サスケの手裏剣術はアカデミーの一年生の中でも断トツで一番である。
物心つく前から優秀な兄に師事し、暇さえあれば磨いてきた手裏剣の腕。森の修練場にて、いまそれが遺憾無く発揮されていた。
「はっ!」
一息で放られた手裏剣は二枚。緩くカーブを描きながら的の中心……それも先に刺さっていた三枚を上手く避ける位置へと突き立つ。
「ふっ!」
続けて、本日ちょうど百枚目となる手裏剣を投じる。手裏剣は先ほどと同じ様な軌跡を描きながら的へと向かっていき……弾かれた。角度的に刃が立っていなかったのである。初歩的なミスだった。
「ぐっ…」
サスケは苛だたしげに傍に立つ木の幹を蹴りつけた。
今日はこのような、自分らしくないミスが頻発していた。
原因は分かっている。三日前にこの森に……そして自宅にまで招くこととなった、あの金髪の級友のせいだ。
ーー笑っていたような気がした
ナルコがサスケの家を訪れたあの日……イタチの事で、五人でテーブルを囲んでいたときのことだった。
サスケがふと隣に座るナルコに目をやると、彼女はモゾモゾと落ち着きのない様子で、しかしほんの僅かに頬を緩めているように見えた。
それはサスケが初めて見る、ナルコの無表情以外の表情だった。
しかしそれも長くは続かない。
『これ以上息子とは関わらないでくれ』
父の言葉がサスケの耳にリフレインする。
その瞬間、彼女はサスケの知る普段通りのナルコとなっていたのである。
サスケの頭の中で、柔らかく笑うナルコと、そしてあの夕焼の元に一人去って行ったナルコとが浮かび上がり、重なった。
「ああっ、くそ!」
これ以上思い悩んでいても修行に身など入るはずがない。
原因は分かっているのだ。だったら行動すればいい。
サスケは手にしていた訓練用のクナイを無造作にポケットへと突っ込むと、ナルコの家へと向かって駆けていった。
ナルコはこの三日間、赤チャクラトレーニングにより一層励んでいた。
『九尾の力を御せない限り息子に害が及ぶ』
サスケ宅で、フガクが口にしていたことである。
今となってはナルコも理解していた。
赤チャクラとは、自身の内に眠るあの巨大な獣ーー九尾のチャクラのことだったのだと。
これまでの周囲の視線を思い出してみると、確かに記憶の中の彼らはナルコを見ている様で、その実別の何かを恐れていたようだった。
ーーあれは九尾が原因だったのだ。里の大人は、突発的な九尾の暴走に巻き込まれることを恐れ、その宿り主である自分を遠巻きにしていたのだ
ーーであれば、自身が九尾のチャクラを完全にコントロールするに至れば、全てが解決するのではないか。
そういう経緯で、このトレーニングは開始された。
ナルコはまず赤チャクラーーつまりは九尾チャクラで尻尾のみを生み出し、日常生活で必要な動作は出来得る限りこれだけでこなすよう心掛けた。
尻尾でフォークを持ち、皿を洗い、本を読んだのである。
一日目は失敗の連続だった。
いまナルコの家にある食器類はほぼ全て曲がったり壊れたりしているし、本はズタズタになったのでゴミ袋に押し込んである。
しかし二日目、三日目と続けていく内に、一日目は怖くて尻尾で触れられなかった蛇口を、時間はかかるものの、ナルコは捻ることが出来るようになっていた。他にも電気のスイッチ、トースター、ガスコンロ。これらの比較的壊れたら困る物も、尻尾のみの操作で使用出来るようになった。
三日という短期間にも関わらず、ナルコは目に見えて尻尾の扱い方を成熟させていたのだった。
ナルコがクナイを構える。
いや、正確にはナルコの尾てい骨から伸びる九尾の尻尾が、クナイを掴んで弓の如くしなっている。
ナルコは大きく息を吸い込むと、尻尾に全神経を集中させた。
そして、解き放つ。
尻尾が投じたクナイは、人の腕では到底成し得ない速さと力を持ち、ナルコ手製の木の的へと突き立った。しかも次の瞬間には貫通し、クッション代わりに置いてあった雑誌の束の中頃まで、その刃先を埋め込んだ。
ナルコはそれを見届けると、今度は尻尾で手裏剣を掴み、上部へと放り投げた。
そして落ちてきたそれを、中央の穴の部分に尻尾の先を通してキャッチすると、フラフープの要領で回して、そのまま先程の的へと投げつける。
威力こそ通常と然程変わらないものの、関節の可動範囲が人間の手首とは大きく異なる尻尾から繰り出される手裏剣術は、訓練次第では障害物の前で大きくカーブして対象を捉えることが可能になるだろう。
