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所は洛陽城内評議所
厄介事…朱儁とのいざこざからやっとの思いで逃げ出す事に成功した希才。しかし彼の戻った先…諸侯集まる評議所内は何とも取れぬ異様な空気と歓声に包まれていた。
「オーッホッホッホッホ!オーッホッホッホッホ!!オーッホッホッホッホ!!!私を!この名族たるこの袁本初を!天に選ばれるべきこの私を崇め奉りなさい!オーッホッホッホッホッホ!」
「あぁ…?」
その光景は散々足るものであった。
北方南皮は名士、その袁家の代表格である袁紹はあろうことかこの場にいる諸侯全体の七割程を囲い、無駄に豪華絢爛な謎の催しを行っていた。
袁紹は彼女を囲う諸侯の中心で、まるで皇帝が座する皇室の椅子の様な豪華な
見た目こそは全く真逆ではあるが。
「風鈴、こいつは一体……」
「あ、あははぁ…それが、麗羽ちゃんがねぇ…」
流石のほんわかとした雰囲気も成りを潜めさせている盧植。
彼女が話す所によれば…恐らく袁家へ媚を売りたかったであろう諸侯の誰かが袁紹へ分かり易い程の世辞を述べたところ、気位の高く、それも同じ位に『阿呆』な袁紹である。
すっかりおだてられ、乗せられた彼女を更にヨイショし、おこぼれを預かろうとワラワラと周りの諸侯も集まり、当の袁紹はそれに機嫌を良くしては止まる事の無い高笑い。こうして現在の、ある意味地獄の様な喜劇が産まれてしまった、という事らしい。
そしてこの場において最も重要な事、それは希才にとってこれは滑稽だと笑い飛ばせる時点を既に超えていた事であった。
ガン! …ガランガラン……
全く嬉しくもない予想の的中を噛み締めに噛み締めた希才は、最早形振り構っていられなかった。只でさえ嫌な連中に
そう思うと希才は吹っ切れたのか、普段力など入れぬ筋肉に鞭打ち、手前にある木椅子を蹴り飛ばした上、目の前の烏合の衆と化した諸侯らにまるで豪将が敵兵に吼えるかの如く喝を入れた。
「いい加減にせんか貴様らァ!」
普段は冷静、と言うよりも呆けているか単純に大人しい希才だ。
それを知る人間も居たのか、それともただ突然の大喝に気を取られたのか。袁紹を初めとした諸侯らは希才の方向へ一斉に顔を向け、驚きを隠せない様子で立ち尽くしている。それを見た希才がここぞとばかりに
「これがもう間も無く陛下の御前を賜う忠臣のあるべき姿か!?寄って集ってぎゃあぎゃあと醜く喚きおって…恥を知れ!!」
流石に冷や水を浴びせられ今の自らの姿を冷静に省みたのか、諸侯らは背中を丸めると、正しく恥を忍ぶ様に項垂れながら席へと戻っていった。
これまでの一連の流れに区切りが付く、すると今までの間呆然とし続けていた袁紹はハッと気を取り直すと、『自分のお立ち台』を粉々にした犯人に対し、我が儘な子供の逆上かの様に怒りをぶつけ出す。
「な…な…アナタは何をしているんですの?!ちょっと華琳さん!あの男を捕まえて「黙らっしゃい!!!」ヒッ……」
全く反省の無い様子の袁紹。それを見て哀れみ半分恐れ半分と言った目線を送る諸侯ら。まるで最早他人事かの様な白けた目線を送る諸侯もいた。
少なからず希才にとって非常に不愉快極まりない光景が続く中、更に今度はこの阿呆の様な催しの当事者である袁紹のみへ畳み掛ける様に説教を浴びせる。
「此処には貴女を庇う人物も居なければ『私を捕まえる人物』も居はしません。…そもそも貴女が原因なのだよ袁紹殿。袁家が朝廷へ三公を代々輩出し続けた名家など百も承知。しかしその漢の古臣たる袁家の、その代表たる貴女が朝廷の中で!あろうことか「『天に選ばれた!』、なんて宣うのは…確かに大不敬よね」………アンタは…」
