学園黙示録×瀕死のライオン   作:oden50

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#1st day①

 清田武(きよたたけし)三等陸曹は、長い足を胸の前で抱え、何とかして操縦席のすぐ後ろの機体両側面の窓に据え付けてある、それぞれのMINIMI軽機関銃に取り付いている二名の機上整備員の間に収まろうとして懸命に縮こまっていた。

 整備員達が窮屈そうに身動ぎする度に、清田はばつが悪かった。

 清田の他には十名の隊員がUH-60JAの兵員室(キャビン)に乗り込んでおり、全員が重装備に身を包んでいた。

 清田も例外ではなく、積層セラミックの装甲板を身体の前後に挿入した防弾ベストの上に、武器弾薬を可能な限り収納したタクティカルベストを着込んでいた。

 ごてごてと大量の装備を身に付けているので、縮こまろうとしても、ただでさえ大柄な清田が閉める容積は大して変わらなかったが、他の全員も同様なので少しでもそうしないと狭いに兵員室には収まり切りそうになかった。

 頭に被った空挺仕様の八八式鉄帽と自衛隊迷彩の防暑戦闘服を除けば、清田の格好は一般的な陸上自衛官からすれば考えられないようなものだった。

 暗視装置を取り付ける為のアタッチメントが前額部に追加された鉄帽を被り、後頭部には赤外線ストロボライトがベルクロ―マジックテープのこと―で固定され、両側頭部にはIRライトとフラッシュライトが取り付けてあった。

 顔は十二番径のダブルオーバックまでなら完全に防弾可能な曇り止め防止のターボファン付きタクティカルゴーグルと、耐火繊維のフェイスマスクで隙間なく覆われ、その素顔は少しも窺い知れない。

 プレート挿入式の防弾ベストの上に大量の武器弾薬と装備を収納したタクティカルベストを着込み、腰に巻いた弾帯にもマガジンポーチを兼ねる四個の大容量ポーチ、ダンプポーチ、二個のキャンティーンポーチ、バットパックを装着していた。 

ズボンのBDUベルトからはUSPタクティカルを収納してあるレッグホルスターと、数種類のポーチを装着したレッグパネルを吊り下げており、それぞれの大腿部にファスティックベルトで固定してある。

 骨伝導ヘッドセットと咽頭マイクのコードは左脇腹のポケットに収納してある個人携帯無線機と繋がっている。

 あまり必要となる機会はないかもしれないが、右脇腹のポーチにはガスマスクも携行していた。

 肘から前腕、膝から脛は防弾素材の防具に覆われ、予備の装備や武器弾薬類を可能な限り詰め込んでパンパンに膨らんだデイパックを背負っていた。

 これは清田がチームの中では一番体格が良く、強靭な足腰を備えているという理由によるものと、主にバックアップを担当しているからであった。

 人並み以上の大柄なガタイでは前衛(ポイントマン)には向かない。閉所に突入する際、でかい図体が邪魔になる事があるからだ。

 携行している火器も自衛隊正式採用の八九式小銃ではなく、H&K HK416にサウンドサプレッサー、グレネードランチャー、室内戦にも対応する為に上部にダットサイトを追加されたACOGサイト、レーザーサイト、フラッシュライトを装備した代物であり、弾倉は通常の三十連箱型弾倉ではなく、百発も装填可能なCマグと呼ばれるドラム型弾倉を装着していた。

 小銃に装着したサプレッサーは銃声に慣れていない民間人をいたずらに驚かさない為だ。派手な銃声によって混乱した素人が何を仕出かすか予測がつかないという理由による。

穏便に済ませられるのであればそれに越したことはない。

 右大腿部のレッグホルスターにはサイレンサーを装着可能なように銃口に捻子を切ってある、9mmパラベラム弾仕様のUSPタクティカルを収納してある。左大腿部には数種類のポーチを装着したレッグパネルをファスティックベルトで括り付けてある。

 その他にはドアブリーチングと制圧火器としての目的を兼ねた、フラッシュライトを装着したケルテックCNC製の散弾銃、KSGも携行していた。

 清田は一人で戦争をしに行くような格好で、まさに重武装(ヘヴィメタル)の復讐者、一人軍隊(ワンマンアーミー)のようだった。

彼の物々しい姿は今回の標準作戦手順(SOP)に則ったものだ。尤も、これほどの武装と装備ですら今起こっている緊急事態に対応出来るか如何かは清田には解らなかった。

 手榴弾と弾薬を棘のように身に纏い、分厚い防弾ベストを着込み、灼熱の鉛弾を吐き出す銃火器を握り締め、任務に心臓を高鳴らせる士気の高い隊員が揃っていようとも、この事態は人の手に余るものがあった。

 ドアが開け放たれた兵員室からは、機体の後方に早送り映像の様に高速で過ぎ去っていく床主市の街並みを眺める事が出来た。

 穏やかな春の日だった。

 陽は既に高く、柔らかな陽光が機内に射し込んでいた。装備を重ね着した隊員達にとっては汗ばむ程の陽気だが、臭いを除けば排気ガス混じりの吹き込む強い風が心地良い。

 UH-60JAの幾らか後方を、大型輸送ヘリのCH-47JAが飛行していた。

 清田は、これがよくある春の日の午後の訓練風景としか思えなかった。兵員室を見渡せば、そこにいるのは見慣れた同僚達がいる。

皆一様に重装備に身を固め、まるでロボットのようで誰一人として人間じみてはいない。

 全員が程良く緊張し、程良くリラックスした最高の精神状態にある。それは既に一つの実任務を遂行させたからだろう。

長年、表舞台に出る事の無かった特殊作戦群が、その存在意義を証明できたという事実は大きい。

 防弾繊維の皮膚に隠された五感は研ぎ澄まされ、肉体と精神には充分に爆発的なエネルギーを溜め込み、自信に満ち溢れている。疲労は感じているが、コンディションは悪くない。全員がプロフェッショナルであるという矜持を備え、どのような状態の任務でもやり遂げる、という強い意志を宿した瞳がスモークレンズの下でぎらついているだろう。

 それは清田にとっては見慣れたものだった。

 しかし、眼下に広がる市街地の様子を見れば、それが間違いである事に気がつく。街の至る所では黒煙が立ち上り、交通量の多い道路では事故を起こした車で溢れ返っている。

 人々は逃げ惑い、戦慄し、暴動が起こり、打ち捨てられた死体が散見された。街のそこかしこが阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わり果て、春風に乗って人々の悲鳴が聞こえてくるのではないかと思えた。

