ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第1話 剣戟の世界

 杉並区の閑静な住宅街。そのうちの一軒。周りの住宅と比べてみるとやや見劣りするものの、キチンと手入れのされた小さな庭まである。ここが、僕が生まれてから約十七年間を過ごした我が家だ。

 

「なあ、お前もうサッカーは――」

 

 隣を無言で歩いていた陽人が突然口を開き、僕は最後まで聞かずに牽制する。

 

「は? ……ああ、来週の大会なら応援に行ってやらないこともないよ」

「いや、そうじゃなくてだな……。もう、サッカーやらないのか? ……勿体無いだろ。お前中学の頃は――」

「もう終わったことだよ。少なくとも、もう遊び以外でやるつもりはない」

 

 そうやって軽くあしらうと、陽人は顔を曇らせた。

 

「まあ、そうか……そうだよな。俺らも来年は受験だし……今更部活ってのもアレか」

 

 自分を納得させるように陽人はそう呟いてから僅かに表情を緩ませた。

 

「ならさ、久しぶりに今度どっか遊びに行かないか? 別にゲーセンでも映画でも何でもいいし――って、んな嫌そうな顔すんなよ」

「何が楽しくて男同士で映画観に行かないといけないんだよ」

 

 ゲームセンターはそもそも論外だ。ああいう所にいると頭が痛くなる。

 

「いや、折角久しぶりにこうやって話せたからさ。また疎遠になっちまったら、何と無く嫌だろ?」

「――はぁ……解ったよ。場所はそっちに任せる。適当に決めてくれ。ただし五月蝿くない所で」

「OK決まったら連絡――って、そうだった。来週は俺らが優勝してお前にメイド服着てもらうんだったな。場所はその時でいいか」

 

 陽人が鳥頭であることに僅かに期待していたが、流石に十数分前のことを忘れるほど脳細胞が壊死しているわけもなかった。

 仕方がない。男に二言は無いということだし、今更撤回するのもアレだろう。

 

「というか、どっから来るんだ? その自信は」

「日々の積み重ね……というのは建前で、部長の俺が優勝する気じゃないと端から駄目だろ」

 

 成る程、気合いの問題らしい。

 

「まあ、精々一回戦敗退とか目も当てられないようなザマだけは晒さないように頑張ってくれ給え、部長殿」

 

 玄関までの短い道のりをゆっくり歩きながら、背後に向かってエールを送る。

 

「後になって約束は無しだとか言うなよな!」

 

 そんな返答を鼻で笑って受け流し、僕は家の中へと入った。

 そして、そこには待ちかねていたように、僕とは違って正真正銘の金髪碧眼の女性が立っていた。

 

「お帰りなさい、光」

「ただいま、姉さん」

 

 そう、姉である。

 三雲茜。

 僕とは二つ違いで、今年の春に無事高校を卒業。現在は良く言えば主婦、悪く言えばニートである。

 

「ご飯にする? お風呂にする? それとも……わ・た・し?」

「…………」

 

 一体何を思ってこんな質問をしたのだろうか。にこやかな笑みを浮かべるその表情からは真意は窺い知れない。

 どう答えるのが正解なのだろうか。乗ってあげるのが筋なのだろうか。

 

「じゃあ姉さんで」

 

 真顔で回答する。

 ポーカーフェイスは僕の少ない特技のうちの一つだ。

 

「……え? 光、本気なの?」

 

 まさか本気にしたわけではないだろうけど、姉さんの声には僅かに困惑が混じっている。……困惑以上に期待めいたものを感じたのは触れないでおこう。

 

「冗談に決まってるでしょ」

 

 生憎とハプスブルクのような趣味はないので即座に否定する。

 

「むぅ……姉さんをからかうとは良い度胸ね。ご飯抜きにしちゃうわよ?」

「先に仕掛けてきたのはそっちじゃないか」

 