いつの間に現れたのであろうか。
『
後の世に諺として残される程その神出鬼没さをも恐れられた英傑、曹操。希才の大扉の前に腕を組みこの場の空気を感じるかの様に目を閉じる彼女はその相貌をゆっくりと開き、
「あ、あぁ~ら華琳さん、そんな所に居らしたのね。貴女は部尉なのでしょう!?さあ早くそこの不躾な男を捕まえて頂戴!」
「断るわ。それに周りの状況、少し落ち着いて観察してみたらどうかしら?」
懐疑の素振りを見せつつも、周辺を探る動物の如く細首をせかせかと動かし、冷静に
周囲に居た
そしてさしもの袁紹もそれに気付く。
「場を騒がせて…大変申し訳御座いませんでしたわ…」
やっと吐き出された謝罪の意。しかし曹操は何度も同じ失敗をする人間へ向ける様な深い溜め息を一つついた後、弄した策がピタリと嵌まった軍師の様なイヤらしい笑みを浮かべながら袁紹に近付き、その隣に腰掛ける。
「フフッ……袁中軍校尉殿…ううん、麗羽。まだ一つ忘れている事は無いかしら?」
「…『忘れている事』……?」
なんだそれは
この私が罪を認めたと言うのに
この私が謝罪の言葉を紡いだと言うのに
この私が、あろう事かこの名族であるこの私が頭を下げたと言うのにこれ以上何があると言うのか!
袁紹は先程までの出来事により最早縮小の一途を辿る自らのちっぽけな
しかしそんな袁紹の眼力を全くもって意に返さ無い曹操。彼女は女性特有の美しさとしなやかさを併せ持つ可憐な細指を、感情の爆発を抑えきれず、涙の雫をはらはらと伝わせる袁紹の左頬を優しく払うかの様に添わせる。するとそのいやらしい笑みのまま、甘い愛言を意中の相手に這わせるかの如く、艶やかな吐息を添えて袁紹の耳元に『忘れている事』を囁き打つ。
「ええそうよ。貴女がさっきから怒鳴り散らしている
まるで唐辛子の様に赤く顔を染まらせていた袁紹。 が、しかし。曹操の『友人』としての進言を聞くや否や、その赤顔を真逆の青色に染め上げ、今度は
「た…大変申し訳御座いません、尚書令殿…!わ、わ、私…は……」
「いや、良いのだよ袁紹殿。分かって下されれば、な…」
各地の守護を行う事で皇帝の御身を護らんと言う使命を持つ西園八校尉という将の位とは言え、朝廷政権の中枢部に身を置く尚書令の位にはその権威は及ばない。愚鈍とは言え腐っても名家の一員なのか、流石に
非礼を赦して下さったのだろうか
何と度量の広い方なのだろうか
獄を抱くか、下手をすれば特に名族として名高い袁家三族へ被害の及ぶ処罰を受けるかもしれない、という恐怖心と責任感で押し潰されそうになっていた。しかし目の前におわす、まるで後光が差すかの如く燦然と輝く様にも見える尚書令殿の慈悲深いお言葉を頂いた彼女は、まるで救われたかの様に地獄から天国へと垂らされた糸を見つけ、正しく『天にも昇る』様な心地でいた。
「あ、有難う御座います尚書令殿!私、は………」
果たして袁紹が掴んだ
否。それは違う。
顔を上げた彼女が見た物は、曹操に負けじと劣らず笑窪に深い溝を作るいやらしい笑みを浮かべながら
「え、あ、あの……しょっ、尚書令、殿……?」
袁紹は目の前の男から感じる不快感か、威圧感か。どちらとも取れる未知の悪感情の圧力に仰け反り、顔をまた青冷めさせながらも何とか言葉を絞り出す。
すると目の前の男は肩に置いた手をするりと外し、また一歩、近付くと彼女の耳元へ『その表情』からは全く想像出来ない程の爽やかで、恐ろしい程の深みのある声で囁く。
「私は良いのです。私は、ね……いやしかし。あの様に騒げばあれ程の恥を晒すと言うのは教訓に為りましたよ。『人の振り見て我が振り直せ』、と言う諺もあります。私も今回の件、キッチリと
