ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第31話 舞台袖の閑談

「――という訳で、クラディールは牢獄へぶち込んだ。罪状は、僕へのセクハラってことにしたから」

 

 事の顛末を語り終え、ふぅ……、と小さく息を吐く。

 

「何を一仕事終えたような顔をしているのだね……君は」

 

 終始無言で報告を聞いていたヒースクリフは呆れたようにそう言ってから、頭が痛いとでも言いたげに額を押さえた。そして、暫し黙考してから、再び口を開いた。

 

「はぁ……。色々と言いたいことは有るが、まずは君の口から理由を聞こうか」

「何で僕が責められてるみたいな雰囲気なんだ? 元はと言えば、あんたの監督不行き届きが原因だろ」

「私自ら勧誘していた以前ならば兎も角、現在は団員の勧誘は各自に任せているのだから、問題分子がギルド内に紛れ込んでいたからといって、私の責任にされても困る」

「僕が言っているのは、あいつの謹慎を解いたことだ! たった数日で心を入れ替えられるなら、この世から再犯なんてものは無くなるんだよ!」

 

 特にストーカーと性犯罪者は再犯率が高いことで有名だし、後者は個人的な経験則から言って、一度やった奴は二度三度やるんだよ! そんなこと、茅場が知らないはずもない。

 僕は胸中のイラつきを隠すことも無く、ヒースクリフを睨み付けた。

 

「彼の謹慎の解除を要請してきたのは、他でもないゴドフリー君だ。私は、それを承認したに過ぎない」

「ギルメンの判断が間違っていたら、それを正すのもギルマスの仕事だろ」

「私は、各自の自主性を尊重している。それに、私に負んぶに抱っこでは、後々困ったことになることは、君が一番理解していることと思うが?」

「…………っ」

 

 減らず口を……!

 ああ言えばこう言うってのは、まさにこのことだな――と、普段の自分を棚に上げて独り言ちる。

 

「……ゴドフリーさんには、『わたしの方が危機管理能力は上のようですね。対処能力は言うに及ばず、ですが』って言っておいたよ」

「それは手厳しい。まあ、奇しくも今回のことで、嫌でも君を認めざる負えなくなっただろう」

 

 そう言ってヒースクリフは苦笑を漏らしたが、やがてその笑みは含みをもったものへと変わった。

 

「……何だよ?」

「いや、なに……秋も半ばだというのに、随分と涼しそうな恰好をしていると思ってね」

 

 確かに、十月下旬にもなってノースリーブというのは、些か風通しの良すぎる恰好だろう。因みに今は《銀妖精の鎧》は装備から外してあるので、ちゃんと地に足付いている。

 

「スカート姿の方が、余程涼しいと思うけどね。それとも、あなたとしてはスカート姿の方が好みかな?」

「残念ながら、私には男にスカートを履くことを強要する趣味は無いよ。君にあの団服を着てもらったのは、衆人環視の前だったからだ。君としても、見た目だけでも女性用の団服の方が、何かと都合が良かっただろう? ……普段の服装については、男物でも女物でも好きに着ると良い。まあ、しかし幾ら君でも、【Female】の服を装備することは出来ないがね」

「僕に女装の趣味は無い!!」

 

 嫌味を言ったつもりが、何倍にもして返され、思わず声を荒げてしまった。そして、そんな僕の姿を見て、ヒースクリフは「勝った」とでも言わんばかりにニヤリと笑った。

 

「……あんた、絶対友達いないだろ」

「何故そう思うのだね? ……まあ、良いか。そんなことより、話を戻そう。何故、罪状が殺人未遂からセクハラまでにランクダウンすることになったのだね?」

 

 ヒースクリフの顔に既に笑みは無い。僕の表情もそれに合わせるように、自然と引き締まる。

 

「今朝あなたも言った通り、KoBはトップギルドだ。口では否定するかもしれないけれど、攻略組プレイヤーの殆どがその力を信頼し、また頼りにしている。そして、その他大勢のプレイヤーにとっては、ゲームをクリアしてくれると信ずるに値する希望の光だ。――そのリーダーがラスボスってのは、皮肉が効き過ぎてるがな」

「最強のプレイヤーが一転、最悪のラスボスに。……我ながらこのシナリオは、大層盛り上がると思うのだがね。まあ、続け給え」

「……攻略組プレイヤーとその他一般プレイヤーに共通しているのは“期待”だと言って良い。そして、人間というのは勝手なことに、期待外れは期待を寄せた自分達に対する“裏切り”だと認識するんだよ」

「ふむ」

「日本人というのは、排他意識が比較的強い。それは、村八分なんていう制度が機能していたことや、被疑者段階の人間を世間の目を気にする余り早々に解雇することからも明らかだ。また、個人の罪や責任をその個人が帰属する集団にまで当て嵌めようとする傾向も強い。……連帯責任なんていう言葉が罷り通る所以だ。――そして今回、未遂とはいえ、殺人者(レッドプレイヤー)がギルド内に現れた。そのことに対するプレイヤーの目がどういったものになるのかは、火を見るよりも明らかだ。KoBに対する信頼は、間違い無く失墜する。そして、トップへの信頼が揺らげば、そのまま雪だるま式に攻略組そのものへの信頼が消失することに繋がる。その結果として待っているのは、ゲームのクリアなど出来はしないという絶望と、どうせ死ぬなら何をしても良いという思考から来るモラルハザードだ」

