トリッパーと雁夜が聖杯戦争で暗躍   作:ウィル・ゲイツ

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第16話 事件の後始末(憑依二十二ヶ月後)

 翌日、滴は目を覚ましたが、意思が全く感じられかった。

 それどころか全く言葉も発しなかった。

 目は虚ろで、完全な無表情状態。

 どう見ても『精神崩壊済みの幼女』である。

 

「この子は、あの地下室で見掛けたときからこの状態だった。

 臓硯の指示に完全に従う人形となることで、自分の心を守ったんだと思う。

 ……それでも耐えきれないほどひどいことをされて、君たちが助けに来てくれたときには気絶していたわけだけどね」

「無理もないわね。

 味方は誰もいない状況で、さらに助け出される可能性はもちろん、すがれる希望すら存在しない中で生きていくには、心を完全に閉ざす方法しか見つけられなかったのね。

 5歳では無理はないけど……。

 やっぱり、もっと早く救いだすべきだったわね」

 

 メディアは辛そうに呟いた。

 そうか、あの地獄を耐えきった間桐桜は人並み外れて精神が強靭だったわけで、そこまで強くない娘ではこうなってしまうのは当然だったか。

 

「すまない。

 俺にもっと力があれば」

「いえ、貴方を責めているわけではないのよ。

 ただ、あの子が可哀想だからつい言ってしまっただけ」

 

 謝罪した雁夜さんに対して、メディアはフォローの言葉を掛けた。

 メディアは自分の過去を思いだし、滴に共感してしまったのだろうか?

 『自我を奪われ、愛する母国を裏切り、大切な弟を自分の手で殺してしまい、自分を利用した男の妻になってしまったメディアの過去』もかなり、いやとてつもなく悲惨であり、『誰かが助け出すべき悲劇のヒロイン』だったのは間違いない。

 最後まで誰も彼女を助けることなく、自分だけで復讐を遂げたがゆえに、『裏切りの魔女』と呼ばれることになってしまったけど。

 だからこそ、メディアは滴を助けてあげたいのかな?

 

「その、ぎりぎりとはいえ、心が壊れていなくて良かったですね」

「それは違うわ。

 ……多分、臓硯は心が壊れるぎりぎりのラインを越えないレベルを見極めて、滴の修行という名の拷問を行ったんでしょうね」

 

 タマモのフォローも、即座に真凛が否定してしまった。

 確かにあのサディストなら、それぐらい簡単にやってのけるか。

 

「滴はやっと解放されたわけだけど、自我を取り戻せるかしら?」

 

 真凛の問いに対して、雁夜さんは考えながらゆっくり話し出した。

 

「臓硯は苦労して手に入れた滴ちゃんが逆らわないように、様々な手段を講じたはずだ。

 滴ちゃんの体内の蟲を常に支配下に置いているのはもちろん、魔術による傀儡化、あるいは……」

「あるいは何ですか?」

 

 嫌な予感がしたが、僕は雁夜さんに先を促した。

 

「あるいは魔術に頼らずに絶対に逆らえないように、滴ちゃんを洗脳した可能性がある」

 

 ……確かに原作の桜に対して、臓硯の洗脳による支配は、黒桜化が進むまでは有効だった。

 それが滴に対しても行われても不思議ではないか。

 

「貴方は大丈夫だったのかしら?」

「ええ、最初は蟲を埋め込むつもりだったようですけど、俺の魔術回路の数に気付いたらすぐに方針転換をして、ずっと俺の体、特に魔術回路の検査、調査をしていました」

 

 雁夜さんの魔術回路の調査?

 すごく嫌な予感がするのは気のせいか?

