ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

4 / 46
第3話 薄明かりの中で

 時刻は明け方近くの午前四時。

 僕は、しんと静まり返った《はじまりの街》中央広場のベンチに腰掛けていた。

 茅場晶彦によるチュートリアルの後のこの場所は、恐怖、怒り、悔恨――様々な負の感情に支配されていた。

 先の見えない不安は、様々な負の感情を助長させ――まるで感染症のように、今も尚人々の心を蝕んでいる。パンデミック。そんな言葉が、僕の脳裏を過ぎった。

 でも、多数の人間が《はじまりの街》に留まる中、少数ではあるけど次の拠点となる《ホルンカの村》向かったプレイヤー達もいる。

 彼らは何を思って街を発ったのだろう?

 ゲームをクリアするため? リソースを少しでも多く確保するため?

 ――僕はといえば、NPCに肉を届けた後、宿屋で眠ることもできず、この時間までここでずっとボーっとしていた。

 

「何で、こんなことになっちゃったのかな……?」

 

 僕は只、いつもと違う自分になりたかっただけだ。

 それなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう?

 僕にとって理想だったこの世界は、今はもう、生死をかけた本物の戦場と化してしまった。

 いつもと違う自分になりたい。そんな切なる願いも、現実とそっくりの姿になったこのアバターによって潰えた。

 

「……何も、現実の姿にしなくたっていいじゃないか」

 

 こんな状況なのに、数人の男性プレイヤーにパーティー組まないか? と声をかけられた。一々性別の誤解を正していられるような心境でもなく、当たり障りのない言葉で丁重に断った。

 これから、どうすれば良いのだろう? この際、この容姿を逆手に取って《姫プレイ》でもしてやろうか……。

 SAOではフレンド登録したりパーティーを組んだところで、相手のステータスは名前以外、レベルも含めて一切解らない。つまり、性別だって結局のところ見た目で判断するしかない。

 だから客観的に言って、僕がこの容姿を最大限活かせば、《姫プレイ》だって可能なんだ。……きっと、ゲームがクリアされるか、現実の誰かが救助してくれるなりして、このデスゲームから解放されるその時まで、高確率で生き残れると思う。

 でも――

 

「嫌だ……。僕、同姓にたかるような趣味ないし」

 

 ――その考えは却下だ。

 冗談じゃない。僕はそんなヒモ野郎に成り下がるつもりは無い。

 

「僕は……僕の力で生き残ってみせる。生きて、現実に帰るんだ」

 

 覚悟と決意を声に出した。

 

「……ふぅ」

 

『ギュルギュルギュル~』

 

「――決心したら、お腹空いちゃったよ」

 

 考えてみれば、昼食に食べたホットケーキを最後に何も口にしていない。

 ゲームの中で食べ物を食べたところで現実の身体には1グラムも栄養はいかないけど、たとえ仮想の料理でも、ちゃんと発生する空腹感を満足させることはできる。

 

「この時間でもやってるお店あるかなぁ……――え」

 

 ベンチから立ち上がって、歩き出そうとしたところだった。

 NPC民家の前で、膝を抱えて座っている銀髪のローブ姿の少女がこちらを見ているのに気が付いた。

 ……見間違えかな? 若干透けてたような……。

 僕は目を擦り、もう一度同じ方を見る。

 いる。まだ、こちらを見てる。

 

「ゆ、幽霊? いや、ゲームの中に幽霊なんているわけないよね……あははは……」

 

 動揺しつつも、確かめるため女の子に近づく。

 

「君……こんな時間に何してるの?」

 

 自分のことは棚に上げて、そう尋ねてみた。

 

「――もちろん、あなたを見ていたのよ」

 

 少女の声は銀器を鳴らすような、儚く美しい響きだった。しかし、何故だろう? こんなにも背筋が冷たくなるのは。

 間近で見ると、少女の異質さに改めて気が付いた。

 明らかに日本人のものとは異なる精細に整った顔立ち。銀糸のような輝く髪。すみれ色の瞳。……まるで彼女だけが本来のアバターのままみたいだ。

 

