あたしが“夕飯”から連想したのは、保存が利く干し肉とか塩漬け野菜を使った簡素なスープだった。しかし、目の前で展開されているそれは、凡そ、SAOにおけるキャンプ料理の域を逸脱していた。
オレンジ色の炎を灯してパチパチと音をたてる焚き木の上に、白い湯気を吹き上げる底の深い大きな鉄鍋。風に乗って運ばれてくるのは、懐かしい“味噌”の香り。
「ねぇ……味噌なんて売ってたっけ?」
鎧を脱いで、再びパーカー姿となった彼女にそう問いかける。
少なくても、街にある店で売っている品物の中には存在しないはずだ。
「一からつくったんだよ。色々と素材アイテム調合してね」
何てことなさそうな気軽な返事が返ってきて、あたしは心底呆れた。
一体幾つの合成パターンが存在するのか。少し想像するだけで途方に暮れそうだ。
「あんた何やってんのよ……」
そりゃソロは気軽なのかもしれないけれど、これでは“日々迷宮攻略に勤しむ《攻略組》”“奴らは攻略以外に興味がない”などというボリュームゾーンプレイヤーによるそんな批評は破綻するのではないだろうか。何かアスナも色恋に目覚めたようだし。
あたしの非難の視線を額面通り受け取ったらしいティンクルは、慌てて取り繕う。
「ほ、ほら! やっぱり一日の始まりはお味噌汁飲んでからスタートしたいでしょ? それに調味料が一つ増えるだけで料理のレパートリーが増えてホント便利なんだよ!」
「へぇー……」
現実でも料理するのかはともかく、こういうところでも女としての差を見せ付けられてる気がする。
「ぐぎぎ……!!」
「な、何でリズ怒ってるのさ?」
「どーせあたしは金槌振るしか能のない女ですよーだ! ティンクルのバーカ!」
「何で!?」
あたしの理不尽な怒りをぶつけられたティンクルは、しゅんとしながらもお玉で鍋をかき回し続けている。
「ほ、ほらーリズー……今日のメニューは豚汁だよー」
「今日のって何よ? 明日以降もあるわけ?」
「脱出できなかったらね……。ほら、食べるでしょ?」
そう言いながら、木製の器に盛った豚汁をあたしに差し出す。
「何か普通ね」
それが、盛られた豚汁を見たあたしの感想だった。
「それではご賞味下さい、お嬢様」
ニコリ、と少女漫画ならバックに百合の花でも舞ってそうな笑顔で、それとは不釣合いで気障な、さながら執事のような動作で会釈してみせる。そんな彼女の姿に、あたしは思わず吹き出した。
「笑うことないでしょ……」
その言葉とは裏腹に、彼女は先ほどの作った笑みではなく、どこか安心したようなナチュラルな微笑を浮べている。
そして、自分の分も器に盛ってから、ティンクルも地面に腰を下ろした。丁度、焚き火越しに向かえ合わせの格好だ。
「それじゃ、野郎プレイヤーなら喉から手が出るほど食べたいであろうティンクルのお手製料理、いただくとしますか!」
「はいはい、お召し上がり下さい」
そう言われ、あたしは徐に口を器に近づけた。西洋の食事マナーではスプーンを使うべきだし、この世界ではあたしもそうしてきたけれど、今回は特別だ。和食だし。
『ズズズズズ』
音をたてながら汁を啜る。
「はぁ~……」
口の中に広がる懐かしい味噌の風味に、長い溜め息が出た。思えば、味噌や醤油といった和の味付けのものを食べるのは一年と半年振りなのだ。
「おいしい」
率直な感想が口を衝いて出た。
「そう、良かった」
短い受け答え。
何だかこのまま会話が終わってしまう気がして、あたしはどうでもいいような質問をする。
「ねぇ、このコンニャクみたいなのって何?」
これまた随分久方振りに使う箸を使ってコンニャクらしきものを摘まんでみせる。
「コンニャクみたいなのとしか答えられないかな」
これでは会話が続かない。
あたしは内心肩を落として次の質問をする。
「……じゃあ、この豆腐みたいなのは?」
「それは市場で売ってた《ジャイアント・ビーンズ》っていうこれぐらいの――」
ティンクルはその顔に相応しい白くて小さい掌を限界まで広げてみせてから、
「――大きな豆から作るんだよ、料理スキルで。《ジャイアント・ビーンズ》ってようするに大豆のことだよね。大きさはともかくさ」
そう言って可笑しそうに笑う。
「でもさ、わたしは《ジャイアント・ビーンズ》っていったらジャックと豆の木を思い出すけどね」
「ジャックと豆の木? それって童話の?」
あたしが尋ねると、彼女は軽く首を振った。
「違うよ。現実に実在しているオーストラリアのマメ科の植物の名前で、別名はオーストラリアビーンズとかグリーンジャック……それに、ジャイアントビーンズ」
「へぇ~」
あの童話と同名の植物があるとは知らなかった。
流石に天まで伸びることはないんだろうけど、きっとそれなりに大きな木なんだろう。
「案外、この豆を埋めたら成長して、ここから地上まで……それどころか、この城の頂まで運んでいってくれるかもしれないね」
「ティンクル……」
焚き火に向けられた眼差しは憂いを帯びていて……焚き火ではなく、何もない虚空を見詰めているみたいだ。
――あなたは一体、何処を見ているの?
