汗で肌に張りつかせたダクネスで。
そのダクネスの背後にいるのは……。
「うわ、気持ち悪っ! なんだよそいつは!」
一言で言えば、肉塊。
大人の背丈ほどもある、円柱状の肉塊のあちこちから、いろいろな太さの触手が何本も生えて、うねうねと蠢いている。
シルエットだけなら、枝が風に揺れる樹木に見えなくもないが……。
俺がその気持ち悪い生き物に、若干引いていると、ダクネスが恥ずかしそうに小さな声で。
「……ローパーだ」
ローパー。
名前だけなら、俺だって聞いた事くらいはある。
ゲームやなんかに出てきた、そこそこ有名な触手生物だ。
とはいえ、この世界の常識が、俺の知る常識と同じとは言いきれない事を、俺は嫌というほど思い知っている。
「それって、触手でエロい事するやつ?」
「……そうだ、触手でエロい事をするやつだ」
この世界のローパーも、触手でエロい事をするらしい。
なるほど、ダクネスが好きそうだ。
「実はこう見えて、植物に近いモンスターでな。地上をゆっくりと歩きながら、触手で辺りを探って、狭く湿り気のある、暖かい場所に種を植えつける。といっても、自然界にそんな都合の良い場所はあまりないから、種を植えつけるのは、生き物の体内にという事が多い。種を植えつけられた生き物は、やがて発芽とともに養分を吸い取られて死に至り、表面を覆われて、新たなローパーの芯になるんだ。増えすぎたローパーを駆除するために向かった冒険者が、返り討ちに遭ってローパーに種を植えつけられ、逃げようとするも触手に捕らわれ、やがて苗床にされる事例も少なくはない。例えば私が種を植えつけられたら、種が発芽するまで触手に捕らわれ、やがて発芽すると養分を吸い取られ、体力を奪われた私は抵抗も出来ず、少しずつ体中をローパーの皮膚に覆われていき、ついには顔まで覆われて呼吸も出来なくなり、新たなローパーの芯に……! ……ハアハア……!」
頬を上気させ、興奮気味に言うダクネスに、俺はドン引きしながら。
「そ、そうか。それで、そのローパーが、どうしてこんなところにいるんだ? モンスターなんだろ、危険はないのか? ていうか、街の中を連れてきたらさすがに騒ぎになっただろうし、この屋敷だって広間には誰かしらいる事が多いから、お前の部屋に連れてくるのも簡単じゃなかったと思うんだが。どうやってこの部屋まで連れてきたんだ?」
「そ、それは……。大丈夫だ。とにかく、危険はない。どうしてかは分からないが、こいつは私の言う事をよく聞いてくれるんだ」
なぜか自信ありげに請け合うダクネスに、俺は怪訝そうな目を向ける。
明らかに危険なモンスターだと思うのだが。
「いや、危険はないって言っても、さすがにモンスターを飼って良いとは言えないだろ。お前、一応は領主の娘なんだし、モンスターを退治する冒険者なんだぞ?」
「い、良いじゃないか! めぐみんはちょむすけを飼っているし、アクアにはゼル帝がいる。私だって、何かを飼っても良いはずだ!」
「だからってモンスターは駄目だろ」
「ちょむすけは邪神だし、ゼル帝はドラゴンだ。モンスターくらい、なんだと言うのだ」
「ちょむすけはどう見てもただの猫だし、ゼル帝はどう見てもただのひよこだろ。そいつはどう見てもモンスターじゃないか。危険はないって言われても信用できない。どうしてそいつはお前の言う事を聞くんだ? どれくらい聞くんだよ? そういや、さっき言う事を聞いていなかったみたいだったぞ? 本当に危険はないのか?」
「だ、大丈夫だと言っているだろう! もしも言う事を聞かなくなって、危険だという事が分かったら、私が責任を持って討伐する。私は頑丈だから触手の攻撃は効かないし、私の腕力なら素手で触手を引き千切れる。こいつの出す毒にも耐性があるから、正面から戦っても負ける事はない。だ、だからカズマ、頼む……! この頼みを聞いてくれるなら、お礼に、頬にキスを……」
「いやちょっと待て。お前、バカなの? お前の中では、そいつを飼う事はクーロンズヒュドラ討伐に匹敵するほどの事なの?」
呆れたように言う俺の手を両手で包み、ダクネスは頭を下げて。
「た、頼む……! なんでも……、なんでもするから……!」
「おいふざけんな。自分を安売りするのはやめろよな。ていうか、クーロンズヒュドラ討伐よりもローパーなのか? あの時の俺の頑張りを返せよ」
俺がそう言っても、ダクネスは俺の手を握る事も、頭を下げる事もやめず。
そんなダクネスの後ろでは、ローパーが触手をうねうねと蠢かせていて。
「……しょうがねえなあー。分かったよ、飼っても良いよ」
「本当か!」
根負けした俺はそう言ってしまい。
その言葉に顔を上げたダクネスは、本当に嬉しそうな、心の底からの笑顔を浮かべていて。
……早まったか?