 

「多分、臓硯も予想以上に貴方が強くなっているのを理解して、蟲を埋め込むことより貴方の体の調査を優先したのね。

 ……いくら詳細に調査したとしても、そう簡単に私が使った業を再現できるとは思えないけど」

「……俺も貴女の技術をあれだけの調査で再現できるとは思いませんが、……劣化コピーならできるかもしれません。

 ですが、万が一にも魔術回路を開けたとして、兄の素質では最大限高く見積もっても俺と大差ないレベルでしょう」

 

 まあ短期的にはそうかもしれないけど、『閉じた魔術回路だけを持った魔術師の子孫の子供たち』をたくさん養子にして、『成功すれば儲けもの、失敗したら廃棄』、つまり『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』と『無理矢理魔術回路を開いて、生き残った者を自分の手駒にする』という『HxHのキメラアント式育成』を実行されると将来ものすごく面倒なことになるが、……さすがにこの日本でそんな真似はできないよな、……できないよね?

 

「そうね、まあ『臓硯の手駒が増えるかもしれない』程度は覚えておきましょう」

 

 同じことをメディアも考えたらしいが、実現可能性の低さと効果が出るまでの時間を考えて、脅威度は低いと判断したのか軽く流していた。

 

「それで滴ちゃんですが、貴女たちならこの子の洗脳を解くことができますか?」

「魔術による洗脳なら無効化できると思うけど、『この時代の心理学に基づいた魔術を使わない洗脳』については、当然私には分からないわ。

 貴女もそうでしょ?」

「そうですね。

 記憶を覗いてどんな洗脳がされてきたかを調べることはできますが、それを元に洗脳の解除方法を調べなければ対処できません。

 それでも対処するとなると、魔術を使った力づくの対応となります」

「やっぱり、そうなるわね」

「それはつまり?」

 

 ものすごく嫌な予感がしたが、僕はメディアに尋ねた。

 

「『魔術を使って洗脳を上書き』するか、『間桐家に引き取られてからの記憶をすべて封印する』ことで、洗脳を無効化するしかないわね。

 ……できれば、どちらの手段も使いたくないのだけど」

 

 そりゃ、メディアは『女神に洗脳されてイアソンに惚れたこと』が原因で、『幸せな王女』から『恐れられ嫌われる魔女』へ転落してしまったんだから、洗脳や精神操作はトラウマというか逆鱗そのものだろうね。

 

「気持ちは分かるつもりですが、このままだと臓硯に洗脳されたままですから、いつどんな臓硯の命令が発動するかわかりません。

 記憶を全部チェックして滴ちゃんに埋め込まれた命令が全て判明したとしても、この二つの方法以外だとそれを防ぐためには相当手間が掛かるでしょうし、第一臓硯が現れれば再び臓硯の支配下に戻ってしまいます。

 それだけは、絶対に阻止する必要があります。

 ……まあ、僕が言わなくても皆さんも気づいているでしょうけど」

 

 僕の言葉にメディア以外はすぐに頷き、メディアはしぶしぶ、本当にしぶしぶといった感じで頷いた。

 

「となると、魔術を使って滴ちゃんの洗脳を解くのは決定事項ですね。

 そして、再洗脳をするのは論外ですから、残る方法は『滴ちゃんが間桐家に養子入りした日から今日までの記憶』を完全封印する、ということになりますか?」

「それしか、ないのか?

 ……そうだ!

 予知夢では、僕では助けられなかった桜ちゃんは、どうやって救われたんだ?」

 

 それを聞いてきたか。

 まあ、それぐらい教えても問題ないよな。

 

「その未来では、桜ちゃんは実に11年にも渡って間桐家で地獄を見ました。

 ですが紆余曲折の末、愛する人と大切な姉である凛ちゃん、そして桜ちゃんが召喚したサーヴァントの努力によって、自力で臓硯の支配から脱出し、臓硯を滅ぼして、後悔はあるものの幸せな日々を手に入れていました」

 

 すっごい省略したけど、第五次聖杯戦争とアンリ・マユのことを隠して説明するとこうなるよな。

 全ての事情を知っているメディアたちも何もコメントしなかったから、この説明で問題あるまい。

 

