ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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 キリト君、誕生日おめでとうございました(過去形)


第40話 ユイ

 ユイと名乗った少女は、ベッドの上に腰かけていた。

 俺は屈んで少女と目線を合わせてから、出来る限り明るい声で話しかける。

 

「こんばんは、ユイちゃん。ユイって呼んでもいいかな?」

 

 ユイは俺の顔を数秒見詰めると、小さくこくりと頷いた。

 

「ありがとう。じゃあ、ユイも俺のこと、キリトって呼んでくれないかな」

「き……と」

「キリト、だよ。キ・リ・ト」

「…………」

 

 ユイは考え込むように眉根を寄せると、暫く黙り込んでしまう。

 

「……きいと」

 

 アスナに聞いた時点である程度覚悟していたつもりだったが、予想以上にショックが大きかった。

 八歳くらい、という見立ては恐らく間違っていない。だとすれば、実年齢は十歳前後ということになる。しかし、この舌足らずさは、十歳にしては余りにも年不相応だ。否応にも、“幼児退行”という言葉が頭を過る。

 記憶障害に幼児退行……恐らく、何らかの要因で精神に大きなダメージを負ったのであろうことはまず間違いないだろう。

 

「ちょっと、難しかったな。ユイの言い易い呼び方で呼んでくれればいいよ」

 

 声が震えそうになるのをどうにか堪え、ユイの頭に手を置いて笑いかける。

 再び、ユイは長い時間考え込む。その間にもう一度部屋を出たアスナは、ホットミルクを淹れたカップを持って戻ってきた。

 

「ユイちゃん、良かったら飲んでね。身体も温まるよ」

 

 そう言って、アスナはユイの小さな手にカップを握らせる。

 しかし、ユイはカップに口を付けず、代わりに俺を見詰め、おずおずと口を開いた。

 

「……パパ」

 

 次いで、アスナを見上げ、言う。

 

「あうなは……ママ」

 

 一体、ユイに何があったのか。

 ユイの両親は、現実でユイの帰りを待っているのか。或いは、俺達と同じようにアインクラッドに囚われているのか。

 名前以外の全てを忘れてしまうような出来事。俺達を“パパ”“ママ”と呼ぶ理由。それらを推測すると、嫌でも行き着く仮定は――

 

「そうだよ……ママだよ、ユイちゃん」

 

 俺が考えを巡らせていると、アスナはそう言って、微笑みと共に頷いてみせた。

 ああ、そうだな。考えるのは後回しだ。

 こみ上げてくるものを必死に抑え付け、俺も笑って頷いた。

 

「ああ。パパだぞ、ユイ」

 

 俺とアスナの顔を交互に見たユイは、この時初めて笑顔をみせた。人形のようだった顔に生気が籠り、年相応の少女の顔になったように思う。

 ユイは俺達に何を見ているのだろう。父と母の面影を重ねているのか。それとも、本当に俺達を親だと思っているのか。どちらにせよ、何らかの決着を付けなければならないのは確かだった。

 

 

 

 ホットミルクを飲み、小さなパンを一つ食べ終えると、ユイは再び眠りについた。

 その寝顔は安らかなもので、俺達はホッとして二人して小さく息を吐き、そして互いに苦笑した。

 ユイに毛布をかけてやり部屋を出ると、ソファーに座って自分で持ってきた酒を呷るクラインの姿が目に入った。俺は呆れて問いかける。

 

「おい、クライン。協力してくれるんじゃなかったのか?」

 

 すると、クラインはバツが悪そうに目を逸らした。

 

「いやよ……考えてみりゃあ、オレってあんまし子供受けする顔じゃねェなって思ってよ」

「そんなことないと思うけどな」

 

 そう言いながら、クラインと対面する形でソファーに腰を下ろす。アスナも俺の隣に座った。

 

「ありがとよ。――んで、何か解ったかのか?」

「まあ、な。取り敢えず、ユイについて解ったことを整理していこう。まずは――」

 

 俺が話し始めると、クラインは表情を引き締めた。

 まず解ったことは、“ユイ”という名前である。しかし、本人がそう言っているだけで、本当のところは定かではない。何故なら、ユイは記憶喪失だからだ。もしかしたら、ユイというのはプレイヤーネームではなく本名なのかもしれない。唯、由依、優衣……当たり前だが、充分に人名として通用する。