 からかうような姉の口調。それに対し、自然と僕の口調は平坦なものになる。

 兄弟姉妹というのは得てして理不尽な目に合うものだ。上も、下も。

 しかし、うちに限っていえばあまりそういうことは無かったと思う。何故なら、姉さんは大抵のことは直ぐに矛を収めてしまうからだ。

 二歳違いの姉と弟。僕らの関係はそれ以上でもそれ以下でもないのだけれど……母さんが幼い頃に死んだせいか、姉さんは“わたしがお姉ちゃんなんだからお母さんの代わりにならないと”と思っていた節がある。今もそう思っているのかは解らないけれど。

 

「ごめんごめん。もうご飯できてるから、速めに上着脱いで手洗い済ませちゃってね」

「解ったよ」

 

 素直に返事をして、玄関からリビングをそのまま横切って洗面所に入る。

 洗面台の鏡に映るのは、姉を少し幼くしたような自分の顔。姉さんに比べれば、少し目元が涼しいかもしれない。しかし、それらを差し引いても僕らはよく似ている。

 だが、表情は対照的だ。

 基本的に仏頂面で、普段からどうでもいいようなことばかり考えている僕とは違い、姉さんは基本的にはいつも笑みを絶やさない。弟の僕から見ても、そんな彼女の笑顔は魅力的だと思う。だからこそ、解せないこともあるのだ。

 姉さんは、どうして進学も就職もせずに主婦の真似事をしているのだろう?

 口には出さないけれど、そんな疑問が頭の隅にいつもある。

 どこか老成した雰囲気のある姉だが、それでもまだ成人前なのだ。家で家事などするよりも、外で友達と遊ぶ――いや、それこそ彼氏でもつくってデートしたい、という気持ちの方が強いのではないだろうか。

 僕がそんなことを考えるのは余計なお世話なのかもしれない。でも、考えずにはいられないのだ。

 姉がもしそう思っているのなら。そう思っているのにこうしているのは……僕が、姉さんを縛り付けてしまっているのではないか、と。

 

「はぁ……――止めよう」

 

 手の泡と一緒に余計な考えも水に流す。

 コップに注いだ水でうがいを済ませ、リビングに戻る。そして、上着を置きにリビングにある階段から二階へ上がる。

 階段を上り終えた先には四つの扉。手前から見て階段側の左の扉の先が僕の部屋だ。

 

「あれ……?」

 

 小さく疑問の声を上げて、僕は首を捻った。

 何故か、僕の部屋の扉が半開きになっていた。

 自分の不注意だっただろうか。でも、朝出かける際にちゃんと閉めたという記憶はある。

 

「ま、いいや」

 

 まさか泥棒が待ち構えてるなんてこともないだろうし、姉さんが部屋の掃除でもしたのだろうと納得する。

 扉を軽く押して、部屋の中に入る。

 室内は――当然少女趣味なんてこともなく、青を基調とした清涼感のあるものだった。

 自分でも整理整頓は日頃からしているつもりだけれど、埃一つ落ちていないのは姉さんのお陰だろう。

 そして、ふとベッドに視線をやると、扉が半開きになっていた理由が解った。

 

「何やってるのさ、こんな所で」

 

 人差し指で頭を突くと、彼女は尻尾をブンッと振るった。

 白い毛並みを他人のベッドで丸めているのは、我が家の飼い猫のシロだった。白いからシロ。なんとも単純である。

 ダウンジャケットをハンガーにかけ、クローゼットに仕舞う。

 そして、昼食を食べるために下へ下りようと部屋を出ると、シロが小走りで追ってくる。

 

『にゃわぁ~ん』

 

 甘えるような声を出すと、彼女は僕の足に頭突きし始めた。

 構って構って~とか言っているんだろうなぁ~、と思わず口元が綻びる。

 

「後で遊んであげるよ」

 

 通じるわけもないのに話しかけてしまう。愛猫家の悲しき性だろう。

 階段を下りる微かな僕の足音に合わせるように、トテトテと小さな足音が続く。

 恐らく、自分は今、とても気持ち悪い顔をしているに違いなかった。

 

 

 二〇二二年十一月六日日曜日

 

『♪~♪~』

「ん~……」

『♪~♪~』

「ん~……うにゅ」

 

 変な声が出た。

 僕はベッドで布団に包まったまま、テーブルの上のスマホに腕を伸ばす。

 

