ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第35話 Aster and Chrysanthemum

 二〇二四年十月二十七日

 

 入院棟地下二階。霊安室の隣に位置する、誰もが近寄り難く感じるであろう一室。そこが彼女の城であり、また同時に彼女の自由を奪う檻でもあった。

 彼女――詰まる所、この研究室の主である月見里紫苑は、例によって若い看護師に襟首を掴まれて護送されている最中だ。薄暗い廊下に、二人分の足音が何処までも反響するようだった。

 

「君も何と言うかしつこいねぇ……。あ、あれか。君、佐藤君のことが好きなんだろう?」

「違います。……はぁ~……。先生、いい加減に仕事してください」

「患者とコミュニケーション取るのも立派な仕事だろう? 昨今は、何かと患者と医者とのコミュニケーション不足が問題になっていることだし」

「言ってることは正しいです。でも、意識が無い患者を相手に、どうやってコミュニケーションを取ってるんですか?」

「…………」

「…………」

 

 この二年、紫苑が頻繁に研究室を抜け出し、患者――特に三雲光という青年の病室に足を運んでいるのは看護師も当然知っていた。そして、その理由も概ね理解している。

 一昨年に起こった未曽有のサイバー犯罪、通称《SAO事件》の犯人は今でこそ茅場昌彦個人となっているが、事件発生当初は複数人による犯行なのでは、とマスコミ各社が騒ぎ立てた。その共犯相手と目されたのが、茅場の恋人であり自身も科学者である神代凛子という女性と、“NERve Direct Linkage Environment System”――通称《NERDLES》の共同研究者であり《ソードアート・オンライン》開発にも一部携わっていた紫苑だった。

 結局、捜査が進むにつれ両名の疑いは晴れるのだが、紫苑が受けたショックは並々ならぬものだった。その理由までは看護師に知る術はなかったが……医者という職業を選んだ以上、多かれ少なかれ“人を助けたい”という思いが有るはずなのだから、その思いとは真逆の所業に手を貸してしまった、という自責の念を抱いているのかもしれない……と、看護師は勝手に解釈していた。

 だから看護師としては、光の病室へ紫苑が顔を出すことに対して余りキツいことは言いたくないのだが、少なくとも職務中にすることではないし、何より佐藤に泣きつかれるのが迷惑だった。

 

「――ところで先生……珍しいですね、これからデートですか?」

 

 看護師は口数が多い性分だった。彼女にとって、沈黙は耳に痛いものだ。

 そんな中、普段化粧っ気の無い紫苑が珍しくルージュを引いているのを見付けたのは、看護師にとって行幸だったと言えよう。

 

「残念ながらデートではないが……私だって、人と会う時くらい身なりを整えるさ」

 

 紫苑はそう言うと、心外だ、とばかりに大きく溜め息を吐いた。そして、看護師の手を払い除けると、襟を正してそのまま一人歩き始める。

 その光景を看護師は暫し呆然と見詰めていたが、ハッと我に返り、慌ててその背中を追った。

 特別足が速い訳では無い――寧ろ、インドアが祟ってか遅いくらいである――紫苑に看護師が追い付くのは訳無く、隣を歩きながら懲りずに話しかけた。

 

「それこそ珍しいじゃないですか、先生に面会客だなんて。私が専任看護師になってから初めてのことじゃないですか?」

「バブルの頃ならいざ知らず、今じゃ製薬会社の接待だって期待出来ないからな。それに、これから会うのは客じゃない」

 

 客じゃないなら一体何だというのか、と看護師は首を傾げたが、そんな看護師を無視して紫苑はツカツカと歩を進める。

 

「ちょっと無視しないでくださいよ~! はい! 会話のドッヂボール!」

「ぶつけてどうする。それを言うならキャッチボールだろう。……はぁ~……――これから会うのは、総務省の役人だよ」

「総務省? 厚労省じゃなくてですか?」

 