「……そ、そうか。

 そうだったのか。

 君の助力がなければ、桜ちゃんは11年もあの苦痛を味わい続けていたのか。

 ……それが実現しなくて、本当に、本当によかった」

 

 薄々は想像していたんだろうけど、『かつてありえた桜ちゃんのおぞましき未来』を知り、そしてそれを回避できたことに雁夜さんは心の底から安堵していた。

 

「しかしそうなると、滴ちゃんには桜ちゃんが自力で洗脳を解いた方法は全く使えないな。

 滴ちゃんには、残っている家族は『魔術協会で生きているかもしれない生き別れの姉』しかいないし、俺たちではその子を引き取るのは不可能に近いだろう、……少なくとも短期間では」

 

 最初は否定した雁夜さんだったけど、メディアとメドゥーサを見て『短期間では』と条件を追加した。

 確かに、時間があってこの二人がやる気になれば、滴ちゃんの姉を引き取ることも十分可能だろう。

 もっとも、聖杯戦争の準備で忙しい今、聖杯戦争が終わるまでは不可能だけど。

 

「そうね。

 家族もなく、愛する人も、信頼できる人もいなくて、自分の回りにいるのは自分を虐める人たちのみ。

 それに抵抗できる力もなく、耐えることすらできず、心を閉ざして閉じこもることしかできなくなっている今の状態では、……悔しいけど、記憶を封印する以外に対処方法はなさそうね」

 

 原作でも、『士郎が凛によって聖杯戦争の記憶を完全に封印されるバッドエンド』があったし、『魔法使いの夜』でもルーン魔術に記憶封じの魔術があったから、メディアなら『臓硯の洗脳部分だけをより強力に封印』して洗脳を無効化し、さらに間桐家に引き取られた以降の記憶を完全に封じることは容易いだろう。

 

「メディアなら滴ちゃんの記憶封印は完全にできるだろうけど、その後滴ちゃんにはどこまで説明して、どんな対応をするのがいいですかね?」

 

 僕のその言葉に、全員悩み顔になってしまった。

 

「問題はそれよね。

 父親を殺され、姉と引き離された直後の状態に戻ったこの子に、『間桐家で蟲漬けの拷問の日々を与えられ、助け出したときには心も体もぼろぼろになってしまったから、その期間の記憶を封じた』と教えたとしても……」

「普通は信用しませんし、信じたら信じたで恐慌状態になりかねませんね」

「私も同感です」

「同じく」

 

 真凛の言葉に、全員悲観的な予想を返した。

 どうやら、全員同じことを予想していたらしい。

 

 

「となると、『間桐家に引き取られた後、滴ちゃんに辛いことがあって精神病になってしまったから、治療のため一時的に記憶を封じました。君が記憶を取り戻したいと望み、辛い記憶を受け止められるだけの強さを身に付けたときに、封印した記憶を解放します』と説明するのがいいでしょうか?」

「そうですね。

 その説明なら嘘は一切言っていませんし、滴ちゃん自身が未来を選択できますから、滴ちゃんも受け入れやすいはずです。

 マスターのお考えは素晴らしいです」

 

 タマモは大袈裟に僕のアイデアを称賛したけど、雁夜さんは浮かない顔だった。

 

「滴ちゃんにとって、間桐家で過ごした時間は痛みと苦しみが続くだけで、何も良いことはなかった。

 いっそ、記憶を封印した期間は『家族を失ったショックで長い間眠り続けた』と説明して、辛い過去は完全に秘密にした上で俺の養子として育てればどうだい?

