ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第13話 告白

 夜の帳は取り払われて、明るい陽光が辺りを照らす。氷の壁が、まるで合わせ鏡のように光を幾重にも反射して……中々に幻想的な光景だ。こんな地の底ではあっても、朝日はちゃんと届くらしい。“ここがゲームの中だから”なんて野暮なことはこの際考えないことにする。

 

「ふわぁ~……うっ」

 

 欠伸で吸い込んだ空気はひんやりと冷たくて、寝惑っていた脳が完全に目を覚ます。

 あたしはティンクルから借りて寝床に使っていた野営用のベッドロールから後ろ髪を引かれつつも這い出した。

 

「うわっ……寒っ……」

 

 肌に纏わり付く冷気に思わず身震いする。

 時刻は午前六時。普段のあたしからは想像もつかないような早起きだ。

 昨夜は暗くてよく見えなかった辺りを見回す。焚き木の燃え滓なんて情緒的なものが残っているはずもなく、それどころか地面には焚き火をした痕跡など僅かも残っていない。あたしはそれを少し寂しく思いながら、もう一つのベッドロールに近づく。

 

「おはよう、ティンクル」

 

 小さく声をかけ、反応がないことを確認してから、彼女の顔を覗き込む。

 透き通るような色白の肌に長い睫毛、小さな桜色の唇。そのあまりにも整いすぎた顔立ちは、どこか人形めいている。微かな寝息をたてていなければ、同じ人間だとは思えないほどに。

 

「まさに眠り姫ね」

 

 彼女の寝ている場所がベッドロールではなく硝子の棺の中ならば、白馬に乗った王子様が彼女を起こしにやって来ることだろう。それが例え、氷山の頂にぽっかりと空いた穴の底であったとしてもだ。

 

「眼福眼福。良いものが見れたわ」

 

 わざわざ早起きした甲斐があったというものだ。《記録結晶(レコード・クリスタル)》の持ち合わせがないということだけは誠に遺憾だけれど。

 ――そんなことを考えていたあたしだけれど、少し冷静になってみると、自分の言動に頬が引き攣る。

 

「あたしって、実はそっちの気があったりするの……?」

 

 恋心を自覚したはいいけど、正直自分自身に困惑している。確かにふざけてアスナに抱きついたりその他スキンシップを働いたことはあるけど、それはあくまで友達相手にふざけてやっただけであって、別にあたしが同性愛者……ってわけじゃない、はずだ。

 もしかしたら、これは恋心ではなく、単なる憧れからくる好意を人肌恋しさのせいもあって誤認してしまっているだけなのかもしれない。まだそっちの方が、幾分説得力があるような気がする。

 でも、正直言ってあたしは自分で自覚している範囲では、ティンクルに“憧れ”の気持ちを抱いたことなんてなかったと思う。そりゃ羨ましく思ったり妬ましく思ったりはちょっとしたかもしれないけど、基本彼女に対するあたしの気持ちは“可愛い”である。

 まさか、オス化女子なんていう眉唾物の精神汚染があたしの脳内で発生している……?

 

「いや、有り得ないから」

 

 うん、有り得ない。

 あくまで仮の話として、例えば二人の結婚式の姿を想像してみよう。

 …………。

 ほら、二人ともウェディングドレス姿じゃない。どっちかがタキシードなんて有り得ないわよ。少なくてもあたしには似合わない。ティンクルなら何だかんだで着こなしそうではあるけれど、絶対ドレスの方が似合うわよね。

 ……だけどそれってオス化と全然関係ないような?

 疑わしき記憶はあるかと掘り返してみるが、恐ろしいことにすぐに見つかった。

 

「くしゃみがおっさんくさいとは何だおっさんくさいとは……!」

 

 昨日のことを思い出して思わず悪態をつくけれど、愚痴を言っていても仕方ない。

 さて、今度は――

 

「ボディータッチ辺りからかな……? キスはまだ早いよね? ……ぐへへ」

 

 これであたしが男なら完全に変質者だけれど、女の子同士だもん! それに気付かれなければ何の問題ない。

 

「さて、その柔肌をあたしの前に晒け出すがいいわ!!」

 

 訳の解らないことを小声で叫びながら、あたしは彼女のその小さ過ぎる胸を鷲掴みに……! できないまでも、言葉通り優しく触れる。

 

「……ん?」

 

 おかしい。ぺったんこであることは元より承知の上だけれど、それにしたって幾らなんでも弾力性が無さ過ぎやしないだろうか? そりゃインナーの上から更にパーカーを着込んでいるから解り難くはあるけど、それにしたってって感じだ。しかもこれは、ブラ付けてないんじゃ……?

