いつものように簡単な朝食を食べ終えてから、僕は庭先へと出ていた。
この時間帯でも六月の日差しは既に結構強くて、朝日を浴びた植物が青々と輝いて見える。僕は澄んだ空気を肺一杯に吸ってから、両手を大きく伸ばした。
「んん~っ!」
湿度もあまり高くないみたいだし、外で日向ぼっこするにはちょうど良さそうだ。花の香りも相まって、きっと気持ちいいだろう。
でも残念ながら、そんな怠惰な時間を過ごしていられる程、僕は精神的にタフじゃない。特別焦っているわけではないけれど、何かしていないと落ち着かないのは確かだ。
「さて、今日はどうしようかなぁ~」
このまま迷宮区に潜ってしまうのは忍びないし、日用品の買い足しでもしようかなぁ……――などと今日のスケジュールを考えていると、横から弾んだ声が。
「おはようござます、ティンクルさん」
微笑んで、こちらに向かって頭を下げる女性。
彼女は最近中層エリアから僕の家の右隣りに引っ越してきた、僕とは違い正真正銘の女性プレイヤーであるアリアさんだ。
亜麻色の髪にクッキリとした二重のなかなかの美人で……服の上から着ているエプロンも相まって、花屋でバイトしている女子大生といった感じだ。実際年齢はそれぐらいだと思う。
「おはようございます、アリアさん」
こちらも愛想笑いに見えないように注意しながら、笑んで軽く会釈し返す。
年上の女性に微笑とともに声をかけられれれば、高校生男子なら普通は緊張するものだろうけど……相手からすれば僕は只の同姓の隣人なわけで、残念ながらこれから緊張するような出来事が起こる可能性は皆無だと言っていい。
昔は考えたこともなかったけれど、こういう生活をしていると、僕って将来結婚できるんだろうか? と不安になる。そもそも結婚以前に、彼女とデートしたとして、他人から見ればレズカップルに見える可能性が……いや、そう見えるだろう、間違いなく。
「ティンクルさんは朝からお出かけですか?」
そう問われて、頭の中の雑念を振り払う。
「ええ。せっかく天気も良いんで、散歩でもしようかなって思って」
当たり障りのない返答。まあ、嘘ってわけでもないけど。
「アリアさんは何を?」
僕がそう聞くと、彼女は地面に置かれて僕の位置からは見えなかった如雨露を手に取ってみせた。
「私は花壇のお花に水やりです。それに、お手入れも。料理と同じで自分でできることは少ないんですけど、私小さい頃から花屋さんになるのが夢なんで、こうして花の世話をしている時が一番幸せなんです」
それでわざわざ中層から、こんな高い住宅ばかりの層に越して来たのか。でも確かに、実際花目当ての女性プレイヤーは多いと思う。と言っても、その大半が『花好きの私が好き!』みたいな人のような気がするけれど。まあ、花好きの女の子っていったら男受けは良いんだろうし。そういう意味では、彼女のように純粋に花好きで住んでいる、という人は意外と少ないのかもしれない。
「素敵な趣味ですね。アリアさんだったらお花屋さん、ぴったりだと思います」
「……? ティンクルさんは、あまり園芸にはご興味無いんですか?」
そりゃ、そう思うだろう。僕の動機は不純で、ある意味純粋ではあるけれど……しかしやはり、別にこの層がフラワーガーデンだから選んだわけではないのだ。もし当時、ここより高い値段の物件があれば、そっちを購入していただろう。
でも、そんな話を彼女にしても仕方がないだろう。僕は出来る限り嘘にならないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「園芸というか……普通の女の子がするような趣味全般に疎いんです」
そう言って、僕は苦笑してみせる。
「そうなんですか? ……私の勝手な想像ですけど、ティンクルさんってドールハウスとか持ってそうだなぁ~ってイメージが」
そう言われ、ドールハウスを目の前にお人形遊びをする自分の姿を客観的に想像する。――――oh……悲しいくらいしっくり来るものがある。
「姉が持っていたような気もしますけど、僕自身は人形遊びとかしませんでしたね。どちらかというと、外で友達と遊ぶことの方が多かったかな? サッカーとか」