 

「しかしよ、キリト……幾らなんでも、本名でプレイしてるってことはないんじゃないのか?」

「どうだろうな? 相手は子供なわけだし。でも、本当に本名だとすると少し困ったことに……――ん? アスナ、どうした?」

 

 アスナの意見を聞こうとしたところで、俺は気付いてしまった。アスナの目が、酷く泳いでいることに。

 

「アスナ……まさか」

「ううっ……。だ」

「だ?」

「だって仕方ないじゃない! ネットゲームなんて生まれて初めてだったんだから!」

「お、おう」

 

 先程までとは違った意味で涙目になってしまったアスナは、ぷいっとそっぽを向いてしまう。しかし、羞恥で頬を真っ赤にされてはこちらとしても居た堪れない。

 それにしても、アスナは本名もアスナなのか。……やっぱり俺も本名を教えた方が良いのだろうか?

 

「と、兎に角だな! え~と……ああ、そうそう。明日にでも《生命の碑》を確認しておいた方が良いと思うんだ。ユイがNPCってことはやっぱり有り得ないだろうけど、カーソルも出てない以上、何らかのバグが発生しているのも確かだろうし。取り敢えず、ユイという名前のプレイヤーがアインクラッドに確かに存在しているという根拠が欲しいんだ」

 

 俺がそう言うと、何故かアスナは俺に冷めた視線を向けてくる。

 

「な、何だよ?」

「まさかとは思うけど、キリトくん……もしかして、ユイちゃんが幽霊か何かなんじゃないかって疑ってる?」

「…………」

 

 アスナのその指摘は当たらずとも遠からずといった感じだったが、俺は敢えて大きく頷いた。

 

「いいかアスナ、火のない所に煙は立たないんだ」

 

 こちらの意図を掴みかねたのか、アスナもクラインも訝しげな顔をして、無言の問いを投げかけてくる。

 

「そもそも俺達は、どうしてあの湖の畔へ行ったんだ?」

「……? そんなの決まってるじゃない。キリトくんが幽霊の噂を持ち、出し、て……」

「アスナも気付いたみたいだな」

「どういうことだ? オリャさっぱり解らねェぞ」

 

 然もありなん。

 俺はクラインに噂の内容を語りながら、改めて自分の中の疑念が大きくなっていくのを自覚する。

 

「――するってェとアレか? その噂の幽霊少女が、ユイの嬢ちゃんと同一人物ってことか……? いや、だけどよぉ」

「ああ、お前の言いたいことも解る。噂の発端は一週間前の目撃証言だからな。ヘタをすれば、ユイは一週間もの間あの森の周辺を彷徨っていたってことになる」

「おいおいおい! じゃあ何か? それでユイの嬢ちゃんはいよいよ精根尽き果てて、偶然通りかかったおめぇの目の前でぶっ倒れちまったってことか?」

 

 クラインのその問いに、俺は首を振って否定を示した。

 残念ながら、話はそこまで単純じゃない。そもそも、そんなことは有り得ないのだ。

 

「俺達の身体は浮遊城(ここ)には存在しない。あくまでこの身体はポリゴンの集合体であって、現実の俺達の肉体は今も病院のベッドの上に寝かされて、腕には点滴のチューブが刺されているはずだ。脳の空腹の訴えを黙らせる為に何かを口にしたところで、現実の俺達の身体には一ミリだって栄養素が取り込まれることはない。……そう解っていても、俺達は食べずにはいられないんだ」

 

 何故ならこの渇きや空腹感は、俺達の脳が訴える、本物の感覚だからだ。

 

「ユイが断食に慣れた修行僧とかなら兎も角、只の十歳そこらの少女である以上、一週間も飲まず食わずで動き回るなんて当たり前だけど不可能だ。もしそんなことが可能だとすれば、ユイはそれこそ正真正銘本物の幽霊(ゴースト)ってことになる」

「おいおい、キリトよ。冗談にしたって笑えねェぞ」

「ああ、勿論俺だってユイが本当に幽霊だなんて言うつもりはないよ。でも、噂の幽霊とユイが同一人物であるのは外見の特徴が一致していることから考えてみても、やっぱりほぼ確定だと思う。しかしそうなると、どうしても矛盾が生じてしまう。だから、逆に考えてみたんだ。そもそも《木工職人(ウッドクラフト)》のプレイヤーが見たユイは、どういう状態だったんだろう? ってな」

 

 導き出された結論が間違っているとするならば、それは前提のどれかが間違っているということだ。

 だとすれば、一体何が間違っている?

