ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第21話 逆位置のムーン

 現実では、たとえ陸上の選手であってもトップスピードで走り続ければ酸素欠乏症に陥るだろうし、その前にとっくに身体の限界を迎えるだろう。

 しかし、仮想世界は違う。プレイヤーの精神力が続く限り、何処までも限界速度で走り続けることが出来る。そもそも、俺達が今動かしている身体はゲームのアバターであって、生身の肉体じゃない。俺達の本当の身体は今も病院のベッドの上で呼吸を続けているのだろうし、《ナーヴギア》の開発者である茅場がディレクターを務めたこのSAOにおいても、重力や大気の再現までには至っていないのだからそれも当然なのだが。

 どこか冷静な自分がそんな思考をしながら、息も絶え絶えに無我夢中で走り抜ける。

 

「はぁ……はぁ……!!」

 

 安全エリアへと飛び込み、ズザザザザ――ッ!と、砂埃を巻き上げて急ブレーキをかけた。スリップしたせいで、革靴の底で火花が舞い散り、薄暗い回廊を僅かに照らす。

 

「はぁ~……焦った」

「ホントにねー。……冷静に考えてみたら、フロアボスがボス部屋から出てくるわけないのにね」

 

 俺とアスナは並んで壁際にへたり込むと、顔を見合わせ、どちらからともなく笑い出した。

 

「あははっ、やー、逃げた逃げた!」

 

 アスナは愉快そうにそう笑ってから、何かに気付いたようにハッとした表情になると、今度はほんのり頬を染めて慌てるように言った。

 

「ご、ごめんねっ!……わたし、その……怖かったから、無意識のうちに」

 

 その場の勢いで繋いでしまった手。だが今、そっと離れていこうとしている。

 

「あっ――」

 

 自分の口から惜しむような呟きが聞こえたときには、もう勝手に身体が動いていた。

 さっきは勢いだったが、今度は自分の意思でその手を掴む。

 ここで動かなければ、アスナが消えてしまうような気がして。……そんなわけがないのに。

 

「っ……キリトくん……?」

 

 男のものとは明らかに違う、白く小さな掌。

 思った以上に力が入ったのか、アスナは一瞬顔を顰め――だが、それ以上に驚きが大きかったのだろう。次の瞬間には、困惑が浮かんでいた。

 

「ご、ごめん……!」

 

 俺は謝りながら咄嗟に手を引こうとしたのだが、逆にアスナに掴み返される。

 

「どうしたの?……顔色、良くないよ?」

 

 気遣わしげな優しい声。

 俺は彼女に心配かけまいと、表情筋を無理やり動かして笑みだと解る形をつくる。

 

「いや、何でも――」

「何でも無いわけ、ないよ」

 

 遮られ、ジッと見詰められる。

 意思の強さを感じさせる、吸い込まれそうな大きな瞳。目を逸らそうにも、まるで引力でも有るかのように、俺の視線を捕らえて離さない。

 

「わたし、知ってるよ。……キリトくんが、どうしてパーティー組みたがらないのか」

「……あの人が、教えたのか?」

 

 顔が強張るのを感じながらも、なんとかそれだけ口にする。

 

「うん。……昔入っていた小規模ギルドが壊滅して、そのことがトラウマになってるんだよ、って。――でも、ティンクルさんが教えてくれたのはそれだけ。『それ以上は僕の口からは言えないし、言うつもりもない。詳しく知りたければ本人に直接聞きなよ』って怒られちゃった。……良いヒトだよね、ティンクルさん」

 

 そう言ってから、アスナは悲しげに笑う。

 

「やっぱりこのヒトには勝てないなぁ……って思った。キリトくんのこと、何でも解ってるって感じで……わたし、君のことあんまり知らないから」

「アスナ……?何言って――」

 

 言いかけ、気付く。

 繋いだ掌が、僅かに震えていることに。

 今にも泣き出しそうなのに、それでも必死に笑顔でいようとしていることに。

 

「でも、だから負けたくないって思った――――だって、わたしも」

 

 それでも留めきれず、涙が一筋頬を流れた。

 そして、雫が一粒二粒と零れ落ち――潤んだ瞳で何かを決意するように、俺を真っ直ぐに見詰めながら。

 

「キリトくんのことが、好きだから……!」

 

 桜色の唇から紡がれた衝撃の言葉。余りのも衝撃的過ぎて、頭の中でハウリングを起こす。

 す、好き……?

