ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第26話 薄氷の舞台

 数秒前まで歓声で湧き上がっていた闘技場は、静寂に包まれていた。誰もが口を閉じ、呆気に取られている。

 

「ひ、引き分け……?」

 

 席を立って一緒にキリトを応援していた隣の席の少女が呆然と呟いた。肩に乗せた《フェザーリドラ》が、主人を心配するように小さく鳴く。

 初撃決着の失敗で自動的に半減決着に移行していたキリトとヒースクリフ――二人のユニークスキル使いのデュエルは苛烈を極め……最終的に、同時に発動させた単発ソードスキルでお互いを斬り裂き、HPの五割を切った。つまり――――引き分け(ドロー)だ。

 

「ま、大健闘ってところかな」

 

 僕が驚いたのは、茅場が今回のデュエルの為に《不死属性》を解除していた、ということだ。つまり茅場は、キリトがSAOの開発ディレクターである自分のHPを半減させ得ると踏んでいたのだろう。自分の正体が露見する可能性を事前に潰していた、というわけだ。――或いは、“開発者”茅場晶彦としてではなく、“プレイヤー”ヒースクリフとしてキリトと戦いたかったのかもしれないが。

 観客達がやっと事態を飲み込んだのか、闘技場全体が二人の別次元の戦闘を讃えての拍手喝采に包まれる。

 

「キリトさん……やっぱり凄いです」

 

 周囲の喧騒に混じって、少し寂しそうな声が耳に入る。

 

「君、もしかしてキリトの知り合いなの?」

「そう言うお姉さんは、キリトさんとはどういったご関係なんですか? ……ティンクルって、お姉さんのことですよね?」

 

 敵意……というよりは、嫉妬するような声音でそう言って、僕を見上げる中学校入りたてくらいの少女。

 お姉さん――――か。まあ、そう見えるよね。

 

「うん、わたしがティンクルだよ。キリトとの関係かぁ……う~ん……キリトのシステム外スキルの師匠ってところかな。昨日も対人戦の指導をしたよ。手取り足取り、ね」

 

 微笑んでそう答える。

 まだ子供の少女に変な影響を与えない為、敢えて“僕”ではなく“わたし”と言ったのだけれど……これって、やっぱり騙してるってことだよね。……流石にちょっと罪悪感が。

 

「そうですか……手取り足取りですか、そうですか」

 

 光沢を失った虚ろな瞳でブツブツとそう呟く少女。

 怖い! この娘怖いよ!?

 

「あたしはシリカっていいます。……すみませんけど、用事ができたのでこれで失礼します」

 

 し、シリカ……? 何処かで聞いたような……何処だったっけ?

 思い出せそうで思い出せない気持ち悪さに悶々とするが、取り敢えずこの場で思い出すのは諦めよう。

 

「用事、って?」

「……レベリングです。やっぱり、今日改めてキリトさんに追い着きたいって思いましたから」

 

 追い着きたい、か。

 

「そっか。頑張ってね。……でも、無理しちゃ駄目だよ?」

「ありがとうございます。――――でも、そうやって余裕ぶっていられるのも、今のうちだけですから」

 

 そう言ってから、プイッとそっぽを向くとシリカちゃんはバツが悪そうに「さよなら、お姉さん」と言って闘技場の出入り口へと走っていってしまった。

 

「何か怒らせるようなこと言っちゃったかな……?」

 

 今の会話に少女を怒らせるような内容の言葉は含まれていなかったと思うけれど。

 訳が解らず一人困惑していると、KoBの団服を着た恰幅のいい男が小走りで近づいてきた。……たしか、名前はダイゼンだったか。

 

「いやぁ~ティンクルはん捜しましたよ。ティンクルはん目立ちますのに、ほんま見つからんくて」

「……僕に何の用ですか?」

「団長がお呼びです」

 

 

「すまなかったね、ティンクル君。しかし、こういう事態になってしまったから、改めて君も交えて話し合おうと思ったのだよ」

 

 椅子と机が持ち込まれ簡易的な会議室と化した闘技場の控え室に、僕ら三人とヒースクリフ含めた数名のKoBメンバーとが会していた。

 

「我々としては再戦は望まない。……これだけ劇的なデュエルもそうそう無いだろうからな。盛り上がってくれた観客に水を差すのも申し訳がないだろう。――だから、我々が出した結論は現状維持だ。我々はアスナ君を失わないし、ティンクル君が我々のギルドに入る必要も無い。……もしこれに不満があれば、対案を出し給え。反対するだけでは物事は進まないのだからな」