ーーまだそこまで尻尾をコントロールすることは出来ないが、いずれはその領域まで達してみせる
ナルコは意気込みを新たにすると、メチャクチャに散らかった自身の部屋を改めて見渡した。
ーー修行の為とはいえ、流石にやり過ぎた
尻尾の修行を初めて三日目の夜。そろそろ一段落つけて部屋を片付けようかと、ナルコが重い腰を上げたときだった。
ピンポンと、玄関のチャイムが鳴った。
「…………」
このごろ、このチャイムはめっきりその活躍の機会を多くしている。その原因は言うまでもなくサスケであり、その彼とは三日前に縁を切ったはずだった。
では誰がこんな夜更けに。
ナルコはそんな思いと共にロックを外し、僅かな隙間を作るようにして外を覗き見た。
そこに居たのはサスケーーではなく、彼に良く似た顔の兄、うちはイタチであった。
三日前に会ったときと随分印象が違う。
彼の背後に広がる夜闇がよく似合っていた。
「サスケを見なかったか」
イタチはナルコにノータイムでそう質問をした。普段は礼儀正しい彼がこのような態度を取るということは相当に焦っているらしい。
もちろん、その普段を知らないナルコにはそんな判断はつかないが。
「見てない」
「そうか。すまない、少し中を見せてもらう」
「何を…!」
イタチは扉ごとナルコを突き飛ばし、部屋の中へと押し入ってきた。
ナルコは勢いのままに玄関の床に尻餅をつく。
「……ナルコさん。随分と部屋が荒れているな」
「……出てけよ」
ナルコがそのままの状態で顔を上げると、殺気と共にこちらを見下ろしてくる、完全に表情の抜け落ちたイタチと目が合った。
その瞳には、黒い斑点のような模様が三つ浮かんでいる。
「知っていることを吐け。ここで何があった」
「うるさい出てーー」
瞬間、ナルコの小さな体は部屋の壁へと叩きつけられていた。
「がはっ…!」
ーー脚の裏が地面を感じない。宙ぶらりんの状態だ。首に圧迫感。強い力で締め付けられている
「答えろ。サスケはどこだ」
ナルコの首を腕一本で締め上げ、壁に固定しながらイタチはそう質問をする。
答えなければ殺す。
その赤い瞳が告げていた。
「ぐっ…し、知らない…」
「ではこの部屋の惨状は何だ。説明しろ」
「しゅ、修行…」
「こんなにしてしまうなら、何故部屋でする必要があった」
「誰にも…見られたく…なかっ…」
イタチがナルコの首を解放する。
拘束の外れたナルコはそのまま床へとずり落ち、蹲って激しくえづいた。
しかしイタチはナルコの呼吸が整うのを待つことなく、今度はその髪を掴んで顔を上向きにすると、強制的に自身の眼と合わせた。
「もう喋らなくていい」
うちはの血継限界、写輪眼が発動する。
イタチはナルコの記憶の中へと入り込み、今日一日中を隅々まで調べ上げーーそこまでしてようやく、その無実を理解した。
「……すまない」
イタチがナルコの髪から手を離し、軽く手櫛で整えてから離れる。
「本当に君は何も知らないようだ」
「……アイツに何かあったのか」
「このアパート周辺の裏路地に、サスケの訓練用のクナイが落ちていた。刃には血痕が付着しており、あいつは朝の稽古からずっと帰って来ていない」
イタチはそう言うと踵を返して、扉が開けっ放しの玄関へと向かった。
「すまない、急いでいる。後日必ず、正式に詫びをしに来る」
「待て!」
ナルコが叫び、玄関へと駆け寄る。
イタチが扉から出て行き、続いてナルコも外へと飛び出る。
誰も居ない。
イタチは一瞬にしてその場から消え去っていた。
「…………」
『このアパート周辺の裏路地に、サスケの訓練用のクナイが落ちていた。刃には血痕が付着しており、あいつは朝の稽古からずっと帰って来ていない』
ナルコは部屋へと戻り、枕元の目覚まし時計へと目を向けた。
時刻は午後十一時三〇分を回っている。
三日前、ナルコがサスケとうちはの修練場で待ち合わせたのは朝の七時だった。
サスケが普段もそれくらいの時間から朝の修行を始めているとするとーー彼が姿を消してから、実に十六時間以上が経過したということになる。
更にはサスケが何者かと争った形跡すら見つかっていてーー
『お前、明日もまたウチの森来いよ! 組手するから!』
「……っ!」
気がつけば、ナルコは走り出していた。
