ミキサーに溶け込んだモルタルのように、
どろどろに溶けたみっつのあたま。
奇跡はとうに使い古されて、
コンクリートにつめたく横たわっている。
殺した。
ぼくが殺した。
ぼくが殺した、のだろうか。
わからなくなっていると、
あたまたちの双眸が、
くちゃりと性器のように、こんにちわと見開いた。
あたまたちは、おかあさんの声でささやくのだ。
「あなた」
「あなた」
「あなた」
「あなた」
「どうして、愛されると勘違いしてしまったのかしら」
「そんなに醜いのに」
―――高槻泉/「黒山羊の卵」より―――
目が覚めた。
目を開けるのが辛くて擦ってみると、パリパリしたかすが微かに手に付く。
洗面所に行って鏡を覗き込むと、目の周りに涙の痕があった。夢を見て泣くなんて、いつぶりだろうか。
何とはなしに物悲しい気持ちになった僕は、懐かしい、十年以上も前になる記憶の中の一説を思い出した。
「『私のかわいい欠落者』『あなたの親は、あなたを育てるのに失敗した』か。……そろそろ出ないと」
朝食は必要ない。コーヒーを飲みたかったが微妙に寝坊気味なので、今日は我慢しよう。
顔を洗って着替えると、夢の内容はもう思い出せなくなっていた。
軽く走りながら学校に向かっていると、前方に見覚えのあるふわふわした緑が見えた。
すぐに追いついて隣に並ぶ。
「おはよう、緑谷君」
「……」
あれ、と思って顔を覗き込むと、聞こえていなかったらしい。
僕の声が、というより周りの音が。
「電子レンジの卵……どうやったら爆発しなくてすむんだ?ワット数を下げる…タイマーを短く…感覚的過ぎて掴みきれない……じゃあ他に何か方法は……」
ブツブツ呟いている。昨日もソフトボール投げのときにこんな風になっているのを見たが、近くで見るとちょっと…いやかなり不気味だ。
とりあえず歩いているときにこの異様な集中は危ないと思い、今度は緑谷君の肩を叩きながら声を掛けた。
「おはよう」
「うわぁっ!お、おはよ…」
思ったより驚かれたのに苦笑して、僕は続けた。
「周りの音が聞こえなくなるほど集中できるのはすごい事だけど、歩いてるときにやったら危ないよ」
「そっそうだよね!ありがとう」
「ううん。そうだ、昨日は急に一緒に帰ることになっちゃってごめんね」
「あ、いやぁ、全然!楽しかったし」
「そっか」
そのまま二人で話しながら歩く。
どうやら緑谷君はオールマイトのファンらしい。午後のヒーロー基礎学がオールマイトの予定らしいので、すっごく楽しみにしていたんだとか。
興奮したように話す緑谷君を微笑ましく見ていると、僕はさっきの彼の呟きの内容を思い出した。
「そういえば、電子レンジの卵がどうとか言ってたけど、それがどうかしたの?」
「きっ聞こえてたの!?」
「え、まぁ」
ビクゥっと肩を大げさに跳ねさせる緑谷君に首を傾げる。たかが卵ごときでどうしたというのだろう。
「そっそれは、今朝!そう、今朝目玉焼きを温めようとしたら、爆発しちゃって!」
彼はワタワタと手を胸の前で振りながら言い訳をするように早口になる。
逆に怪しいが、特に気にする事でもないだろう。
「目玉焼きかぁ…僕は食べないけど、黄身に爪楊枝とかで穴を開けるといいって、店長…僕のおじいさんが昔言ってたよ。黄身の膜の中に水蒸気が一気に発生して、それの逃げ場がなくて爆発をするわけだから、予め逃げ場を作ってあげといたら……爆発、しなくなるでしょ?」
「そっか……確かに」
顎に手を当ててまたブツブツ始めようとしたので、パチンと手を合わせる。
「ほら、それはあと、ね」
「ご、ごめん癖で…」
はは、とモサモサの頭をかきながら笑うのを半ば呆れて見る。ヒーローの卵が雄英前で転倒して怪我、なんて笑い話になってしまいそうだ。