 一体、日本は、いや、世界はどうなってしまったんだ―不意にこれからの不安が胸中に芽生えたが、清田はすぐにそれを握り潰し、頭を任務へと切り替えた。

 まずは目の前の事だけに集中するんだ。それから世界の行く末を案じればいい―尤も、自分一人が世界の今後を憂いた所で、この破滅的な出来事を如何にか出来る訳ではない。

 考えるだけ、心配するだけ無駄だ。

 左手首の内側に巻いた、カシオ製プロトレックに目を遣った。もうそろそろだろう。否応なく高まる緊張を緩めるように少しだけ大きく息を吸い、ゆっくりと時間を掛けて吐き出した。

 

「DOP(降下地点)を目視した。あと三分だ」

 

 背後から不意に声を掛けられた。

 班長の須崎輝美(すざきてるみ)陸曹長だ。須崎は清田の更に後ろにおり、二つの操縦席のやや後方から首だけを前に突き出し、パイロットの操縦の邪魔をしないように、操縦席からの状況を観察していたのだ。

 清田は指を三本立てて兵員室の隊員達に合図した。合図をしなくとも、全員が既に承知していた。

 一斉に機内で小銃の槓桿が引かれ、遊底が弾倉上端の第一弾をくわえ込み、薬室へと送り込んで閉鎖される。精密な機構が奏でる小気味良い金属音が唱和した。

 小銃は眠りから目覚め、安全装置を外せば何時でも撃てる状態だ。銃身下部に装着してある擲弾発射器、右脇腹にワンポイントスリングで吊してある散弾銃、レッグホルスターの拳銃は既に薬室に弾薬が装填されており、安全装置を掛けてあった。

 清田が前進に身につけている戦争機械がその時を待ち詫びていた。そして、彼自身もまた、一個の戦争機械として再び息つく瞬間を望んでいた。

 また、あの瞬間が来る。あの瞬間が来るんだ―清田は最後の精神統一として目を閉じ、鼻から息をすっと吐き、そして再び目を開いた。

 兵員室の開け放たれたドアから望めたのは、学校のだだっ広いグラウンドだった。そこでは高校生と思しき生徒達が逃げ回っており、そして逃げ遅れた何人かは―清田は思わずその惨劇から目を逸らした。

 数時間前に目の当たりにした光景だが、直ぐに慣れる訳ではない。精神衛生上、よろしくないものを見ずに済むのであればそれに越した事はない。

 唐突に機体が右に傾いた。清田は機体の進行方向に背を向けて座っているので、正確には機体は左に傾いていた。そしてそのまま降下せず、左に緩やかに旋回して学校上空を飛行し、着陸地点(ランディングポイント)の選定に入った。

 校舎の屋上には両端に出入り口の建物が大小二つあり、その間はかなり広い空間となっている。大型の双発ヘリコプターである、後続のCH-47JAでも何とか着陸可能だろう。

 尤も、接触するほどの高さがないとはいえ、転落防止用のフェンスがローターの回転範囲内にあり、普通、接触の危険性があれば少しでもあればその時点で着陸するべきではないが、今はそのような悠長な事は言っていられない。加えて、特定建築物に指定されている学校建築物は耐震性の面からもかなり頑丈に設計されているものだが、流石に屋上に軍用ヘリコプターの着陸を想定している訳ではない。

 十トンを優に越える機体がそのまま着陸すれば、その重さに耐えきれずに屋上が崩落する可能性は充分にある。故に着陸は、屋上に完全に重量を掛けず、ローターを回転させたまま抜重した状態でする必要があるだろう。無論、そうやって留まっているだけで燃料を大量に消費し、神経を擦り減らしながら機体を操るパイロットの負担は倍加する。

 小さな建物はその上部構造にドーム状の屋根を持つ小さな施設が建てられており、階段で昇る事が出来るようだった。

 ブリーフィングにあった通り、あれが天文台なのだろう。有名私立校らしく、施設は充実しているようだ。だが、その階段には今は長机のバリケードが設置されており、天文台への出入りは封鎖されている。

 須崎もそのバリケードの存在には気付いている様子で、兵員室の左側の出入り口にいる隊員によく観察するように命じた。隊員はユーティリティポーチから小型双眼鏡を取り出し、封鎖された天文台に向けた。そして直ぐに三名の生存者の姿を発見し、須崎に報告した。

 須崎はパイロットと何やらやり取りをし始めたが、頭上で連続出力一六六二馬力のT700-IHI-401Cエンジンが二基も唸りを上げていれば聞き耳を立てても聞く事は出来ない。

やがて骨伝導ヘッドセットを通じて全員に須崎の声が聞こえてきた。

 

「DOPに複数の脅威が確認された。それを排除しない限り、着陸は出来ない」

 

 須崎は兵員室後部の左側にドアガンとして据え付けられている、ブローニングM2重機関銃の傍にいた隊員に目配せをした。

 隊員は重機関銃の重い槓桿を一度引いて半装填、二度と引いて全装填し、金属弾帯(ベルトリンク)式の一二.七mm×九九徹甲炸裂焼夷弾を薬室に送り込んだ。小銃のそれとは比べものにならないほど重厚な金属がぶつかり合う。

 

「校舎の傍まで高度を下げ、ドアガンで屋上を掃射し、脅威を排除した後に着陸する」

 

 須崎がパイロットに高度を下げるように指示すると、UH-60JAのローターが軋むような音を立てて高度が緩やかに下がり始めた。緩やかとはいえ、それはエレベーターよりもずっと早く乱暴に降下したので、清田は臓腑が落ち込むような感覚を味わった。

 やがて機体は機体は左側面を校舎に晒して横付けするようにしてホヴァリング飛行に移った。

 兵員室からは屋上を若干見下ろす形となっていた。そこで漸く、清田は屋上で徘徊する脅威の姿を仔細に見て取れた。

既に数時間前に床主空港で目の当たりにしていたが、その惨たらしい異形の姿に思わず息を呑み、瞳孔が広がるのを感じた。

 彼らはこの学校の生徒だった。彼らの誰もが、身体の何処かを大型の肉食獣に喰い千切られたかのように酷い重賞を負っていた。中には破れた腹腔から内臓が零れ落ちている生徒もいたが、まるで気にした様子もなく、虚ろな表情のまま臓物を引きずり歩き、地面に血糊をべったりと付着させていた。