「届かな――もうちょっと……」

『♪~♪~』

「うっ……届いた」

『♪~――ピッ』

「はぁ……」

 

 ベッドから上半身を出し、ダランとぶら下がってる状況は、とても他人には見せられない。

 ――これならちゃんと起き上がれば良かったよね、と後々ながら後悔する。

 

「ふぁ~……眠い」

 

 欠伸を一つ、床に立つ。

 壁にかけられた時計を見ると、いつも通り、午前七時――……少し過ぎているが、誤差の範囲だろう。

 

「光~起きた~?」

 

 間延びした声がドアの向こう側から聞こえる。

 

「起きたよ~」

「朝ごはんできてるから速めに下りてきてね~」

 

 部屋から出て階段下りると、鼻腔に香ばしい匂いが広がった。

 首を回すと、キッチンに姉が立っているのが見えた。

 

「おはよう、姉さん」

「おはよう、光。……また、凄い寝癖ね」

「……やっぱり?」

「洗面所で先に顔洗ってきなさい」

「解ったよ」

 

 言われた通り、洗面所で顔を洗う。

 冷たい水が、まだ半分寝ていた脳を覚醒させる。

 そして、面倒ではあるが寝癖を直すためにブラシで梳く。

 十分ほどの格闘の末に、なんとか人前に出ても恥ずかしくない見た目になった。

 

「終わったよ」

 

 リビングに戻り、そう声をかける。

 姉さんは律儀に食卓テーブルで、朝ごはんに手を付けずに待っていた。

 

「あれ? 父さんは?」

「まだ寝てるわよ。まあ、日曜日だし、寝かせといてあげましょ」

「あはは……」

 

 父さんは普通のサラリーマンだ。

 でも、勤め先が大手電機機器メーカー《レクト》なだけあって、給料はそれなりに良いらしい。

 しかし、中間管理職であるせいか日頃の疲れもあって、休日は昼まで寝ているのが父さんのデフォだった。

 

「さっさと食べちゃいましょ」

「そうだね」

「「いただきます」」

 

 今日の献立はスクランブルエッグにベーコン、トーストにサラダ、スープ……。あの香ばしい匂いの正体は、カリカリに焼かれたこのベーコンだろう。

 ご飯よりもパン派の僕だけれど、朝は味噌汁から始めたい……なんて思うのは贅沢だろう。

 

 朝食を食べ終える頃には、時計の短針が八時を差していた。

 あと五時間で、あの世界に戻れると思うと胸が弾む。

 

「早く一時にならないかなぁ~」

 

 

 昼食のホットケーキを食べて自分の部屋に戻ると、ちょうど午後一時になっていた。

 僕は着ていたパーカーを脱いで、上下スウェット姿になると、ベッドの上に横たわった。

 頭には、既にナーヴギアが被せてある。

 

「ふぅ~」

 

 なんだか緊張する。

 ――僕は目を閉じ、魔法の言葉を唱えた。

 

「リンク・スタート!」

 

 視界に様々な色のラインが流れ、次々と設定画面が【OK】の表示と共に消えていく。

 ――言語は日本語。

 ログインアカウントのIDとパスワードを入力。

 ログインが完了し、キャラクター登録画面が表示される。

 そこには、【βテスト時に登録したデータが残っていますが、使用しますか?】の文字。

 その下にはプレイヤーネーム【Twinkle(M)】、更にその下に【YES】と【NO】。

 【NO】を押せば新たにアバターを作成する為の画面にいくのだろうが、僕にそのつもりはない。

 迷わず、【YES】を押す。

 すると、灰色の背景に黒い文字で歓迎の文章が。

 

【Welcome to Sword Art Online!】

 

 視界が青い光芒で弾け、次の瞬間には、真っ暗になっていた。

 ――瞼の感覚。確かな鼓動を感じる。

 僕はそっと眼を開く。

 眼の前に広がったのは、多くのプレイヤーが集った、第一層《はじまりの街》の中央広場だった。

 

「戻ってきたんだ――この世界に!」

 

 口から出たのは、聞きなれた《女の声》ではなく、ボイスエフェクタによって変声した少年の声だった。

 

 戻ってきたんだ。

 無限の蒼穹に浮かぶ鉄の城――《浮遊城アインクラッド》に。

 剣戟の世界へ!