彼女自身も何故なのかは分からない。ただ形容しがたい熱い衝動が、その小さな体を急き立てていた。
ナルコは着の身着のまま靴すら履かず、一秒も惜しいとばかりに窓から飛び降りて夜の木の葉の里を疾走する。
夜の街を歩く人々が何事かとナルコを見る。
夜中に一人裸足で走る九尾の子供。
みな一様に眉を顰め、怪訝な顔をする。
嫌なものを見たと顔を背ける者や、せせら笑う者さえいる。
ナルコはそれ等を意識の端に追いやって走り続ける。
ーーサスケは言っていた。兄はとても優秀だと。アカデミーを七歳で卒業したのだと
ーーそのイタチがとても取り乱していた。サスケの失踪が何者かの手によるものだと確信していたからだ
ーー優秀なイタチがそう考えているなら、勿論うちは一族にもその情報は伝わっている筈だ
ーーそしてうちはは、血を守るために一族をあげてサスケを捜索しているだろう。それこそシラミ潰しに
ナルコは結論を得る。
ーー里の中にサスケがいたとしても、それはうちは一族が見つけるだろう。自分が役に立つとすれば、それは捜索の目が行き届いていない里の外
行動の方針は決まった。あとは実行に移すだけだ。
「……ふっ」
ナルコは九尾のチャクラを纏うと、更にスピードを上げて夜の闇へと消えていった。
木の葉隠れの里から少し離れた森の中。夜の虫たちのさざめきに混じり、二人の男の声が聞こえてくる。
「おい、失態だぜ。木の葉の写輪眼を手にするつもりが……まさか一族でも使えない奴がいるなんてよ…」
男の一人。バツ印の仮面を付けた方が、側に転がる少年を指差しながら言う。
その少年はうちはサスケであった。手首は麻紐で拘束されて背中に回され、猿轡を咬まされて虚ろな目で横たわっている。男たちに幻術をかけられているのだろう。そうであるなら、サスケはいま虚ろな夢の中にいるに違いなかった。
「……おそらく餓鬼だからまだ開眼していないんだろう。うちは一族には違いないさ。素養はある」
もう片方の、丸印の仮面の男がそう言う。
「そうか? やはりもう一度引き返して写輪眼使える奴を攫ってきた方がいいんじゃねぇかな」
「馬鹿なことを言うな。今頃木の葉では、うちは一族が躍起になって餓鬼を探しているところだろう。ここもいつ追っ手に嗅ぎ付かれるか分からん」
「だがな…クライアントが欲しがってたのは写輪眼だぜ」
「そのクライアントが『うちは一族の者を一人攫ってこい』と言ったんだ。任務は完了だ」
「……はいはい、わかったよ」
話し合いに結論が出たのか、横に置いてあった荷物を担ぎ直す丸印の男。
「俺の幻術で餓鬼から写輪眼の有無については聞き出せた。その際に一度解いた、餓鬼を夢心地にする方の幻術も改めて掛け直した。小休止は終わりだ。出るぞ、お前も餓鬼を担ぎ直せ、バツ」
「待て。その前に用便」
「ちっ、先にしておけ。おい、ワイヤーには触るなよ」
「わかってるよ」
悪びれる様子もなく「さっきから腹痛くてさー」と言いながら林の中へと入っていくバツ印の男。丸印の男はもう一度舌打ちをして、それを見送った。
そのときだった。
バツ印の男が向かった林と反対方向。木々の間に、ゆらりと揺れる人影があった。
「バツ! 何者かいるぞ!」
「あ!? くそっ…」
「俺が見てくる! お前は直ぐに餓鬼のところへ戻れ!」
「待てって。さっきからやけに腹が痛くて…」
丸印の男が一瞬でその場から消える。
そしてそれと殆ど行き違いで、バツ印の男ががズボンを上げながら戻ってきてーー
「なに?」
ーー餓鬼がいない
「おいマル! 餓鬼がいねぇぞ!」
「……!」
丸印の男が急いで戻ってくる。
見ると、あの子供の両手足を縛っていたはずの麻紐と猿轡、そして数滴の血液が土の上にに落ちていた。
「マル! お前がさっき見た何者かの仕業だ!」
「ちっ、全く気配がなかったぞ。どういうことだ……そもそも周囲にはワイヤーを巡らせて警戒体制は十全だった。それを…」
機能しなかったワイヤーによる警報。
消えた謎の人影。
そして気配なく一瞬で子供をーー
そこで、丸印の男が何かに気がついたように顔を上げた。
「おいバツ! お前、あの餓鬼をずっと担いでただろ! 上半身を背中側にして!」
「あ、ああ」
「そのとき、餓鬼の手がお前のポーチに当たってなかったか!」
「!」
バツ印の男が腰の忍具入れを開き、中身を確認する。
「クナイが一本と毒の瓶がねぇ!」