 『兄さんが育てるはずだったが、事情があって育てられなくなったため、俺が引き取ることになった』と説明すれば辻褄は合うし、苦痛の日々は無かったことにできる」

 

 う~ん、滴ちゃんに一生秘密にできればそれもいいかと思うんだけど、絶対に誰かが、というか臓硯が滴ちゃんにばらすのを阻止できない気がするんだよなぁ。

 

「滴ちゃんが死ぬまで、この地獄の体験について隠しきれる自信があるのなら、それもいいかもしれないけど……、臓硯が滴ちゃんにそのことをばらそうとした場合、貴方はそれを完全に阻止できる自信があるのかしら?」

 

 雁夜さんの楽観的な判断に対して、メディアは容赦なく穴をついてきた。

 やっぱりメディアも同じことを危惧していたらしい。

 

「そ、それは、……確かに、臓硯が本気を出せば、……僕程度では阻止することは不可能、だ」

 

 雁夜さんはメディアの言葉に対して、反論の言葉を見つかられなかった。

 

「そういうことよ。

 後から他人にばらされて、滴ちゃんに私たちに対する不信や疑惑を埋め込まれるよりも、最初から話せる範囲で嘘のない説明をするほうが賢明よ」

「だけど、将来記憶の封印解除を依頼してきて、取り戻した記憶に耐え切れなかったらどうするつもりなんだ!?」

「その場合は、……気が進まないけど、記憶を再封印するだけのことよ。

 私たちが優先するのは、滴の心身が正常な状態にあること。

 本人が望んでも、過酷な過去に耐え切れないのなら、……再び封印するだけよ。

 事前にそのことを伝えておけば、滴も文句はないでしょう」

 

 副作用とかなしで記憶の再封印が可能なら、その対応はありかな?

 いくら本人が記憶を取り戻すことを望んでも、精神崩壊してしまったら意味がないし。

 しかし、メディアの方から記憶の再封印を提案するとは、本気で滴ちゃんを助けたいんだな。

 

「確かにそれなら、……本人の意志も尊重しているし、最悪の場合もフォローが可能、か」

「もっとも私たちが育てるんだから、そんな柔な精神の持ち主にするつもりはないけどね」

「もちろんです。

 自分の意志で未来を決め、妨害する者は全て蹴散らせるだけの力を与えましょう」

 

 ずいぶん過激なことを言っているが、……まあ教育方針としては間違っていないか。

 メディアとメドゥーサが母親代わりって、すごいことになりそうだな。

 父親代わりは、やっぱり雁夜さんか?

 多分、滴ちゃんの保護者は雁夜さんになるだろうし。

 となると『厳しい母親(二人)と、優しいというか甘い父親兼保護者』という組み合わせになりそうだな。

 ……まあ、バランスが取れてちょうどいいか。

 そういえば、真凛は全く発言していないけど、何か気になることでもあるのかな?

 

「真凛はどうだ?」

「……ベストではないけど、それがベターな対応だと思うわ。

 ごめんなさいね。

 桜もこんな状態になるかもしれないと思うと、冷静になれなかったのよ」

 

 そうか。

 真凛のコアとなっているのは凛ちゃんからコピーした記憶と人格だから、桜ちゃんが体験したかもしれない可能性の実例を見せられて、これ以上ないぐらい動揺していたのか。

 無理もないか。下手にフォローするよりも落ち着くまでそっとしていたほうがいいだろう。

 

 

「ではまとめると、

 

・滴ちゃんが間桐家に引き取られてからの全ての記憶は封印。

・自意識を取り戻した滴ちゃんに、嘘は一切言わず、詳細はぼかしつつ可能な範囲で説明。

・将来滴ちゃんが記憶の封印を解くことを希望し、メディアたちがそれに耐えきれると判断したときに、記憶の封印を解除。

・封印を解かれた記憶に耐えきれなかったときは、記憶の再封印実施。

 

といったところですか?」

「そうなるわね。

 そうそう、滴の記憶封印を確実にしたいから、貴方滴ちゃんと仮契約(パクティオー)してラインを繋げなさい」

「あ~、やっぱり、そうなりますよね。

 ……勝手にキスするのは気が引けますが、治療行為と言うことで許してもらいましょう 」

 