 まず、ユイが噂の幽霊と同一人物であるのは、外見の特徴が“透けている”以外は一致していることから確定。恐らく、噂に尾ひれが付いたのだろうと推測する。

 次に、噂の発端である目撃証言が出たのは約一週間前。これも間違いない。

 最後に、人間が一週間飲まず食わずでは活動出来ないのは――……そもそも覆しようがない。

 よって、残りの前提で間違っている可能性があるのは一つしか存在しない。

 

「――《木工職人》のプレイヤーが目撃した段階では、ユイちゃんはまだ記憶を失っていなかった。キリトくんは、そう言いたいんだね」

 

 俺が結論を言う前に、アスナが先んじてソレを口にする。どうやら、俺とクラインのやり取りを静観していたのは、単に自分の考えを纏めていただけだったみたいだ。

 しかし、これではどうにも恰好が付かない。

 

「ああ……まあ、そういうことだ」

 

 それでも、俺のちっぽけな虚栄心を満たす為だけにNOと言うわけにはいかないだろう。

 俺は力なく頷いてから、先を続ける。

 

「一週間前から記憶を失った状態だと思い込んでいたから答えは出なかった。なら、逆に考えれば良かったんだ。ユイは記憶を失う前――つまり、記憶を有した状態で、あの森を訪れていた。一体何時から、何の為にあんな所に通っていたのかは解らないけれど、重要なのはそこじゃない。今重要なのは、記憶を失う前のユイについて何か知っているプレイヤーが、この層の何処かにいるかもしれないってことだ」

 

 上手くいけば、ユイが記憶を失ってしまった理由についても何か解るかもしれない。

 

「うん。それに、もしかしたらユイちゃんは元々この層で暮らしていたのかもしれないよね。ここはモンスターも出ないから、ユイちゃんが何も武器を装備していなかったことにも説明がつくし」

 

 確かに、言われてみればそうだ。

 俺は最初からユイの装備を見て《はじまりの街》に住んでいるプレイヤーだと決めてかかっていたところがあったけど、モンスターが出ないこの層の何処かの村の住人っていう可能性もあるのか。……これは盲点だったな。

 

「だったら、話は早いな。明日になったら、ユイを連れて各所の村を訪ねてみようぜ。運が良ければ、知り合いが見つかるかもしれないし」

「そうだね。これももしかしたらだけど、ユイちゃんのご両親ないし保護者の方が見つかるかもしれないよね。だって、あんなに小さい子が一人でログインするなんて考えられないもん」

 

 ユイの外見は凡そ八歳くらい。つまり、現時点での年齢は十歳前後ということになる。しかし、ナーヴギアの対象年齢は十三歳以上で、実際俺が出会った最も若いプレイヤーであるところのシリカでも十三歳くらいだった。そう考えると、ユイは余りにもプレイヤーとしては若過ぎるのだ。

 だから、家族が一緒にログインしているかもしれないというアスナの指摘は間違っていない。俺も、そう思う。

 ……だけど、だけどアスナ、それは――――

 

「アスナさん、この世界で出会った知り合いなら兎も角、家族がいるっていう可能性は切り捨てた方がいいと思いますよ」

 

 俺が苦渋を飲むような思いでいると、意外なことに、それを否定したのはクラインだった。

 

「……理由を教えてもらえますか?」

 

 アスナは僅かに眉根を寄せる。

 自分の考えを真っ向から否定されたから――という理由で苛立っているわけでは勿論ない。その怒りは、ユイへの優しさ故だ。それが解るから、クラインも特に気を悪くしたりはしない。

 だけど、俺としても解らない。クラインは何を根拠にユイの家族はログインしていないと断言出来るんだ?