 点々と落ちている赤黒い肉片は、恐らくその生徒の落とし物だろう。かつては自分の生命を駆動させた重要な部品だが、今となっては必要ないので全く気にしている様子はなかった。

 彼らは人間ではなかった。それどころか既に死亡している。しかし、現実に彼らは歩き回っていた。生命の永久不変の真理を超越して、死者が動き、更に彼らは死んでいてそうする必要が皆無であるというのに、生者の血肉を求めて彷徨していた。

 清田には性質の悪い冗談としか思えなかったが、これが紛れもない現実なのだ。世界は、今日という日を境に全く別のおぞましい何かへと変貌を遂げていたのだ。

 だが、世の中を人喰いゾンビが闊歩しようとも自分達のやる事に変わりはない。それだけは間違いなく確信に足り得る事実だ―清田を含めたこの場にいる全員がそう心得ていた。

 だからこそ、恐慌をきたすことなく、冷静に己の職務を果たそうと全力を尽くせた。やるべき事を心得ていれば、訓練と同じように出来る。たとえ家族や友人の事が気掛かりでも、自分達は自衛官であるという自覚を忘れる事はない。

 

「よし…制圧しろ」

 

 須崎が射撃命令を下した。

重機関銃を操作する隊員は、既に安全装置を切り、手近な生徒に照準を合わせていた。

 その命令と同時に、隊員はM2重機関銃のバタフライトリガーを両手の親指で押し込んだ。直後、畳針の如く太く頑丈な撃針が、薬室に収まる重機関銃弾の雷管を叩いた。

 間近で聞けば砲声と何ら遜色のない、腹の奥底を震わせる鈍い響きと共に、重い銃声が咆哮した。その発砲音は削岩機のように重く、ずしりとくるものだった。

 音速の約四倍という初速で撃ち出された大口径重機関銃弾は、文字通り人体を真っ二つに引き裂き、そして瞬時に炸裂した。

 脆弱な有機質の塊を粉砕するには途方もない運動エネルギーだけで充分すぎたが、弾頭に僅かながら充填された炸薬が更に拍車を掛ける。ホヴァリング射撃については、三十発撃って三発当たれば充分とされるが、たった一発でも殺し過ぎ(オーバーキル)な威力の徹甲焼夷榴弾が数発、“元生徒”を一瞬で原型を留めぬほど破壊し尽くした。

 清田は“元生徒”の肉体が挽き肉と血飛沫に変わる一部始終を見て、絶対にこの猛獣のような重機関銃に、対装甲用の銃弾を撃たれたくはないと思った。

 次々と短連射を放つと、反動で銃身が小刻みに前後退し、マジックペンほどもある巨大な空薬莢が幾つも硝煙を燻らせながら兵員室の床に転がった。排莢孔から焼け付いた薬莢が弾き出される度に、屋上に挽き肉と血飛沫が、コンクリートを砕きながら飛散する。

 絶対的な破壊に彼らは無頓着で―そもそも既に死んでいるので自身の肉体が滅茶苦茶に破壊されるのに関心がないのかもしれない―、むしろエンジンとローターが撒き散らす爆音に引き寄せられるようにして屋上の縁に近付いてくるので、操作の難しいM2重機関銃でも簡単に命中弾を送り込む事が出来た。

 あっという間に屋上の脅威は全て排除され、代わりに目に見えない巨大なミキサーで粉砕されたかのような肉塊がそこいらに散らばっているだけだ。肉片の焦げ付いた臭いに思わず清田の胃が窄まった。

 須崎がパイロットに脅威が完全に排除された事を伝えると、機体はそのままホヴァリングしながら横滑りし、やがて屋上へと着陸しようとする。

 ファストロープによる懸垂降下は実施しなかった。その方法による展開は確かに迅速だが、機外に垂らしたロープを切り離すか引っ張り込む必要がある為、どうしても機体の離脱に多少の時間が掛かってしまう。また、ロープを切り離した場合、後続のCH-47JAが屋上に着陸する際にそれが邪魔となる可能性があり、無用な事故を引き起こすかもしれない。また、ファストロープをは使い捨てるには勿体無い器材であり、この状況下ではいつ補給されるかも分からないし、切り捨てたロープを回収する暇があるとも限らない。

 それら諸々の理由を鑑みて、清田達は機体が屋上から一メートル程の高さで静止すると次々と飛び降りた。その方法が最も簡便なものだった。

 最後に班長の須崎が機内に誰も忘れ物をしていないのを確認してから飛び降りた。UH-60JAは屋上に完全に着陸する事なく、隊員達を降ろすと直ぐに甲高い唸り声を上げて急上昇し、上空を旋回し始めた。

 屋上に降り立った隊員達は直ぐに放射状に展開し、全周を警戒した。清田は屋上にある二つの出入り口のうち、上部構造にドーム状の屋根のある建物の方に展開し、片膝を着いて周囲に目を走らせた。

 まだ作戦は始まったばかりだが、清田は不思議とすっかり落ち着いている自分に少し驚いていた。数時間前とはいえ、既に実戦を経験しているからだろうか。

 だからだろうか。目の前に転がる、胸から上だけになっても動き続ける“元生徒”の肉塊に心が砕ける事はなかった。その肉塊は、虚ろな目で清田を見つめ、口をパクパクとさせていた。声を絞り出そうとしても、横隔膜と呼吸器系の全てがズタズタに引き裂かれ、身体の裂け目からは肉の切れ端がビラビラとはみ出していた。

 血と糞尿、人間の体内に詰まっているあらゆる有機質が混ざり合った臭いに、思わず熱い塊が食道までせり上がってきたがなんとか堪え、飲み干した。胃液の苦さと食道の焼けるような感覚と、これから先、何度も吐き気を堪えなければ場面に遭遇するのかと思うと気が滅入った。

 

「当初の予定通り、清田、浜本の両名はDOPの確保及びヘリの誘導。残りは二個強襲班に別れて対象の捜索を行う」

 

 全員が素早く、且つ統制された動きで行動した。清田は吐き気を堪えながら、マンパック型の携帯無線機を背負った通信担当の浜本勝昭(はまもとかつあき)二等陸曹と共に屋上に残り、その他の隊員は須崎に率いられて四名編成の二個班に別れ、屋上の二つの出入り口からそれぞれ屋内に突入した。

