ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第11話 落日

「来るよ!! リズはそこの水晶の陰に隠れて!!」

「わ、解った!」

 

 あたしは言われるがまま、慌てて手近な水晶柱に身を隠しながら、《攻略本》の内容をティンクルの背中に向かって叫ぶ。

 

「ドラゴンの攻撃パターンは……左右の鉤爪と氷のブレス、それから突風攻撃だって!」

「了解!!」

 

 言うが速いか、彼女の前方の空間が歪み、滲み出すように巨大なオブジェクトのポップが始まった。

 

「で、でっか!?」

 

 再度咆哮を上げ、ドラゴンの全貌が明らかになった。

 巨大な翼をはためかせ、空中にその巨体を浮かべている白竜は、翼を含めれば優に七、八メートルはありそうだ。

 あたしはボスモンスターというのをこの目で見るのは初めてで、その大きさに驚きを隠せない。

 

「ほ、本当に一人で大丈夫なの!?」

 

 竜の全身を覆う氷のように輝く鱗は、並大抵の武器なら簡単に跳ね返してしまいそうで、いくら攻略組とはいえ、こいつと単身やり合うのは無謀にすら思える。

 

「大丈夫だから、リズは頭引っ込めてなよ」

 

 しかし、ティンクルは穏やかにそう言う。その顔に、笑みすら浮かべて。

 彼女は悠々と――あたしが鍛え、そして恐らく、今日が最後の戦いになるだろう……――《白雪》を抜き放った。

 キーンと、涼やかな金属音が、辺りを一瞬静寂で包み込む。

 そして、それが合図であったかのように、ドラゴンが大きくその顎門を開き――硬質のサウンドエフェクトと共に、白く輝く気体の奔流を吐き出した。

 

「ブレスよ! 避け――!?」

 

 あたしは思わず叫んだが、最後まで言い終える前に、ティンクルは既に動いていた。

 その光景にあたしは目を見開く。

 ドラゴンがブレスを吐き出す直前、ジェット噴射の如き勢いで飛翔したティンクルは、翡翠色の輝きを纏った純白の刀身でその下顎を捉え、根元まで深々と刺し貫いていたのだ。

 よく見れば、切っ先が上顎にまで貫通していて、串刺しになってしまっている。これではブレスを吐けないどころか、悲鳴すら上げられない。

 だが、ティンクルはそこで手を止めない。何の躊躇いも見せず、刀を前へと向かって勢いよく振り抜いた。

 鮮血を模したエフェクトが空に向かって大量に飛び散り、今度こそドラゴンは悲痛な叫び声を上げた。

 ドラゴンのHPバーに目を凝らす。彼女のたった二撃攻撃によって、既に三割近くが減少していた。

 

「嘘でしょ……?」

 

 “あれ”が、本当にあのティンクルなのか。

 いつも穏やかな微笑を浮かべてて、でも表情が変わらないわけでもなくて……怒るときは怒るし、悲しいときは悲しそうにするし……それで茶目っ気もあって――少なくてもあたしが知る彼女は、“あんな冷たい顔”をするような奴じゃ……ない。

 動揺するあたしを尻目に、戦闘は続く。

 いや、戦闘というには語弊があるかもしれない。あれはもう、一方的な虐殺だ。

 次々に放たれるライトエフェクトを纏った強攻撃に、たちまちドラゴンのHPバーはがくんがくんと大きく減少していく。

 しかし、残りのHPが二割くらいになったところで、ティンクルは急に動きを止めた。

 一体どうしたというのだと不安に思っていると、彼女はくるりと振り返ってあたしの方を見た。

 彼女の顔には、いつもの微笑が戻っている。――だけど、それは一瞬だった。

 あたしの無事を確認した彼女はすぐにドラゴンに向き直った。その振り向きざま、刃のように研ぎ澄まされた彼女の瞳から、赤い炎が噴き出しているようにあたしは錯覚した。

 

「……どっちが、本当のあんたなの……?」

 

