・突入間際の風景は実に奇妙であった。
藤堂と狩生率いるMARS対策隊は、全員が対八神用の防弾チョッキ特殊金属の警棒を装備している。
見かけだけ言えば非常に質素な装備で、素人目にはテロリスト弾圧の作戦前とは思えないだろう。
元々深夜の路地裏である上に、そんな目立たない場所にわざわざ規制テープを張り、配備されたのは覆面パトカーのみ。
物見遊山の類の野次馬が、まかり間違っても巻き込まれるようなことにはならないはずだ。
「イトノコちゃん、一般人はいないね?」
トランシーバーで部下の糸鋸刑事に確認する藤堂。
『はいっす!一応避難誘導はしたものの、マスコミも一人たりとも来てないっす!』
「例の"怪事件"のおかげで、そっちに出向いてんのかもね……どちらにしろ私らには好都合だ」
『沙羅井先生をお迎えして、直そちらに向かうっす!』
「バカだねアンタ、その必要はないよ」
『え!?』
「あんたに指定した時間の2時間前に現場に来て、ウォームアップだって刀振り回してるよ」
『面目ないっす!!』
「いいから、アンタも早く戻んなよ」
無線を切った藤堂は、沙羅井の様子を見にビルの前へ。
「気合入ってるね」
「寸分たりとも狂っちゃいけないんでね」
普段の生活や業務に基本手を抜く主義の沙羅井も、巨大な戦いを前にしては瞳の中に炎が燃えている。
その生命力にも似た、得体のしれない力に、藤堂はとても惹かれていた。
「街守るほどのでかい戦いですから。俺が呼ばれた以上、誰一人死なせませんよ」
「あんたがそうやって戦うなら、私たち全員であんたを絶対に死なせない。いいね?」
「押忍」
「……京一郎。これが終わったら、どうだい?食事でも」
たった一言の藤堂の勇気は、ビルの陰で待機していた捜査員の声に阻まれた。
「警部!!対八神ソナーに変化が!」
八神使いは、その力を体外に表面化する時に様々な変化が起こる。
体温の上昇、脈拍数や心拍数の増加、そして、大気中に視覚では捕らえられない波紋が起こる。
例えば、建物の中に複数の八神使いが存在している場合、そのキャッチする波は高いだけではなく大きく乱れ、八神を認識できないものですら頭痛や吐き気に襲われたりなどする。
トランシーバー型のソナーは、最初の上昇を検知してすぐ、使い物にならなくなった。
敵はこちらの作戦を感知しているらしい。
「構えなアンタら!気を抜くんじゃないよ!」
藤堂が絶妙な加減をつけて叫び声をあげる。
最も、相手はもうこちらに気付いているのだから、こそこそと動員する必要はない。
沙羅井は藤堂の横に張り付き、狩生は他の捜査員たちとともに裏口を抑え、マァムの休日よりも首魁の逮捕に尽力するチームの指揮をとる。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
藤堂が銃を構えたその瞬間。
「警部……」
イトノコがこっそりと藤堂に耳打ち。
正面の扉が開いたというのだ。
頭だけをゆっくりと、正面入口の方に向ける藤堂と沙羅井。
扉は開いていた。
主人が来賓を歓迎するかのように、境界とは無縁の開け放たれ方をしている。
そこにのこのこと進撃して行くほど、捜査隊はバカではない。誘っていることは明らかだった。
「どういうつもりですかね……」
「堪えなよ。一歩でも出し抜かれたら、命を落とす」
藤堂に頷く沙羅井。
その時。ソナーが再び異常を示し、砂嵐を表示した。
それが開戦の合図だった。
いや、正確には"襲撃"である。
それは、巨大な触手だった。
タコやイカのような吸盤がびっしりとついた、長くて太いチューブのような触手。
なぜそんなものが現れたのか、だれも到底理解などできないまま、正面入口に張り付いていた捜査員の足に巻きついたそれは、彼をそのまま建物の中に引き込んだ。
たちまち藤堂の顔が青くなる。
「何やってんだいあんたたち!!撃ちなァ!!」
藤堂が叫ぶと同時に一斉に発砲する警官たち。
裏でその様子を目撃した狩生は、彼らに先んじてビルの中に潜むレイモンド桑崎の拿捕を目指す。
対八神用の銀の弾丸を充填し、ビルの中をゆっくり進んでいく。
マームはどこに監禁されているのか。
最悪は彼との戦闘を、彼女と同じ空間で行なってしまうことである。
公安としての指令は犯人逮捕または射殺のみ。
とはいえ、長年保護対象として彼女たちに親しくしてきた身。個人としては、彼女を作るところまでが希望であった。
待っててね、マァムちゃんー。
狩生が心の中で語りかけたその時。
室内の違和感に気付いた。もしかすると、自分がおかしくなったのかもしれない。そんな奇妙な混乱を引き起こすほどに異常な事態だった。
「ここ、さっきも通ったんじゃ……」
口からポロリとこぼしてしまった言葉が自身の恐怖を余計に駆り立てることとなった。
大丈夫、館内図は頭に入っている。
呼び起こしてしまった恐怖を払拭しようと、脳内に館内図を浮かべる。
廊下の突き当たりを曲がって、そしたら階段に……。
「どうして……!!」
先ほど非常階段から侵入したままの廊下の光景が、そこにはあった。
「どういうこと……なぜ階段が……」
もう一度その突き当たりを曲がると、やはり同じ場所に辿り着いてしまう。
では非常階段に戻ってはどうか。
ところが、廊下をぐるぐる一周しても、どこにも外への扉がない。まるっきり何処かに消えてしまっている。
「八神の能力……!!」
「そういうことになります」
「何者!!!!」
唐突に背後から声がし、迅速に銃を構える。
「公安からは、我々を射殺しても構わない!というお達しですか?警視庁公安部創立以来の射撃のエリート、日本警察新時代の HOPE が一人……狩生翔子さん」
「MARSの、幹部……!!」
「ゲイジー杉崎と申します。以後お見知りおきを」
銃を構えた公安警察官を相手に、全く物怖じしていないテロリストの幹部。
不気味なことこの上ないが、狩生は一瞬たりとも視線を外さない。
「能力を解除し、武器を捨てて大人しく投降しなさい。従わなければ発砲します!」
「分かってるでしょう。我々は国家の脅しに屈しない。だからあなたは呼ばれたのではないですか?」
狩生を嘲笑する杉崎だが、狩生とてただで笑われる器ではない。
「御託は結構、最後通告です。能力を解除しなさい」
「哀れ……己が意思を持たぬ国の人形よ」
ドンッ!ドンッ!
けたたましい轟音とともに、2発の弾丸が発射される。
杉崎の肩を撃ち抜くはずだったそれは、消えた。
ものの例えではない、文字通り空間から消えていた。
床に落ちるでも、暴発するでも、まして敵の体に着弾するでもない。
何処かへ消えてしまった。
「解せない。という顔ですね、無理もない。あなたの弾丸は本来なら私の体を貫いているはずなのだから」
「一体、何をしたと言うの……!?」
「消したんですよ。見ればわかるでしょう?」
「いったい何処へ!?」
「それを説明するに適した言葉を、私は知りません。私にのみ理解できる概念ですから」
「あなた一体何を言って」
「しいて言うなら、"亜空間"、といったところでしょうか。その番人が私の、この八神です」
八神。
彼の背後に出現した、サーカスのピエロによく似たオーラ。
左手は白い手袋だが、右手には鎌のような刃物が融合している。
「我が八神の名はジャック・ザ・リッパー。私をとりまく世界のあらゆる概念を自在に切り取る能力です」