「ちっ、スられたんだ。お前の腹痛はその毒によるものだ。お前は自分の使う毒に耐性があるから腹痛程度で済んだみたいだが…」
「待て、木の葉から運んでる最中も、餓鬼には幻術にかけてたろ」
そんなこと出来るはずがない、と続けるバツ印の男。それに対して、やはり舌打ちしながら答える丸印。
「だから、解いたんだろ。餓鬼の分際で俺の幻術を……時間はかかったみたいだがな。そしてお前に担がれながら、運搬時の振動で腕が当たったように見せかけ、クナイと毒をスった。毒はお前の水筒にでも入れたんだろう……あの餓鬼には運の悪いことに、ただの腹痛で終わっちまったがな」
「じゃあ人影ってのは…」
「餓鬼の分身だ。お前からスッたクナイで拘束を断ち、手を後ろに回したまま印を結んだんだ。気配がなかったのも、一瞬で現れたのも頷ける。それに餓鬼でも使えるしな。ワイヤーが機能しなかったのもそういうことだ……ただの分身には実体がない。あの餓鬼はそうやってまんまと俺たちを出し抜いて、一瞬のスキを突いて幻術を解き、逃げ出したのさ」
「……クソ! まだ遠くまで行ってねぇはずだ! しょせん餓鬼だ! 馬鹿正直に木の葉の方に向かってるだろ! 行くぞマル!」
「まぁ、待て」
焦るバツ印の男とは対照的に、僅かな笑みさえ浮かべる丸印の男。
「話を聞いてたか? ワイヤーによる警報は動作していない、俺はそう言ったんだぞ」
「……!」
「ーー餓鬼はまだ逃げていない。ワイヤーの内側に……この周辺にいる」
チリン!
鈴の音が夜の森に響く。
ワイヤーの警報である。
「ふん、賢しい餓鬼め! 身を潜めて俺たちのことを監視していたか! バツ! お前よりよっぽど頭の出来が良い!」
「うるせぇ! 音は木の葉方向からだ、追うぞ!」
仮面を付けた二人の男が動き出す。
そして彼らから数十メートル離れた位置。手首に生々しく拘束跡の残る少年が全力で駆けている。
サスケである。
額からは幾筋もの汗が伝い、全身は恐怖からか小刻みに震えている。
今日の夕方頃に木の葉の裏路地で男たちに捕まってからずっと、サスケの意識は幻術の中にあった。
解術出来たのはつい先程ーー男たちが小休止と称してサスケに写輪眼を使えるかどうかを問いただす……その直前である。
ーー危なかった。首尾よく逃げ出せはしたが、次捕まれば今度こそ終わりだろう。
ーーとにかく、今は少しでも早く脚を動かさなければ
「くっ…」
手のひらが痛んだ。写輪眼についての質問が済み、改めてかけられた幻術を解く為に付けた傷だった。しかし、あれほどの危機をこの傷一つで切り抜けられたのだから我儘は言えない。
サスケは月を見上げる。時刻は亥の時。
ーーオレがナルコの所に向かったのは午後四時を過ぎてからだった。その道すがら捕まって……今が午後十時ごろ
「くそっ…」
ーー拐われてから五、六時間は経っている。もう、里からは随分と離れているのだろう。
サスケの状況は絶望的だった。
しかし、確かな希望もあった。
修練場でポケットに放り込んで、そのままになっていたクナイ。
サスケはそれを、仮面の男二人に裏路地で囲まれた際、投げ放っていたのだ。もちろんそのクナイは避けられたが、サスケはあらかじめ扱いを誤った振りをして、クナイの刃に自身の血を付着させていた。
サスケはそれを、救難信号としたのである。
きっと助けてくれる筈だ。
木の葉警務部隊隊長の父と、優秀な兄が。
「それまで逃げきってやる…絶対に…!」
サスケは木の葉隠れの里とは
サスケはワイヤーの警報に触れた瞬間に、木の葉方向から逆方向へと進路を変更していたのである。
男たちを騙す為。そして時間を稼げば絶対に助けが来る……そう信じて。
こうして、サスケの孤独な逃亡劇が始まったのだった。
時系列
六時 サスケ朝練開始
十七時 サスケ誘拐
二十時 誘拐犯、夜を待って木の葉を出る
二十一時 誘拐犯、写輪眼の確認のため小休止
同時刻 サスケ脱走
同時刻 イタチたちうちは一族が捜索開始
二十三時半 ナルコ捜索開始
うちは一族の動きが遅いのは、原作でサスケが夜遅くまで特訓してたからです
「流石に遅すぎない?」→イタチ「探してくる」→イタチ「争った形跡!」→一族で捜索開始
こんな感じです
ナルコイメージ
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