 すぐにメディアが仮契約(パクティオー)の準備をして、僕と滴ちゃん、タマモと滴ちゃんのラインを繋げることに成功した。

 それはつまり、滴ちゃんのラインがメディア、メドゥーサ、真凛とも接続されたことになる。

 これで、メディアとメドゥーサはラインを通じて、滴ちゃんの治療が可能になったわけだ。

 滴ちゃんに食事をとらせて寝かせた後、すぐに二人は滴ちゃんの記憶の解析を始めていた。

 この二人が本気になった以上、滴ちゃんの記憶封印は完璧に実行されるだろう。

 ……問題は、記憶を封印して洗脳も解けて(封印して)、正気を取り戻した後の滴ちゃんの反応だけど、……これは幸運と滴ちゃんの心の強さを祈るしかないか。

 

 

 臓硯が滴ちゃんに手出しするのを妨害するため、メディアによって常に間桐邸を監視し、臓硯の動向を探ることになった。

 救出作戦後、避難していた間桐家の人間が帰宅したぐらいで、それ以外の人の出入りはないようだ。

 消防車やら警察やらの出動は全くなかった。

 どうやったかは知らないが、うまくもみ消したようだ。

 ……まあ、地下室には焼け死んだ大量の蟲やら、多分死体もたくさん転がっているだろうから、絶対に部外者を入れるわけにはいかないんだろうけど。

 

 

「そういえば、地下室から真凛が持ってきたミイラは何に使うんですか?」

 

 ホムンクルスを作る材料にでもするんだろうか?

 あるいは、……間桐家の魔術師の体質を徹底的に調べて、雁夜さんのパワーアップに役立てるのだろうか?

 いや、雁夜さんの魔術回路を全部開いた以上、今さら先祖のミイラを調べてもそれほど意味はないよな。

 

「あのミイラは、間桐家の魔術刻印を持っていたから真凛に回収を頼んだのよ。

 多分、雁夜の数代前の先祖でしょうね。

 魔術刻印は問題なく保存されていたようだから、雁夜に移植できるわ。

 念のため、トラップが仕掛けられていないか確認してから移植をする予定だけど」

 

 ……ああ、そういえば『可能なら臓硯襲撃時に間桐家の魔術刻印』とか、『(存在するなら)秘蔵の令呪』とかを回収する予定だったっけ。

 聖杯戦争で未使用だった令呪は監督役の神父が回収することになっているけど、間桐家のマスターの令呪を臓硯が回収して保管していてもおかしくないはずだし。

 

「間桐家の魔術刻印が無事に手に入ったのは嬉しいですね」

 

 あとは雁夜さんが令呪を手に入れば完璧なんだが。

 ……まあ、魔術回路数が僕を上回っている今の雁夜さんなら、もうちょっと訓練して魔力量を増やせば、遠からず令呪が手に入ると楽観視しているけど。

 

「臓硯は魂を蟲の体に移すことはできても、魔術師用の魔術刻印を蟲の体で使うことはできなかったから、いずれ現れるであろう優秀な後継者の為に魔術刻印を保管しといたんでしょうね」

「じゃあ、これで雁夜さんは?」

「ええ、魔術回路を全部開放し、魔術刻印も手に入るわ。

 後は魔術刻印を使いこなすだけの知識と経験を積めば、間違いなく一流の魔術師になれる。

 そうなれば、雁夜だけでも滴を守ることも可能になるわ。

 ……いえ、私がそれが可能なぐらい強くしましょう」

 

 なんか、メディアさんが熱血教師になっている。

 そんなに雁夜さんは、弟子として教えがいがあったのだろうか?

 いや、かつて自分を最後まで守ってくれる人がいなかったことが、結果として悲しい未来に至ってしまった原因だった。

 その悲劇を繰り返さない為、雁夜さんを『滴ちゃんの保護者兼守護者』として相応しい存在に育て上げることを決意したのか?