 看護師が疑問に思うのも無理は無かった。

 医療を管轄するのは厚生労働省であり、本来総務省の出る幕など無いはずだからだ。

 

「総務省の管轄の一つは情報通信だ。ここまで言えば、君でもピンと来るだろう?」

「ああ……SAO関連ですか。でも、それこそ今更じゃないですか。まさか、まだ先生が共犯者か何かだと疑ってるんでしょうか?」

「疑っているか否かは知らんが、今日はそっちじゃくて、私の本業について聞きたいことが有るらしい」

「認知神経科学と情報通信に一体何の関係が?」

「……BMI(ブレイン・マシン・インタフェース)の方だ。ほら、最近少し派手にやらかしただろう?」

「何時からそちらが本業になったんですか……」

 

 看護師は嘆息し、白けた目付きで紫苑を見やる。

 

「それにしても――麻酔科学会全体を敵に回しておいて“少し”ですか、そうですか。流石は先生、常人とは肝の座り方が違いますね」

「褒められている気がしないな」

「当然です。褒めてませんから」

 

 普通なら、首が飛んでも仕方無し、という口の利き方だった。

 見た目だけでは解り辛いが、紫苑と看護師では十は歳が離れている。そうでなくとも、大学病院の教授と一介の看護師という間柄なのだ。

 その場の雰囲気というか、勢いに流されるようにして、自分が口走った台詞を看護師は早くも後悔し始めたのだが……どういう訳か、紫苑は腕を組んで小さく唸り始めた。端正な顔が、苦悩に歪んでいる。まるで、数学者がミレニアム問題に挑んでいるかのような表情だ。

 

「ど、どうしたんですか?」

「いや、な。どうにも、君は目付きの険しさが足りない」

「は?」

「短簡に言えば……そうだな、侮蔑が足りない、といったところか? こう……なんだ? 家畜……そう、敢えて言うのなら、豚を見るような眼差し。そう、君にはそれが足りていない」

「……………………」

 

 ま・た・か。

 看護師の頭の中で、そのたった三文字の言葉がリフレインする。

 

「ああ、そうだ……はぁ、はぁ……中々、良い感じだ。後は……はぁ、はぁ……このロープで……はぁ、はぁ……! 私を縛り上げるだけだ……!」

 

 恍惚とした表情で息を荒げながら紫苑が白衣のポケットから取り出したのは、日頃からしっかりと手入れされているらしい年季の入った麻縄だった。それを手渡された看護師の表情は、今度こそ凍り付いた。しかし――

 

「これで縛れば良いんですか?」

 

 何故か、看護師は笑みを浮かべて紫苑にそう尋ねた。その異様さは、トリップしかけた紫苑を現実に引き戻すのに充分な威力だった。

 紫苑の背筋に、冷たいものが走る。

 

「ところで――随分前のことなので記憶があやふやなんですけど、こういうのって油で手入れするんでしたっけ? テレビか何かで見たんですけど」

「あ、ああ……確かに手入れには馬油を使うが……それがどうし――」

 

 言いかけ、紫苑は気付く。看護師の双眸が、剣呑な光を宿していることに。

 しかし、紫苑は怯まない。

 

「はぁ、はぁ……――」

 

 寧ろ、その視線の強さに。

 一寸先で待ち受ける快楽を想像して――

 

「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……はぁはぁはぁはぁはぁはぁ……!!」

 

 動悸は速まり、呼吸も乱れる。

 紅潮した頬。陶酔しきったその艶めかしい表情は、端的に言えば情事のそれを思わせた。

 だが、そんな展開があり得るはずも無く、看護師は数度頷くと口を開いた。

 

「そうですか。なら、火を点けたら……きっと、よく燃えますよね?」

 

 そんな不穏な口振りに、又しても紫苑は現実に引き戻される。

 

「ま、待ってくれ! その縄は、死んだ祖父が私の七歳の誕生日に買ってくれた大切なものなんだ!」

「孫へのプレゼントが縄って……」

 