「ぐっ……!」

 

 隣のキリトが出鼻を挫かれたように歯噛みする。

 ……現状維持。これでは何の為に戦ったのか解らない。しかし、ヒースクリフの論理に隙は無い。反論も出来なければ、対案を出せと釘まで刺された。だが――

 

「何か言いたそうだな。――遠慮することはない。意見を聞く為に君もここへ呼んだのだからね、ティンクル君」

 

 真鍮色の瞳に値踏みでもするかのように見詰められ、気持ちが萎縮しそうになる。だけど、このままで良いはずがない。

 

「提案があります。……そもそもアスナは、休暇を望んでいるのであってギルドを辞めたいわけではありません。ならば、彼女が休んでいる間、彼女が空けた穴を別の人間が補填すれば良い」

「ほう。しかし、アスナ君はトッププレイヤーの一人だ。そんな人材、一体何処にいるのかね?」

 

 ヒースクリフの口元には笑みが浮かんでいる。

 ……まさか、これが狙いだったのか? 僕にこれを言わせる為に、わざと引き分けにもっていった……?

 だとしても、構うものか。

 ヒースクリフの目を睨むように見詰め返し、僕はその人物の名を口にする。

 

「――――――《氷姫》、つまり僕です。……そもそも、今回あなたが欲しがっていた人材だ。これなら断る理由も無いでしょう?」

「ふむ。確かに、断る理由が無いな。君がそれで良いのなら、私個人としてはその案に乗るのは吝かではない」

 

 それが唯一の正解であるかのように頷くヒースクリフ。

 やはり、茅場の狙いはこれだったのか。僕が自らの意思で、《血盟騎士団》の門戸を叩くことが。

 

「おい! 何言ってんだよ!?」

「団長待ってください! ティンクルさんも何考えてるんですか!?」

「五月蝿いよ、二人とも。そんなに必死にならなくたって……魔窟に放り込まれるわけじゃあるまいし。それどころか、トップギルドにいきなりサブマスター待遇で迎えられるんだよ? 喜ぶ理由は有っても、断る理由は無いじゃないか」

 

 そう言って、キリトとアスナを窘める。だが――

 

「ふざけるな!!」

「っ……!」

 

 激昂したキリトに襟首を握られ、思い切り引き寄せられる。

 

「苦しいんだけど……!」

「理由なんか知らない、あんたが話してくれないからな。……でも、あんたがギルドに入りたくないってのは俺だって知ってんだよ!! あんた鏡で自分の顔見てみろよ! それが喜んでる人間の表情(かお)だっていうなら、もう勝手にしろ!!」

 

 そう言われ、突き放された。

 ……参ったな。表情を思ったようにころころ変えられるのが特技だったはずなのに。

 

「ティンクルさん、怒らないでくださいね? キリトくんは、ティンクルさんが好きだから、大切だから怒ってるんです」

「アスナ……?」

 

 一目で怒っていると解るキリトに比べて、アスナは見事なまでに無表情だ。

 

「わたしは正直に言って、ティンクルさんのこと好きじゃありません。寧ろ嫌いです。――美人だし、性格も良いし、料理も出来て、頭も良くて、ゲームも得意で……何でも出来て……っ!」

 

 いや、無表情なんかじゃなかった。どうにか抑えていたから、そう見えただけだった。

 ダムが決壊するが如く、アスナは大粒の涙を零す。

 

「独りで何でも出来るんでしょう!? 独りで抱え込んだって、全部何とか出来るんでしょう!? ……そんな人が、もっと他人(じぶん)を頼れなんて言わないでっ!!」

 

 アスナは、まるで子供が駄々を捏ねるようにそう叫ぶ。

 ……それは違うよ、アスナ。僕が独りで出来ることなんて、高が知れてる。

 

「何か大事になってきたが、勝手に我々を悪役にしないでくれ給え。あくまでティンクル君が言ったのは代替案であって、我々としては現状維持で何ら問題無いのだよ。――それに話を聞くところによると、ティンクル君は以前はギルドに入ることを嫌がっていたのかもしれないが、今もそうだとは限るまい? ……嫌がっているように見えて、実は嬉しいのかもしれない。嫌よ嫌よも好きのうち、というやつだ。違うのかね?」

 

 大袈裟に溜め息を吐いてから、そう僕に尋ねてくるヒースクリフ。

 これは助け舟なのか? それとも奈落へ突き落とそうとしているのか?