 もしや友人としてというお決まりの――と考えてから、この状況でそれは有り得ないと即座に否定する。

 好きって……そういうことだよな?でも、何で俺を……?

 困惑する俺を余所に、アスナは俺の表情をどう受け取ったのか、諦めたような笑みを浮かべる。

 

「やっぱり駄目かぁ……解ってたよ、何と無く。だって、キリトくんはティンクルさんのことが――」

「は、ハァ!?」

 

 俺は思わず大声を上げる。

 そ、それは、聞き捨てならない。

 

「俺がティンクルのことを好きだって……?」

「ち、違うの……?」

 

 不安そうなアスナの声。

 だからというわけではないが、キッパリと否定する。

 

「違う。少なくても、俺にとってあのヒトは……そもそも恋愛対象じゃない。というか……そういう風な目で、あのヒトを見られない」

 

 なんとか誤解を解く為に、思っていることを正直にぶちまける。

 

「ティンクルは恩人なんだ。クリスマスのあの日……壊れかけた俺を、命懸けで助けてくれた。その後も、何かと手を焼いてくれてさ。もし姉貴がいたら、あんな感じなのかなって。――……だから、好きとか嫌いとか、そういった感じじゃなくて……あぁ~!何て言えばいいんだろうな?――兎に角、ティンクルのことを俺は異性としては見れない」

 

 拳を握り締め、俺がそう力説すると、何故か――

 

「ぷっ……!」

 

 耐えかねたように吹き出すと、アスナは声を上げて笑い始めた。

 

「笑うって……酷くないか?」

「ご、ごめんね……っ……要するに、キリトくんはティンクルさんが大好きってことね?姉的な意味で」

 

 どうにか笑いを引っ込めて――途中で笑いそうになりながらも――アスナはそう言うと、大きく息を吐いた。

 

「ちょっと安心したかな。……でも、ティンクルさんはどう思っているのか解らないよ?ティンクルさんは、キリトくんのこと、異性として好きなのかもしれないし」

「ああ、それは無い」

 

 断言したからか、アスナは不思議そうに俺を見る。

 

「前に、ティンクルが誰かにメッセージ送ってるの見たことあるんだけど……その顔が、幸せそうっていうか……凄い乙女って感じでさ。多分、彼氏とメールのやり取りしてるんだと思うぞ?」

「か、彼氏ぃ!?」

 

 俺の情報に、アスナは予想以上の驚きの声を上げる。

 

「あ、相手は!?」

「そこまでは知らないけど……まあ、俺ではないことだけは確かだな」

 

 恐らく相手の男の名前が出回れば、アインクラッドに犇めくその他大勢の男達によって血祭りに上げられるであろうことは言うまでもない。考えてみれば、随分剛毅なものである。まあ、それぐらいじゃないと釣り合わないのかもしれないが。

 

「ぜ、全然相手が想像出来ない。ティンクルさんを射止めた人……一体どんな人何だろう?」

「さあな」

 

 俺がそう素っ気無く言うと、アスナはくすりと笑う。

 

「あっ、今の反応弟っぽい」

「茶化すなよ」

 

 憮然としてそう言ってから、俺はアスナを改めて見詰める。

 

「兎に角そういうわけだから、俺とティンクルがどうこうっていうのは、完全にアスナの勘違いだ」

「うぅっ……」

 

 改めて指摘され、頬を紅潮させるアスナ。

 それは、勘違いで先走ったことに対してか、それとも告白したことそのものに対してか。

 どちらにせよ、俺はちゃんと彼女に誠意を見せる必要があるだろう。

 

「なあ、アスナ」

 

 告白しなければなるまい。俺が過去に犯した取り返しの付かない過ちを。

 アスナがそれを聞いてどう思うのか。今と気持ちが変わるのか。

 最低な奴だと思われ軽蔑されようと、好意が嫌悪に変わることになったとしても、それはアスナの自由だし、俺に何かを言う資格は無いと思う。

 でも、もし……受け止めて、受け入れてくれたのなら、その時は――

 

「聞いてほしいことがあるんだ」

 

 ――ちゃんと、俺の気持ちを伝えよう。

 

 

 俺は身体を襲う悪寒と吐き気を堪えながら、俺が《月夜の黒猫団》と出会った経緯から壊滅までを掻い摘んで話して聞かせた。その間、アスナは身動ぎ一つせず、無言を貫いた。

 

「――それで去年のクリスマス……噂になっていた蘇生アイテム《還魂の聖晶石》を手に入れる為に、単身ニコラスに挑んだ。……今思えば、自暴自棄になっていたんだと思う。クライン含め、あの場にいた全員を斬ろうだなんて……まともな精神状態じゃなかった」