 

「まあ、何だ。キリトはテスターだから解らねェのは仕方ないとして、だ。アスナさん、そのぉ……付かぬ事を伺いますが、アスナさんはSAOのソフトをどうやって購入したんですかね?」

「……実は、自分で買ったわけじゃないんです。わたしはナーヴギアも含めて兄のを借りただけなので、兄の購入方法までは、流石に……。でも、それとユイちゃんのご両親に何の関係が?」

 

 ナーヴギアもソフトも借り物だったというのは、俺にとっても初耳だった。

 確かに、アスナは日頃からゲームをやっているようなタイプには見えなかったが、VRMMORPGという物珍しさに、普段ゲームをやらないような人種も手を出したというケースはβテスト時代から多くあった。寧ろ、テスターの多くがステ振りすら満足に出来ないニュービーだった程で、俺やクラインのように根っからのゲーマーの方が少ないくらいだ。だけど、ソフトもナーヴギアすらも自分の物ではなく借り物というのは、俺が知る限りアスナだけだ。

 

「……成る程。それじゃあ、二人が解らないのも無理はねェか。……キリトには前に話したと思うけどよ、オリャこのソフトをあいつらと一緒に店頭に並んで買ったんだ。初回ロットはたったの一万本。その内、βテスターの優先購入分で千本が引かれ、ネット予約はものの数秒で完売だ」

 

 俺はクラインが何を言いたいのかを悟った。そして、その意図も。

 ……だけどクライン、それはかなりの悪手だぞ。

 

「当然、店の前には某スマートフォンの発売日よろしく長蛇の列だ。俺らは三日前から泊まり込んでたけどよ、先頭の野郎ォに至っては一週間前から並んでたって聞いたな」

 

 アスナはそれを聞いて唖然とする。

 まあ、気持ちは解るが。

 

「トイレは交代でコンビニに行って済ませたり、三日風呂に入らないのは流石にアレだから近所のネカフェのシャワー使ったりしてよ……結構骨が折れたぜ」

「……クラインさん達が苦労したのは解りましたけど……」

「で、要するにお前は何が言いたいんだ?」

 

 俺はそう尋ねながら、クラインにアイコンタクトを送る。理解した、という意味を込めて。

 クラインもアスナに気付かれないようにこちらに向かって僅かに頷いてから、ようやく本題を口にする。

 

「だからよ、オレが言いてェのは――そんな過酷な環境に、八歳そこらの子供を連れて並ぶ親が何処の世界にいるんだよ? ってことだ」

「…………!」

 

 隣から息を呑む音が聞こえたが、そちらには顔を向けず、クラインに尋ねる。

 後は、示し合わせた出来レースだ。

 

「クライン、ユイと両親が店頭で買ったとは限らないだろ? 運良くネットで買えたとか、それこそ元テスターの可能性だって」

「有り得ねェよ、さっきも言ったろうが。確率的に考えて、一家庭でそう何本も買えるもんじゃねェんだよ。おめぇだって、自分がどんだけ狭い門潜ってここにいるのか理解してんだろ」

「まあ、な。じゃあ、ユイがネットで運良く買えて、両親が店頭で買ったっていう可能性は?」

「それこそ有り得ねェな。発売日は平日だぜ? オレが言うのもなんだが、有給なんてそう簡単に取れるモンじゃねェしよ……。それに、三日も家空けるなら、嬢ちゃん一人家に残すわけにはいかねェだろうが」

「並んでいる期間、親戚に預けてたのかもしれないだろ」

「嬢ちゃんにだって学校があんだろ。やっぱりどう考えても、家族も一緒にログインしてるっていう可能性はゼロだ」

 

 結論は出た。

 俺は、人知れず小さく溜め息を漏らす。

 

「……決まりだな。取り敢えず、明日になったら、ユイを知っている人がいないかどうか聞いて回ってみよう。アスナ、それで良いよな?」

「…………うん。本当は、ユイちゃんをご両親のところへ送り届けたかったけど……いないなら、仕方ないもんね。――ごめんなさい、クラインさん。わたし、少し取り乱してしまって」

「いやいや、謝る必要なんてないっすよ」

 

 ブンブンと音がしそうな勢いで首と手を振るという大袈裟なクラインのジェスチャーに、アスナは軽く吹き出した。

 

「アスナ、なんか冷えてきたし、コーヒーでも淹れてきてくれないか」

 

 目尻を拭うアスナに、俺は尤もらしい理由を付けて頼む。

 