クソ、言っちまったもんは仕方がない。
「ただし、俺達以外の目には触れないようにしろよ。街の中でモンスターを飼ってるなんて事が知れたら何を言われるか分からないからな。まあでも、冒険者ギルドには報告しておいた方が良いか。……屋敷の外に出るような事があったら、例外なくその場で討伐しろ。俺達の誰かに危害を加えた場合も討伐しろよ」
「分かった。約束しよう」
「それと、お前が寝てる間にどうにかされたら困るし、どこか別の部屋に閉じこめておいた方が良いな」
「わ、分かった。じゃあ、ジェスター様のために新しい部屋を……」
「ジェスター様ってなんだよ」
ダクネスがローパーを引き連れて、いそいそと空いている部屋へ行こうと……。
「なあ、こいつが通ったところ、粘液でぬるぬるしてるんだが?」
「……ん。ローパーは湿った場所を好み、常に全身から粘り気のある体液を分泌しているのだ。それに触れたり、気化した体液を吸ったりすると、毒や麻痺といったステータス異常を食らうから気を付けろ」
「めちゃくちゃ危険なモンスターじゃねーか! ふざけんな!」
「い、いや、それほど危険な毒ではないし、ウチにはアクアがいるからいざという時もなんとかなる。大丈夫だ」
「そりゃお前はなんともないだろうし、めぐみんはレベルが高いから大丈夫だろうけど、俺はステータスが低いし貧弱なんだぞ? 毒や麻痺を食らったら、何かの間違いでうっかり死ぬかもしれないだろ」
「…………カズマが死んでもアクアに蘇らせてもらえば」
この女!
「ふざけんなクソ女! お前の性癖のためなら俺が死んでも良いってか! そこまで言われて誰がそんな気持ち悪い生き物を認めるか! 却下だ却下! おいそこをどけ、そんな危険生物、俺がぶっ殺してやる!」
「や、やめてくれ! まだなんにも悪い事してないじゃないか!」
「すでにウチの廊下を危険な粘液でベタベタにしてるんだよ! そもそも、モンスターを飼おうってのが間違ってるんだ!」
「くっ、一度は飼っても良いと言っておきながらすぐに意見を翻すとは! 見損なったぞカズマ! 恥ずかしくないのか!」
「おまっ、どの口がそんな事言えるんだ! 自分の性癖のために仲間の命を危険に晒すようなド変態に、恥ずかしいとか言われたくねえ! 何が仲間の命を守るクルセイダーだ! こっちこそ見損なうわ!」
「……どうあってもジェスター様を討つというのなら、私にも考えがあるぞ」
ダクネスはそう言うと、廊下の真ん中でローパーの前に立ち、まるで俺達を守る時のように両手を広げて……。
「『デコイ』ッ!!」
囮になるスキルを発動させ、俺の前に立ち塞がったダクネスを、俺はどうしても無視する事ができず。
「まったく、お前ってなんだかんだバカだよな。バインドスキルがある俺にとって、一対一でお前を無力化するのなんて簡単なんだぞ? 部屋に行ってワイヤーを取ってくれば、お前なんか一発だ」
俺が笑ってそう言うと、ダクネスも笑って。
「残念だったなカズマ。いつかこうなると思って、事前にバインドに使えそうなロープやワイヤーは隠しておいた。お前は冒険者の道具をロクに手入れもしていないから気づかなかっただろう? バインドを使えないお前に、簡単にやられる私ではないぞ! ドレインタッチを使うには近づかなければならないし、フリーズやクリエイト・ウォーター、狙撃スキルでは私にダメージを与えられない! スティールで着ている物を奪ったところで、今の私を止められると思うな!」
「くそったれー!」
こいつ、だんだんせこい搦め手も使えるようになってきたじゃないか!