なんだかほっとけない子だな。僕はクスリと笑いつつ校門をくぐった。
ヒーロー科は、午前中は必修科目などの普通の授業をやるらしい。
プレゼントマイク先生が教える英語は、先生のテンションが高い以外は特に変わった内容でもなかった。
高校初授業という事もあってか、内容は大体中学の復習みたいな感じだ。
確かこんな内容をやった記憶がある。
午前中はこうして何事もなく過ぎていった。
「ショートは食堂でお昼食べるの?」
「あぁ。お前はどうすんだ」
どうしようか。
お弁当……と言えるのか分からないが、肉料理はタッパーに詰めて持ってきているけど、クックヒーロー・ランチラッシュが作っている昼食を皆が食べている中で自分の手作りを持っていくのは気が引ける。出来栄えもそうだけど、何より失礼になるんじゃないかと心配だ。
そんな旨を焦凍に伝えると、焦凍は眉を顰めて首を傾げた。あ、これ意味分からないって顔だ。
「何を考えてんのかよく分かんねーけど、そこまで気にする事か?まぁ、別にここで食べたいなら無理にとは言わねぇよ」
そう言うと僕の返事も待たずに財布を持って歩き出そうとする焦凍に苦笑する。
本当は、肉ばかり食べている所をあまり人に見られたくはないんだけど、この調子じゃあ焦凍は一人でそばを啜ってそうだ。
「……僕も行くよ。食堂のコーヒー美味しいかな」
「さあな」
追記。ランチラッシュはコーヒーだけを買った僕にやたらと白米を勧めてきたので、断るのが大変だった。
そして午後。
いよいよクラスの皆が待ちに待った、ヒーロー基礎学の授業だ。
今日の担当は勿論、昨日発表されていた通り……。
「わーたーしーがー!!普通にドアから来た!!!」
勢いよくドアを開けてお決まりのセリフと特徴的な笑い声を発する。
2mを優に超える筋骨隆々な体。太い骨を鋼のような筋肉が覆っている様は、ぴったりと体を覆うド派手なコスチュームによって更に強調されているようだった。
「オールマイトだ…!すげえや、本当に先生やってるんだな…!!」
「
「画風が違いすぎて鳥肌が……」
皆が思い思いに興奮した感想を言っている中で、隣の焦凍も無表情と無言で分かり辛いが何処となく嬉しそうにしている。
皆オールマイト好きだよね。僕も好きだけど。
やっぱり本物は想像していたよりも大きいなとしみじみ感じた。
「ヒーロー基礎学!ヒーローの素地を作るため、様々な訓練を行う科目だ!!」
単位数も最も多いぞ、とオールマイトは謎ポーズで言う。
「早速だが今日はコレ!!戦闘訓練!!」
オールマイトは、バッと謎ポーズの状態から"BATTLE"と書かれたカードをこちらに掲げて見せた。
戦闘訓練。確かに早速だが、最初のヒーロー基礎学をオールマイトの授業、それも実技にしたのは、安全性などは置いておくとして、掴みとしては最高なのではないだろうか。
「そしてそいつに伴って…こちら!!」
オールマイトが手の中のスイッチのようなものを押すと、何の変哲も無いと思っていた壁にスッと隙間ができ、ガコッと音が鳴ったと思ったらロッカーのようなものが出てきた。
中には箱が入っていて、それぞれ1~21までの番号が書かれている。丁度クラスの人数とおんなじだ。
「入学前に送ってもらった"個性届"と"要望"に沿ってあつらえた……
「おおお!!」
皆が一斉に沸き立つ。
コスチュームには夢と希望とロマンが詰まっているらしいからね。
切島君に至っては立ち上がってこぶしを握っている。戦闘服は、ヒーローを目指すものにとって、それだけ大事なのだろう。
「着替えたら順次グラウンド・βに集まるんだ!!」
「はーい!!!」
オールマイトの良く響く声に皆一斉に元気な返事をする。
僕のはどんな感じになっているだろうか。