 

 そこまで言って一旦区切り、長々と語ったせいで乾いた唇を軽く舐めり湿らせた。

 

「ならば、そんな事実は無かったことにしてしまえば一番早い。しかしかと言って、クラディールを何の咎めも無く解放するわけには流石にいかない。――人の口には戸が立てられないと言うけれど……ならば、その口から語られる事実そのものを偽りに変えてしまえばいい」

「成る程。それで、容疑をセクハラにしたわけか」

「ああ。これなら、たとえ《情報屋》に嗅ぎつけられたとしても、《氷姫》にセクハラを働き、逆に返り討ちにあって牢屋にぶち込まれた憐れな男――という、笑い話程度のゴシップにしかならないからな」

 

 ああ……自分で言ってて悲しくなってきた。でも、これで茅場も納得しただろう――と、思ったのだけれど。

 

「君の発想とやり方は、変則的且つ些か自虐的だが……まあ、概ねそれは良しとしよう。だが、幾つか問題点がある。一つは、当然システム的な問題だ。見た目はどうあれ【Male】である君では、ハラスメント防止コードの適応外の為、本来使わなくていいはずの《回廊結晶》を使ったというデータが記録上に残っている。しかし、これは管理者である私しか閲覧出来ないのだから、除外しても構うまい。もう一つの問題は、《黒鉄宮》の監獄エリアを事実上支配している《アインクラッド解放軍》と口裏を合わせる必要がある、ということだ。――まあ、その顔なら何か策は打ってあるのだろうがな」

 

 何が面白いのか、ヒースクリフは愉快そうに笑うと、示すように目の前の執務机へ視線を送った。机の上には、よく磨かれた金属性のグラスが一つ。

 グラスには、人の悪そうな笑みを浮かべた銀髪の少女が映っていた。

 

 

 団長室を辞去し、気の遠くなるような螺旋階段を降りた先で待っていたのは、緊張した面持ちのルシアとバルバドス、そしてゴドフリーだった。三人ともロビーに置かれたソファーには座らずに、態々立ったままで居たようだ。

 

「団長は、わたしの裁量に一任してくれるそうです」

 

 挑発とも取れそうな不敵な笑みを浮かべ、単刀直入に結果だけを口にすると、ルシアとバルバドスは安堵の溜め息を吐いた。しかし、ゴドフリーはといえば、少し怒ったような厳めしい顔付きのままだった。

 また嫌味の一つでも言われるのかと身構えるが、ゴドフリーの口から出たのは僕の予想を裏切る言葉だった。

 

「副団長殿、吐き気の方は治まったのですかな?」

 

 ゴドフリーの表情が厳めしかったのは、僕のことを怒っているわけではなく……それどころか、心配してくれていたらしい。

 予想外の心配りに目を瞬かせたものの、なんとか笑みを形作る。

 

「ええ、もう大丈夫です。ご心配おかけしてすみません」

 

 アバターの身体に有るはずもない吐き気は、言わずもがな例の発作が原因だ。

 発作の起因は、大雑把に言って“暴力”。そこには、振るわれるのではなく、振るうことへの異常なまでの忌避感があるのだ……と思う。

 理由は――――――――――――――――解らない。只、この発作が何時から始まったことなのか思い出そうとする度に、答えを掴みかけるその度に、脳髄を羽虫が這い擦り回るかのような、耐え難い頭痛に苛まれるのだ。まるで、何かを警告するかのように。

 僕が暴力という手段を忌避するのは……以前は自身が強固な理性を持っているからだと思っていたし、最近は強迫観念の類いだと結論付けていた。でも、もしかしたら……この頭痛を、僕は無意識のうちに避けていたのかもしれない。

 まあ、兎に角……原因はどうあれ、現実に還って病院のベッドで目覚めた暁には、真っ先に医者にこのことを相談するべきだろう。

 そんな風に思考を無理やり中断して、僕は三人の顔を順に見詰めてから、深々と頭を下げた。

 

「今回は、本当に申し訳ありませんでした! 私怨に巻き込むどころか、皆さんを危険な目に合わせてしまって……」

 

 流石の僕も、今回ばかりは演技ではなく、本当に悪いと思っている。只、あくまで罪悪感の対象は、本当に巻き込んでしまっただけのルシアとバルバドスに対してだけだが。

 まるで裁判官の判決を待つ被告のように金属質の床に視線を落としたままでいると、男女二人分の苦笑が聴こえてきて、思わず頭を上げる。

 

「ちゃんと助けてくれたんだし、気にしないでよ。まあ、捕まえた後で言い逃れ出来ないように、現行犯を狙って泳がせてたってのは、ちょっと人が悪過ぎるかなぁ~とは思うけどね」

「まあ、確かに……ルシアが天使だって称したその日のうちに、見事なまでに堕天してくれたからね。……正直、暫くの間女性不信になりそうだよ」

 