普段はうつけの様で、その気位の高さから高慢な態度ばかり取り人の話もロクに聞かぬ袁紹である。しかし失態を犯したばかりか罰せられるやもしれない、という事から冷静に頭を回せるこの状況に於いて、流石の彼女も名族としての教育を受けた士の一人である、幸か不幸かその言動の《意味》を嫌でも理解してしまった。
血の気を失い、真っ青にに染まった顔で目の縁に滴を溜めた袁紹の肢体を震わせる緊張感と恐怖心、そして目の前の男の存在。
その時袁紹の二、三歩後ろに腕を組み、今までの様子を観察していた曹操が希才の前へ進み、礼を取ると
「王尚書令殿。
おお、意気揚々と喋りよる
希才は先程の庭園での一件を含め、元々持っていた曹操孟徳という一人の人間の格の高さを更に一段引き上げる様に考える事を決めた。部尉として、女として、友人として。あくまでその立場に則り、かつその立場に対して完全な迎合もせず、確固たる『曹操』という存在を知らしめんとばかりに行動し、周囲に拡げ行くその強者特有の存在感を持つ者。
げに『素晴らしいもの』である。
そんな中、皮肉な事に袁紹は
しかし希才は最早袁紹などに全く興味無さげに完全に目線を曹操に移すと大きく一つ、細くも深く長く、吹くような溜め息を付き、曹操の問いに答える。
「確か曹…北部尉殿、でしたかな?」
「は、その通りでございます王尚書令殿。……それと、謁見が滞り無く終わりましたら
「ああ構わんよ。それと自分はあまり固い呼ばれ方をされるのは好まないんでね、王允でいいよ。……それにしても、
先の朱儁の一件があった庭園方向の扉を親指で向かうように差する希才。すると希才と曹操は袁紹へ向けていた様ないやらしい笑みでは無く、互いに分かり合っている関係の人間が浮かべる様な微笑で評議所内の時間に間を作り出した。
「はい。
「そうか。
一間置き、二人は互いに目を見合わせると突然笑い声を挙げ始める。それこそまるで酒に酔い、下らない馬鹿話をする旧知の友人同士の様に。
そして評議所内では、その様子をポカンと眺め続ける事しか出来なかった丁原らを含めた諸侯一行と、居心地の悪さと目の前の不可思議な光景を最も近くの距離で見続けたにも関わらず、全く体も頭も動かす事が叶わなかった袁紹達は、希才と曹操、この只者では無い男女の笑う姿をただただ見つめている他無かった。
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結果的に見れば、謁見はさして何事も無く無事終了した。
『結果的に』という言い方をするのは、原因こそやや違えど、呆然とした状態でいた袁紹を含めた各諸侯の心中への希才と曹操による
が、むしろそれらが逆効果…良い方向に働いたのか。
本来はまともな諸侯らは兎も角、特に
さて『評議所での一件』が無事に終了し、一端の安堵を得た希才であるが、悲しいかなそれよりも厄介な問題が未だ存在している事は彼が頭から離そうにも離す訳には行かない一層面倒極まりない事項なのであった。
とどのつまり、目下の問題として『宦官・朱儁・北方・曹操』が山積みになり、希才の背を圧している事実は変わり様が無い。それに袁紹の一件などは結局突発的に起きた問題処理以上の物では無い、所詮細事と言うものだ。
「やあ曹北部尉殿、では此方で話そうか」
面倒だが致し方ない
希才は一通りの段取りが終了し、庭園で見掛けた部下であろう女性二人と話していた曹操を見付けると、取り合えず目先の問題を一つ、解決せんと先程の誘いへの返事を返そうと話しかける。
