ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第34話 胡蝶の夢

「お疲れ」

 

 ティンクルさんはそう言って、少し離れた位置に座るあたしに向かって何かを放り投げてきた。

 

「うわわっ」

 

 情けない声を上げながらも、放物線を描いて飛来した物体をどうにか掴み取った。が、掴み取ったは良いものの、指に伝わるその感触は、酷く懐かしいものだった。

 ひんやりと冷たい、ツルツルとした金属質の手触り。それは、慣れ親しんだ……しかし、この世界には有るはずが無い物。

 信じられない気持ちで手元に視線を落とすと――――そこに有ったのは、プルタブ付きの飲料缶だった。

 

「なっなっ」

 

 驚き過ぎて、先の言葉が出てこない。

 皆さんもお疲れ様です、と他の人にも同じように缶を投げ渡してから、ティンクルさんは可笑しそうに笑う。

 

「びっくりするよね。まさか、アインクラッドでこれを見ることになるとは僕も思わなかったよ」

「…………!」

 

 その嫌味なほど魅力的な笑顔は、同性のあたしでさえ見ていてドキリとするくらいだ。きっとこの笑顔を向けられたのが男の子だったら、その男の子がこの人のことを嫌っていたとしても、次の瞬間には好きになってしまっていることだろう。

 

「……………………」

 

 でも、それなのに、キリトさんが好きなのはこの人じゃない。

 あたしがぶつけてしまった嫉妬や怒りは完全に一方通行で、それどころか勘違いですらあったのに……この人は怒るどころか慰めようとすらしてくれている。そのやり方は、正直言って意外な程に不器用だけど。

 

「これ、中身は何なんですか?」

「炭酸ジュースだよ」

 

 あたしの質問に簡潔にそう答えて、ティンクルさんは何食わぬ顔で隣に腰を下ろした。

 彼女が何を考えているのか、あたしには解らない。

 無表情、というわけではない。寧ろ、優しげに微笑んですらいる。

 美人で、優しくて、料理も得意(らしい)で……凡そ、女性としては完璧過ぎる程に完璧で。でも、それに相反するように、怖いくらいの苛烈さを秘めている。

 そして、それらの印象が全てまやかしだったみたいに、隣に座る彼女の瞳はどうしようもなく虚ろなのだ。まるで、人形の硝子玉みたいに。

 ……そう思ってしまうのは、あたしが穿った見方をしているからなのかもしれない。

 

「じゃあ頂きます」

「どうぞ」

 

 プルタブを引くと、飲み口からプシュッ、とガスが吹き出す。言った通り、中身は炭酸ジュースらしい。

 何と無く嫌な予感がしつつも口を付け――

 

「ぶふっ……!! ごほっごほっ!!」

 

 少し遠くで、むせて咳き込む声が。

 無言で缶から口を離して、ティンクルさんをジト目で見詰める。

 

「あの……バルバドスさん、でしたっけ? が、超咳き込んでますけど」

「さあ? 一体どうしたんだろうね?」

 

 白々しさを一切感じさせないポーカーフェイスで小首を傾げ、ティンクルさんは同じように缶を開けた。

 ……あたしの考え過ぎなんだろうか?

 そうだ、そうに違いない。幾らティンクルさんでも、そこまで性悪なわけがない……はずだ。

 意を決して、液体を口へと流し込む。

 

「……!! けほっけほっ!!」

 

 流れ込んできた半流動体の余りの混沌とした味わいに、あたしは目を見開き咳き込んだ。

 口の中に広がったのは、カスタードの甘味とカラメルの苦味。舌触りはドロッとしているのに、炭酸のシュワシュワも有るには有って……それらが、奇妙な一体感を生んでいた。勿論、悪い意味で、だ。

 

「な、何ですかこれ!?」

「その名も《プリンソーダ》。ある菓子店で焼く前のカスタードプディングがとある理由により発酵……炭酸ガスが発生し、それを興味本位で飲んだ店主が『これはイケる!』と確信し、遂には商品化に漕ぎ着けることなって現在に至る」

「何を戯けたこと言ってるんですか!?」

「いや、だって……これは何か、って訊いてきたのは君だろ?」

 

 ティンクルさんは示すように缶を数度傾けると、何の躊躇いも無く飲み口を唇に付けた。

 

「の、飲んでる……」

 

 信じられず、思わず呟く。

 この人、本当に料理得意なんだろうか?