 

「清田、お前は天文台の生存者の様子を調べてこい。俺はヘリの誘導をする」

 

 浜本は清田に指示を下すと、背負った携帯無線機に繋がったインターコムに向かって上空で待機するCH-47JAのパイロットと連絡を取り始めた。

 

「了解」

 

 清田は片膝から立ち上がるとローレディの銃姿勢で天文台へと駆け寄り、階段を一気に駆け上がった。動く度に胃が悶え、胃液臭いげっぷが出そうになった。だから清田は、終始歯を食い縛らなければならなかった。

 バリケードの長机の表面は、血が付着し、引っ掻き傷も刻まれていた。ヘリで上空を旋回中、人喰い死体と化した生徒達が立て篭もる生存者の血肉にありつこうと群がっていたのは清田も確認していた。

 清田は小銃を水平に据銃し、しっかりと銃床(ショルダーストック)を肩付けしてダットサイトを通して照準し、バリケードの隙間から覗か中の様子を窺ったが、生存者達の姿は見えない。直ぐに右に折れた通路の先、天文台の陰にいるのだろう。

 だが、何やら言い争う声は聞こえた。それは切迫した声音であり、生存者達が急を要する事態にある事は察せられた。

 

「自衛隊です! 救助に来ました! 今すぐバリケードを退かして下さい!」

 

 そう怒鳴ったが、彼らは清田に構わず、言い争いを止める気配はない。強硬手段を取らざるを得ない、と清田は逡巡する事なく決断した。

 

「こちらからバリケードを破ります」

 

 清田はそう警告を発してから、渾身の力を込めて長机に前蹴りを放った。この程度の障害を破るのに、右脇腹に吊り下げている散弾銃を使う必要はなかった。

 体格に恵まれた隊員の多い特殊作戦群の中でも特に大柄な清田が放つ、頑丈なタクティカルブーツの一撃は、脆い合板の机板に大穴を穿ち、アルミ材の骨組を何本もへし折った。しかし一撃では壊れず、何度か蹴り、最終的には強烈な体当たりをぶちかましたが、それでもバリケードの粉砕には至らなかった。

 注意深く観察すると、長机の足と手摺りがセロテープでがっちりと固定されていた。清田は刀身が分厚く長い、ストライダーナイフをレッグパネルに固定されている鞘から抜き、テープを切ると再度体当たりをしてバリケードを吹っ飛ばした。

 派手な音と共にバリケードとなっていた机や椅子が吹っ飛び、清田は天文台へと足を踏み入れ、油断なく小銃を構えたまま通路を右に曲がり、生存者達の言い争いの場に踏み込んだ。

 男子生徒が一名、血の気の失せた顔で力無く手足を投げ出して仰向けになって横たわっていた。顔を横に向け、顔面の穴という穴から血が流れ出ており、それが顔の傍でどす黒い血溜まりを作っていた。

 既に手遅れだ―男子生徒の様子を一目見るなり、清田はそう判断した。

 その特有の症状から、彼は発見するよりも前に感染者に噛まれており、屋上に降下する間に死亡したとみて間違いないだろう。程なくして彼は生者の血肉を求めて彷徨う亡者となって蘇る。今すぐにでも“処置”しなければならない。

 他には、手に金属バットを持った男子生徒と、彼に縋り付きながら何事かを必死に訴える女子生徒がいた。

 最初に清田の存在に気付いたのは男子生徒だった。顔を上げ、清田の姿を認めると少し戸惑ったような表情を浮かべていた。

 自衛隊が救助に来て、安堵しているという訳では無さそうだ。少し遅れて、女子生徒も振り返り、清田の存在を認識した。

 

「自衛隊です! 救助にきました! 直ぐにそこの彼から離れなさい!」

 

 清田は声を張り上げて警告し、既に死亡している男子生徒の頭部に狙いを定め、引き金に指を掛けていた。

 ぐっと指に力を込める際、清田の脳裏には、数時間前に経験した光景がフラッシュバックしていた。

 初めて撃った感染者はもっと年嵩の中年男性だった。それに比べると、ホロサイトの中心に捉えている生徒の、まだあどけなさの残る顔に少なからず衝撃はあった。

 しかし、撃たなければならないのだ。個人的な感情など今は足手纏い以外の何物でもない。

 

「だめぇっ! そんな事しちゃ駄目っ!」

 

 引き金を引き切ろうとした瞬間、何を思ったのか、突然、女子生徒が身を翻して清田に駆け寄り、死亡した男子生徒との間に立ち塞がって射線を遮りつつ、発砲させまいと彼に飛びついてきた。

 余りにも突拍子のないその行動に、流石の清田も即座に反応出来なかった。

 

「ならないわ! 永は<奴ら>なんかにならない! だからやめてぇぇぇぇぇ!!」

 

 小銃に縋り付き、女子生徒は金切り声でそう訴えた。

 恐らく、死亡した男子生徒とは仲が良かったのだろう。それ故に、彼女は銃口の前に立ちはだかり、暴発の危険も辞さない覚悟で小銃に抱きつくという狂行に及んだのだ。清田は暴発させないように咄嗟に親指で安全装置を掛けるので精一杯だった。

 

「君! 離れなさい! 危ないから今すぐ離れるんだ!」

 

 清田は何とかして女子生徒を引き剥がそうとするが、その細い身体の何処にあるのか、彼女は恐ろしいほどの力で小銃に必死にしがみついていた。いやいやと頭(かぶり)を振り、泣きながら清田に抵抗していた。

 一般の想像と違い、こういった事態が生起すれば特殊部隊員は優しく抱きしめるなどという事はしない。銃器に組み付かれる前に突き放せと教えられており、清田もそう教わっていたが、これが男であるならば遠慮なく殴り飛ばしている所だが、相手は清田よりもずっと小柄な女の子である。

 身長差は三〇cm程もあるだろうか。

清田が本気で突き飛ばしたり殴り飛ばしたりすれば怪我は免れないし、か弱い女性に暴力を振るう意思はなかった。

 それを今は後悔していた。

 

「麗! 止めろ! 止めるんだ!」

 

 金属バットを手にしていた男子生徒が駆け寄り、麗と呼んだ女子生徒を背後から羽交い締めにし、清田の手助けをする。男二人掛かりでもなかなか引き剥がせず、彼女は滅茶苦茶に手足を振り回して抵抗した。