しかし次の瞬間跳ね返って来た物。それは希才が悪鬼潜む宮中で培わせた殺気や圧迫感などとは比べ物にならない程の、武人特有の
「!!!………はい、酒と肴を用意して御座います。尽きましては、この者達の同行を願いたい」
瞬間。たった一瞬の間に発せられた曹操孟徳が心の気迫。
成る程、この曹操という逸物は
希才は確かに畏怖
朱儁の分かりやすい怒気、それとは対照的な劉虞の妖しげな闇、その二つに共通する『恐怖』の意。言うなれば曹操の物はその二人の物とは違う、自らを表さんと発する『恐怖』である。
その『恐怖』を発し、下げた頭の更にその下には、まるで今にも目の前の男を捕食せんと息巻く猛獣の様な獰猛な目を光らせ、その
「ああ、勿論。もうご用意もなされているとはありがたい。私も友人を呼ぶとしましょう」
微笑を一つ、彼女のギラリと光る相貌の眼へ置くと、大扉の方向へ振り向き、歩きだす希才。すると曹操は拍子抜けした様に少し目を見開き、呆れたかの様な聞こえぬ程の小さな溜め息を一つ付くと、無表情にその背を眺めた後、後ろ何尺かを着いて歩き始めた。
前を歩くその男の表情もまた、『やり方』は違えど自らと同じ『捕食者』である事を知らずに。
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「これ、は……とても…美味しい……」
「そうだな、月と風鈴も来れれば良かったのに」
赤焼けの夕陽が桃の木の間を縫い、その下で机の上に置かれた食事に舌鼓を打つ蔡邕らを照らす。
董卓と盧植の二人は急を要する議が起きたため、この場にはいない。
結局のところ。この『食事会』では大した重大な話もせず、交わしたのは浮わついた世間話程度の物であった。
それもそのはず。曹操はこの話を持ち掛けた時、王允子師と言う男の持つ性質を見極めんとする目的があった。しかし先程の返答の口調や挙げ句の果てに『友人を呼ぶ』などと言う始末。
興味を失いかけつつも、酒を入れ、ある程度深い部分での話をすれば少しはその深謀も見えてくるのではないか、と期待をしていた。ところが返ってくる返事は有り体で平凡極まるものばかり。此方から誘った手前、無下に話を切り上げる事も出来ない故にこうして
「もう夕暮れね…」
自分の主が流石に痺れを切らした事に感付いたのか、部下の二人がやや心配そうに冷や汗をかき始める。部下の一人、夏侯淵が
「王允殿、並びに各州刺史殿。直、日も暮れます…今日はここまでに致しましょう」
「ああ、帰りが暗くなるのは…ちと困るからな」
全く、訳のわからない男だ
正直なところ、曹操は希才を、この眼力を受けて怯まない大物なのか。それとも受けた事すら気付かぬ愚凡なのかすら計りかねていた。 先程の朱儁の一件で見せたあの『目』。それは自分の勘違いであったのか、と。
後悔、というよりも失望の意が曹操の心中を染め始めた。が、その時。
感じた
彼女は確かに感じた
殺気でも無い。何かを射ぬかんとする目力でも無い。しかし感じたのだ、確かに、何かを。
曹操は表面には出さないものの、失望の色に染め上げられた心中に動揺という矢を射られた事をハッキリと今、自覚した。
何だ、この不愉快な感覚は
誰だと言うのだ、
戸惑う曹操が後ろにいる部下を振り向いても、その部下二人は突然自分達の方向へ振り向いた主の意が判らぬと言わんばかりにキョトンとした目を曹操へ向けている。
この子達は
瞬間的に彼女がそう判断し、元の方向へゆっくりとした動作で顔を向け直す。するとそこに居たのは、宮中で平和ボケをしている只の凡夫では無い。その禍々しい程濁った両の黒目を、
「……ッ?!」