 そんな疑問が、無自覚に声に出ていた。

 しかし、声に出したことで自覚する。この世界に来てから、あたしの心に巣くう恐怖の正体を。

 自覚した途端、あたしは無性に不安になって――――

 

「――!? リズ!! まだ出てきちゃ駄目だ!!」

「え……?」

 

 訳が解らず、彼女の顔を呆然と見る。そして、自分が無意識の内に立ち上がって、水晶柱の陰から身体を出してしまったことに気が付く。

 でも、もう遅かった。

 轟音が鳴り響き、雪が大量に舞う。

 数瞬で雪煙に視界を奪われて、次の瞬間、あたしの身体は空気の壁を叩きつけられて呆気なく宙を舞った。

 そうか……突風攻撃。

 風に煽られながら、自分で口にしたドラゴンの攻撃パターンを思い出す。だが、幸運なことに殆どダメージは受けていない。両手を広げて、着地体勢に入る。

 だけど、雪煙が切れたその先に――地面は無かった。

 落ちないでよ、と念を押されていた巨大な穴。あたしは、ちょうどその真上に吹き飛ばされてしまったのだ。

 思考が停止し、身体が凍りつく。

 

「うそ…………」

 

 口から漏れたその声だけを置き去りに、あたしは真っ逆さまに口を開いた大穴に吸い込まれる。

 

「いや……いやあああああああ!!」

 

 涙で目を潤ませながら、喉が張り裂けんばかりに叫び、冷たい空気が肺を圧迫する。闇雲に伸ばした手は空を掴むばかりだ。

 

「リズ!!」

 

 耳には落下の風圧で轟音が鳴り響いているのに、その声ははっきりと届いた。何とか上を見上げると、彼女は頭を下に姿勢を真っ直ぐにして急降下していた。

 ほんの数秒であたしに並んだティンクルは、手を伸ばしてあたしに向かって今まで聞いたことのない声色で叫ぶ。

 

「掴まれ!!」

 

 あたしは必死に腕を伸ばす。指先が触れて、やっと掌まで届く。そして、ぎゅっと握られた掌を力強く引き寄せられ、抱きしめられた。

 

「あっ……」

 

 鎧越しだというのに彼女の温かさを感じて、あたしは強く抱きしめ返した。

 

「大丈夫……何とかする」

 

 あたしの耳元に、やはりどこか少年のような、ややハスキーな声で囁く。

 

「えっ……?」

「そのまま背中に手を回してろ! 振り落とされるなよ!!」

 

 言うが速いか、ティンクルは空中でしかも落下中だというのに、規定のモーションを起こして白雪に蒼色の輝きを纏わせた。あたし達の身体は急激に正面に向かって加速し、壁に向かってさながら流星の如く着弾した。

 と、止まった……!?

 

『ザザザザザザザザザザッ!!』

 

「と、止まんないよ!?」

 

 刀身は中ほどまで氷の壁に突き刺さっているというのに尚も落下速度と重力には勝てず、あたし達の身体は氷を斬り裂きながら降下を続ける。

 

「くそっ! なら……!!」

 

 二人分の体重を支える両手を左手一本にしたかと思うと、右手で腰のケースから小振りのナイフを取り出した。

 くるりと起用に逆手に持ち替え、紫色のライトエフェクトを纏わせながら氷の壁に突き立てた。

 

「本当は投擲用の投げナイフだけど……!!」

 

 しかし今度は刺さらずに、壁の表面に傷を付けながら火花を散らせる。そして、数秒と経たずに彼女の手の中で飛散する。

 

「もう一回!!」

 

 再び、今度は黄色のライトエフェクトの投剣スキルを発動させ、突き立てる。氷の破片が僅かに砕けたが、やはり刃が刺さることはなく、同じく数秒で飛散した。

 たぶん、耐久値が一瞬で吹き飛んでるんだ……!!