 

 その後現われた《聖竜連合》にクライン達《風林火山》が立ちはだかり、俺を送り出してくれた。

 だけど、結局――

 

「勝てなかった。流石に無謀だった。……そもそも、MMOのボスってのはソロで挑むようなものじゃないからな。連続技の隙を突かれて、大斧が振り下ろされた。――死んだ、と思ったよ。でも、死ななかった。目を見開くと、ニコラスの凶刃は白い刀に阻まれていた」

「……ティンクルさん?」

「ああ」

 

 俺は話し続けた。事の顛末を。

 ティンクルとの一対一(サシ)の勝負。《部位破壊》による《ディスアーム》によって完敗したこと。彼女からの俺への叱責と励まし。そして、深夜に届いたサチからの音声メッセージ。

 全てを語り終え、俺は瞼を下ろした。情けないことに、アスナの顔を見ていられなかったからだ。

 判決を待つ被告、或いは処刑を待つ罪人のような気持ちで彼女の言葉を待つが、アスナは中々口を開かない。

 数秒、数分と経ち……心理的重圧感にいよいよ耐え兼ねようとしたとき――ふわり、と柔らかなものがコート越しからでも伝わり、思わず目を見開く。

 

「あ、アスナ……?」

 

 背中へと回された腕。吐息が感じられる程に近い彼女の横顔。

 

「わたしは、君の前からいなくなったりしないよ。だって、わたしは……君を守る方だもの」

 

 君を守る。奇しくもそれは、俺がサチに最後まで言うことの出来なかった言葉だった。

 彼女の肌と言葉の温もりが、俺の身体と心に染み入ってくる。

 ……アスナは強いな。

 俺に、出来るのか?サチを守れなかった俺に、アスナを守ることが。

 俺は……俺は……。

 後悔と葛藤が渦巻く中で、不意に――

 

 ――――言ってしまいなよ。

 

 耳元に、優しい声音の女性の声が。

 

 ――――やらない後悔とやった後悔なら、やらない後悔の方がずっと辛い。

 ――――キリトは、知っているだろう?

 

 ……そうだな。

 同じ過ちは、繰り返さない。

 だから……アスナに、自分自身に。そして、姿の見えない声の主に誓おう。

 

「俺も、君を守るよ……アスナ。――俺も、君が好きだ」

 

 言って、抱き締め返す。

 離れてしまわないように、消えてしまわないように。先ほどとは違い、意識して手に力を込める。

 

「嬉しい……。夢、みたいだよ。両思いに、なれるなんて……」

 

 涙に濡れたアスナの声。

 背に回していた腕を、そっと肩へと移動させ、身体の距離を少しだけ離す。

 鼻と鼻が触れ合いそうな程に近く、互いの顔がある。

 潤んだ瞳。目尻に溜まった雫。だというのに、光に溶けてしまいそうな笑顔で。

 そして、そっと両目を閉じる。何かを待つように。

 だが、今はその期待に応えることは出来ない。何故なら――

 

「……いるんだろ?」

 

 俺がそう声をかけると、空間が歪み、徐々にその姿が露になる。

 先ほどまで何も無かった……いや、何も無いように見えていた場所へ現われたのは、銀色の髪に赤眼の女性だった。

 

「そのまま唇重ねちゃえば良かったのに」

 

 ニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべ、そんな戯言をのたまくティンクル。そんな彼女を呆然と見詰めるアスナ。

 

「な、なっ……い、何時から!?一体何時からそこに!?」

 

 混乱するアスナに対し、ティンクルは掌にのせた指輪を弄びながら曖昧に微笑む。

 

「君の前からいなくならない、って辺りからかな。――酷いよねぇ……完全に僕の存在忘れてたよね。ね、アスナ?」

「うぅ……」

「キリトも、ね」

「わ、悪かった。――でも、その指輪……パーティーにも隠蔽効果があるのか?」

 

 基本的に隠蔽スキルは索敵スキルの熟練度が高い相手とパーティーメンバーには効果が無い、はずなのだ。

 

「この魔法の指輪(マジックリング)の名前は《天狗隠しの指輪》っていってね。元になった伝承からか……身内、つまりパーティーメンバーに絶大な効果があるんだ。面白いでしょ?」

「面白くないですよ!!」

 

 顔を真っ赤にしたアスナが大声でティンクルに抗議する。

 