今度は一瞬。曹操は体面から分かる程の動揺を、風が吹き抜ける間よりも短いほんの一瞬ばかり見せた、それが今の自分の耐えうる限界だ、と言わんばかりに。
しかし当の曹操は気付いていなかった。自分の動揺に。それどころか自分と王允の二人の間にだけ発せられている緊張感から、自分の額を冷や汗が流れている事にすらもまた。
「…それでは、これにて失礼させて頂きます。本日は御貴重なお時間を賜り、感謝の極みに絶えません…」
やっと終われる
いや、
しかしその
それは『退屈』な男への物なのか、『得体の知れぬ』男への物なのか、果たしてどちらに対して浮かんだ心境なのだろうか。この場に置いて、彼女が最も知りたがっていた
「…最後に、お一つ質問を宜しいかな?」
「…は、はい。何でしょうか?」
油断していたのだろうか。自らの口元すら上手く動かせぬ理由もよく分からぬまま、希才の突然の『質問』を受け入れる曹操。
しかし彼女も英傑の一人。手早く動揺を静めると、心中を身構える様に律し、先程の猛る眼力では無い真っ直ぐとした目線を希才に向け、その『質問』を待つ。
一旦の間。
身構えつつも、今だ少しばかりの緊張感を感じる曹操にとっては嫌な間である。
すると希才はその間をまるで『俺の時間だ』、とでも言うかの様に不敵な笑みで曹操に問いかけた。
「『世の中には二種類の人間がいる』、なんてよく言うが…あれはとどのつまり、
「…『使役する側』と『される側』、といった所でしょうか」
希才は『よく言う』とは言うが、彼女は実際の所そんな物言いは聞いた事も見た事も無い。こういう部分もまた彼の『分からない部分』である。
しかしすんなりと次の句を綴れた事に理由こそ思い浮かべはしなかったが、自分自身驚きと言った物は特に感じ得なかった。
その曹操が答えると希才は笑窪と目尻を深め、ニィと笑いながら口をすぼめる様にして答える。
「ブッ、ブー!不正解ぃ!」
「?!…は、と…と言うと…?」
また動揺させられた。しかし先程までの動揺とは違う。突然の訳の分からぬ言動に、まるで悪戯が成功した子供の様な『無邪気』とも見えるその笑顔。
ますます分からない、この男が
では何だ。この男の生来持つ性格がこの変人の様な行動を起こしているのか、と思えば、それは目を丸くして吃驚している丁原と蔡邕を見るにどうやら見当違いの様である。
とは言えど、このまま『不正解』とやらではしてやられた様で腹が立つ、帰るに帰れない。
「正解、知りたいかな?」
知りたいさ、是非とも教えて貰おうじゃあないか。
希才に出会ってからと言うものの、目めまぐるしく移り変わる自らの心境を確かに感じつつ、曹操は今、目の前の『質問』の答えに全力を注している。
そんな主を眼前に。長い付き合いの中、ある程度は自分の主の心内が理解出来る様にはなっている、と考える夏侯惇と夏侯淵。しかし今は、今だけは
その『理解出来ない』姿は正しく
そんな曹操は完全に希才のペースに乗せられている事にも気付かず、ひたすらに答えを思索する。
希才が解答を提示するかどうか聞いてからまだほんの二、三秒程しか経過していないが、それでも彼女には勿体振るかの如く、目の前のこの男が自分の心中を弄んでいる様にも感じ始めていた。
「なぁに、大した物でも無いさ。正解は…『誰かに忠実になれる人間』と『誰にも忠実になれない人間』、だ」
曹操はこの答えを聞き、寒気を感じる程の恐怖心を感じていた。何故ならたった今彼女が思索の末、希才の言葉をなぞる様に考え付いた答えが希才の
すると今までの間、緊張感のある雰囲気の中、会話に立ち入る事が出来なかった丁原は思い立った事を口に述べる。
