フロアボス戦。
デスゲームも既に開始から二年が経とうとしている現在では、偵察隊或いは先遣隊――を事前に幾度にも亘ってボス部屋へと送り、ボスの使うソードスキルや固有スキル、武器や行動……時には仕草一つまで入念に調べ上げ、それからやっと各有力ギルドの精鋭とソロプレイヤー数名がレイドパーティーを組んでボスと対決することになる。いや、対決という表現は生温い。正真正銘、生死を賭けた死闘だ。――兎も角、レイドパーティーというのはレイドリーダーを元に八パーティーで更にパーティーを組む、みたいな大規模パーティーのことで……通常パーティーは最大六人だから、レイドパーティーの上限は四十八人ということになる。
そこまでボス戦のセオリーを思い出してから、改めて松明に朧気に照らされた薄暗い室内を見渡す。
《軍》が十二名――コーバッツの戒めは既に解けてるけど、流石にバツが悪いのか黙っている――《風林火山》がクライン含め六名、そして僕らのパーティーが三名で……合計二十一名。実質、レイド上限の半分にも満たない、たったの二十名で初見のフロアボスに僕らは勝利したのだ。
今更ながら、嫌な汗が頬を伝う。ホント、よく生きてたものだ。
そう思っているのは、僕だけではないだろう。
床の上に倒れるようにして座っている面々。HPというデジタル数字は満タンを示していても、精神の疲労は言うまでもない。もしここにアウローラがいれば……「あはっ皆メンタル最悪ねっ」とか言うに違いない。それはもう、良い笑顔で。
……まあ、兎にも角にも――――誰も死ななくて良かったよ。ホントにさ。
僕は今回の一番の功労者に労いの言葉をかける為、直ぐ傍で大の字で寝転んでいる黒ずくめを見やる。だが、どうやらキリトも僕のことを見ていたらしく、視線と視線がぶつかる。
「何だよ? そんなにまじまじと見詰めて」
口調がぞんざいになってしまったのは、大多数の人間がそうであるように、他人に顔をジロジロ見られるのが嫌いだからだ。もっと言えば、人並み以上に嫌いだからだ。
でも、キリトは今更僕の顔になど興味は無いだろう。なにせ、僕みたいな紛い物と違って、正真正銘の美少女が本日目出度く彼女になったんだからさ。
そう思って返答を待っていると、キリトはおずおずと口を開いた。
「あんた……さっきの《
何だ、そんなことか。
変に勿体付けるから、遂に性別バレか? と思ったら――拍子抜けだ。
「勿論そうだよ。《
でも、やろうと思えば可能だ。
例えば今朝クラディールに対してやったみたいに、相手の武器を跳ね上げ……ジャンプでもしてそれをキャッチすれば《武器強奪》完了だ。
まあ、でも……《武器強奪》するメリットってあまり無いんだよなぁ。相手の武器を文字通り奪えるのは確かにメリットだけど、そんなこと態々する程装備にもお金にも困ってない。
もしやることがあるとすれば、相手の強力な武装を奪い、カウンターを狙う――なんて場面だろうか。相手の武器を奪ったところで、それが刀か投剣じゃないとソードスキルは使えないけれど。
「前々から思ってたけど、そういうシステム外スキルってどうやって身に付けたんだ? ……あんたのことだから、対人戦で鍛えたわけじゃないんだろ? もしそれが出来たら、あんただってラフコ――――悪い、何でも無い」
「良いよ、僕は気にしてない」
そうは言いながらも、上半身を起こしたキリトの目をまともに見ていられず、僕は目を逸らした。
“ラフコフ討伐戦”。最悪の
何故か。それは、僕がヒトを傷付けられないから。……間違ってはいけないのは、僕を縛るのは傷付けたくないという感情ではなく、傷付けられないという強迫観念だということだ。
――僕はあのクリスマスの日、思い知らされた。
僕はあの時まで、僕が他人に暴力を振るわないのは、強固な自制心によって無意識に身体に制止をかけているからなのだと、そう思っていた。
でも、違った。僕が無意識に守っていたのは他人の身などではなく、僕自身のことだったのだ。
忘れもしない、去年のクリスマス。キリトの腕を叩き斬った僕は、激しい動悸に襲われた。どうしようもなく吐き気が込み上げ……しかし、仮想の身体では吐くことも出来ず、身体が小刻みに震え、遂には立っていられなくなった。それでも僕は、キリトの元へなんとか身体を引き摺った。彼が、気絶してしまったからだ。
どうにかしてキリトの元へ辿り着いた僕は、力を振り絞って自分の膝の上に彼の頭を乗せた。微かな寝息が聞こえたときは、本当に安堵した。
それなのに、幾ら待ってもキリトは目覚めない。僕の身体の震えは、いつしか恐怖から来るそれへと取って代わっていた。
だから、彼が急に目を開けて、「……あんた、何やってるんだ?」って言ったときは心底驚いたし、涙が零れそうになった。それを誤魔化す為に苦笑を浮かべて、咄嗟に「膝枕……かな?」なんて言ったんだ。