 

「ティンクル!!」

「白雪はそんなに柔じゃないさ! 何だってリズが鍛えたんだから!」

「…………!!」

 

 その言葉に、先ほどとは違う意味で涙で目が潤む。

 ――が、現実は時として非情だ。

 

『ガキンッ』

 

「「え?」」

 

 あたし達は同時に間の抜けた声を漏らした。

 言ったそばから限界を迎えたらしい白雪の刀身は、呆気無く半ばほどから砕け折れ、切っ先の方は青い破片となって消滅した。

 

「ちょっ!?」

「嘘でしょ!?」

 

 又もやあたしは悲鳴を上げそうになるが――その前に、ドサリと音をたて、あたし達は地面に尻餅をついた。底に溜まっていた雪が跳ね上がり、あたし達の頭に軽く降り積もる。

 

「い、生きてる……」

 

 助かったことが信じられず、あたしは呆然と呟く。でも、早鐘のように鳴り響く鼓動が、逆に自分がまだ生きているんだと実感させてくれる。

 どうやら、白雪は己の最期の役目を完遂してくれていたようだ。

 

「……お疲れ様。お前には何度も……最期まで助けられたよ。ありがとう」

 

 彼女の右手に残っていた柄と僅かばかり刀身も、彼女の労いを受けてとうとう輝く破片となって空気に溶けた。

 祈るように瞳を閉じたティンクルの顔をぼんやりと眺めていたけれど、鼻先が触れ合う程に近いことに、何故かあたしは急に恥ずかしくなって立ち上がった。

 

「と、ところでさ! どうする? このまま転移でリンダースへ戻る? 収穫は全く無いけどさ」

「転移は無理だと思うよ? ……ここって用はプレイヤーを落っことす為のトラップなわけだし。簡単に脱出はできないと思う」

 

 瞼を開けたティンクルは、真顔であくまでも冷静にそう答えた。

 

「やってみなきゃ解んないでしょ! ……転移!リンダース!」

 

 エプロンから取り出した《転移結晶》を頭上に掲げて叫んでみるけれど、虚しく壁に反響するばかりで、一向に何も起こらない。

 

「転移!! リンダース!!」

 

 ムキになって再度、今度はもっと大声で叫んでみたけど、やはり何も起こらない。

 

「くっそぉ……」

「まあ、少し落ち着こうよリズ。こういうトラップには必ず脱出手段が用意されてるものだよ、ゲームってのはさ」

「そんなこと言ったって、ここが本来は助かる見込みゼロのトラップだったら? ……というか、普通死んでたわよ」

「そうかもね……でも、悪い方に考えても仕方ないよ。少し考えてみよ?」

「う、うん」

 

 …………。

 閃きは訪れず、常識的なことしか思いつかない。

 

「え~と……助けを呼ぶってのは?」

「ここから地上までの距離は目算だけどざっと八十メートル。因みに今試してみたけどメッセージは送れないみたいだね」

「上に人が来てもあたし達の声は届かないか……」

 

 メッセージすら飛ばせないのは致命的だ。三、四日くらい留守にすれば、アスナ辺りが気付いて探してくれそうではあるけれど、行き先なんて話してないし、探し当ててくれる見込みは殆どゼロに近いだろう。

 

「ねぇ……あたし達、詰んでない?」

 

 将棋でいうところの詰め。つまりは、ゲームオーバー。

 

「まあ、SAOが普通のゲームなら、ここは一回死んでコンティニューして仕切り直すところだけど……無い物強請りしていても仕方ないよ。取り敢えず完全に日も落ちちゃったし、夕ご飯にでもしない?」

「あたしも落ち着き無いかもしれないけどさぁ……あんたは落ち着きすぎ!」

 

 呆れながらも、あくまでも冷静な彼女の姿に、あたしは少し勇気を貰った。




 ああ、早く何も考えなくていいコメディー回をやりたい。でもリズ編は丁寧に書きたい。

 次回は修羅場不可避になりそう。良い話(ぽく)になるように頑張りたいですね!

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