 

「ぷはっ。まあ、今のは僕の作り話だけどね」

「は?」

「……シリカちゃんって、ちょっと僕に当たりが強過ぎないかな?」

「知りません!!」

 

 この人はあたしを慰めたいのか怒らせたいのかどちら何だろう?

 いや、慰めようとしてくれてるってのは、あたしの妄想に過ぎないのかもしれない。だとしたら、この人は失恋中のあたしをこんな所に連れ出して、(あまつさ)え玩具にして遊んでいるんだ。

 そう思い立った瞬間、あたしの怒りは今までに無い以上に沸々と湧き上がってきた。

 

「……ティンクルさん、さっき言いましたよね?」

「え?」

 

 立ち上がり、あたしなんかじゃ絶対に敵いそうにない美女を見下ろす。

 

「その日が来るのを楽しみにしてるよ、って。今が、その時です」

 

 確かに、勝算なんて無いのかもしれない。だけど、もはや勝ち負けの問題じゃない。

 

「その顔、叩き潰します……!!」

 

 両の掌を握り締める。その動作を起点に、紫色のライトエフェクトを伴った旋風(つむじかぜ)が腕の周りで渦を巻く。

 

「…………」

 

 この現象を見るのは初めてではないのだろう。ティンクルさんはゆっくりと立ち上がった。その双眸に、剣呑な光を宿らせて。

 平常なら足が竦んだと思う。でも、今は大丈夫。しっかりと地面を踏み締める。

 

旋棍(せんこん)、か。見るのは二度目だけど、まさか君が習得しているとは思わなかったよ」

 

 やっぱり、ティンクルさんは以前にも旋棍使いを見たことがあるらしい。

 エクストラスキル《旋棍(トンファー)》。最近になって見つかったスキルで、発現条件は《短剣スキル》、《棍棒スキル》、そして《体術スキル》を習得し、更にそれらの熟練度を一定まで上げること。……今まで発見されなかったのは、短剣も棍棒も攻略組の間ではマイナーな装備だからだ。

 それなのに、この人は初見じゃない。それで得られるはずのアドバンテージは消滅した。

 折れそうになる心を奮い立たせる為に、グリップを握る手に力を込める。

 

「でも、悪いけどデュエルは出来ない」

 

 そう言って小さく息を吐き、ティンクルさんは目を逸らす。

 

「何で……ですか……?」

 

 怒りは湧いてこなかった。

 只悲しくて、涙が出そうになった。

 

「あたしなんかじゃ、ティンクルさんには絶対勝てないからですか? やるだけ無駄だって……そう言いたいんですか?」

「違う、そうじゃないんだ」

「だったら何だって言うんですか!?」

 

 これで、たとえ向かい合えなくても、せめて肩は並べられると――――そう思っていたのに。

 あたしじゃ、どんなに頑張っても“そこ”に立てはしないのだと、そう突き付けられているような気がして。

 

「ティンクル、相手してあげればいいんじゃない? 訓練の延長、ってことでさ」

 

 そう声をかけてきたのは、KoBのセントルシアさんだった。

 改めて周りを見てみれば、全員がこちらを注視しているが解る。また、そうすることで、冷や水を浴びせられたように、少し冷静になることが出来た。

 

「そして、シリカちゃん! あの液体を飲まされた私達の仇を纏めて取って!!」

「え!?」

 

 ガシッと両手で肩を掴まれ、思わず大きな声が出る。

 一方ティンクルさんは、何故か目を丸くした。

 

「仇って……美味しくありませんでした? 《プリンソーダ》」

「美味しくない!!」

 

 この場の全員の総意とばかりにセントルシアさんはそう叫ぶ。実際、バルバドスさんを始め殆ど全員が頷いている。が、コーバッツさんだけが動揺しているようだったのが気掛かりだ。

 ……というかティンクルさん、本当に美味しいと思ってたんだ、アレ。

 

「………………………………」

 

 長い沈黙。

 やっぱり駄目なんだろうか。そう思い始めたとき、重い腰を上げるようにティンクルさんは口を開いた。

 

「――解ったよ。でも、やるからには手加減しないからね」

 

 さっきまで乗り気じゃなかったのが嘘みたいに、その顔には挑発的な笑みが浮かんでいる。

 

「……! 望むところです!!」

 

 きっと、あたしも笑っていると思う。

 この人に初めて認められた気がして……嬉しかったから。

 