 どちらにせよ、もう答えは決まっている。

 僕は恥らうように頬を染めてから、俯き加減で言った。

 

「実はそうなんです。今更入りたいなんて、恥ずかしくて素直に言えなくて」

「解るとも。年を取ると、自分にも他人にも素直になれなくなるものだ。気にすることはない。私は君を歓迎するよ、ティンクル君」

「ありがとうございます」

 

 そう礼を言って微笑む僕を、キリトは無言でジッと見詰めていた。そして――

 

「――本気なんだな?」

「き、キリトくん……?」

「それがあんたの本心だって、俺はそう思って良いんだな?」

「キリトくん何言ってるの!?」

「アスナは黙っててくれ。――ティンクル、どうなんだ?」

 

 キリトは真意を確かめるように、黒い瞳を鋭く光らせる。

 

「勿論、本心さ」

 

 間髪入れずにそう言って笑ってみせる。

 知っているかな、キリト。たとえ最悪の手札でも、最高に思わせる――それが、真のポーカーフェイスだって。

 信じてくれたのか、或いは諦めたのか……キリトは薄く笑った。

 

「そっか。……だったら良いんだ。首絞めるみたいな真似して、悪かった。――ヒースクリフ、俺はティンクルの案に賛成だ。……行こう、アスナ」

「ちょっとキリトくん!?」

 

 驚くアスナを無理やり引っ張って、キリトは控え室を出て行った。

 

「やれやれ。……どうやら結論は出たようだな。ティンクル君、昨日とは別の意味で言わせてもらおう――――ようこそ、《血盟騎士団》へ」

 

 

 

 控え室の中、部下を出て行かせたヒースクリフと僕は二人きりになっていた。

 

「素早く済ませるつもりが、大分時間を食ってしまった。観客が待ち草臥れているだろう。――これに着替え給え」

 

 目の前に、トレードウィンドウが表示される。中身は、KoBの団服だった。

 

「アスナ君のと見た目は殆ど同じものだ。只、君は戦闘時鎧を着ていたから、防具類は付けていない」

「……そうですか」

「私は部屋の外で待っている。……早めにし給え」

 

 そう言って、ヒースクリフは出て行った。

 控え室に、僕だけが取り残される。

 こんなことになって、アウローラは怒っているだろうか?

 きっと、今回のことでキリトにもアスナにも嫌われてしまっただろう。……いや、アスナは僕のこともとから嫌いなんだっけ。

 ……悩んでも仕方が無い。兎に角、今は着替えよう。――それにしても、「早めにし給え」っておかしくないか? だって、現実と違って着替えるのなんて十秒あれば足りるはずだ。

 僕はウィンドウを開き、装備フィギアを表示する。次に、所持アイテムの中から渡された団服を選んで――

 

「――――――――――え?」

 

 選ぼうして、僕の身体はフリーズした。表示された英単語に瞠目する。

 

「め……【Male】……?」

 

 呆然と呟き、それでも何とか硬直した身体を動かして、今度こそ装備を変更する。

 一瞬光に包まれた身体は、次の瞬間にはいつもの地味な格好から赤白の団服に変わっていた。同時に、嘗て一度だけ味わった感覚。足元が妙にスースーするという、ある衣服特有のものを。そう――スカートだ。

 でも、驚くことじゃなかったかもしれない。……だって、ヒースクリフはアスナが着ているものと“見た目は”殆ど同じだと言っていた。だから、スカートであることは何ら不思議じゃない。

 

「何をしているのかね? ――私は、早めにし給えと言った筈だが?」

 

 扉の前から、そんな平坦な声が聞こえる。

 

「……終わりましたよ」

「そうか、ならば速やかに出てき給え。スピーチの内容は、考えてあるのだろう?」

「考えていませんが――心にも無いことを言うのは得意です」

 

 そう言いながら、僕は控え室を出てヒースクリフを僅かに見上げる。

 

「フッ……そうか。ならば、何も問題はあるまい」

 

 そう言って、ヒースクリフは悠然と歩き出す。僕も、その背中を追う。

 死神に這い寄られたのような恐怖を、生唾と一緒に呑み込んで。




 文章量はいつもより少ないですが、その分内容は濃くなっていると思います。

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