 あっけらかんと、寧ろ面白がるような表情のルシアとは対照的に、バルバドスの顔は苦笑というには余りにも苦味が効き過ぎている表情(かお)をしていた。

 ……あぁ……僕、本当は男なんですよぉ……。だから、あなたが女性不信になる必要なんて無いんです……。

 本来ならば、これがバルバドスが言葉通り女性不信に陥ってしまう前に誤解を解く最後のチャンスなのだろう。しかし、ここで誤解を解いたところで僕の罪状が増えるだけだし、女性不信が人間不信に変わるだけだと思い直し、口には出さず胸の内での懺悔に留めた。

 

「それにしてもクラディールの奴……あんなことした割に、やけにあっさり回廊に入ってったわよね」

「流石に観念したんじゃないか? 傍から見てたオレだって、滅茶苦茶怖かったし……」

「あは……あはははは……」

 

 乾いた笑いが口から洩れる。

 実は、過去何度となく遭遇した痴漢――男であるからこそ、同じ男に触られるのは気味が悪い――やストーカーに対する恨みを全てぶつけたのだとは、口が裂けても言えない。

 そして、クラディールが去り際にぼそりと「何時か殺してやる……」と暗く呟いたことも、同じように。

 

「ごほん……! ところで――」

 

 少しわざとらし過ぎるくらいの大きめな咳払いをしたゴドフリーは、話を先に進めようと切り出した。

 

「《軍》への根回しは上手くいきそうですかな? ……彼らは、我々には余り良い印象をもっていないはずですが」

 

 ゴドフリーの言う“我々”とは、KoBという小さな括りではなく、攻略組プレイヤー全般のことだ。

 実際、攻略組と《軍》では思想の違いもあって折り合いが悪いというのは周知の事実だし、そもそも彼らにKoBに協力するメリットが無い。だが――

 

「大丈夫ですよ。《軍》には、個人的なコネクションがありますから」

「コネクションねぇ……」

 

 少し意外なことに、ルシアが胡散臭そうな目でこちらを見る。

 まあ、それも仕方が無いことで、ソロプレイヤーに対する一般的なイメージは、人付き合いが苦手、に尽きるだろうからだ。

 それに、個人的なコネクションとは言っても、実際に建設したのはたったの三日前なのだから……ホント、世の中何が使えるのか解らない、と改めて思う。

 コーバッツは、この間の功績――実情は兎も角、対外的には《軍》がフロアボス戦で久方ぶりの戦果を挙げた、ということになっている――から中佐から大佐に昇進し、ギルド及び派閥内での発言力も強くなったらしい。つまり、事実上ギルドを牛耳っていると聞くサブマスターでさえも、彼の言葉を無視するのは難しい、というわけだ。

 そして、捏造の片棒を担がせる交換条件として、賄賂の一つでも用意すれば……あのサボテン頭の背中を押すのには、十分に足るはずだ。

 そんな風に真っ黒(ダーティー)な思考を巡らせながら……しかし、そんなことを考えているとはおくびにも出さず、小さく肩を竦めた。

 

「そろそろ返信が来ると思うんですけど……――ああ、噂をすれば」

 

 まるでタイミングを計ったかのように、視界の端に手紙のアイコンが表示される。

 指を伸ばしアイコンをタップして、メーラーを起動する。

 表示された初期設定のままのシンプルなウィンドウには、newと赤字が点滅した百件近い新着メールがドバドバと流れ込んでくる――その殆どがパーティーの勧誘メールだ――が、それらは無視して一番先頭のメールを開いた。

 

『キバオウその他幹部メンバーで協議した結果、君の要請を受け入れることで決定した。

 

 だが断っておくが、私個人の借りが、今回のことで清算出来たとは思っていない。

 約束通り、フロアボス戦の借りは、フロアボス戦で返させてもらう。

 

 それでは、具体的な日取りが決まり次第、追って連絡する』

 

 そんな簡素で短いテキストを黙読し、思わず苦笑する。

 厳格な性格だとは思っていたけれど、存外律儀なようだ。

 

「その様子だと、良い返事が貰えたようね」

 

 ルシアは尋ねるではなく、断定するような口調でそう言い――

 

「何だろ……嫌な予感が」

 

 ここ数時間で、すっかり苦手意識を植え付けられたバルバドスはたじろぎ――

 

「それで我々は、一体何をすれば良いのですかな? 副団長殿」

 

 最後にゴドフリーが、緊張を孕んだ声音でそう言った。

 

「そんなに身構えなくても大丈夫ですから……」

 

 打ち解けられないよりは遥かにマシだけれど、これでは不本意な二つ名が真実味を帯びてしまう。だから、出来ればもっと普通に接してもらいたいのだが、それはもう、今更過ぎるのかもしれなかった。

 そんな風に諦めに近いことを考えながら、僕は初めて、彼らに副団長として命令を下す。

 

「簡単なことです。魚の捕り方を教えに行くんですよ」

 

 僕のこの発言に、三人共に首を捻ったことは言うまでも無い。


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