 ……こりゃ、雁夜さんはこれから大変だな。

 

 ……っと、そういえば

 

「聖杯戦争開始まであと1年ぐらいですけど、そんな短期間で移植できますか?」

「何を言っているのよ。

 貴方が使っている魔術刻印を制御する魔術があるでしょ?

 私が手を加えてさらに制御精度や効率をアップしたから、この魔術刻印も一年で移植を終わるわ」

「お、お手柔らかにお願いします」

 

 メディアの宣言に、雁夜さんは顔を引きつらせながら答えていた。

 

 

 その後、時臣師の使い魔を真凛が連れてきて、詳細な報告を行うことになった。

 

「事前に相談した通り、真凛たちの影だけで間桐邸に突入したところ、雁夜さんの言葉で臓硯がものすごく動揺していた状態でした。

 その隙をついて雁夜さんと滴ちゃんを救出し、足止めに地下室を燃やしてすぐに離脱しました。

 詳細は雁夜さんから聞いてください」

「ふむ、初の実戦を経験したばかりであり、雁夜君の無事を確認したから詳細は聞いていなかったが、初の実戦で冷静に、そして完璧に目標を達成するとは大したものだ。

 この経験を糧にして、驕ることなく精進したまえ」

 

 誉めてくれるのは嬉しいが、僕がしたのは魔力提供と戦場観察だけで、メディアたちが勝手に全部やってくれたから、初の実戦には該当しないよなぁ。

 聖杯戦争の前に、一度ぐらい実戦経験したほうがいいか。

 『メディアによる武器収集の為のヤクザ狩り』にでも、(僕の影の分身を)参加させるべきかな?

 

 

「では、雁夜君。

 君がどんな状況で拐われて、一体どんなことをされたのか、詳細を教えてもらえるかね?」

 

 僕が考え事をしている間に時臣師は雁夜さんへ質問を行い、雁夜さんもまた詳細に自分の身に起きたことを説明していった。

 メディアとメドゥーサのこと以外は特に隠すこともないので、嘘はもちろん、二人のこと以外一切隠し事なしの説明となった。

 

「なるほど。

 予想通り、臓硯は完全に本来の目的を忘れていたのだね。

 確かに、根源に至るためには膨大な時間が必要なのは事実であり、その手段として不老不死を求めることはよくあることではあるが、……まさか目的と手段が入れ替わったあげく、本来の目的を忘れていたとは。

 それなら、臓硯があそこまで愚かな真似をしていたことが納得できる。

 本来の目的を忘れ、ただ生き残ることだけを考えている臓硯にとって、自分以外の全ての存在は『自分が不老不死へ至るための道具』であり、『暇潰しの玩具』だったのだろうね」

「全く否定できないな。

 いや、間違いなくそれが正解だろう」

 

 冷静に分析する時臣師に対して、雁夜さんは怒りを込めて肯定した。

 

「しかし、君の指摘を受けて、臓硯が苦悩したと言うことは失った願いを思い出す可能性もあるわけだね」

「確かに、本来の目的が不老不死ではなかったことは思い出したようだが、……なにせ数十年、下手をすれば百年以上忘れていたことだ。

 そう簡単に思い出せるものではないはず。

 それに、体を蟲に変えたときに、その記憶を物理的に失った可能性もある」

「その可能性も十分ありそうだね。

 ……しかし、己が人生を懸けて追い求めたものをずっと忘れていたことに気づいたものの、それを思い出すことができないとは。

 これ以上ないぐらいの精神的拷問だね。

 私は根源へ至るという目標を忘れることは絶対にありえないが、……そのような状況に陥ることなど考えたくもない!」

 

 そう言った時臣師の声からは、僅かだが恐れが感じられた。

 

