雲かくれにし 夜半の月かな
―紫式部―
『久しぶりにめぐり合って、それがどうかも見分けがつかないうちに雲に隠れてしまった夜中の月。その月のようにあなたもあわただしく帰ってしまいましたね』
保健室。
私の好きな場所の一つだ。当然、屋上も入っている。
いつからいたのか。いや、私は教室で眠ってしまったはずだ。
自分で反芻する。
しかし思い当たることは無い。
とりあえず起き上がろうと、横にある机に手を書けると、斜めになった机から一枚の紙がひらひらと舞いながら布団の上に落ちた。
その紙には達筆に何かが書いてあった。迷わず目を通す。
『屈強な男子たちがあなたを運んでくれたわよ。森島が具合悪そうだ、大変だってね。私はただ眠っていたようにしか見えなかったけど。 by 塚原』
読み上げて、つい笑みが零れてしまう。
さすが、ひびきちゃん。
私は自分の幸せを噛み締めるとゆっくり立ち上がった。そろそろ授業にでなくてはいけない。気づけば四時間目。確か、現代国語だったはずだ。古典の鈴木先生とは違い、現国の先生は目ざといし、怖い。まあ、かっこいいけど。
――平塚先生に怒られる前に行くかあ。
カーテンを引くと、保健室の先生はいなかった。代わりに、隣のベッドが使われている。
私はつい、覗いてしまった。
目線の先には見覚えのある生徒がいた。
「比企谷くん?」
思わず呟いてしまった。
私は少し近づいて比企谷くんであることを確認すると、スマホを取り出してこっそり写真を撮る。
だってあんな生意気な子の寝顔だよ? なかなかないじゃない。
授業……。まあいいか。
あれから三十分ほど。私もぽつり、ぽつり、眠気が襲ってきていた。
頭を落としかけては体勢を戻し、倒れかければまた体勢を戻しての繰り返しだった。
本格的に眠る……、というところでコンコンと戸を叩くを音が聞こえた。
私は特に考えることもなく「はぁーい」と間延びした声で返す。
聞こえた声は元気な声。
「ぐっもー! 八幡、元気ー?」
声と同時にカーテンが開かれ、仁王立ちした、パーマがかかっている少女が現れた。ブレザーは着用していなくて、全体的に着崩している。そして、すごく元気だ。
……かわいいわね。
まあ、それは置いといて目の前の少女は、私と目が合うと固まってしまった。
無理もないかぁ。男の子の見舞いに来たら知らない女子がいるんだから。
「えっと森島先輩?」
「あれ? 私のこと知ってるの?」
「まあ、有名人ですし」
「わお! ありがとう! とっても嬉しいわ」
「別に褒めたわけじゃないんですけど……。それで、どうしてここに居るんですか?」
目の前の女生徒は、パーマをくるくると弄りながら、気になるのか比企谷くんをちらちら見ている。
「んー。比企谷くんがいるから?」
「えっ?」
「冗談よ、冗談ー!」
「あ、そうですか……。よかっ……、いや何でもないです……」
言いかけたところで顔を赤くして、訂正する。やっぱり可愛い。
「ところであなたの名前は?」
「あ、棚町、棚町薫です」
「そう、棚町さんって言うのね? これからよろしくね!」
「あ……、はい」
さっきまであんなに元気だったのに、今はその勢いがない……。なんかひかれてる気がする……。
「あ、それじゃあ私、もう昼食取りに行くので。先輩はお昼ご飯食べないんですか?」
「え? もうお昼なの? ……そうね、私は比企谷くんが起きてからにするね」
「……そうですか。それじゃあお先に失礼します」
言いながら棚町さんは退室してしまった。それからしばらくぼーっとしていると、ようやく隣から声が聞こえた。
「ふぁあー」
間延びした声を出しながら、比企谷くんはゆっくりと起き上がる。
そして、少しぼーっとすると、顔がこちらに向いた。私はつい、見つめてしまう。
「…………は?」
比企谷くんの驚いた顔が可愛い。
「おはよう。比企谷くん」
「何でいるんすか」
「挨拶くらいしてくれてもいいじゃない」
「そっすね。不審者には挨拶で牽制しろとも聞きますし」
「わお! 私が不審者ってことね?」
「なんで嬉しそうなんすか」
「別に嬉しくないんだけどなー」
「そっすか。じゃあ俺は不審者に襲われる前に教室戻るんで」
比企谷くんはまた皮肉を込めながら、返事をするとちらっと腕時計に視線を送った。私も覗き込んでみる。
PM 1:30
「授業始まってんじゃん……」
比企谷くんが項垂れた。
× × ×
どうやら、お昼までに起きる予定だったらしい。ベストプレイス? で食べる予定だったんだって。
「比企谷くん、一緒にお昼食べに行かない?」
「……は?」
「ねえー、は? って口癖なのー?」
「いや、わお! とかオーキードーキーに言われたくないっすよ」
「むー、まあいいわ。お昼食べに行こうよ?」
「どこに」
「購買」
「頭おかしいんすか」
「そうでさぁねぇ。……まあ、体調不良ってことだし許してくれるわよ」
「まあ確かに、ないこともない……?」
「そうと決まったら行きましょ! どうせ、比企谷くんも睡眠不足なのよね?」
「……ストーカーはやめた方がいいっすよ」
「私は比企谷くんのことならなんでも知ってるってことよ」
比企谷くんの皮肉におふざけで返すと、じわっと比企谷くんの頬が染まった。まったく……、こういう純粋なところも可愛いんだから。
私はその勢いで比企谷くんの腕をひく。すると、比企谷くんは「痛え」と声を漏らした。そして、取り繕うように「何でもないっすよ」と苦笑いする。比企谷くん、ポーカーフェイスは得意でも、意外と嘘が分かりやすいのよね。まあ、まだ二週間しか近くにいないけど……。
制服の袖を捲ると、二、三ヶ所青く、あざのようになっていた。
「どうしたのこれ」
私は言葉の通り、詰問する。
「あ、いや別に……。……今日の体育でボールが、サッカーボールが当たって」
どうやら相当焦っているようだ。
「へぇ……。サッカーボールがねえ……。うちの体育館は室内サッカー禁止だし、どこでやったのかなあ」
「いや何を言って……、あ」
沈黙が流れる。そうなると必然的に外の音が聞こえてくる。そう、雨音が。
「……」
「……」
「……いや、まあいいじゃないすか」
「開き直るの?」
「その通り」
「はぁ……。そういう子だもんね、君は」
「そうっすよ、これが俺のアイデンティティ」
「分かったわ。もうこれ以上聞くのはやめるね」
「それじゃ、昼飯でも行きますか」
比企谷くんの声に先導されて、私たちは五時間目の途中に昼食を取りに行くことになるのだった。
ハーメルン限定作品です。