――僕は、他人より心が弱いのかもしれない。メンタルパラメーターだって相変わらず酷い有様だし、今回だって安心して腰を抜かした。……情けなさ過ぎて、笑えてくるよ。
でも、そんな僕でも出来る事はある。いや、現状僕にしか出来ないことが。
最悪の事態に備えてキリトには……意図せずアスナにも、ヒントを残した。
アウローラにはああ言ったけれど、二人にあんなことを言った本当の理由は、結局は自分が死んだときには、という後ろ向きな理由からだ。二人を利用しようなんて、これっぽちも思ったことは無い。しかし、彼女は僕の本心に気付いていたと思う。流石、カタチだけでも《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》だ。
だけど、今は死んでやるつもりなんて微塵も無い。だって、僕には“約束”があるから。
「――――クライン」
少し離れた位置に座るクラインに声をかける。
「……お、おう。どうしたよ?」
僅かの間の後、気まずそうな声。
一人で沈んでいても仕方がない。取り敢えず、僕に“今”出来ることをしよう。
「何か、大事なことを忘れてるんじゃない?」
「大事なこと?」
僕とはキリトを挟んで反対側に座っているアスナがこちらに顔を覗かせる。
「決まってるでしょ。キリトのエクストラスキルについてだよ」
「「「「「「「ああ!!」」」」」」」
キリト以外の七人が同時に声を上げる。どうやら、今の今まで完全に忘れていたらしい。
「て、ティンクル!!」
恨みがましげな声を上げるキリト。
折角勝ったのに、この暗い雰囲気は何だ。半分は僕の責任なのは自覚しているけれど、もう半分はキリトの責任だ。彼には悪いけれど、この雰囲気を払拭する為に生け贄になってもらおう。
「ま、精々皆から質問攻めになってなよ」
そう言い残して、僕は立ち上がる。
「お、おい! 何処行くんだよ……?」
「何処にも。《軍》に話があるだけだよ」
クラインの声に背中越しに答え、僕は部屋の反対側に纏まって座っている《軍》の所へと歩いていく。
僕に気付いたらしいコーバッツは、無言で僕を見上げた。兜を外したその面差しは、相変わらず厳ついままだ。
「コーバッツさん、先程はすみませんでした。ご無礼をお許し下さい」
「……謝るのは私の方だ。――上からのプレッシャーもあって、頭に血が上っていた」
僕は息を呑んだ。何故って、あのコーバッツが、僕に頭を下げたからだ。
「……礼を言わせてほしい。君達のお陰で、我々は一人も死なずにすんだ。ありがとう、感謝する」
そう感謝の言葉を吐いたコーバッツの顔は先程マップデータを提供したときと同じように、表情一つ変わっていないが……良く良く見れば、僅かに口角が上がっているようにも見える。
もしかして、これで笑ってるの!?
今日一番の驚きを禁じえない僕の心中を知ってか知らずか、コーバッツは立ち上がった。
「我々は、そろそろ本部へ戻らせてもらう。報告もしないといけないからな」
「ギルドマスターにですか?」
「いや、サブマスターにだ。……何を言われるか想像すると、足取りは重くなるがね」
フッ、と鼻を鳴らすコーバッツ。
間違いない、笑ってるんだ、これで。
感情が顔に出ない、或いは出にくいという人間は世の中にごまんといるし、総じて誤解されやすい。
まあ、さっきのマップデータは当然のことだと思ってたんだろうけど、今回の感謝は言葉通り受け取るべきだろう。
「さあ早く立て貴様ら! 街へ帰るのに、クリスタルなど使わせないぞ!」
そう言われ、渋々でも立ち上がる面々。案外、コーバッツは彼らに慕われているのかもしれない。
「ちょっと待って」
部下を引き連れ早々に退去しようとするコーバッツの背に声をかける。
中々振り向かないので不安になるが、それでも待っているとようやく振り返った。その顔は、少しバツが悪そうだ。
「ふぅ……何だ?」
溜め息混じりのその声には答えず、僕はトレードウィンドウを開いて、次々とアイテムを放り込んでいく。
「……どういうつもりだ?」
憐れみは受け取らないぞ、と暗に言われているのは気のせいではないだろう。
どうやら、僕はこの短時間でコーバッツの表情の変化を理解したらしい。
「僕らはレイドを組んでたわけじゃない。一緒に戦ったのに、あなた達はアイテムはおろか経験値だって一ドットも手に入れられていないでしょ?」
ウィンドウに羅列されているアイテムの数々とコルは、LAボーナスも含めて僕が今回手にしたモノだった。
「言っとくけど、全部あなたにあげるわけじゃないからね。《軍》の方針は“皆で分かち合う”でしょ? ちゃんと、十二人で山分けしてね」
そう言って片目を瞑ってみせるが、コーバッツは渋い顔だ。
え? 駄目? ウインクなんか噛ましといて?