俺は、飛びかかってきたダクネスの攻撃をひらりと避けると、ダクネスの腕に一瞬だけ触ってドレインタッチを……。
「ふはは、レベルが上がり体力が上がった私に、そんなものが効くか!」
マズい!
ダクネスは不器用で攻撃が当たらないが、武器を使わなければ俺を捕まえる事くらいは出来る。
しかも、廊下は攻撃を避けて逃げ回るには狭すぎる。
逃げだして誰かに助けを求めようにも、階段はダクネスとローパーを挟んだ向こう側にあって……。
「なあダクネス、賭けをしないか?」
「断る!」
「……!? か、賭けだぞ? 勝った方が相手に何でも一つ、言う事を聞かせられるんだぞ?」
「いつもいつも、私がそんなものに乗せられると思うな! いくらお前が鬼畜でも、ジェスター様のように触手があるわけではない! ……だが参考までに聞いておこう。お前が勝ったら、私に何をさせるつもりだ?」
「そりゃあ口に出来ないような凄い事だよ! お前がごめんなさいって泣いて謝って、その後でさらにもう一度謝るような凄い事だ! 言っとくが、今回を逃したら俺は二度とこんな命令を出さないぞ! 俺が肝心な時にヘタレるのは知ってるだろ! 危険なモンスターを飼うかもしれないなんて状況でもなければ、こんな事は言わないだろうな!」
「ぐ、具体的に言ってみろ! 言え、お前は私に何をさせるつもりだ!」
「ふへへ、それはとてもじゃないがこの場では言えないな! さあどうする! お前が見こんだこの俺の、一世一代の凄い事を取るか? それともそんな触手モンスターを取るのか? お前、抵抗空しくとんでもない目に遭うのが良いんだって言ってなかったか? そんな、いつでも倒せるようなモンスターになぶられる振りをして、本当にお前は満足なのか?」
「くっ……! お、お前という奴はどこまでも私好みの……! だ、だが、今回ばかりは私も譲れん。触手モンスターが言う事を聞いてくれるなんて、きっと二度とない事だ。踊れって言ったら踊ってくれたし、タオルを取れって言ったら粘液でぬるぬるになったが取ってくれた! 可愛いところもあるんだ! そんなジェスター様を、見す見す殺させはしない!」
……なんだろう? よく分からない敗北感があるのだが、まったく悔しくない。
アクアといいこいつといい、俺と敵対する時ばかり奮起するのはやめてほしいのだが。
「……ようやく捕まえたぞ! さあカズマ、ジェスター様を殺さないと約束してくれ!」
狭い廊下では思うように避けられず、ついにダクネスに捕まり、腕を取られて取り押さえられた俺は。
「そんな約束、誰がするか! お前、ここからどうすんの? 俺の骨でも折るつもりか? その危険生物を飼うために、仲間を脅すのかよ! それが仲間の命を守るっていう、高潔なクルセイダーのやる事か!」
「そ、それは……! いや、そうだ。賭けだ! 私は勝負に勝ったのだから、お前は何でも一つ、私の言う事を聞いてくれるのだろう? ジェスター様を飼う事を認めてくれ!」
「お前、賭けに乗るなんて一言も言ってなかったじゃないか! 勝ってから賭けを持ちだすなんて卑怯だぞ!」
「なんとでも言え! もうなりふり構っていられるか!」
こんなのが大貴族の令嬢。
ベルゼルグ王国はいろいろと大丈夫なのだろうか?