「なあ…その『誰にも忠実になれない人間』って…存在してんのか?」
「絹の言いたい事、分かる。つまり……少なくとも…この国において、陛下に…忠誠を誓ってない人……って事、だよね……それ…」
相変わらず絹も日向も真っ直ぐに物事を捉えるな
希才は一種の関心を丁原に向けると黙りこくる曹操を尻目に、彼女の部下を指し示しながら話す。
「フフ、例えばそうだな……曹操殿の従者方、貴女達に聞こう。単刀直入に言うが、貴女達の曹操殿への忠誠心と陛下への忠誠心。果たして
言葉に詰まる夏侯姉妹、しかしそれも当然である。
『言えない』のだ。そんな事、口が裂けてでも『言えるはずがない』。自分が長年仕え、まるで義姉妹の様に信頼し合い、絆を深めてきた主曹操。
この漢の国の象徴とも言え、蒼天を統べる
『同義程大切である』、なぞとても
『我が主、曹孟徳が上である』、なぞ
『国家の主、皇帝陛下こそ天である』、なぞ
八方塞がりだ
夏侯淵は皮肉にもこの瞬間に、先程まで主が感じていた悪寒の正体に気付いた。
まとわり付く様な緊張感、嘲られる様な不信感、自分の思考すら信用出来なくなる圧迫感。我が主はこんな恐ろしいものと闘っていたのかと。
「…大変申し訳ございませぬが、私の様な粗忽者では、尚書令様の質問の意が理解しきれませぬ」
夏侯淵は
確かにどれも取らなかった、という点はある意味妥協の産物と言っても過言ではない物である。というのは彼女自信が重々承知の上で放った苦肉の一矢であり、曹操もその意を理解し、夏侯淵も理解してくれるはずだ、と確信していたからこそ出来る信頼の成した結果であった。
しかし、この場にはまだもう一人。曹操と夏侯淵とは全く違う答えを穿つ人物が残っていた。
「私は…私は断然!華琳様への忠誠を突き通さん!!!」
目を見開いた。希才が。その夏侯惇の文字通り
否。
同じ様に目を見開き、驚嘆した者が居た。それはこの場にいる全員。特に曹操と夏侯淵の二人は、己らの
「華琳様と秋蘭と私は忠義を、いや、それ以上の絆で結ばれた一心同体の『家族』!漢の民として皇帝陛下に忠義は尽くすとも、心通わせた『家族』への愛に勝るもの無し!!!これが私の答えだ!!!」
「ほう……!」
阿呆やもしれない。馬鹿とも言える。実際に話題の皇帝陛下がおわすこの宮中のど真ん中で、誰に何を聞かれんとも分からぬこの庭園で。その様な事をこれ程の大声で放つとは愚劣の極みと言うものである。
だがそれがいい
希才は珍しくも非常に清々しい気分であった。
全く怖いもの知らずの言動だが、『的を得ている』、『筋を通している』、『信念を貫いている』。
全く。
全く。
全くもって
「
気合いを入れ、解答を述べた夏侯惇は、拍子抜けしたかの様に礼を取ったまま顔を崩した。それは同じく『大正解』の印を押された夏侯淵も同じであった様である。
「……これはどういった催しなのでしょうか、王允様。私の
気を取り直した曹操が目に威を加え、注意を促すと、その希才は飄々と受け流すかの様な振る舞いをしつつも、その『問』に答える。
「気に障ったのなら謝ろう。……いや、だが、しかし。
曹操の込めた威とは違い、迫を込めた様な目線を夏侯姉妹に送る希才。
彼は、先程よりも地平線に深く沈み、夕焼け濃く橙に染まる西の空を一目見るとくるりと後ろを振り返る際、半身を向け、曹操らを見ながら手を挙げる。
「
すっかり緊張感のきの字も消え去ってしまった庭園の中心に位置する小さな会所。そこに残された曹操ら三人の『家族』は希才らが去り、見えなくなるまでその歩く背を見離さんと見つめ続けていた。