うわー! ……恥ずかしい、穴があったら入りたい。
頭を床に叩きつけたくなる衝動を懸命に堪えていると、コーバッツは眉間に皺を寄せた。
「君の気持ちは有り難い。だが、それは君の取り分だろう。……こんな物を受け取っても、我々には返せるモノが無い」
顔の印象そのままに、随分と厳格な性格らしい。解りきっていたことではあるが。
ま、これでも弁は立つ方だ。説得、というのも変な話だけど、折角だからやってみよう。
「なら、僕がピンチなときに駆けつけてください。それも、物語の
満面の笑みと共にそう言ってやる。
返せないなら身体で払え。ドラマでよく聞くこの台詞をアレンジしただけなのだが――どうやら、効果はあったようだ。
「たしか、君の通り名は《氷姫》だったな。……解った、肝に銘じておこう」
そう言って苦笑し、ウィンドウのOKボタンを押すコーバッツ。
ここは本来喜ぶべき
《氷姫》って、最下層の《はじまりの街》にまで広まってるの!? どんだけだよ!!
「では、これらは有り難く戦力強化の為に使わせてもらう。……君が攻略組にいる限り、再び相見える日も、そう遠くはないだろう。そのとき、君に借りを返すことが出来るよう努力しよう」
「
自分で言っておいて、僕は肩を竦める。
「フッ……違いない。――それでは、今度こそ我々は行かせてもらう」
言った通り今度こそ、コーバッツは部下を引き連れ巨大扉を開けてボス部屋を出て行った。その足取りは、安全エリアを出て行った先程と比べて、明らかに軽やかだった。
僕は彼らのそんな後ろ姿を見送ってから、キリト達のもとへと戻る。
「おう、ティンクル! あいつらと何話してたんだ?」
「ちょっとね。――それで? クライン。話は済んだの?」
そう尋ねると、青い顔をしたキリトがこちらをジロリと見る。
「そんな顔しないでよ。……ほら、僕らもそろそろ移動しよう」
「何処へだよ?」
不貞腐れたような声を出すキリト。そんな彼に、僕は微笑みかける。
「決まってるだろ? 七十五層の転移門をアクティベートしに行くんだよ。
「うっ」
息を詰まらせ、意気消沈するキリト。
そんなに好奇の目を向けられるのが嫌か。僕なんてしょっちゅうだぞ。
「はぁ~……解った、解った」
わざとらしく大袈裟に溜め息を吐いてみせる。そして、皆の顔をぐるりと見渡す。
「それが終わったら、今夜は祝勝会だ! 全部僕の奢りで!」
そう言った瞬間、うおおおお!! と歓声が上がる。主に《風林火山》の。
「て、手作りですか!?」
目を見開いて大声で訊いてくるクライン。
いやいやいや! 目が血走ってるんだけど!?
「ほ、ホームパーティーってこと……?」
恐る恐る尋ねると、ブンブン音が出そうな勢いで頷くクライン。
だから怖いって!
「あ、良いんじゃないですか? わたしも手伝いますよ」
快く手伝いを申し出てくれるアスナ。
でも、アスナ……それって――
「うおっしゃぁあああああああああああああ!!」
ほらー。
さっきとは比べるまでもない程大きな歓声を上げる《風林火山》。……まあ、叫んでるのは主にクラインだが。
そんな大声を上げるクラインの足をキリトが思い切り踏み付ける。
「痛ってぇぇぇ――って、痛くねぇんだったな。つーかキリトよ。痛くないにしたって人の足踏むつーのは」
「うるせぇんだよクライン。お前喜び過ぎだ。……そういうことならボチボチ行こうぜ。昼飯食べてないことだしな」
すまし顔でそんなことを言うキリトだが。
「おやおや~?」
「な、何だよ……?」
ぐい、と僕が顔を近づけるとキリトは顔を背けたが――
「その顔はあれだ。彼女の手料理を他の男に食べられたくない、ってあれだ。うわー僕、もしかしてお邪魔しちゃったかな?」
「そうだ、思い出した!! キリトぉぉぉぉ!!」
「だから何であんたはそうやって一々煽るんだ!?」
追い追われ、二人はそのまま扉を開けてその向こうへ消えていった。
「もう! ティンクルさん!!」
「あははっ……ごめん、ごめん」
からかうことくらい許してよ。だって僕は彼に、妹みたいに思ってた“幼馴染”を取られちゃったんだからさ。
「じゃ、僕らも行こっか」
言って、扉を押し開ける。
こうして扉を開け続ければ、いつかは頂まで辿り着くだろう。
でも、やっぱり僕は――――こんなクソゲー、真面目に最後まで付き合ってやるつもりは無いぞ、茅場。
5万UA&お気に入り900件突破ありがとうございます!
ところでヒロイン属性持ちの主人公(男)ってどうなんですかね?
今時珍しくないもない?……そうですか。
【挿絵表示】
最終決戦である対ヒースクリフ用の決戦イラストです!
描くたびに絵柄が変わるー(・∀・` *)
しかし今回、かなり美人さんに描けているのでは!?
でも、これから鎧描くのかと思うと……(^ω^;)
因みに、リズリズ言ってる癖に一度もリズベット描いたこと無いんですよね……実は。
これは描くべきか。
あと、デスゲーム開始時には泣きぼくろあったことにしたんで、イラスト泣きぼくろ有りのやつにそのうち差し替えですかね。