あたしは食べ終えた豚汁の器を地面に置いて立ち上がった。
「リズ……?」
「ティンクルは動かないで」
立ち上がりかけたティンクルを制してから、あたしは彼女の隣まで移動した。そして、少し考えてから、あたしは彼女と背中合わせに腰を下ろした。コート越しだけど、彼女の温かさが背中を通して伝わってくる。
「ねぇ……訊いて良い?」
「ん?」
彼女のことをもっと知りたいと思うあたしの気持ちは、果たして何処からくるモノなのか。
どうして、彼女があの先生とダブるんだろう。
それを識るために、あたしは彼女に問いかける。
「攻略組ってさ、今更だけど、最前線の未踏破エリアで戦い続けるわけで……あたし達プレイヤーの中じゃ正直言って一番危険で、毎日が死と隣り合わせなわけじゃない? ――ティンクルはさ……その……怖くないの?」
怖い、と。あたしはそう返ってくるものだとばかり思っていた。だって、こういう質問をしたら、肯定する回答が返ってくるのが常だと思っていたから。でも、彼女から返ってきたのは、あたしの予想に反したものだった。
「怖くないよ」
それは強がりなんて微塵も感じさせないハッキリとした声だ。
しかし、後に続く言葉は、自戒と自嘲が混ざったような……笑っているようで、今にも泣き出しそうな、そんな声だった。
「だって、わたしは立ち止まるわけにはいかないんだから。歩みを止めた時点で、わたしは只の卑怯者に成り下がってしまう。……そっちの方が、ずっと怖いよ」
一体、何が彼女をそこまで追い詰めているのか。
あたしには解る筈もなく押し黙ってしまう。
「……じゃあ、わたしもリズに訊きたいことがあるんだけど、良いかな?」
ティンクルに答えさせておいて、あたしが答えないわけにはいかないだろう。
なのに、わざわざ確認を取った彼女にあたしは憮然と訊き返す。
「何よ? 改まって」
背中合わせに座ったのは正解だった。今自分がどんな顔をしているのか想像しただけで情けなくなる。
僅かに空白。あたしは涙を引っ込めるのに成功する。
「……リズはさ、この世界に“本当の何か”ってあると思う?」
「……っ」
息を呑む。
その問いかけは、まさにあたしの心の奥底に蟠る不安の種そのものだったから。
あたしが答えられないでいると、彼女はゆっくりとした口調で話し始めた。
「わたしは……この世界は所詮作り物で、この世界にあるモノは全て――ここでこうして背中合わせに座っているわたし達の身体も、一から九までの数字の羅列で作られた紛い物だと、そう思ってる」
そうだ。あたしも心の底で、ずっと思っていた。この世界にあるモノは全部偽物だ、単なるデータだ、と。
「でもね、最近思うんだ。確かに、この世界にあるものは全て作り物だ。だけど、それは現実も同じだって」
「……え?」
あたしは呆然と振り返る。でも、当たり前なことに彼女の顔は見えない。仕方なくあたしは向き直る。
「現実にあるモノだって、殆どのモノが人工的に造られたモノだよね? 例えば、家とか、道路とか、食べ物だってさ。原料が違うだけで、ヒトが作った物に変わりはないよね?」
「…………」
肯定も否定もできず、沈黙を続けるしかない。
「『大切なのは見た目じゃない、中身なんだ』なんて台詞を言うやつは、良い子に見られたいか、よっぽどの夢想家か……そうじゃなければ嘘吐きだ。――でも、言っていることは間違ってない。大切なのは中身、その通りだよ」
そう言うと、彼女はグイッとあたしの背中に体重を乗せてきた。
「ち、ちょっと!」
若干前屈みになりながら、あたしは抗議の声を上げる。
「確かにこの身体はドットだ、データだ。でも現実の身体だって、言ってしまえばタンパク質やカルシウムだよ。大切なのは今ここに居るわたし達が“心”をもった“本物”だってことなんだ」
「心をもった、本物……?」
「そうだよ。こうやって、わたしに体重をかけられて重いと思ったり、わたしのつくった料理を美味しいって言ってくれたのは、リズベットというアバターじゃない、リズの心なんだよ」
彼女の言葉が、あたしの心の溝に、カチリと音をたててピッタリと嵌まり込んだ気がした。
「そっか……心の問題なんだね、全部」
あたしが背中に感じているこの重みも、温かさも……本物も偽物も関係ない、あたしにとっては真実だ。
なら――きっと、こうやってあたしと話している彼女も、モンスターと戦う少し恐い彼女も、あたしを必死で助けてくれた彼女も……全部が揃って、ティンクルという一人の人間なんだ。
あたしの彼女に対する気持ち。……あたしの中で、やっとカタチになった気がする。
「ありがとう、ティンクル」
お礼の言葉と共に、彼女の背中を押し返す。
「ちょっと! 重いよ、リズ!」
「お返しよ! あたしの重さを精々感じなさい!」
あたし達はおしくらまんじゅうよろしく互いに背中を押し合いながら、どちらからともなく笑い出す。
「あはははっ」
「ふふふっ」
……やれやれ。
普通に考えれば、この気持ちが何なのかなんて、小学生にでも解る。でも、同姓なんだからと始めからどこかで否定していた。だってあたし、レズビアンじゃないし。
――でもどうやらあたしは、この日本人離れした友人を、本気で好きになってしまったらしかった。
リズのようなタイプのヒロインって、大抵は正ヒロインではなくサブ止まりなんですよね。でも、個人的にはリズのようなヒロインが大好きです。もちろんリズも好きです。
なので、責めて自分が書く話の中では、リズには正ヒロインになってもらいます。
今回は修羅場にはなりませんでしたね。でも、回避はできません。恐らく次の次くらいですかね?