 

「責めてスポーツブラくらい付けなさいよ……」

 

 流石にこれでは無防備過ぎるというものだろう。隠蔽スキルで簡単に姿を隠せるこの世界では、何処に変態が潜んでるのかも解らないのに。

 そんなことを考えながら、尚も胸の上に手を置き続けていると、ぱちりと目が合った。

 胡乱げな眼差しであたしを見詰めながら彼女は口を開く。

 

「……何やってるの? リズ」

 

 こんなに寒いというのに汗が流れる。

 あたしは引き攣る頬を懸命に動かしてなんとか笑みの形をつくってから言った。

 

「えーと……スキンシップ?」

「いや……このスキンシップの取り方は間違ってると思うよ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 青い顔をしているティンクルにあたしは内心不満を漏らす。

 ……そこまでドン引きしなくてもいいじゃん。

 

「取り敢えず、この手を退けようか?」

「ご、ごめん」

 

 慌てて手を引っ込める。

 

「はぁ~……他の人にはやらないようにね。アスナとか」

 

 あたしのスキンシップの被害者をもろに言い当てられ動揺しつつも、悟られないようにあたしは軽口を叩いた。

 

「つまりはティンクルにはやっても良いと……?」

「良いわけないでしょ!!」

「ですよねー」

 

 概ね想像通りの回答。でも少し期待していたのは内緒だ。

 

「本当に悪いと思ってる?」

「はい、思っています」

 

 もちろん思っていない。

 普段より幾分鋭く開かれた紅玉の瞳は、まるであたしの心を見透かすようだけれど、他人の思っていることなど誰も解りはしないのだ。

 

「はぁ……もういいよ。おはよう、リズ」

「おはよう、ティンクル」

 

 我慢比べではあたしに軍配が上がったようだった。

 

 

 朝食に昨夜の残りを温めて食べたあたし達は、今後のことを話し合うことにした。

 

「で、結局どうやってここから脱出すればいいのよ?」

 

 転移結晶も使えず、メッセージで助けを呼ぶこともできず、おまけにここから叫んでも頂上に声は届かない。

 

「それはわたしも考えてたんだけれど――ちょっと待って、リズ」

「な、何よ……?」

 

 まさかモンスターが湧いたのかと警戒するが、彼女は雪の上の一点を指差した。

 

「あそこ、何だか光ってない?」

「……光ってる、わね」

 

 首を傾げつつも、二人で近づく。

 雪の上からでも解ることといえば、僅かにその部分だけ盛り上がっていることと、氷のようなものが覗いていることだけだ。

 

「何か埋まってるのかな?」

 

 あたしがそう呟くと、ティンクルが躊躇無く手を雪の中に突っ込んだ。

 

「ちょっ!?」

 

 埋まっていたのがトラップだったらどうなっていたことか。でも実際はそうではなく、ティンクルの両掌にはみ出しながらも乗せられたそれは、彼女の髪の色と同じ、白銀に輝く見たこともない鉱石だった。

 

「これって……」

「たぶん、これがわたし達が探しに来た金属……なんだろうね」

 

 あたしは右手の指を動かして、そっと金属の表面を叩く。

 ポップアップウィンドウが浮かび上がり、アイテム名が表示された。

 

「《クリスタライト・インゴット》……だって」

「うん。――あ! まだあるみたいだよ!」

 

 そう言って、彼女は自分が持っていた方をあたしに手渡すと、新たに見つけた方を持ち上げた。

 

「あははっ! ラッキーだね。これで目標達成だ」

 

 子供っぽい笑顔ではしゃぐ彼女の姿はなんとも微笑ましい。記録結晶が無いのが再度悔やまれる。仕方ないので寝顔と共にあたしの心のネガに焼き付けておこう。

 

「でも、何でこんな所に埋まってるのよ?」

 

 あたしは当然の疑問を口にする。

 

「それはさ……ほら、村長の話思い出してみなよ」

「村長の話? ……正直ちゃんと聞いてなかったからよく覚えてないんだけど」

「まあ、長かったからね。……ほら思い出して。“竜は毎日餌として水晶を齧り、その腹で精製して貴重な金属を溜め込んでいる。”って言ってたでしょ」

「ああ……そんなことを言っていた、ような……?」

 