俺は、首を捻ってダクネスの顔を見ながら、ニヤリと笑い。
「言ったな? 賭けに乗るんだな? それで良いんだな? 言っとくが、俺はまだ負けを認めてないぞ」
「……? な、何を言っているんだ。この状態からお前に出来る事など……!」
「なあダクネス、俺達って、結構何度も戦ってるよな? 俺はドレインタッチを使ったり、賭けを持ちだしたりして、毎回卑怯な手を使ってお前に勝っているが、今日は事前にバインドを封じたり、賭けも跳ね除けて、お前はようやく俺に勝てそうなわけだが、今どんな気分だ? 散々手玉に取られてきた相手を、正面から倒して、少しはスカッとしたんじゃないか?」
「な、なんだ? 何を言うつもりだ? ジェスター様を殺さないと言うまでは、私はお前の言葉に耳を貸さん! 何を言おうと無駄だぞ!」
無駄だと言いつつ不安そうにするダクネスに、俺はぼそっと。
「……そんな、念願が叶った時に、守っていたはずのジェスター様が、触手を伸ばしてきたりしたら、どんな気分だろうな?」
さっきも、声を出せない状況で、ローパーはダクネスの言う事を聞いていなかった。
つまり、あのローパーはダクネスの心の中のエロい願望を聞いているわけで。
日頃から、モンスターに負けていろいろされたいと願っているダクネスが、この状況で何を考えているかと言えば。
「そ、そんな……! そんな屈辱的な展開を私が望むとでも、おお、思っているのか! ひ、卑劣な敵の罠に掛かり、守っていた者になぶられるなど、そんな……、そんな……!? ああっ、ち、違う! やめろお! 私はそんな事望んでいない! あっ、触手が! 粘液が! …………んくうっ……!!」
俺を押さえつけていたダクネスは、触手に捕らわれ、粘液まみれになりながら。
「だ、だが、私もまだ負けを認めたわけではないぞ! さっきも言ったが、私なら、こんな触手くらい引き千切る事が出来る!」
「でも今の状況って、触手プレイも出来るし俺との賭けに負けて言う事を聞かないといけないし、お前の願望を満たしてるんじゃないか?」
「!?」
その言葉に、触手に抵抗しようともがいていたダクネスが、ぴたりと動きを止め。
ダクネスの心の中の願望に応えているらしいローパーの触手も、その瞬間、うねうねと蠢くのをやめていて……。
俺は立ち上がり、痛む手や肩をさすりながら、驚愕の表情を浮かべるダクネスに。
「それに、緊急事態ならともかく、いつでも逃れられるような状況で、お前はそいつの触手を引き千切れるのか? 責められたり攻撃されたりしても、守るべき者を守る、それが高潔なクルセイダーってもんじゃないのか? むしろこの状況は、高潔なクルセイダーだからこそ、負けても仕方がないとすら言えるんじゃないか? そう、仕方がないんだ。負けても仕方がないんだ」
「ま、負けても仕方がない……!」
まるでダクネスの心のざわめきを表わすように、ローパーの触手がうねうねと蠢いて。
「俺だって鬼じゃない。お前の大事なジェスター様を、今すぐに殺すなんて言わないさ。確かにこいつは危険なモンスターには違いないが、お前の言う事を聞くってのは本当らしいしな。今、お前が負けを認めるなら、一日くらいなら触手プレイを味わっていても良いんだぞ?」
「一日くらいなら……!」
まるでダクネスの心のざわめきを表わすように、ローパーの触手が……。
…………。
なんか、犬の尻尾みたいな事になってるが。
「くっ……! こ、この状況……、ジェスター様を通してカズマに責められていると言えるのでは……? カ、カズマが……、カズマが私に触手責めを……!」
「おいやめろ、人聞きの悪い事言うなよ。お前は俺をなんだと思ってるんだ? もうなんでもいいから負けを認めろよ」
「わ、私は、欲望に屈したりは……!」
「分かってる分かってる。お前は欲望に屈したんじゃなくて、クルセイダーとして当たり前の事をしただけだよな。仕方がないんだよ、これは仕方がない事なんだ」
「…………わ、分かった……。負けを認める……! 賭けはお前の勝ちだ。そ、それで、私に何をさせるつもりだ! 例えどんな辱めを受けようと、私は……!」
喜んでローパーの触手に絡まれながら、期待に満ちた表情でそんな事を言ってくるダクネスに、俺は。
「クリスに今回の一件について事細かに説明してこい」
「かっ……、勘弁してください! それだけは許してください! クリスにだけは……! クリスにだけは……!!」