 看護師は呆れたようにそう言って、手元の縄をチラッと見た。

 それを好機と受け取った紫苑は、手をそっと差し出し切実に訴える。

 

「ああ。だから、それを早く返してくれ」

「ええ、ちゃんと返却しますよ。灰にしてからですが」

 

 看護師は無慈悲にそう返すと、縄をナース服のポケットに仕舞って、一人スタスタと歩き始めた。

 

 

「宮崎さん、お茶淹れてくれないかな?」

「佐藤先生、偶にはご自分でお淹れになったらいかがですか?」

「え……」

「いえ、冗談です」

 

 くすりとも笑わず看護師――宮崎はそう言うと、備え付けのコーヒーメーカーに手を伸ばす。が、思い直すように手を止めると、くるりと振り返った。

 

「月見里先生も飲みますか? コーヒー。うんっと苦くしてあげますが」

 

 言われ、紫苑はモニターに目を向けたままデスクに置いた飲料缶を指で叩く。

 

「いや、さっき自販機で買ったココアが有るから遠慮しておこう。――それより、私の祖父の形見を早く返し給え」

「え? 形見?」

 

 早くもストレスで胃が痛くなり始めた佐藤だったが、余りにも不穏当な内容に思わず聞き返す。

 

「何時もの戯言(ざれごと)なんで気にしないでください。――こほん。それより教授、そろそろ先方が面会に来られる頃では?」

 

 宮崎は軽く咳払いすると、事務的な口調でそう切り出した。

 

「いや、そんなことはどうでもいいから早く形見を返しなさい」

「あくまで形見と言い張るつもりですか」

「いや、だから形見ってどういう――」

「あれだぞ? 君が早く返してくれないと、頭の中が形見のことで一杯になって話に集中出来なくなるかもしれない。それどころか、相手に多分に失礼なことをしてしまうかもしれない。そんなの、君だって本意ではないだろう?」

「それで脅迫のつもりですか? 返そうが返すまいが、どうせ煩悩で頭の中一杯なんじゃないですか?」

「失礼な。君は私をウサギか何かと勘違いしていないか?」

「そうですねぇ、本当にウサギなら少しは可愛げがあって良かったんですけどねぇ。でも、先生はウサギじゃなくて雌豚でしょう?」

 

 自分の発言を黙殺して舌戦を続ける二十は年下の女性両名を無言で見詰めていた佐藤は、やはり無言で瓶に入った白い錠剤を手に取り飲み下した。

 只でさえ男独りで肩身が狭いというのにこんなことを毎日続けられていると、生き残っている毛根も死に絶え不毛な大地と化す日も近かろう、と佐藤は項垂れた。

 

『コンコンッ』

 

 ――と、騒がしい室内に、ノックの音が相対的に小さく響く。

 しかし、言い争っている紫苑と宮崎には聞こえなかったようで、仕方無く――いや、寧ろ流れを変える為、佐藤は積極的に立ち上がると、扉へ駆け寄り取っ手を引いた。

 

「お待ちしていました。どうぞお入りください」

「いやぁ、遅れて申し訳ありません。急に雨が降り出したせいか道が混雑してまして」

 

 そう言って、スーツ姿の黒縁眼鏡の男は佐藤に向かって軽く会釈した。

 確かに、よくよく見れば男の肩は少し濡れている。恐らく、駐車場から玄関まで行く間に雨に打たれたのだろう。

 

「ああ、これは失礼。私、総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二分室――通称《仮想課》職員の菊岡誠二郎と申します。以後、お見知りおきを」 

 

 長ったらしい名称を言い慣れているのか一度も噛むこと無く言ってのけ、黒縁眼鏡の男――菊岡は名刺を取り出すと佐藤に手渡した。が、次の瞬間には何者かが横から手を伸ばし、佐藤の手から名刺を抜き取った。勿論、その何者かとは紫苑のことなのだが。

 

「これは月見里先生、お会い出来て光栄です」

「世辞はいい。――立ち話もなんだ、そこのソファーにでも掛けてくれ」

 