「うん、解った。クラインさんは砂糖とミルク必要な人ですか?」

「あー……じゃあ、砂糖だけで」

 

 それを聞いて、アスナは「畏まりました~」とお道化て言って、キッチンの方へと歩いていく。どうやら、気分も少しは明るくなったみたいだ。

 俺はアスナの姿が完全に見えなくなるのを見届けてから、声を潜めて謝辞を述べた。

 

「……悪いな、クライン。正直助かった」

「気にすんな。協力するって言ったろうが」

 

 小声で囁き合いながら、しかし、俺はクラインの脛を蹴り付けた。

 

「痛ってなぁ! 何すんだよ!?」

「さっきのアレはかなり苦しかったぞ。アスナが話に付いていけてなかったから良かったものの、さっきのお前の説明じゃ、両親じゃなくて片親どちらかって条件だったら問題が出てくるだろうが」

「そ、それは……まあ、そうかもしれねェけどよぉ……。上手く誤魔化せたんだから良かったじゃねェか」

「はぁ~……まあ、そうだな。ってことはクライン、お前も気付いたんだな?」

「ああ、気付いちまったよ。久しぶりに最悪の気分だぜ」

 

 クラインの表情は硬い。多分、俺も似たようなものだろう。

 

「……親が目の前で殺されたとしら」

「記憶喪失になるには充分な理由だよな、やっぱりよぉ……。……クソッタレが! こんなことがあって良いのかよ!?」

「落ち着け、クライン。アスナに聞こえる」

 

 キッチンの方に視線を向けるが……、どうやらアスナには聞こえなかったらしい。

 

「わ、悪ィな……。だけど、だけどよぉ……」

「まだそうと決まったわけじゃないだろ? 考え付く限りで、最悪のパターンってだけだ」

「でも、それが一番しっくりくるから質が悪ィんだろうが」

 

 そう。俺達が意図的、或いは無意識的に棚上げしていたユイが記憶喪失になった理由。

 人間は、生半可なことでは記憶を失ったりはしない。

 辛すぎる記憶が、その人の心を壊してしまう。それを防ぐ為に、脳が記憶を消してしまう。詰まる所、記憶喪失とは、人間の心の防衛行動の一つなのだ。

 母親なのか、父親なのか。それとも、そのどちらもなのか。

 ユイが目の前で親をモンスターに、或いはレッドプレイヤーに殺されたのだとしたら……、その記憶からユイの心を守る為に、ユイ自身が記憶を封じ込めてしまったのではないか? そして、ユイが俺とアスナをそれぞれ“パパ”“ママ”と呼ぶのは、喪ってしまったものの影を、俺達の中に見ているからなんじゃないのか?

 ……最低だな、俺は。こんな想像をするなんて。

 

「……そうじゃないことを祈ろうぜ。俺とアスナはさっき言った通り、実際にユイを連れて村の方を訪ねてみるつもりだけど……クラインはどうする?」

「オレはあいつらと一緒に、本当にユイの嬢ちゃんの親がログインしてねェかどうか《はじまりの街》辺りを調べようと思う。人を捜すなら、人手があることに越したことはねェだろ。ついでに、こっちで《生命の碑》も確認しといてやる」

「……ホント、悪いな」

「こういう時は素直に『ありがとう』って言っとくもんだぜ。それに、ダチが困ってたら助けるのは当然だろうが」

 

 そう言って、クラインはニヤリと笑う。

 ……本当にこいつは。

 これで何でモテないんだろうな? どう考えても、周りの女の見る目がないとしか思えない。

 そうこうしている内に、アスナがマグカップを載せたトレーを持って戻ってきた。マグカップから立ち込める湯気と共に、コーヒーの良い香りが部屋に広がっていく。

 

「お待たせしました。どうぞ、クラインさん」

「ど、どうも、アスナさん」

 

 そう言って、クラインがアスナからマグカップを受け取った瞬間――俺の頭に、アラームが鳴り響いた。

 突然の大音量に飛び上がりそうになるが、どうやら聞こえているのは俺だけではないらしい。

 

「もしかしなくても、おめぇも聞こえたのか?」

「ああ。ってことは……アスナもか?」

「う、うん。たしか、フレンド・メッセージって差出人が通知の設定を出来るのよ。重要なメッセージなのに、相手が気が付かなかったら困るから。でも、普段こんな設定したりしないし、わたしも今初めて聞いたよ」