「ま、これでお相子ってことでね。そんなことより、さっきのアスナの顔……あれって完全にキス待――」

「うわ~ん!ティンクルさんに弄ばれたぁ~!!」

 

 ティンクルが最後まで言い終わる前に、アスナは泣きながら俺に抱き付く。

 

「あ、アス――――げ」

 

 思わず声が漏れる。

 視界正面。下層側の入り口から、少数のプレイヤー集団が入ってきた。……それは良い。だがこの状況で、最も会いたくなかった人物に、狙い済ましたかのように遭遇(エンカウント)してしまったのだから、この反応は許してほしい。

 

「おお!キリトじゃねぇか!暫らく振――」

 

 無精髭を生やした野武士面の男は、まるでメドゥーサにでも出会ったかのように固まると、次いで眩暈に襲われたようにフラリと後ずさる。

 

「……暫らく見ねぇ間に、二股かけるような男になっちまったのかよ……キリトよぉ」

「何でだよ!?ち、違うぞクライン!!」

 

 慌ててアスナを引き剥がし、距離を取る。

 一体、どんな勘違いをしているのか。

 傍らのアスナと少し距離を開けて立つティンクルを交互に見て、クラインはそんなことを言う。

 当たり前だが、当然誤解だ。

 しかし、否定すると今度はティンクルが。

 

「なら、わたしとのことは遊びだったの……?」

「話をややこしくするようなことを言うな!!」

 

 ティンクルの目に涙まで浮かべた迫真の演技に思わず突っ込む。

 すると、クラインはティンクルの前までやって来ると、真剣な表情で口を開いた。

 

「振られちまったんだな……可哀想に。なら、オレと――」

「ごめん、クライン。それは無理」

 

 一変、笑顔なったティンクルは、クラインの告白?を一刀両断、切って捨てる。

 せめて、最後まで言わせてやったらどうだろうか。

 

「ひ、酷ぇ……あんまりだ」

 

 地面に膝を付き、うな垂れるクライン。

 

「げ、元気出してくだせぇよ。相手はあの《氷――」

「何か?」

「な、何でもないっす!!」

 

 底冷えのする笑顔を向けられた《風林火山》のギルメンの一人が、ガタガタと身体を振るわせる。

 

「じょ、冗談はこれくらいにしてだ。――キリト、てンめぇ!どういうことだこれは!?」

 

 起き上がったクラインは、殺気のこもる声で詰め寄るようにしてそう聞いてきた。

 本当に冗談だったのか?という疑問は兎も角、俺は視線を逸らせてどう答えたものか考える。が――

 

「ああ、それは簡単。こちらのアスナがキリトに告白して、キリトがそれを受け入れたので、晴れて二人は恋人同士~♪っていう」

「キリト――――!!」

「クライン落ち着け!!」

 

 火に油を注ぐとは正にこの事だろう。

 掴み合いになった俺とクラインは互いに《STR》にものをいわせて相手の体勢を崩そうと押し合い、引き合う。その光景が面白かったのか、アスナはもう我慢の限界だと身体を折って笑い始めた。

 それで毒気を抜かれたのかクラインの力が抜けたので、俺はスッと距離を取ってから、仕切り直す為にもアスナにクラインを紹介する。

 

「えーと……アスナ、ボス戦で顔合わせてると思うけど、こいつが――」

「うん、クラインさんだよね。で、後ろが《風林火山》のメンバーの人達でしょ?」

 

 どうやら落ち着いたらしいアスナはそう言って、クラインに微笑みかける。

 

「こんにちは。今日からこの人とパーティー組んでるので、よろしくお願いします」

「どっどどどうもっす!こ、こちらこそ!!」

 

 軽く頭を下げたアスナに対し、クラインは凄い勢いで最敬礼気味に頭を下げる。

 ああ、これは面倒なことになったな――と、思っていると。

 先ほど彼らがやって来た方向から、新たな一団の訪れを告げる足音と、金属音が辺りに鳴り響いた。




 受けた大学3校とも合格しました!心の重荷がやっと下りましたよ(´∀`;)因みに全部法学部。
 結局、その内1番偏差値高い地元では結構有名なとこに行くことにしました。まあ、私大なんですけどね。

 では、話題を変えまして。
 キリトとアスナを原作よりずっと早くくっ付けました(笑)
 キリトのアスナへの好意が唐突に感じるかもしれませんが、《圏内事件》以降何だかんだで会っていたようなので、好きになるのも当然といえば当然だったと思います。アスナさん、美人ですしね。

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