 

 

 地面から拾った小石を握り、肩の上でぴたりと構えた。ポストモーションをシステムが検出し、手の中の小石が仄かな緑に輝く――ソードスキルが発動したのだ。

 

「えいッ!」

 

 掛け声とともに、殆ど自動的に腕を振る。

 緑のライトエフェクトを纏った石ころは、レベル1の雑魚Mobである青イノシシ……正式名《フレンジーボア》にしっかりと命中した。

 

「プギィッ」

 

 《投剣》基本技《シングルシュート》。

 HPを半分ほど減らしたイノシシは、こちらに向かって突進してきた。

 

「おっと」

 

 僕はそれをするりと躱す。

 そして、左腰の鞘から《片手曲刀》カテゴリーの《スモールカットラス》を引き抜く。

 ――カットラスを選んだのは、昔見た海賊映画の主人公が使っていて、格好良かったのを覚えていたからだ。

 腰を落として、右肩に担ぐように剣を持ち上げる。その動作をシステムが認識し、刀身がオレンジ色の光で輝く。

 

「せいッ!」

 

 掛け声とともに、滑らかな動作で地面を蹴った。心地良いサウンドが鳴り響き、刃が炎の色の軌跡を宙に描いた。

 《曲刀》基本技《リーバー》だ。

 

「プギーッ!」

 

 見事に攻撃が命中し、残りのHPを失った青イノシシは、青いガラスのような破片となって消滅した。

 目の前にウィンドウが開く。獲得した経験値とこの世界のお金である《コル》、それからドロップアイテムが表示されていた。

 

【Result Exp24 Col30 Itmes2】

 

 ドロップアイテムは今更確認するまでもない。《フレンジーボアの肉》というアイテムだ。

 ――僕は今、《はじまりの街》にいるNPCから受けたクエストの真っ最中だ。

 クエスト名は《イノシシの肉が食べたい》。内容は《フレンジーボアの肉》を十個持ってきてほしい、というものだ。

 クエストの内容は多種多様だが、大きく別ければ数種類に分類される。

 序盤のクエストは《採集》《狩猟》《討伐》といった具合だが、今回僕がやっているクエストは《狩猟》に分類される。

 クエストの利点は、《フレンジーボアの肉》みたいに自分で料理するかNPCショップに売るかしかできないようなアイテムを報酬金と引き換えに処分できることだ。多くの場合、クエストクリアの報酬金の方が、同じ個数のアイテムを売ったときのお金よりも多い。

 この手のクエストは何度でも受けられので、取り敢えずの目標は十回分の百個程度。

 

「あ、見っけ」

 

 少し離れた位置に、青イノシシがリポップした。

 僕は、《シングルシュート》→《リーバー》という同じ戦術を何度も繰り返し、数時間かけてリポップしては、青イノシシを屠っていった。

 もう、陽が沈みかけている。

 アイテムが必要個数溜まったことを確認するため、《メインメニューウィンドウ》を開いた。

 

「あれ?」

 

 何だろう。違和感がある。

 ――気のせいかな?

 気持ちの悪い違和感を抱えたまま、僕はアイテムストレージをタップして、所持品を表示させた。

 

【フレンジーボアの肉×114】

 

 必要個数は十分に満たしている。

 僕はクエストを完了するため、《はじまりの街》へ走り出そうとした。

 ――その時だった。

 突然、リンゴーン、リンゴーンという鐘の音のような大ボリュームのサウンドが鳴り響き、僕は飛び上がった。

 

「うわっ!?」

 

 驚いているうちに、身体をブルーの光の柱が包んだ。 

 視界が徐々に薄れ、草原の風景がみるみるぼやけていく。

 ――え? これって《転移》だよね? ……でも何で……?

 疑問を他所に身体を包む光が一際輝いて、僕の視界を奪った。




 1月15日に加筆修正を行いました!
 今後は過去のものをここまで改稿することはないと思いますm(_ _)m

 それでは今後もよろしくお願いします!

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