 

 どうやら、電子音の正体はメッセージの着信音らしい。見れば、確かに視界の端に手紙のアイコンが表示されている。

 

「三人同時ってことは……共通の知り合いからの一斉送信ってこと? キリトくん、心当たりある?」

「俺のフレンドリストの少なさはアスナだって知ってるだろ? 心当たりなんてないよ」

「おめぇ、それ自分で言うか……?」

 

 クラインが呆れたような声を出すが、事実なんだから仕方がない。そもそも、俺は元はソロなのだから、恥ずかしがる理由などないのだ。

 

「……もしかしたら、ティンクルさんなんじゃない?」

「ああ、それが一番可能性としてはありそうだ――って、どうしたキリトよ?」

「いや……もしそうだとしたら、タイミングが余りにもアレ過ぎて……正直凄く嫌な予感が」

「「あー……」」

 

 クラインとアスナから、同意の声が返ってくる。

 しかし、何故か二人からは意外にも前向きな意見がそれに続く。

 

「でも、態々こんな設定をするくらいだし、何かわたし達にとって重要なことが書いてあるのかも」

「それに、何事もやる前から決め付けるのは良くないぜ、キリトよ」

「……はぁ~……」

 

 そう言われると、引くに引けない。

 俺は深く溜め息を吐いてから、覚悟を決めて二人を見た。

 

「解った。同時に開けるぞ」

 

 覚悟を決めたはずだったのだが、俺の口からはそんな情けない台詞が漏れていた。

 

「良いわよ」

「いいからサッサと開けようぜ」

「じゃあ……せぇ――――――」

 

 の、と言ったところで、アイコンを同時にタップしてメッセージウィンドウを表示する。

 そして、俺の目に飛び込んできたのは――

 

【結婚式のお知らせ】

 

「相手はッ何処の馬の骨だぁぁぁぁぁぁ――――ぁぁ!!!」

「いきなりでけぇ声出すんじゃねェよ! ビックリするだろうが!」

「キリトく~ん?」

 

 アスナがジトっとした目付きで睨んでくるが、そんなことは今の俺にとっては些末なことだ。

 俺は血走った目で文面を読み進めていく。

 

【拝啓。秋も深まる今日この頃、皆様におかれましては益々ご清祥の事とお慶び申し上げます。さて、大変急な話ではございますが、十月三十一日に一層主街区《はじまりの街》の教会にて、二人の結婚式を執り行うこととなったことをご報告させて頂きます。多忙なこととは存じますが、二人の門出を祝って下されば幸いです。敬具】

 

「急って言ったって、幾らなんでも急過ぎねェか? 三十一日って明日だろ」

「そういえばキリトくん、前に言ってたよね。ティンクルさんが幸せそうな顔で、誰かとメッセージのやり取りしてるって」

「ま、マジっすか。ど、どうするよキリト? やっぱり祝いの品でも持って行った方が良いのか――ってキリト?」

 

 突然ゆらりと無言で立ち上がった俺をクラインが驚いて見上げるが、それに答えている暇はない。

 

「悪いな、アスナ。少し出かけてくる」

「ちょっと! こんな時間から何処へ行くつもりよ!?」

「決まってるだろ、ティンクルのところだ」

 

 そう言いながら、身体は玄関の方へと殆ど自動的に進んでいく。

 嗚呼、だがもどかしい。心はこんなに急いているというのに、足は思うように前に進まない。

 

「離せアスナ!!」

「離すわけないでしょ! 一体どうするつもりよ!?」

「決まってるだろ! 馬の骨を二刀で叩き斬る!!」

「尚更駄目に決まってるでしょ!!」

 

 アスナに服の裾を掴まれながらも、アスナという錘ごと前に進んでいく。

 速く、もっと速く。

 

「うおおおおおあああ!!」

「いい加減にしなさい!!」

 

 バシンッ! と金属質の何かで後ろから殴打された俺は、志半ばでその場に倒れ伏したのだった。




 シリアスが続かない呪いに作者はかかっているようです。

 感想お待ちしております。また、誤字脱字がありましたら報告してもらえると助かります。

 次回!ウェディングイベント!

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