そんな彼女らがその心に、その記憶に、王允子師という男の『不可思議さ』と『不気味さ』を深く、深く刻み込んだ事は言うまでもない。
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「才くん…庭園、で…なんで…あんな、質問…した、の……?」
何だ何だ、いきなりアバウトな質問をしよって
「そーだよ希才、あんな意地悪な質問しなくたってさ、おっきい胸のねーちゃん達と曹操って人がガッチリ信頼関係があるなんて見てとれたじゃねーかさー」
全く食事中だと言うのに…
時は夜、犬の初は半ば、三日月の光り差す頃である。
希才は食事中あまり会話をしたくない質の人間であり、流れで丁原と蔡邕と食事を共にしている物の、早めに切り上げ、諸務をさっさと終わらせたいと考えていた。
しかし丁原と蔡邕の納得いかぬというこの様子。
致し方あるまい
希才は嫌がる心中を無理矢理納得させる。そして本日だけでも何回吐いたか分からぬ溜め息を一つ吐くと、対面に座り、希才の返答を急かすが如く忙しなく待つ二人へご待望の『答え合わせ』を開始した。
「曹操達にも言ったけど、大して深い意味は無いよ。ただ気になったんだ、
「後の…
「かこん?」
阿呆面の様に口を『ん』の字のまま首をかしげる丁原を二人が苦笑いで迎える。すると希才は蔡邕の『答え』に対し感想を述べた。
「相変わらず何でもお見通しだな、日向には……言うなれば、
「なに、それ……ずるい…」
何とも煮え切らない回答に頬を膨らませる蔡邕、その隣にはまだ首をかしげて言葉の裏を考えようと苦戦している丁原。
希才はそんな様子を茶をすすり、曹操らに向けていたものとは違う、本来の友人に向ける様な微小を浮かべながら見つめる。
「…強いて言うなら、も少し言いたい事もあったんだが……キザったらしい台詞だからな、それを言うにゃちと俺のツラがどーもね、宜しくないと言うか…」
「「…頑張れ!」」
何が『頑張れ』だ、何が
希才は困ったような苦笑いを浮かべつつも、楽しそうに笑う目の前の旧友二人を見て、その光景を懐かしむ様に笑う。
元々漢との関わり合いがある董卓と盧植を除いて、彼女達とは今日、数年振りに再会したのだ。皆が責務を大きく担う立場になってからと言うものの、こうして一同に介して会う余裕などは無かった。
あまり関わり合いを好まない希才ではあるが、今この時位は楽しむのもまあ悪くない、とも考えている。
これもまた平穏、平和と言うもの。全く面倒で仕方の無い宮中での闘争など、嫌でも後で幾らでも出来る。そう思えばこその一時期の遊興である、素直に楽しむのも悪くない。
そう、結局は『一時期の遊興』にしか過ぎなかったのだから。
さて食事も終わり、希才ら三人は残った北方問題に関する政務を行うため、苦い顔をする丁原を引きずりながら自室へ向かっていた。
しかし嫌な月だ
城と市中を結ぶ外通路を歩く希才が見るは夜空に浮かぶ三日月。それは薄青白く光る普段通りの夜月だと言うのに不気味極まりなく、その彩光は寒気を感じる妖しげな、まるでこれから起こる波乱の前の静けさを暗示するかの様な物であった。
「……希才?」
「どうしたんだよ、ボーッとして」
きゃいきゃいと話す(主に騒がしいのは丁原だけである)二人が数歩の距離、後ろを歩く希才の方を振り向く。
「どうしたんだ?お前らこそポカンとしやがっ、て……?」
希才は疑問を感じた。言葉そのままにポカンとした表情で突っ立っている二人を見て。嗚呼自分が美形ならば『そんな顔をしていたら可愛い顔が台無しだぜ』なんて臭い台詞も吐けたのだがな。などと考える程彼には珍しく、普段から運が悪いために思い通りにならない事から敬遠している楽観的思考を続けていた。
