十二月の二十四日。
街を歩く恋人達の姿を見ていると、羨ましいとも思う反面、苛立ちや怒りが湧いてくる。
わたし達がこの世界に囚われてから、もう一年が経ち、二度目のクリスマスを迎えてしまった。
だというのに、最前線は四十九層――未だに半分もクリアされていないのだ。
今のペースだと、少なく見積もってもあと一年……いや、二年はかかる。
あの日、兄のナーヴギアを借りて、呪いの言葉さえ吐かなければ……今頃わたしは、親に望まれた通りの高校生活を送れていたはずだ。そう考えると、後悔してもしきれない。レールから外れてしまったわたしに対する、両親の失望の顔、同級生の嘲笑うかのような表情が容易に想像できる。
それでも、わたしはまだ諦めてはいない。絶対に、一日にでも早く現実に帰還して、本来の辿るべき道に戻るのだ。その為なら、《狂戦士》などという二つ名も甘んじて受けよう。
「おい、無視しないでさぁ~俺らと遊ぼうぜ」
そんな軽薄そうな台詞で、わたしは現実に引き戻された。
今のはわたしへ向けられたものではもちろんなく、五人の男に囲まれているあの女の子に対してのものだろう。
ナンパ、か……。
自分自身が散々嫌な思いをしてきたこともあって、囲んでいる中の一人の肩を掴む。
「止めなさいよ。その娘、嫌がってるでしょ」
「あん? 何だテメェ――……ん?」
わたしの顔を見た男は、次第に顔を青ざめさせていく。
「その赤と白の団服に……こんだけの美人つったら――!!」
「KoBの副団長だ! やべぇよ!!」
悲鳴を上げて逃げていく男達。
ヒトの顔見て逃げ出すってどういうことよ……。
「はぁ……あなた大丈夫? ――……え?」
囲んでいた男達がいなくなったことによって、見えなかった女の子の姿が露になった。
息を呑む。
赤い瞳に銀色の髪。その点は別にこれといって問題はない。SAOでは髪の色も目の色も、アイテムさえあれば自由に変更できるからだ。
わたしが驚いたのは、少女の顔があまりに綺麗だったからだ。色白で、顔立ちはハリウッド映画に出てくるような――は言い過ぎにしても、日本人のわたしから見ても解るほどに美人だ。それに、外国人特有の異質さがあまり感じられないのは何故だろう。
「あ、ありがとう……アスナ」
「――え?」
少女は形のいい唇を歪めて苦笑する。
……動揺し過ぎて失念していたけれど、こんな娘がそう何人もいるわけがない。
彼女の普段の趣味とはかけ離れているせいで気付かなかったが、見知った相手であることに気が付いた。
「イメチェンでもしたんですか? ……だとしたら大成功だと思いますよ、ティンクルさん」
攻略組唯一の女性ソロプレイヤーにして刀使い、ティンクル。幾らパーティーに誘っても素っ気無く断ることから、一部では《氷姫》などと呼ばれているヒトだ。
普段の彼女は金髪に碧眼、男女兼用の地味な格好でいることが多いけど、素材がそもそも別次元のせいで余計に際立って目立っている印象だった。
彼女がサンタのコスプレなどしていたら、そりゃナンパの五人や十人……百人いてもおかしくないだろう。
しかし、彼女はこんな格好をするタイプではない。スカートを履いているところなど初めて見た。
「いや……イメチェンじゃなくて、レアアイテムのために仕方無く、ね」
「レアアイテム?」
「そう――」
ティンクルさんの説明を聞いて納得はしたものの、いつもの疑問が湧いてくる。
何故、こんなヒトがネットゲームを?
わたしも他人からはそう思われるみたいだけれど、わたしの場合は単に兄のをたまたま借りただけで普段はゲームは一切やらない。でも、この人は違う。
攻略組すら掴んでいない情報を持っていたり、流れるような最適化された剣技からも示される通り、彼女のプレイヤースキルの高さは、《黒の剣士》や団長にすら肩を並べるほどだ。普通に考えれば、色々なゲームをプレイしてきた根っからのゲーマーに違いない。
この人は一体どんな生活をしていたんだろう?モデルでもしていたのだろうか。なのにゲーマー?