 結局思い出せず、あたしは先を促すことにした。

 

「で? それがどうしたってのよ?」

「要するにさ、ここはトラップじゃなくて、竜の巣だったんだよ」

「竜の巣……?」

「そう」

 

 ティンクルは鉱石を片手で持ち直して、もう片方の手で指差した。

 

「つまりこのインゴットは、蜂が花から蜜を吸って体内で蜂蜜にして巣に溜め込むように、昨日のドラゴンの体内で作り出されたものってわけさ」

「なるほど」

 

 短くも例えを用いた解りやすい説明に簡単に理解できた。――理解できた故に、あたしは恐ろしい可能性を指摘する。

 

「ねえ、思い出したんだけどさ」

「何を?」

「村長って竜は夜行性とか言ってたでしょ? ここが本当に巣だっていうんなら……」

 

 ティンクルも気付いたのだろう。見る見る顔を青ざめさせていく彼女を見て、ああ、あたしも今こんな顔なんだろうな、と何故か冷静にそう思った。

 しかし、それでもティンクルの反応は早い。

 

「リズはこれもストレージに入れて!」

「う、うん!」

 

 投げ渡された鉱石をなんとか受け取って、元々持っていた方も含めてアイテムストレージに格納する。

 あたしがそうしている間に、彼女は鎧は後回しに刀を出現させた。

 柄に髑髏をあしらった中々におどろおどろしい意匠だ。しかし、刀身が異様に短く、見た目はまるで包丁だ。

 

「これ威力はそこそこあるんだけどリーチが短すぎるからまともに使えないんだよ!」

「何でそんなもん持ってきてんのよ!? 予備ならもっとマシなのあったでしょ!?」

「まさか《白雪》が折れるとは思わなかったんだよ!!」

 

『GRAAAAAAAッ!!』

 

 咆哮、そして突風。

 噂をすれば影がさす。あたし達はそろって宙を見上げた。

 

「「来た!!」」

 

 しかし、口から漏れたのは同音異義の叫びだった。

 単なる悲鳴を上げたあたしとは違い、ティンクルはこの状況に活路を見出だしたらしい。爛々と輝く彼女の瞳は、彼女の中である種のスイッチが入ったという合図だ。

 

「ど、どうするつもり!?」

「リズ、暴れないでよ」

「え? ――ち、ちょっと!?」

 

 彼女はあたしの腰に手を回して引き寄せると、轟音と共に雪を跳ね上げて大きく跳躍した。

 

「きゃっ」

 

 小さく漏れ出た自分の声に赤面するが、そんなことはお構い無しに――

 

「ちょっと揺れるよ……!」

「うわっ!?」

 

 氷の壁を蹴りつけ、更なる跳躍。

 ドラゴンの目線をも越え、その背面へと見事に着地した。

 そして、彼女は右手に持った小刀を思い切り突き立てる。ダメージエフェクトが弾け飛び、ドラゴンは甲高い悲鳴を上げる。

 

「ま、まさか……」

「リズ、しっかり摑まってなよ」

 

 彼女がそう言った途端、あたし達を振り落とす為に、ドラゴンは翼を広げその巨体を急上昇させ始めた。

 

「やっぱりぃぃぃぃ!!」

 

 ジェットコースターの急降下宛らの暴風と振動。あたしは目を開けていられず、必死に背中の突起を握り締める。

 ふ、と。あたしの手の甲が温かい何かに包まれた。

 目を開けてみれば、それは彼女のあたしのよりも小さな掌で……。たったそれだけで、あたしの中の恐怖はスッといなくなる。

 

「もう、離しても大丈夫だよ」

 

 優しくそう囁かれ、あたしは手に込めていた力を抜いた。

 あたし達の身体はドラゴンの背中から投げ出され――それまで見えていなかった景色が眼下に広がる。

 

「わぁっ……!」

 

 あたしは思わず歓声を上げた。

 昨日登った円錐の雪山。少し離れた位置にある小さな村。一面雪に包まれ、日の光を浴びて輝く銀色の世界。

 そして手を繋いだ先には、その景色に負けないくらいに綺麗な大輪の笑顔。

 

「ティンクル――あたしねぇ!!」

 

 少し狡いけれど、思いの丈を声にして叫ぶ。

 

「何!?」

「あたし、あなたことが好き!!」

 

 目を見開くティンクル。

 そして寂しそうに笑って――

 

「僕もだよ」

 

 そう、聞こえた気がした。




 3月16日に挿絵差し替えました。

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