「今まで罪のない女性、そしてマキリの後継者を苦しめ、殺してきた罰と考えれば、……いやそれでも足りないな。

 あいつは、永遠に解けない命題を抱えながら、解くことも諦めることもできず、魂が滅びるまで苦悩するのがお似合いだ」

 

 雁夜さんはすごく残酷なことを言ってはいるが、臓硯相手だとちょうどいい罰だと思えてしまうから、怖いものだ。

 

「とはいえ、臓硯がどうなったかについて確認できない以上、彼の動向を監視する必要があるのは言うまでもないね」

「そうだな。

 基本的にあいつのテリトリーは冬木市内だから、俺は滴ちゃんと一緒にこの市外の拠点に隠れているつもりだ。

 あとは、間桐邸の監視の他に、冬木市で若い女性が行方不明になる事件が発生したかどうか調べておけば、臓硯の動きがある程度読めると思う」

「ふむ、以前聞いた件だね。

 臓硯は蟲の体を維持するため、数ヵ月に一人のペースで若い女性の肉を必要としている。

 もし、若い女性が行方不明にならないようなら、臓硯は滅んだか、この町から逃げた可能性が高い。……そういうことかな?」

「ああ、その通りだ。

 あいつが目的を持って逃亡したら厄介な存在になるが、……今の俺では何もできないしな」

「目的を持って逃亡、ね。

 やはり、次、あるいはその次以降の聖杯戦争に勝てるだけの手駒を用意するといったところかな?

 あとは、完全な裏切り者となった君を確実に殺すために彼自身が力を蓄える為、といったところかね」

「多分、そんなところだろう。

 前者なら聖杯戦争の時に気を付ければいいが、後者の場合は厄介なことになるな」

「なに、君が臓硯を確実に撃退できるだけの力をつければいいだけのことだ。

 以前の君ならそんなことはとても期待できなかったが、今の君ならば十分臓硯を越えることが可能だろう」

 

 そう、時臣師も雁夜さんが閉じた魔術回路を全部開いて、一気に才能を開花させたことを知っているのだ。

 ちなみに、時臣師には「降霊したメディアの力を借りたら、僕の魔術回路が開いて、同じことをしたら雁夜さんの魔術回路も開いた」と正直に事実を伝えている。

 さすがの時臣師も驚いていたが、「メディアの能力なら可能でもおかしくない」と意外とあっさりと受け入れていた。

 

 こうして、今後の方針として、僕たちは『臓硯の動向を調べつつ、後は今まで通り聖杯戦争の準備を行うこと』になった。

 

 

 翌朝、間桐鶴野は慎二を連れて、大きなスーツケースを抱えて家を出ていった。

 そして、タクシーに乗ると移動を開始した。

 多分、臓硯から逃亡するため、冬木市から脱出するつもりなのだと思う。

 ありえないとは思うが臓硯が死んだか、あるいは臓硯が一時的に活動できない状態になり、慌てて逃げた可能性が高い。

 なにしろ、『誘拐した雁夜さん』と『修行と言う名の虐待をしていた滴ちゃん』を助けるため、間桐邸に襲撃をしかけられたばかりだ。

 特に滴ちゃんの虐待については、自分もかなり関わっているため、このままここにいれば命に関わる危険があると考えてすぐに逃げるのは、当然とも言える行為だろう。

 同じ状況に置かれたら、僕なら間違いなくとっとと逃げる。

 

 

 と思っていたら、メディアが予想外のことを言っていた。

 

「可能性は低いけど、鶴野や慎二の体内、あるいは荷物の中に臓硯が隠れている可能性もあるわよ。

 どうするつもりかしら?」

 

 そんなことが、……ありえるか?

 確かに冬木は遠坂家の管理地だから、ここから逃げたとしても臓硯が失うものは間桐邸と地下室にいるマキリの蟲だけだ。

 しかしマキリの蟲は、臓硯の体の一部であり、力そのものと言える。

 いくら火事があったとはいえ、マキリの蟲が全滅まではしていないはずだ。

 たかが一回侵入を許した程度でそこまでするだろうか?