 先程までの醜態の数々がまるで幻か何かだったかのように紫苑は冷然と続ける。

 

「宮崎君は菊岡さんにお茶を。佐藤君は来月のフォーラムで使う資料の整理でもしていてくれ」

 

 紫苑の矢継ぎ早な注文(オーダー)に両名は無言で首肯するとそれぞれ作業に着手する。

 冷徹な才女――それが月見里紫苑という女性の本来の姿なのだろう。室内の弛緩としていた空気が、一瞬で絶対零度に凝固する。

 実際、紫苑が対面に座った瞬間、職業柄この手の相手には慣れているであろうはずの菊岡の顔が僅かに強張る。しかし、官僚という生き物の特性か、次の瞬間には瞬きでもするかのような自然な動作で柔和な笑みを張り付けていた。

 

「フォーラムということは、何かVR関連の研究について発表されるんでしょうか? 不躾な質問で恐縮ですが、何分先生の研究には個人的にも大変興味が有りまして。もしオープンなものなら、是非とも見学に行きたいのですが」

「公開フォーラムだから、来たければ来るといい。マスコミも各社呼ぶらしいしな。但し、知己を求めて来るつもりならば、余りお薦めはしない。フォーラムと言えば聞こえは良いが、恐らく討論の場ではなく、(さなが)ら処刑場の様相を呈することになるだろう」

「処刑場、ですか。余り穏やかではありませんね」

「――どうぞ」

 

 そう一言告げ、宮崎は菊岡の前にコーヒーの入ったティーカップとシュガースティックを置くと、小さく頭を下げて佐藤が座るデスクの方へ歩いていった。

 カップから白い湯気が伸び、鼻孔にコーヒーの香りが広がる。

 紫苑は菊岡がカップに口を付けるのを待ってから――しかし話の先が気になるのか、カップに一瞥もくれずにこちらを見詰める菊岡にやれやれと思いながらも話を再開することにした。

 

「菊岡さんは、薬は基本的に毒である、という話を聞いたことは有るかな?」

「ええ、薬学部出の友人に聞いたことが有ります」

 

 薬学部、という単語に紫苑は軽く眉根を寄せるが、菊岡はお道化るように首を傾げ苦笑する。

 

「しかし、それが先程までのお話と何の関係が?」

「慌てる乞食は貰いが少ない、と昔から言いますよ菊岡さん」

 

 紫苑はそう言うと、意味深長な笑みを浮かべて続ける。

 

「最近ではもう一般常識だが、薬にはどんな種類のものでも多かれ少なかれ副作用が有る。それは、手術で使う麻酔薬などでも同じこと。――ところで、菊岡さんは後継機であるアミュスフィアには無いナーヴギアの特性をご存知かな?」

「そりゃ、勿論把握してますよ。体たらくでお恥ずかしいですが、一応SAO事件対策チームの人間ですからね。――え~っと……まず一番の違いは、やっぱり高出力マイクロウエーブの発生が可能か否か、ですよね。あれさえ無ければ、そもそもこんなことにはなってませんから。後は体感か――まさか」

 

 菊岡は紫苑の言わんとしていることを理解したのか目を見開く。

 

「そう。フルダイブ中のナーヴギア装着者の体感覚は、全て延髄部でキャンセルされ脳まで届くことは無い。これは全身麻酔の代用になり得る。おまけに、麻酔と違って副作用は無く、患者はVR世界で読書でもしてストレス無く過ごし、目覚めれば手術は既に終わっている――という寸法だ。面白いだろう?」

 

 ま、術後の痛みを考慮する余地は有るがな、と紫苑は肩を竦める。

 

「それでも患者の負担が軽減されるという意味では良いことでは? それに、VR機器が医療に貢献するというのは、《SAO事件》で民衆に根付いた悪印象を和らげる効果も期待出来る……これは画期的なことですよ」

 