既に着替え終わっていた尾白君は、僕の姿を見ると顔を引きつらせた。そりゃそうだ。僕も初見はびっくりした。
あまりにも、記憶の中のものと衣装が酷似しすぎて。
服のほうは、デザインスケッチを記憶の中のものを思い出して、なるべく構造が同じになるように、よく器用だと評される手先を駆使して描いた。
服についてはいい。肌に張り付いていたほうが動きやすいし、ちゃんと背中のところに大きく穴を開けてもらった。
問題は、色とマスクだ。
色は、肌にぴったりと張り付く革素材っぽいスーツから、その上から着ているゆったりしたTシャツやハーフパンツに至るまで真っ黒だ。…まぁこれは色を指定しなかった僕も悪い。
マスクは…大まかな形と
それにもしかしたら、これも僕の責任があるかもしれない。
僕の個性には"
肉を食べる事で様々な力が増すという性質と、この名前から口元を連想するのはそう不思議な事ではない。要望通りなら、このマスクには大事な機能が備わっていることだろう。なら甘んじて着けよう。付けた方が気合も入るし。
だが、こうもそっくりだと、因果的なものを感じてしまう。
「もしかして、金木か?」
「あはは、ちょっと攻撃的な戦闘服になっちゃった。要望はもっと細かく書くべきだったかな」
「あ、あぁ。そうみたいだな…あぁいや、似合ってるけど」
「あら、いいじゃありませんの」
お互いに苦笑をしていると、後ろから声を掛けられて振り返る。
「……!?」
「個性に合ったコスチュームならば、見た目など二の次ですわ」
うなじにかかった髪の毛を鬱陶しそうにかき上げて言う八百万さん。
彼女は胸元がおへそ辺りまでざっくりと開いた赤いスーツを纏い、レオタード風の衣装から惜しげもなく長く白い足をさらけ出している。袖のない裾から伸びる二の腕は柔らかそうで…。
止めよう。色々と危険だ。
僕は目のやり場に困る八百万さんの顔を必要以上に見るようにして、口を開いた。
「えっと八百万さん。そのコスチューム似合ってるよ」
「ありがとうございます」
「君の個性って、体から物を生み出すんだっけ?それでそのデザインなんだね…」
「ええ。本当はもっと布の面積を少なく注文したのですが、結果はご覧の通りですわ……」
何故か落ち込んだ様子の八百万さんに困ったように笑って居ると、視界の端で見慣れた白い髪が動くのが見えた。
「あ、ショート……」
焦凍の体の右側を覆い隠すように包み込む氷をイメージしたコスチュームを見て、思わず言葉を飲み込む。氷は焦凍の顔まで飲み込んで、隠れた目は赤く光っている。
彼は左側に
「…似合ってるよ、そのコスチューム」
「あぁ。お前のは……」
「いいよ。いっそノーコメントのほうがいい」
僕が落ち込んでいると、近くにいた蛙っぽい子が話しかけてきた。
「私、思ったことを何でも言っちゃうの」
「えっと、君は?」
「私は
「あ、僕は金木研。それで…梅雨ちゃん、思ったことって?」
「金木ちゃんのコスチューム、ちょっと
ズドンと追い討ちをかけられた。
両側から尾白君と焦凍の白いコスチュームを纏った腕が、僕のしょんぼりと落とされた肩をポンと叩くのを丁重に振り払う。
やめてくれ。慰められると余計に辛い。
いや、いいさ。皆言わないだけでヴィランみたいだとは思ってたんだろ?僕も思った。でも"彼"は実際にコレを着て戦ってたわけで…。
ごちゃごちゃ考えていると、オールマイトが来ていた。
振り返るとどうやら皆そろっていたみたいで、それぞれ自分の"個性"を意識したようなものだったり、自分の好みだったりといろいろな物を詰め込んだ、"個性"豊かなコスチュームに身を包んで立っていた。ヒーロー科って感じだ。