 

「魔術でチェックすることは「無理ね」

 

 楽観的願望はメディアに即行で否定されてしまった。

 やっぱりそうか。

 となると

 

「いるかどうかもわからないし、いるのがわかったとしても、手出しできないから……、とりあえず放置するしかないね」

 

 臓硯を完全殲滅したいのはやまやまだが、……臓硯が冬木からいなくなりこっちが戦力強化できる時間が手に入るなら、……まあメリットとデメリットが釣り合うだろう。

 ……臓硯が何を考えて冬木から出て行ったのかが不気味ではあるけど。

 あとできることと言えば、……何だろう?

 迂闊に自宅の周りに結界を張って時臣師にばれると面倒だし、……メディアに頼んで使い魔で警戒してもらうぐらいか?

 後は、間桐邸を常に監視するぐらいしかできることはなさそうだな。

 

「そう、貴方がそう決めたのなら従いましょう。

 その判断が正しいことを祈っているわ」

 

 メディアの言葉はものすごく不吉だったが、さすがに切嗣のように『とりあえず』で殺せないしなぁ。

 メディアの使い魔で監視したが、鶴野たちが乗ったタクシーは結局そのまま冬木市から出ていってしまった。

 

 その後調べてみると、間桐邸の使用人もすでに全員解雇していた。

 ここまでしたとなると、鶴野は本気で一生ここに戻るつもりはないんだろう。

 

 

 これで(鶴野と一緒に逃げていなければ)間桐邸に残っているのは臓硯だけのはずだが、しばらく24時間体制でメディアたちが監視しても一切動きを見せなかった。

 そして、冬木市内での若い女性が失踪する事件も全く起きなくなった。

 

 そこで、再び分身で間桐邸へ侵入してみると完全にもぬけの殻で、臓硯はどこにもいなかった。

 とりあえず、地下室にわずかに残っていたマキリの蟲を皆殺しにして、マキリの魔術書を全て回収してから間桐邸から立ち去った。

 このことを時臣師に説明すると、時臣師は『臓硯が死んだ可能性が高い』と判断した。

 しかし、臓硯は一回襲撃を受けたぐらいで逃げ出すようなタマだろうか?

 ……雁夜さんの言葉によって忘れていた理想を思い出し、『理想を実現するために必要な何かをするために出て行った』可能性ならあるか。

 あるいは、冬木市に隠れ家があってそこに潜んでいるのかもしれない。

 あのまま臓硯が焼け死んでくれれば嬉しいけど、あの程度で臓硯が死ぬとは思えないから、……臓硯が再登場したときは絶対に面倒なことになるんだろうなぁ。

 

 

 こうして、臓硯は行方不明となり、残された間桐親子も冬木市から逃げ出し、雁夜さんの誘拐から始まった事件は一先ず終了となった。

 滴ちゃんの保護者は雁夜さんへ変更され、滴ちゃんの『体の治療』と『記憶の封印』は確実にゆっくり時間を掛けて行われることになった。

 

 その処置が無事に終わったとして、滴ちゃんは正気を取り戻せるのか?

 取り戻せたとして、生きる希望を持てるのだろうか?

 そして、滴ちゃんが地獄を見た原因(マキリの後継者を放棄:雁夜さん、桜ちゃんの養子入り妨害:僕、マキリの養子入りを回避:桜ちゃん)に対して、(記憶が封印済みとはいえ)恨まないでくれるだろうか?

 

 はあ。これからも、問題は山積みとしか言いようがないな。

 




 ハールメンでの初更新です。
 よろしくお願いします。

 設定の矛盾や誤字などがありましたら、ぜひお知らせください。

 7/16時点で、評価は5.33をいただきました。
 この評価が少しでも上がるように、今後も努力していきます。


【改訂履歴】
2012.07.21 『臓硯の逃亡の可能性』について追記しました。

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