しかし希才は何時までもその表情を続けるどころか、自分では無く、自分の頭の上。いや、その先を見上げている事に気付いた。 そして希才は彼女達と同じく振り向いた先の光景を見ると、つい先程まで自分の行っていた『楽観的思考』などやはり
それは何故か。
夜空が紅いのだ。
いや、燃え盛っているのだ。
庭園が。宮中が。城内城外が。漢の天たる皇帝がおわすこの聖都、洛陽が。
「…全く、面倒事が増えに増えるッ!!!」
瞬時に状況を判断し、ギリリと歯を噛み締める希才。あまりに想像し得ない光景に呆然としていたがやっと目が覚めた丁原と蔡邕。
「城内が…月と、風鈴が…危ない……!」
「い、行こう!急がないと!」
仲間の危機に急ぎ、燃え盛る城内へ駆けていく二人。そんな彼女らの後を追わんと共に駆け出す希才。
その時、何処からともなく謎の白装束の男達が希才と丁原、蔡邕らの前に突如現れ、その道を塞がんと、此方へ剣を向ける。
「チッ!何だお前らは!?其処をどけぇっ!!」
こちらへ明らかに害意を及ぼさんと斬りかかる白装束数名。しかし、丁原は荒事は慣れた物と言わんばかりに両手に持った大剣で白装束を薙ぎ払う。
本当にその小さな体躯と細腕のどこにそんな力があるのやら。希才が感心する様に見ていると、今度は蔡邕が希才の右真横に跳び、彼へ迫る凶刃を投げナイフの様な小刀…暗器で弾き倒す。
「余所見…禁物…だよ…?」
なんでこの世界の女の子は皆強いのかねぇ
希才が自らのなけなしの武力を憐れんでいると、既に白装束らは全員倒されていた様だ、これまた流石である。
しかし危機はまだ続いている。今だあちこちで火の手が上がる城内へ入ろうと城門前まで希才らが到着すると、彼にとって意外な人物。いや、『宿敵』とも言える人物が城門の警備兵をくびり殺さんとしていた。
「やらせない……っ!」
「チッ…!」
蔡邕が小刀を投げると、
「何者だ!貴「俺に任せてくれ」お、おい希才!?」
忘れていた
いや
曹操にも『家族』がいた様に、俺にも『家族』が居た
大切な、俺を唯一理解してくれた、大切な『家族』が
「アンタだろ…燃やしたのは…?」
洛陽じゃあないさ
「ほう…と、言うと…?」
いや、洛陽『なんか』じゃあない
「俺の家を…俺の平穏を!俺の『家族』を!!!」
最早洛陽などどうでも良い、見つけてしまったんだ…
「フッ…クク、ク……ハハハハハハッ!
あの時
あの屋敷に
あの影が
あの業火が
俺の記憶の底にある熱く昂る感情を隆起させ、息も凍る様な冷静な心中がその感情を巨大な氷塊と成す
「…名前は、何だ?
そうさ、まさしくこれが
「元放…左慈元放……
『平穏を願う』俺の、『平穏を掴むための』闘争
「そうか…左慈。左慈、左慈!左慈ぃぃぃ!!!貴様の名前、心に刻んだぞ左慈元放!!!」
これから幾度と無く飛び交うであろう、闘いの血飛沫、争いの砂塵
「その必要は無いな!ここで滅びろ!!!王允子師!!!」
巻き起こすは時代のうねりか
それとも俺の持つ、数奇な運命か
はたまた乱世の姦雄曹操孟徳か
いや、未だ知らぬ英傑供の旗印か
さすれば我が宿敵、左慈元放か
分からない、まだ分からない
ただ一つだけ、今この場で分かる事がある
俺のヤツへの憤怒たる叫び
それは『あの時』とは違う、過去への後悔では無い、未来への灯火の咆哮
これが俺の
俺の生きるこの世界を
篝火狐鳴の蟻地獄に陥れんと猛り出す
『唸り道』
そら(文才が無くて文章纏められないなら文字数が増えまくるのも)そうよ
追記:恋姫の左慈は滅茶苦茶イケメン何じゃないかなとか思いました、声に至っては緑川さんだし(重要)