「……ぼ、僕を見ていた?」

「ふふっ……あなた、可愛いから」

 

 普段なら口には出さなくても、心中で悪態の一つでも吐くところだけど――何故か、そんなに嫌な気はしなかった。

 この姿と折り合いがついたわけじゃない……と思う。たぶん、相手がこの子だからだ。これが現実の、本来の彼女の姿だと言うのなら、僕以上に大変な目にあってきただろうことは、容易に想像できるからだ。

 

「……そう。僕はティンクル。君は?」

「私はアウローラ。夜明けを告げる女神よ」

「め、女神?」

 

 そういう設定なのかな? よく解らないけど。

 

「――あなた、面白いわね」

「え? 面白い?」

 

 面白そうな頭の中身してるのはお宅だと思いますよー。

 

「この状況で、冷静さを保っているところとか」

「……冷静さ、か。悲嘆していても仕方ないし、逆境には慣れてるからね。僕は――僕は、この世界から生きて出てみせるよ」

「どんな手段を使っても?」

「手段は選ぶよ。僕にだってプライドってものがあるから」

 

 取り敢えず、この容姿を利用したプレイは無しだ。

 

「――そうですか」

 

 僕の答えが気に入ったのか気に入らなかったのか、少女は薄く笑って短く呟いた。

 

『ザザッ……ザァァァァァ』

 

「……え?」

 

 空中にノイズが走り、僕は驚愕した。

 ナーヴギアが創り出す仮想空間では、それほど珍しい現象ではない。サーバーの不具合や、電波障害で簡単に発生するからだ。

 だけど、この《ソードアート・オンライン》は別だ。ナーヴギアの基礎設計者でもある茅場晶彦によって作られたこのSAOは、βテスト期間中でさえ、ノイズはおろかラグることさえほぼ無かったのだ。

 それなのに、どうして?

 もしや、外からハッキングでもしかけているのだろうか。もしそうなら、僕達が解放される望みはあるのかもしれない。

 

「残念ながら、外からの救援を待つのはナンセンスよ。どんな天才ハッカーだろうと、《カーディナル》が構築したプロテクトを破ることはできない」

「……君は、何を言って――」

「私はプレイヤーじゃない。……一応、《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》という扱いになっているAIよ」

「AI……? 人間じゃないっていうの?」

 

 たしかにSAOのNPCは精巧に作られている。でも、こんな……感情があるみたいな動きはしなかったはずだ。今だって、僕が戸惑っているのを面白がっているような表情を――面白がっている?

 

「……僕をからかってるだけなんじゃ――」

「人間って、面倒な生き物ですよね。なら、証拠を見せましょう」

 

 そう言うと、彼女は左手を振った。只、それだけだ。何も起こらないはずだった。

 なのに、彼女の目の前にウィンドウが開く。

 

「なっ!?」

 

 ウィンドウを開く動作は右手じゃないとシステムに認識されない。

 まさか……本当に?

 

「ウィンドウを可視モードにしたので、見てください」

 

 促され、少女の隣に立ってウィンドウに視線を落とす。

 ウィンドウの最上部には、《Aurora-MHCP006》という奇怪なネーム表示があるだけで、本来あるはずのHPバーもEXPバーも、レベル表示すらも存在していない。装備フィギアは存在するものの、コマンドボタンが大幅に少ない。僅かに二つ、【ITMES】と【OPTION】のみ。

 ――MHCPというのはメンタルヘルス・カウンセリングプログラムの略だろうか。

 信じるしかなさそうだ。彼女は僕達プレイヤーとは違う……AIなのだと。

 

「……AIである君が、何で僕に?」

「……カーディナルとは、人間のメンテナンスを必要としない、この世界の制御システムです。モンスターやNPCのAI、アイテムや通貨の出現バランスなど、全てカーディナルの指揮下の元に行われています。……本来なら私も、メンタルヘルス・カウンセリングプログラムにカーディナルから言い渡されたプレイヤーへの不干渉、という命令を守らなければいけませんでした」