 VR技術を医療に転用するという試みは以前から有ったが、ナーヴギアそのものを直接使うというのは、凝り固まった学者達には盲点だったのだろう。現時点で導入可能なレベルのプランを提唱出来たのは紫苑のみだった。そういう意味で、菊岡が感嘆の声を上げたのは無理からぬことだろう。しかし、紫苑の表情は優れない。

 

「そう言ってくれるのは有り難いが、残念ながら内外での反発が強くてね。実証試験をしようにも、患者はナーヴギアと名前を出した段階で拒否反応を示してしまう。理論的には問題無くても、だ。また、麻酔科医からの反対意見が根強くてね。最近では、私が麻酔科医そのものを不要と論じていると触れ回っている。そんなこと、有り得ないのにも関わらず、な。――衆愚は論理より感情を優先し、権力者は公益より私益を優先する。何時の世も、先駆者(せんくしゃ)は異端者として断じられるものなのさ」

 

 紫苑は悲壮感漂う声音で雄弁と語り、そして、ニヤリと妖しい笑みを浮かべる。

 

「さっき言ったフォーラムは、麻酔科学会主催のVR機器導入の検討会だ。検討会、と題してはいるが、実際はアドバイザーとして招集する私を吊し上げるのが目的だろう。それも、マスコミを始めとした衆目の前で、な。――だが、戦場では狩る側が狩られる側に回るなどよくある話だ。果たして、首が弾けるのは……私か、それとも彼らかな?」

「成る程。……では、月見里先生の雄姿を拝見させてもらえることを期待しています」

 

 内心の読めない笑顔で菊岡はそう言うと、ようやくコーヒーカップに手を付け、一口啜った。

 そんな菊岡の姿を品定めするかのような目付きで眺めていた紫苑だったが、やがて諦めるように一息吐いて口を開く。

 

「随分話が逸れてしまったが、そろそろ本題に入ろう。菊岡さん、本日はどういった目的でこちらに? まさか、世間話をする為にこんな所まで来たわけではないのだろう? ――言っておくが、《プロジェクト・アリシゼーション》……だったか? 如何にも官僚が好みそうな大仰なタイトルだが、送った書面の通り、私に参加する意思は無いよ。勧誘に態々出向いたのなら、とんだ無駄足だったな、と言わざる負えまい」

「それは残念ですね。ですが、もし気が変るようなことが有れば、何時でもご連絡ください。先生の席は、何時でも空けておきますので。――只、今回は勧誘ではなく、少々お尋ねしたいことが有りまして」

「ほぉ。私に答えられることなら良いのだが」

 

 紫苑が半ば承諾すると、菊岡は浮かべていた笑みを消し、黒縁眼鏡を押し上げた。

 

「では、お言葉に甘えて……――先生が開発した人工知能《Diva of the Memories》の所在を教えて頂けませんか?」

「《Diva of the Memories》は開発コードネームだ。完成品のあの娘には、ちゃんとした名前を与えた」

 

 先程は《プロジェクト・アリシゼーション》を大仰と言っておきながら、自らのネーミングセンスには疑問を持たないのか、紫苑は眉一つ動かさずに流暢なクイーンズ・イングリッシュで言ってのける。が、内心どう思っているのかは兎も角、それを顔に出す程菊岡も子供染みてはいない。二人は、何事も無かったように会話を続ける。

 

「たしか……Aurora(オーロラ)……いや、発音はアウローラが正しかったかな……? ――兎も角、これからのトップダウン型人工知能のモデルケースに成り得るわけですから、黎明の女神(アウローラ)の名を冠するのは合点がいきます。ですが……寧ろ、そのコードネームの方が、彼女の機能を如実に物語っている」

「……そこまで論文に書いた覚えは無いんだがな。もしや、うちの大学のサーバーにハッキングでも仕掛けたか?」

「…………」

 

 紫苑と菊岡の視線がレンズ越しに交錯する。

 火花が散る。その比喩を絵空事と切り捨てるには、二人の眼光は余りに強い。

 紫苑は既に、菊岡が只の官僚――少なくとも、《仮想課》などという敗残兵の寄せ集めで燻っているような人間ではない、と確信を持っている。しかしだからといって、一介の公務員が、大学のサーバーにハッキングを仕掛けるような大それたことを一個人でするとは思えない。

 

(だとすれば、産業スパイ……情報の流出先は海外か、若しくは国内企業……まさか、国立研究機関……?)