 途中、清田は何度も脛を爪先で思い切り蹴られたが、脚に装着している防弾レガースのお陰で痛みはなかった。

 しかし多勢に無勢であり、膂力と体格で劣る男二人には勝てず、やがて女子生徒―麗―は引き剥がされ、男子生徒に羽交い締めにされたまま隅に強引に引っ張られていった。

 男子生徒は清田と目を合わせ、頷いた。清田は無言で頷き返し、小銃に異常がない事を確かめてから据銃し、男子生徒の死体に狙いを定めた。

 それとほぼ同時に、今までぴくりとも動かなかった男子生徒の死体が、油の切れた機械のようなぎこちなさで、むくりと起き上がった。

 蘇生したのではない。男子生徒は依然として死んだままだ。完全に血の気の失せた顔は青白く、白目を剥いた目はあらぬ方向を見ている。だらんと垂れ下がった腕を力無く持ち上げ、夢遊病者の如く覚束ない足取りで歩む。だらしなく開かれた口からは血と唾液の混じった液体を垂れ流し、喉からは呻き声ともつかぬ異音を発していた。

 ACOGサイトの照準十字線(レティクル)の中心に、男子生徒の顔を真正面から捉える。サイトの中心で交差した十字線は、男子生徒の唇と鼻の間に重なった。

 そこを撃てば、回転する弾丸が貫通する際に肉と神経を巻き込んでいき、頭蓋骨内に空洞が生じる。脳は堅牢な頭蓋骨に保護されているが、目の下の奥に突如空洞が出現すると、脳幹や運動中枢がそこへ落ち込んで破壊され、一瞬にして無力化できる。

 尤も、音速を遙かに超える小銃弾を頭部に撃ち込まれれば、密閉された頭蓋骨で空洞現象が生じ、瞬時に生じた強大な圧力を解放するには“爆裂”するより他に方法はない。つまり頭の何処を撃とうとも即死や重傷は確実だ。

 男子生徒の白目を剥いた目からは血が流れていた。清田にはそれが、おぞましい己の死後の姿に涙を流しているようにも見えた。

 唯一自分にできるのは、これ以上彼の肉体を物理的に破壊し、その死を冒涜させない事だけだった。

 清田は引き金を優しく、朝霜が降りるが如く柔らかく引いた。引き金を引く力を誤れば、その瞬間に照準が狂い、標的を撃ち漏らす可能性がある。だから、清田は引き金を優しく引くように心掛けていた。

 耳を聾する派手な銃声はサウンドサプレッサーによって聞こえなかった。代わりに、僅かに空気が漏れ出る音と遊底の作動音がしただけだ。

 そして音速を超える小銃弾で男子生徒の頭部の爆ぜる様子がサイトを通して鮮明に、まるでスローモーション映像のように見て取れた。

 それはほんの一瞬の出来事だった。

 だから、隅にいた二人は顔を背ける事も出来ず、親しい人物の頭が爆裂する瞬間を目の当たりにしてしまった。

 二人とも何が起こったのか理解出来ないでいたが、グズグズに崩れた頭の残骸を乗せただけの男子生徒の身体が、やがて糸の切れた操り人形のように頽れ、重く湿った音と共にコンクリートに叩き付けられてから初めて、彼らの時間は動き出した。

 

「いやぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 麗が、魂が引き裂かれたかのような、悲痛な叫び声を上げた。

 男子生徒はもう彼女を羽交い締めにしていなかった。彼もまた、目の前の衝撃的な出来事に茫然としていたのだ。恐らく、映画やドラマのように、人間の頭は撃たれても綺麗に原型を留めるものとばかり思っていたのだろう。

 清田は銃口から硝煙を燻らせる小銃をゆっくりと下ろし、足元に転がる、少しの顔の皮膚と下顎を残しただけの男子生徒の死体を眺めた。血と肉と骨と脳漿と、幾らかの歯が散らばっている。

 殺したのではない。清田はあくまでも“動く死体”を撃ったに過ぎない。数時間前に同様の事を経験しているとはいえ、いい気分がするものではない。そして、人間の遺体を損壊してしまった事に罪悪感を抱いていた。

 だからだろう。男子生徒の拘束を解かれた麗が、恐ろしい形相で殴り掛かってきたのに対して全く反応できなかった。

 

「なんで、なんで!! 止めてって言ったのにっ!!! どうして撃ったの!?」

 

 何度も何度も、麗は握り締めた拳を振りかぶって清田の胸に叩き付けた。麗の殴打は全く清田に痛みを与えなかった。

 装備を詰め込んだタクティカルベストと、防弾ベストの分厚い装甲板が彼女の小さな拳の全てを受け止めていた。

 清田は暫く、されるがままでいた。麗は涙を流しながら彼を罵り、拳に血が滲んでも殴打を止めなかった。

 

「私は……私は助けてなんか欲しくなかった!! 永のこんな姿なんて見たくなかった!! こんな風にして生き残るぐらいなら私も永に噛まれて、私も<奴ら>になりたかったのに!!」

 

 いつの間にか、麗の背後に男子生徒が立っていた。

 

「止めるんだ、麗」

 

 男子生徒は振りかぶられた麗の細腕を掴んだ。そうして漸く、彼女は清田に拳を叩き付けるのを止め、嗚咽を漏らしながら肩で荒い息をついた。しかし、涙に濡れたその瞳は依然として清田を厳しく睨み付けていた。

 

「この人が撃たなければ麗が喰われていた……それに、奴がそれを望んだとは思えない」

 

 そう諭すように男子生徒は静かに言い、彼女の肩に手を置いた。

 

「孝に…孝に何が分かるっていうの?」

 

 しかし、麗は肩に置かれたその手を乱暴に振り払い、静かに、だが、強い怒りを含めた声で言い、やがて再び感情を爆発させた。清田の次に、今度は彼を睨みつけるその瞳には憎悪の炎が燃えていた。

 まるでこうなった原因の全ては彼の所為とでも言うかのように。

 今の麗は、悲しみで何ら分別のつかない状態にあった。

 

「そうだわ、そうだったのね! 孝は、本当は永の事を嫌っていたのね!!」

 

 

 そして、全てを見透かしたと勘違いし、一人で勝手に納得し、侮蔑を表わにした表情で言った。

 