慣れないようにもたもたと着替えていた緑谷君はどうなっただろうと探してみると、それっぽい体格の人が居た。オールマイトを意識したようなマスクに、緑のジャンプスーツ。多分彼が緑谷君だろう。今朝も言っていたが、衣装に取り入れるほどのファンだったんだね…。
「ヘイ!全員そろったね!さあ……始めようか有精卵共!!戦闘訓練のお時間だ!!!」
もう一度ワッと沸くクラスメイト達とは反対に、僕は落ち着きなくそわそわした。
戦闘訓練って事は、クラスメイトが相手だろう。
オールマイトはそんな僕を尻目に、ざっと皆を見回して「いいじゃないか皆!カッコイイぜ!」と感想を告げる。だけど僕は見た。僕と目が合ったときにちょっと困ったように視線を逸らした瞬間を。
憧れのオールマイトにそんな反応をされたのはちょっとショックだったので、僕は眼帯部分と口元のマスク部分を繋ぐ紐を解いてマスクを首まで下げた。これで顔を隠すのは眼帯だけだし、普段と隠している目が違うこと以外は変わらないだろう。
「先生!ここは入試の演習場ですが、また市街地演習を行うのでしょうか!?」
ロボットっぽいコスチュームの子が挙手して質問する。礼儀正しさと声からして飯田君だろう。
「いいや!もう二歩先に踏み込む!屋内での
オールマイトがいつもの笑顔で言う。
僕は少し俯いて目を伏せた。
屋内か…"一対一"か"一対多"、"多対多"でやる事、できる事が変わってくるな。
「敵退治は主に屋外で見られるが、統計で言えば屋内のほうが凶悪敵出現率は高いんだ。監禁・軟禁・裏商売…このヒーロー飽和社会。真に
「基礎訓練もなしに?」
誰よりも早く質問したのは僕の前にいた梅雨ちゃんだ。
オールマイトは彼女の質問に反応してグッと拳を握る。
「その基礎を知るための実践さ!…ただし今度はぶっ壊せばオッケーなロボじゃないのがミソだ」
「勝敗のシステムはどうなります?」
「ブッ飛ばしてもいいんスか」
「また相澤先生みたいな除籍とかあるんですか……?」
「分かれるとはどのような分かれ方をすればよろしいですか」
「このマントヤバくない?」
梅雨ちゃんの質問を皮切りにして皆が次々と質問して行く。一部授業とは関係ないと思うけど。
オールマイトは冷や汗を流してプルプル震えている。
オールマイトだって教師としては初心者だけど、順序を立てて説明をしようとしていただろうに。まあ皆も初めてのヒーロー科らしい授業に浮かれているんだろう。
先生は何とか立て直そうと紙を取り出して読み上げた。カンペ……だ。
「いいかい!?状況設定は"敵"がアジトに"核兵器"を隠していて、"ヒーロー"はそれを処理しようとしている!ヒーローは制限時間以内に敵を捕まえるか、核兵器を回収する事。敵は制限時間まで核兵器を守るか、ヒーローを捕まえる事」
ハリウッド映画みたいな設定だ。
「コンビ及び対戦相手は…くじだ!」
「適当なのですか!?」
スッと出されたくじ箱に飯田君が反応する。
それにはオールマイトでなく緑谷君が答えた。
「プロは他事務所のヒーローと急造チームアップすることが多いし、そういうことじゃないかな…」
「そうか……!先を見据えた計らい…失礼いたしました!」
「いいよ!早くやろう!」
「あの、」
振り返って拳を上げたオールマイトの出鼻を挫くようで申し訳ないが、気になることがあって手を上げる。
「このクラスは今年一人多いので、二人一組に分けるとなると、どこか三人になる必要がありますよね…?それもくじで決めるんですか?」
「その通りだ金木少年!だから、一つだけ一個しかないくじを作った。それを引いた人は後からどこかのチームに入れるからね!」
クラスがざわつく。1チームだけ3人になるのだ。
「……ありがとうございます」
目を細めてお礼を言うと、オールマイトは熱いサムズアップを返してくれた。
なんだか嫌な予感がする…。