 

 思考を巡らせながら結局、こちらが持っている情報が余りにも足りなさ過ぎる、という結論に行き着く。

 

(……仕方が無い、か)

 

 菊岡の真意を確かめる為にも、まずはこちらから餌をくれてやるべきか、と紫苑は方向性を固める。

 

「あの娘の所在を聞きたいんだったな? ……あの娘は現在(いま)、浮遊城アインクラッド――即ち、SAOサーバー内にいる」

 

 言った瞬間、紫苑は内心首を傾げた。というのも、菊岡の表情はここに来て一番の驚愕に染まっていたからである。

 もしこれが演技だとすれば、菊岡は相当な食わせ者ということになるのだが……紫苑としては面倒極まりないので、その可能性は捨て置くことにした。

 

「……まさか、とは思いますが、プレイヤーを対象に実証試験を行おうとしていた――なんてことは有りませんよね?」

「実証試験? はて、少々ニュアンスがずれていないかな、菊岡さん。人体実験、と堂々と言ってくれても私は別に構わないよ」

 

「ぶふっ!! ゲホッゲホッ!」

「ちょっと、大丈夫ですか? 准教授」

 

「どうやら佐藤先生の方は大丈夫ではないようですが?」

「私はこれでも大学病院の教授なのでね。痛くもない腹を探られるのには慣れているのさ」

 

 そう言って、紫苑は皮肉っぽく口元を歪めた。

 一方菊岡はといえば、寧ろ俄然興味が湧いたといった体で、食い入るように紫苑に視線を向ける。

 

「では、改めてお聞きしますが、アウローラを何故SAOに?」

 

 声からも、レンズの奥の瞳からも、真剣さはありありと伝わってくる。が、紫苑が告げる回答は、その姿勢にはとんと釣り合いのとれないチープなものだった。

 

「簡単な話さ。奴の心底人生詰まらないとでも言いたげなあの不景気面を恥辱の赤で染めてやるつもりだったんだよ。そして成功した暁には、人差し指でもって奴の頬をぐりぐりとやりながら、『プギャー! お前そんな顔出来るんなら、四六時中その顔のまんまでいろよ。その方が絶対面白いから』とでも言ってやるつもりだった。まあ、全ては後の祭りってやつだがね。はっはっはっ」

 

 そう言って愉快そうに笑う紫苑の笑顔は、佐藤の背中を摩りながら眺めていた宮崎には、この日の中で一番自然なものに思えた。




 (注)この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

 一ヶ月振りの投稿ということでお久しぶりです。

 今回の舞台は現実世界でしたが……次回はSAO→現実って感じで、ティンクルはあの後どうなったのか?と紫苑と菊岡の邂逅の続きを書きたいと思ってます。

 次に今回のタイトルのAster and Chrysanthemumですが、訳せば紫苑と菊ってことで凄くそのまんまです(笑)
 因みにchrysanthemumはギリシャ語で金の花って意味で、asterは同じくギリシャ語で星って意味です。また、菊も紫苑もどちらもキク科の植物です。

 お気付きの方も多いかと思いますが、主要なオリキャラの名前は(ひかり)に関係がある字を当てています。
 主人公の(ひかる)及びプレイヤー名のTwinkle(きらきら光るの意)は勿論のこと、友人の陽人や姉の茜、それから意外と上記の理由で紫苑も当て嵌まっています。
 そしてこれは原作キャラですが、茅場昌彦の晶はきらきらと輝くって意味だったりします。

 そんなわけで、ティンクル、紫苑、茅場。この3人の絡みに今後とも注目して頂ければ!(。-`ω-)

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