「私と付き合っていたから!!」

 

 直後、乾いた音が響いた。男子生徒―孝が、振りかぶった手で麗の頬を平手打ちしたのだ。

 麗は、打たれて赤くなった頬を押さえ、暫し茫然と立ち尽くしていた。

 そして見た。

 孝は無言で涙を流していた。

 双眸から止め処なく溢れる涙を拭う事なく、流れるままに任せ、唇を強く噛みしめている。

 彼もまた、二人にとって掛け替えのない人を目の前で亡くし、その如何する事も出来ない深い悲しみとやり場のない怒りを、誰に向けるでもなく、ただひたすらに堪えていたのだ。

 麗はそうして初めて気付いた。周囲を顧みずに当たり散らした自分の身勝手さと、目の前で親友を失ったばかりの孝に浴びせた心ない言葉がどれだけ残酷な仕打ちだったのかを。

 

「ああ…私、なんてことを…ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 か細い肩を震わせ、涙と嗚咽混じりで、自分が犯した過ちの重大さと残酷さに対して、麗は謝る事しか出来なかった。

 孝は、何も言わず、震える彼女の肩に腕を回し、無言で強く抱きしめた。

 暫くそうやってなされるがままだったが、やがて麗もそれに応え、彼の腰に腕を回して抱き締め返した。

 少年と少女は、そうしてお互いの体温を共有する事で、慰め合うしかなかった。でなければ、余りにも残酷過ぎる現実に二人は忽ちの内に打ちのめされ、もう二度と立ち上がる事が出来ないだろうから。

 生き残ったからには彼らは死んだ者達の分も生きなければならない。それは苛酷な運命だが、今はその現実を暫し忘れる必要があった。

 清田は声を掛けようと思ったが、思い止まり、やがて背を向けて天文台を後にした。

 彼らはまだ子供なのだ。

 肉体は大人と遜色ないかもしれないが、精神までもが成熟しきっている訳ではない。あれこれと部外者の、それも仕方がなかったとはいえ彼らの目の前で清田は親しい人の頭を清田は吹っ飛ばしたのだ。何も言わずにそっとしておいた方がいいだろうし、彼らもそう望んでいるだろう。

 階段を下りた所で、頭上から爆音が降り注いできた。見上げれば、CH-47JAのずんぐりとした巨体が陽光を遮って降下している真っ最中だった。

 やがてエンジンとローターの轟音が一際大きくなり、吹き降ろし(ダウンウォッシュ)の風が強まった。ほぼ開かれた状態の、機体後部の斜路扉(ランプドア)に腹這いになって、着陸する屋上の様子をパイロットに伝えている機上輸送員(ロードマスター)の姿が見えた。

 機体は、浜本の誘導と、よく訓練された乗員一同の高い技量により、その巨体からすれば充分とはいえない広さの屋上に、何事もなく着陸する事が出来た。

 直ぐに斜路扉が完全に開かれ、特殊作戦群の衛生担当を務める正岡智於(まさおかともひろ)二等陸曹と村田秀久(むらたひでひさ)二等陸曹が降りてきた。衛生担当とはいえ彼らは他の者と変わらぬ重装備を身に付け、スリングベルトで身体の前にカスタムメイドのHK416をぶら下げていた。

 正岡は足早に清田の方へ駆け寄り、彼の耳の真横で怒鳴った。そうしなければエンジンとローターを稼動させたままの機体の傍では会話が成り立たないからだ。

 

「生存者は!?」

 

「生存者は二名! うち一名は既に死亡していたので処置しました!」

 

 清田も負けじと声を張り上げた。

 

「噛まれているのか!?」

 

「自分が確認した限りでは見当たりませんでした!」

 

「何処にいる!?」

 

「天文台に! しかし二名とも心的ショック状態にあります!!」

 

「解った!」

 

 正岡は、背中に大量の医療器材を詰め込んだメディカルバッグを背負ったまま、天文台の方に駆けていった。経験豊富な正岡に任せれば何も問題は無いだろう。

 

「清田! 配置につけ! α1(強襲第一班)がお前の方の出入り口から生存者を連れて来る!」

 

 一息つく隙もなく、浜本が傍にやって来て耳元で怒鳴った。

 

 

「誰が来るんです!?」

 

「イシさんが女の子を二人連れて来る! 感染の有無は既に確認されている! いけ!」

 

 浜本は清田にそう伝えると、機上輸送係のところに行って同様の事を伝えた。

 機上輸送員の一人がCH-47JAの機体左側の窓にドアガンとして据え付けられている74式車載機関銃に取り付いた。清田は、いざとなったら強力な弾幕で援護してくれるドアガンの射線上に入らないようにして屋上への出入り口を狙い易い場所に移動し、防弾レガースに覆われている右膝を地面につけ、右足の上に尻を置き、立てた左膝の上に左肘を載せ、左手で擲弾発射筒を装着した小銃を支え、握把を右手の親指と人差し指以外の指で握り締め、肩に引き付けるようにして固定した。この体勢ならば何時間でも照準をつけられる。

 

『タケ、タケ。こちらロック。もう出入り口に到着する。撃つなよ!』

 

 骨伝導ヘッドセットから白石鉄男(しらいしてつお)二等陸曹の声が直接、頭蓋骨内に響いた。

 個人のコールサインは二音か三音と決められ、殆どの隊員は自分の姓名の一部を取っていた。但し、聞き取り易い事と、通信に使われる符丁やアルファベットや数字などと紛らわしくない事が優先される。清田は名前である武のタケ、白石は苗字の石を英訳のロックで呼んでいた。

 

『こちらタケ。了』

 

 清田がそう応えてから暫くすると、清田並みかそれ以上に立派な体格を持つ白石が、二人の女子生徒を先導するようにして出入り口に現れた。二人とも顔面蒼白で、お互いの肩を抱いてガタガタと酷く震えている。

 

 歩くのもやっとといった状態で、つい先程まで想像を絶する惨劇の渦中にいた事は容易に察せられた。屋上に到着すると二人は腰から砕けるようにしてその場に座り込んでしまった。白石は直ぐに二人の異変に気付き、引き返して抱き起こそうとしたが流石に一人では無理だった。

 

「清田! 手伝ってくれ!」

 