「モードは《初撃決着》。お互い使い魔の使用は禁止。また、致死量のダメージを発生させるスキルの使用も禁止。それ以外は何をしても構わない。……ルールはこんなところかな。――シリカちゃん、これで構わないね?」

「はい、それで良いです。――待っててね、ピナ」

 

 あたしを応援するように小さく鳴いて、肩からピナが飛び立つ。それとほぼ同時、目の前にウィンドウが表示された。

 

【Twinkle から1vs1デュエルを申し込まれました。受諾しますか? YES or NO】

 

 迷うことなくYESをタップし、初撃決着モードを選択する。

 

【60】

【59】

 

 システムメッセージが流れ、カウントダウンが開始された。

 周りを見渡せばと、何時の間にかセントルシアさん達があたし達の周りを円形に大きく取り囲み、簡素なリングが出来上がっている。

 左腕を引き、右腕を前へと突き出すようにして構える。そして、何時でも跳び出せるよう、軸足に力を込めた。

 一方、ティンクルさんはあたしと距離を空ける為に一歩ずつ後退し、やがて止まった。でも、刀を抜くどころか、余りにも自然体で突っ立ているだけ。

 

【10】

【9】

 

 だけど、気にしない。

 大きく息を吸って、吐き出す。

 

【2】

【1】

 

 その数字が見えた瞬間、あたしは大きく地面を蹴り付けた。

 

【DUEL!!】

 

「――なっ!?」

 

 あたしは目を見開いた。

 DUELと表示されると同時、突然ティンクルさんの纏った鎧が衝撃音と共に爆ぜ、無数の破片が弾丸となって四方八方に飛散したのだ。

 

「くっ!!」

 

 でも、止まらない。止まる必要も無い!

 顔の前で腕を交差させ、構わず駆け抜ける。

 

「やっぱり! って――」

 

 破片の壁に突っ込んだにも拘らず、まるで幻影だったかのように、破片は全てあたしの身体を通過した。が、破片の壁を突破した次の瞬間、眼前に迫る投剣が目に入る。

 

「わわわ!?」

 

 間一髪。ギリギリのところで、左手の旋棍で弾き飛ばす。

 だが――

 

「い、いない!? 一体何処――ハッ!」

 

 風切り音が真横から聞こえ、咄嗟に右腕を折り曲げて脇腹を庇う。

 

「……ッ!」

 

 旋棍から伝わる衝撃に敢えて逆らわず、態と横に吹き飛ばされることで距離を取った。

 更なる追撃に備えて身構えるが、ティンクルさんにその様子は無かった。

 

「どうして最初のあれがフェイクだって解ったの? 参考までに聞かせてくれない?」 

「はぁ……はぁ……。だって……あの破片には、どれも影が有りませんでしたから」

「成る程。そんな欠陥があったのか……気が付かなかった」

 

 ティンクルさんは思案顔で更に二言三言呟くと、小さく肩を竦めた。

 

「確かに何でも有りとは言いましたけど……一発目が目眩ましで二発目は囮、三発目でようやく本命って……どんだけですか!? しかも追撃する余裕も当然有りましたよね!?」

 

 まだデュエル中なのは解ってはいるけれど、話しかけてきたのはあっちだし、何より言わずにはいられない。

 

「周り見てくださいよ! 全員ドン引きですよ!?」

 

 リング代わりになってくれているメンバー及び、何時の間にか集まっていた野次馬までもが、彼女の余りの徹底ぶりに言葉を失っている。

 

「いや、だって……対人戦って、相手の行動の先を読み続けて攻撃を配置していくものだし……寧ろ、罠の一つや二つ有って然るべ――ごほん! いや、何でもないよ?」

「今更誤魔化しても遅過ぎると思います」

 

 今や、この場にいる全員が理解している。

 さっきまではデュエルそのものを嫌がってるようですらあったのに、蓋を開けてみれば対人戦の熟練者(エキスパート)だったのだ。おまけに、“勝ち”への執着が尋常じゃない。

 それを前提に考えてみれば、嫌がった素振りすらも、あたしをミスリードさせる為の罠だったということが解る。

 

「ティンクルさんって、絶対に負けず嫌いですよね」

 

 騙されていたのは腹が立つけれど、それだけ警戒されてたのだと考えれば気も晴れる。

 でも……あれ? ティンクルさんは、旋棍使いを見るのは初めてじゃなかったはずでしょ? だったら幾ら負けず嫌いだからって、レベル差から考えても、そこまであたしを警戒する理由なんて無いんじゃ……?