言いながら、幼少の頃の自分を思いだす。あの頃は見た目の偏見とかなくて、普通に同年代の友達と夕方まで走り回ったものだ。残念ながら、小学校に上がる頃には彼らにとって僕は“異物”になっていたけど……。
「ふふふっ。男の子みたいな子だったんですね」
「ええ……」
実際に、“男の子みたいな女の子”であれば逆にスッキリするのかもしれない。でも、現実の僕は見た目がこんなでも歴とした男の子だ。
「そう言われてみれば、確かに……ティンクルさんがスカートとか履いてるの見たことないです、私」
SAOでは共通装備も多いけど、Male専用、Female専用が少なからず存在する。下着は完全に別々だし、スカートのようなアイテムは基本女性しか装備できない。逆に男性にしか装備できないというアイテムは少ない。この辺は現実と同じだ。
「僕、股がスースーするのがどうにも駄目で……」
大変遺憾ながら実体験ではある。人生でスカートを履くのはあれが最初で最後だろう。
「え~!? 勿体無いですよ! せっかく可愛いのに……きっとゴスロリとか、逆にシンプルなワンピースとか……ああでも、ティンクルさんだったらきっと何でも似合いますよね! 今日は折角ポニーテールにしてるんですから、季節的にももっと涼しい格好しましょうよ! 黒のキャミソールとか、ティンクルさんの髪の色と相性良いと思います! それで下は白のショートパンツとか良いんじゃないですか!?」
すげぇテンション高い!! やっぱ女の子ってこういう話題好きなんだなぁ~……はぁ……。
――って、どれも着れるかぁ!! 特にゴスロリは絶対嫌だ――――!!
そんな風に心の中で絶叫するが、相手にはもちろん届かない。
「ああ、でもオフショルダーにデニムってのも良いかも! 私そういうの絶対似合わないからティンクルさんが羨ましいなぁ~」
どうやら彼女の中では僕の着せ替え人形大会が行われているらしい。頼むから頭の中で留めておいてほしい、切実に。
このままでは実際に何か着てみてくれ、という展開になりそうなので、さっさと退散させてもらおう。
「ご、ごめんなさいアリアさん。僕そろそろ行かないと……!」
「あっ……ごめんなさい、引き止めてしまって。私ったら途中から一人で話しちゃって……えへへ」
照れ笑いを浮かべるアリアさんを尻目に、撤退の姿勢に入る僕。
「……こんなに誰かと話したのって、大袈裟じゃなくてこの世界に閉じ込められてから初めてかもしれません。ここへ引っ越してきて本当に良かったです」
眩しいくらいの笑顔。思わず見惚れてしまいそうになるけど、その笑顔は僕に対してではなく、あくまで女性プレイヤーであるティンクルに向けられてのものだ。
「僕も、アリアさんに出会えて良かったです。……良かったら、今晩夕食ご一緒しませんか? これでも《料理》スキルはMAXなんですよ」
「本当ですか!? 嬉しいです。それじゃあ、私も何かつくって持って行きますねっ」
僕の提案に、アリアさんは本当に嬉しそうに快諾してくれた。
……僕がソロを貫いているのは、アウローラに言われたのもあるけれど、もし僕が茅場に目を付けられた場合、周りの人間まで巻き込んでしまうだろうからだ。僕は、自分の身さえ完璧に守れないこの世界で、他人のことまで守れると思うほど傲慢じゃない。
……でも、近所付き合いするくらいは、僕にだって許されるはずだ。
いくら茅場だって、わざわざ夕食時を狙って“突撃! 隣の晩ごはんアタック”などしてはこないだろう。
それじゃ、取り敢えず目的は決まったな。今晩の夕食の材料を買いに、市場に行こう。
今度こそ歩き出した僕の背に、「いってらっしゃいティンクルさん」と声が届く。
「いってきます」
聞こえたかはどうかは解らないけれど、自然と僕の口からそう漏れ出ていた。
うちのオリ主はキリトに負けないくらい、色々と問題を抱えています。
彼の中でそれらの問題がちゃんと解決するようにしたいですね。でも解決といっても、顔や声は簡単に変わるものではありませんから、本人がどう踏ん切りを付けるかというか、どう飲み込むかにかかっている気もします。