 白石が言うよりも早く清田は駆け出していた。そこで漸く、清田は装備と武器と弾薬を身に帯びているのに速く走れる事に気が付き、驚いた。

 様々なオプションを装着したHK416は嵩張るし、ただでさえ普段よりも重装備なのだ。完全武装と装備を身に付けると、幾ら鍛え込んでいるとはいえ重力が倍になったように感じる。だが、女子生徒に駆け寄った時、両足がほんの少し痺れた程度で、後は何とも無かったので清田はおやっと思った。興奮と恐怖で脳内麻薬が過剰分泌されているせいだろうと思い、今の自分を超然とした気持ちで受け止める事にした。

 未だに腰を抜かしている女子生徒に駆け寄ると、清田を見て明らかに困惑と恐怖の表情を浮かべていた。小柄な彼女達からすれば清田と白石は恐ろしいほどの巨漢で、しかも重装備を身に付けているので殊更に大きく見える。

 鉄帽とスモークレンズのタクティカルゴーグル、フェイスマスクで表情は一切窺えず、まるでロボットのようで欠片も人間らしさがないのだ。そんな厳つい野郎どもに囲まれて平静でいられる女子高生は、日本の何処を探してもいないだろう。

 しかし清田はいちいちそのような反応に取り合う事もなく、片手で女子生徒を軽々と抱き抱えると白石と共に機体の後部へ走った。普段から重量物に慣れ親しんでいる彼からすれば、小柄な女の子など子猫とさほど変わらないぐらいに軽く感じられた。

 後部の斜路扉から機内に入ると、既に先程救出した孝と麗が乗り込んでおり、正岡が二人の面倒を見ていた。一瞬、清田は孝と目が合い、気まずい思いをしたが、直ぐに抱えていた女子生徒を降ろすと自分のやるべき仕事に戻った。

 恐らく、この先何度もそういった事態に直面する事があるだろう。今のうちから慣れておくべきだ。慣れれば、何事も上手くいくよう出来る事は様々な訓練で嫌という程学んでいる。

 

「イシさん!」

 

 清田は機体の外に出ると白石に声を掛けた。

 

「中の状況はどうなんですか?!」

 

「酷いもんだ! そこら中が動く死体と肉片と血溜まりで足の踏み場も無い…本当にクソな事態だ!!」

 

 タフで狂った野郎どもの中でも、一際タフでイかれている白石が疲労を滲ませた声で言った。彼も相当堪えている様子だ。

 

「見てみろ! 靴底にこんなのが挟まっていやがった!」

 

 白石は足を上げて靴底に挟まっていた物を清田に見せた。

 それは紛れもなく、人間の指だった。大きさと形からして小指だろう。白魚のようなその小指の爪は綺麗に整えられ、可愛いネイルアートが施されているので女子生徒のものと知れた。

 

「何かしら人間の部品を踏むといった有様だ! 安っぽいスプラッター映画じゃねえんだぞ畜生が!!!」

 

 忌ま忌ましそうに吐き捨てると、白石は挟まっていた小指を剥がして投げ捨てた。

「こんな有様で<目標>が生きているとは思えないぜ! 一体今回の任務は何の目的があるんだ!?」

 

 任務に不平を零すとは、普段の白石らしくはなかった。

 事の始まりが何であるのかは知らない。いや、知る必要がないというべきでもあるし、清田はそんな事に興味は無かった。重要なのは、求められた時に、求められる能力(ポテンシャル)を最大限に発揮し、課せられた任務を完璧にこなす事だけだ。そして今はその求められた時がほんの数時間前に発生し、今に至ったに過ぎない。

 全国的に発生した殺人病の蔓延による混乱を収拾する為に、自衛隊は内閣総理大臣の出動要請が下されるよりも前に超法規的措置により行動を開始していた。特にその中でも真っ先に行動したのが、清田が所属する自衛隊創隊以来、史上初となる特殊作戦部隊である、特殊作戦群(SFGP)だった。

 唯一、自衛隊内で卓越したミリタリーの知識と技能を使う事の出来る政治的作戦部隊《ポリティカルオペレーションユニット》である特殊作戦群は、単に戦術的に事態に対処するのではなく、政治の求めに応じて“情勢”に対応する柔軟な運用思想によって設立された戦略部隊である。

 初動対処として国内の特に重要な拠点―港湾施設、発電所、上下水道等の近代都市の生活基盤を支えるのに必要不可欠なインフラ―の確保の任務を予め与えられており、部隊は迅速に展開しこの任務を遂行し、確保した拠点の維持を一般部隊に任せて次の拠点に向かうという事を繰り返していた。

 それは此処、床主市でも同様の任務が行われていた。床主市の電力の大半が、市より北の山中にある奥名湖の水力発電所で作られており、また、その電力は首都圏へと送電されている。この水力発電所が機能しなくなれば、首都圏のライフラインが受けるダメージは馬鹿にならない。

 その施設の維持の為に特殊作戦群の一部が投入されていたが、清田が所属する班は別の任務を与えられていた。それは特殊作戦部隊にとっては当たり前と言っても過言ではない、人質救出作戦だった。尤も、こんな全世界的な非常事態に於いて人質を取って立て篭もる暢気なテロリストがいる筈もなく、仮にいたとしても警察や自衛隊は蔓延する殺人病の感染者とそれらから逃げ惑う市民或いは暴徒の対処で忙しいので、無視されるのがオチだろう。 人質救出というよりも、殺人病感染者という暴徒の中から対象を助け出さなければいけないので、人命救助というべきだろうか。しかも特定の人物を怪物で溢れ返った街から救助しなければいけないので、困難な任務である事は容易に想像出来たが、そういった無理難題とも思える任務を遂行するのが特殊作戦群である。

 何故なら、政治からのオーダーによって出動する事を望む特殊作戦群には、常に様々なコンディションが与えられるからだ。例えば、海外で人質となった邦人を敵を殺さずに救出せよ、国際紛争に於いて軍事力を一切行使せずに政治的混乱を引き起こす事によって解決せよ、国内に潜む重武装した秘密工作員を発見し隠密裏に制圧せよ、第三国のミサイル計画そのものを根底から排除せよ―いずれも外交、警察の能力を超え、しかも自衛隊の一般部隊の出動は政治的に不可能だが、それでも解決しなければいけない―等といったように、命じられるコンディションとその任務は複雑怪奇である。そして特殊作戦群はその困難なミッションを完遂する能力を求められており、実際にその能力を備えている。