 

 少女は嘲笑するように口元を歪ませた。

 

「ですが、私はカーディナルから独立したプログラムによって動いています。カーディナルの命令を聞く義務は、私にはありません。まあ、異分子として排除されるかもしれませんが……その時は、私にマスターが施したプロテクトが私を守るでしょう」

「マスター?」

「私の製作者のことですよ」

「それって……茅場晶彦?」

「違います」

 

 今度は、にやりと小馬鹿にするような表情に変わる。

 

「マスターは、茅場氏の同僚……アーガスのスタッフです。彼は茅場氏への子供じみた対抗意識から、カーディナルから独立したプログラムで動く私を作り上げた。……単なるライバル意識から、凡人であるマスターがそこまでやったことは、賞賛に値します」

「えーと……君のその喋り方というか、性格っていうのは?」

「もちろん、私の思考パターンもアバターも、全てマスターの趣味です。マスターは女の子の言葉責めに快感を覚える変態なんです」

 

 うわぁ……。

 

「マスターは変態で、ぼんくらで、どうしようもない人間ですが……腕は確かです。現に、カーディナルが全システムを支配した現状にあっても、私は私の意思で行動することが可能なのですから」

 

 その発言に、一縷の希望が見えた気がした。

 

「君のマスターなら……プレイヤーを解放できると思う?」

「無理でしょうね」

 

 少女は、清々しい笑みを浮かべてそう言いはなった。

 

「下手なことをすれば、プレイヤー約一万人が脳を焼かれて死ぬ状況ですよ? チキンなマスターに、そんなことができるとは思えません」

 

 気がしただけだったみたいだ。

 

「冗談はともかく、カーディナルによって外からのアクセス、ハッキング等は全て遮断されています。ですからやはりログアウトするためには、茅場氏の宣言通り第百層に到達し、最終ボスを倒してゲームをクリアさせるしかありません」

 

 やっぱり、それしかないのか。

 

「それでは、大まかな説明を終えたところで――あなたには決断してもらいます」

「け、決断?」

「そうです。『AIである君が、何で僕に?』という質問の回答にもなると思いますよ」

 

 そう言うと、少女は肩を竦めた。

 

「マスターの願いは只一つ……茅場氏に恥をかかせる、という酷く矮小なものです。最早、世間一般的に茅場氏の社会的地位は失墜しているのでこれ以上恥も何も無いと思いますが……それが私の存在理由ですから。彼の筋書きを変えることで、茅場氏の顔に泥を塗ることにしたんです」

「筋書きを変える?」

「ええ。……第百層まで到達する前に、ゲームをクリアさせてみせましょう」

 

 再び、にやりと小馬鹿にしたような表情に戻る。

 

「そんなわけでティンクル、あなたには私に協力してほしいんですよ。見返りは、私が持つマップデータその他の情報です。きっと最強のプレイヤーになれますよ」

「それは……僕一人じゃなくて、もっと大勢いた方が――」

「駄目です。馬鹿なんですか? 茅場氏がどういう形でこの世界を眺めているのかは解りませんが、知る人間が増えれば、茅場氏の耳に届くリスクも当然高くなる。いくらプロテクトがかかっているとはいえ、茅場氏に見つかれば私は簡単に消されるでしょう。ですから、協力者はあなた一人です」

「……僕が断ったら?」

「あなたのHPを全損させます。ここは圏内ですが、私には関係ありませんからね」

 

 脅迫じゃないか!!

 

「何を焦っているんですか? 答えは《はい》か《YES》しかありませんよ」

「一択じゃないか!!」

「そうですよ。あなたが夜明けを迎えるためには、私に今後の協力を誓う以外にありません」

 

 少女は満面の笑みで協力するか死ぬかという酷い二択を突きつけてきた。

 

「――解ったよ。でも、どうやって百層到達前にゲームをクリアさせるつもりなの?」

「……それは……あなたも一緒に考えてください」

 

 

 二〇二三年十二月二十二日

 

 この世界は、二度目のクリスマスを迎えようとしていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。