 もしかして、あたし……何か大きな勘違いを……。

 あたしが、その答えに思い至る前に――――

 

「ティンクルさん……? ティンクルさん!!」

 

 まるで糸が切れた人形のように、ティンクルさんはその場に崩れ落ちた。

 

 

 ザザッ……ザザッ……ザァァァァァァァァ――

 

 

【挿絵表示】

 

 

 激しいノイズ。その音は、羽虫のそれを連想させる。

 

 ザァァァァァァァァ――

 

 不快感に只々堪える。

 これは夢なのだから、僕に抗う術は無いのだ。

 そう、これは夢だ。現実じゃない。

 

 ザァァァァァァァァ……ザザッ…ザッ……――

 

 歯を食いしばって耐え忍ぶうちに、ノイズは減り、やがては収束した。

 視界が晴れ、既視感を感じるセピア色の世界が広がっていく。

 何処かのリビング。住宅街。高速道路。森と海。人気(ひとけ)が疎らな寂れた町。

 暴風のように目紛るしく景色は移り変わり、辿り着いたのは古ぼけたアパートの一室だった。

 床の上にはカップラーメンの容器や空き缶が散乱し、室内には異臭が立ち籠めている。そして、部屋の中央に、ワンピース姿の子供が蹲っていた。子供の表情は窺い知れないが、肩まで伸びた髪や服装、背格好から考えて、小学校低学年くらいの女の子だということが解る。

 外では雨が降っているのか、部屋一杯に屋根を打ち鳴らす音が響いている。それでも、耳を澄ませば聴こえてくるのだ。雨音に融けてしまいそうな、微かな少女の泣き声が。

 手を握り、開く。数度同じことを繰り返し、自分の身体が問題無く動くことを確認してから、少女を驚かせないようにゆっくりと近づいていく。それでも一歩進むごとに床は軋みを上げ、僕の存在に気が付いたのか少女は顔を上げた。

 でも、違った。少女は、僕の顔など見ていない。焦点の定まらない目で、ぼんやりと虚空を見詰めるばかりだ。

 大丈夫? と声をかけようとして、自分が声を出せないことに気が付いた。

 ……まあ、夢なんだからそんなこともあるか、と納得する。

 改めて、少女に視線を落とす。

 間近で見てみれば、スカートから覗く細い足に大小様々な痣が浮かんでいるのが解った。

 つまりこの少女は……虐待を受けているのか……?

 そう思った瞬間、突然背後に人の気配を感じ、思わず振り返る。

 

『……ッ!』

 

 立っていたのは、顔を黒く塗りつぶされたスーツ姿の男だった。




番外編

リズ「作者が体たらくなせいで一日遅れちゃったけど……誕生日おめでとう、光。これ、あたしからのプレゼントよ」
ティンクル「ありがとう、里香。祝ってくれないのかと思ったよ」


【挿絵表示】


リズ「ところでさ、アニメの二期が始まったわけだけど……あんたはGGOに行ったら武器何使うの? やっぱりキリトみたいに光剣?」
ティンクル「いや、折角銃の世界に行くんだし、銃主体で戦いたいかな」
リズ「へぇ……何か意外。あんた絶対ああいうマイノリティーなの好きだと思ったのに」
ティンクル「まあ、確かに光剣も使ってみたいけど……銃って、色物の類い多いんだよね」
リズ「ああ、そういう……」
ティンクル「まずはサブアームとして《シグ・ザウエルP226》かな。これは別に色物ってわけじゃないんだけど、米軍のトライアルで《ベレッタM92》に負けて採用されなかったっていう過去があるんだ。因みに敗因はマニュアルセーフティの欠如とコストの高さだったみたい」
リズ「あんた、そういう話好きそうよね……。で? じゃあメインアームは?」
ティンクル「二つ候補があるんだけど、やっぱり最有力は《トン――」

 ということで、SAOⅡ放送記念の番外編でした!
 このままだと、GGO編に入れるのは再来年とかになりそうですよね……(´∀`;)

 今回は結構重要な話だったので、七日までに書き上げることよりも完成度を優先しましたm(_ _)m
 それではSAOⅡ同様、黎明の女神も引き続き宜しくお願いします!!

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