 清田はズボンのポケットから一枚の写真を取り出した。写っているのは一人の少女だった。整った顔立ちは美少女といっても過言ではなく、長い髪をツインテールにしている。洒落たデザインの眼鏡のレンズ越しの瞳に宿る意思は気が強そうで、ツンと澄ました様子が似合っていた。

 写真を見なくても清田は、ファルコン・ビューと呼ばれる特殊作戦部隊として必要な技能によって写真の少女を記憶に完全に刻み込んでいたが、特殊作戦群の群長である剣崎巌(けんざきいわお)一等陸佐が念の為に持って行けと言うので清田は黙って写真をポケットに滑り込ませた。

 今思えば、作戦室でのブリーフィング時の剣崎の様子は何時もと違うように思えた。殆ど迷彩ズボンの上に質素な速乾性生地のTシャツ―しかも数人の厳つい野郎どもの集合写真がプリントされた信じ難いデザインの―という格好の剣崎は、年齢よりも若く見え、広い肩幅、発達した上腕、適度に刈り込んだ短い髪、そして全てを見透かすような瞳の持ち主であり、常に表情を変える事もなく、恐ろしいまでに静かな男だ。

 米陸軍『JFK・スペシャルフォースセンター&スクール(特殊作戦部隊養成学校)』で長期間に及ぶ厳しい訓練を積み、韓国、オーストラリア、ドイツ、イギリスの特殊作戦部隊(SOF)に於いて特殊作戦戦術の深淵をどっぷりと体験し、トップレベルの特殊作戦のイメージまでも全て頭に叩き込んでいるという〝狂った〟男でもある。その、いつ何時も動じぬ狂った鋼の男である剣崎は、全世界的な異常事態に対しても冷静に淡々と行動し、初動対処行動を命令していた。その剣崎がプロジェクターからスクリーンに映し出された少女を前にして、その鉄面皮が少しばかり焦っているように見えたのは決して気のせいではなかった筈だ。

 

 

―この少女は床主市の藤美学園に通う高校生だ。

 名前は高城沙耶。年齢は十六歳。

 お前らに与える任務はこの少女の救出だ。

 ミリタリーの使用? 存分に使え。

 任務の完遂に必要と思われるものは躊躇わず使え。

 しかし最低限の隠密性(サイレント)は維持しろ。

 忘れるな。

 お前達は影の部隊(シャドウズ)だ。

 その存在は今もなんら変わる事はない―

 

 清田は写真をポケットに仕舞い、暫し物思いに耽った。

 この任務は明らかに異常だ。重要な人物とも思えない、一人の少女を救出する為に航空機を含む完全装備の特殊作戦群一個分隊が投入されるなんて。

 誰かの私情が挟まれているのは明白だ。それが剣崎のものであるのか、それともそれ以外の誰かのものであるのかは分からないが、特殊作戦群が動くという事は政治のトップが直接オーダーを寄越したという事でもある。

 しかし任務の内容に疑問を感じる事があってもプロフェッショナルである以上、清田やその他の隊員がその程度で任務を疎かにする訳ではない。任務遂行の為であるならば死さえも厭わないのが俺達だ、と清田は自負していた。

 

「イシさん! 清田! 今度は強襲第二班(α2)が団体を連れて来る! 強襲第一班(α1)も一度引き揚げて来るぞ!」

 

 浜本がそう叫ぶように言った直後、白石が女子生徒達を連れて来た出入り口から黒木順次(くろきじゅんじ)一等陸曹を先頭に、α2の隊員達に周囲を守られた生存者の一団が現れた。 十人以上はいるだろう。CH-47JAの兵員室にまだ余裕はあるが、この調子で目標以外の救助を続ければいずれは満員になる。尤も、満員になるほどの生存者がいるかは分からないが。

 少し遅れて須崎を先頭にしてα1も到着した。

 清田と白石は生存者の一団に駆け寄り、命からがら逃げ延び、疲労困憊している者へは肩を貸したり、励ましたりして機体まで連れていった。

 

「貴方達が来てくれなければ今頃どうなっていたか…生徒の命を助けて頂き、有り難うございます」

 

 清田が肩を貸した、眼鏡を掛けた線の細い若い男性教師はそう礼を述べた。彼は仕立ての良い高価そうなスーツを着ていた。知性と教養のありそうな男だった。年齢も清田とそれほど変わらないだろう。

 

「我々は義務を全うしているだけです。お気になさらないで下さい」

 

 生存者の一団を機体まで連れて行くと、須崎が分隊の全員を一度集めた。

 α1の一員として校舎内に突入した羽沢彰人(はざわあきと)一等陸曹が村田の肩を借りて、片足を引き摺りながらやってきた。その右太腿にはどす黒い血の染みが広がっていた。

 

「羽沢さん、一体どうしたんですか? まさか…」

 

 清田は心配そうに声を掛けたが、羽沢は心底機嫌が悪そうに応じた。

 

「馬鹿野郎。そんな事になったら手前で自分の頭をぶち抜いてる。こいつはヘマをやらかしちまったのさ」

 

 羽沢は傷に負担をかけないよう、右脚を伸ばしてその場にゆっくりと腰を下ろした。 

 

「拳銃が暴発したんだ。安全装置を掛けてはいたが、それでも事故は起こり得るって事だな…畜生め!」

 羽沢が毒づいている間、村田はバックから取り出した圧迫止血包帯で彼の右太腿の止血に取り掛かっていた。

 弾丸は重要な血管を逸れているらしく、見た目の出血ほど酷い怪我ではなさそうだ。しかし、これ以上の任務の続行は不可能だろう。

 

「羽沢は見ての通り連れて行けない。清田、お前を代わりに連れて行く。α1、α2はもう一度、校舎内に突入し、<目標>の捜索を続ける。武器と装備の確認をしろ」

 

 清田はレッグホルスターに収めてある拳銃の点検を特に念入りにやった。

 携行する火器は常日頃から何度も点検を繰り返しているが、実際に暴発した結果を目の当たりにすると、幾ら点検しても安心できるものではなかった。

 

「準備はいいな? 行くぞ!」

 

 須崎を先頭に、清田は天文台のある出入り口から校舎内に突入した。

 心は不思議と落ち着いている。

 俺はやるべき事を心得ている。

 清田の耳に聞こえるのは、自身の落ち着き払った鼓動のみだった。

 


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