*****
俺がクリスを呼びに行き、屋敷に戻ってくると。
ダクネスは部屋に引き篭もっていて……。
「ダクネス、来たよー? ……ねえ、なんか泣いてる声が聞こえる気がするんだけど、キミ、ダクネスに何をやったのさ?」
事情を説明するのはダクネスの役目なので、クリスにはダクネスが呼んでいるとしか言っていない。
俺は、責めるような目を向けてくるクリスに。
「細かい事情はダクネスに聞いてくれ。まあ、ドアを開ければ大体分かるだろうけどな。……クリスは盗賊なんだし、解錠スキルで開けちゃって良いぞ」
「駄目だよ! 親しき中にも礼儀ありって言うじゃんか! ダクネス、開けてよ。あたしだよ、クリスだよ」
「ク、クリス……? 本当に呼んできてしまったのか……」
部屋の中から、ダクネスの落ちこんだ声が聞こえてきて、クリスの俺を見る目が厳しくなってくる中、俺は平然と。
「言っとくけど、俺は被害者だぞ。ダクネスはしばらく開けてくれないだろうし、事情が知りたければ解錠スキルを使うしかないんじゃないか」
「なんだかカズマ君に踊らされている気がするんだけど……。ダクネス、開けるよ? 駄目なら駄目って言ってね?」
クリスが解錠スキルでドアの鍵を開けると。
ゆっくりとドアが開いて。
部屋の中には、ベッドの上で膝を抱えているダクネスと、そのダクネスの頭を、慰めるように触手で撫で回しているローパーが……。
「ななな、何!? モンスター!? ダクネスに何やってんのさー!」
激昂しローパーに飛びかかろうとしたクリスの前に、ダクネスが素早く立ち塞がり。
「待ってくれクリス、こいつは私達に危害を加えない。モンスターだが、私の言う事を聞いてくれるんだ」
「モンスターが言う事を聞く? それって……」
ダクネスは、ローパーの粘液まみれの頭で、どこか吹っ切れたように。
「すまないが、事情を聞いてもらえるだろうか」
――ダクネスから事情説明を受けたクリスは、頭を抱えて。
「……キミ達、何やってんの?」
「ううっ……。す、すまない……」
呆れたようなクリスの言葉に、ダクネスが気まずそうに目を逸らす。
「いや、俺は何もしてないだろ? 俺はただの被害者だぞ」
「ダクネスが説明している間、横から茶々を入れたり質問したりしてたじゃないか」
それは、ダクネスが話したくない部分を曖昧に濁そうとするので、俺が行動に至った動機や事情について、事細かに聞きだしていただけなのだが。
別に恥ずかしそうに話すダクネスを見て、ちょっと楽しかったわけではない。
「でも、どうしてモンスターがダクネスの言う事を聞くんだろう? ねえダクネス、こいつって、どこから捕まえてきたの? ローパーは植物に似た生態のモンスターだし、飼い馴らして人間を襲わないように教えるなんて、無理だと思うんだけど」
「なぜ私の言う事を聞いてくれるのかは、私にもよく分からないが、アクアに売りつけられた石に触れていたら出てきたんだ。おそらく、カレンが持っていたような、モンスターを召喚する魔道具だったんだろう」
…………。
俺とクリスは顔を見合わせ。
「いや、ちょっと待ってくれ」
「ダクネス! その石って、今どこにある?」
「どこにと言われても。こうして懐に入れているが……」
焦ったように聞くクリスに、ダクネスは困惑したように石を取りだし。
それを見たクリスは、呆然と。
「神器だこれ」
ランダムにモンスターを召喚し、対価も代償もなしに使役する事が出来るチートアイテム。
かつて悪徳貴族、アルダープが持っていたというその神器は、クリスの手で回収され。
誰にも見つけられないようにと、クーロンズヒュドラが眠っていた湖の底に沈められていたのだが。
いつの間にか、何者かの手によって持ち去られていて……。
…………。
「……なあダクネス、アクアに売りつけられたって言ってたけど、アクアはそれ、どこで手に入れたとか言ってなかったか?」
「……冒険者ギルドに頼まれて、クーロンズヒュドラがいた湖やその周辺を浄化している時に見つけたと言っていたな」
……もうあいつを湖の底に封印したら良いんじゃないかな。
「…………ッ!!」
声もなく崩れ落ちたクリスの頭を、慰めるようにローパーが触手で撫でていた。
・ローパー
そこそこ有名な触手生物。このすば世界では存在を確認されていないので、生態は独自設定。