現実のことを聞くのはマナー違反だけれど、仲良くなれたら暁には絶対に訊こう、と思っている。
「アスナは何しにここへ?」
「レベリングですよ。四十九層のフロアボス戦に向けての」
「……KoBはフラグMobは狙ってないんだね」
「ええ。……何故か団長が乗り気じゃないのよね」
普段からマッピングやフロア攻略には参加しない団長だけれど、今までは団員が団長抜きでやる分には何も言わなかった。しかし、今回は違った。KOB全体の意向として、クリスマスボス戦には参加しないとしたのだ。理由は、約一ヶ月もクリスマスボスの情報収集で時間を消費するより、迷宮区の攻略に充てた方が合理的だ、というものだった。
わたしとしてもそれには大いに賛成だった。当日見つかるかも解らないフラグMobに時間をつぎ込むより、一日でも一歩でも早くSAOをクリアさせるために労力を使いたい。
「ヒースクリフは何か言っていなかった? ……例えば、蘇生アイテムについて、とか」
「恐らく蘇生アイテムが本物であろうと、蘇生自体は機能しないだろう、って」
「……そっか」
そう小さく呟いた瞬間、何かを決意したような表情に変わる。
「ありがとう。……それじゃ、また今度の攻略会議でね」
話は終わった、という感じで転移門の方向へと歩いていくティンクル。
その後ろ姿はサンタのコスプレ姿だというのに、童話に出てくる妖精のようでもあった。
†
「へくしっ」
寒空の下、小さなくしゃみの音が大きく響き渡る。
たったそれだけのことではあるが、一触即発の空気を破壊するには十分だった。
突然の闖入者の姿に、二つの集団の視線が集まる。
「こ、氷姫……!?」
誰かがそう呟き、ざわざわと喧騒が広がる。
「……誰が氷姫だ」
苛立っているのは伝わるが、残念ながら他人に恐怖を与えることは叶わない、外見に反してやや低めのアルトの声。
声を発したのは、光り輝く銀髪に白い厚手のコートを纏った少女。
「これ、どういう状況?」
少女は、人数が少ない方の集団を一瞥し、多い方の集団に尋ねる。
「い、いや……それは」
リーダー格らしき男がしどろもどろになりながら答えようとするが――
「まさか、この人数相手に戦ったりしないよね? 天下の《聖竜連合》が、さ」
先ほどとは異なり、にこやかに笑みまで添えて男の言葉を遮る少女。
「イヴももうすぐ終わって、サンタがプレゼントを持ってやって来る。悪い子には、プレゼントの代わりに石炭かな?」
「どういう意味だ?」
「聖ニコライの大袋の中身には勝てないだろうけど、もし彼らを見逃して引いてくれるなら、代わりに僕からレアアイテムをプレゼントするよ」
男の目の前にトレードウィンドウが開く。
「《スノーホワイト・インゴット》?」
「そう。初めて見るでしょ? 期間限定ドロップのレアアイテムだからね。……何が出るか解らないパンドラの箱よりは、明確なレアアイテムの方がそちらも嬉しいと思うんだけれど?」
男は心動かされた様子だが、冷静さは残っていたようだった。
少女の行動に、疑念が湧く。
「あんたがそこまでする理由は何だ?」
その質問に、少女は肩を竦めて蠱惑的に囁く。
「あなたに、泥をかぶってほしくないから」
その一言で、男は少女に陥落したのだった。
†
《聖竜連合》が退散してから、フィールドには僕と少人数のギルド《風林火山》のメンバーが残された。
緊張が解けたせいか、自らの鳥肌ものの痴態を思い出し、地面に両手と膝を付ける。
その行動をどういう風に勘違いしたのか、野武士面のギルドマスターが近寄ってきた。
「だ、大丈夫か? あんたのお陰でプレイヤー同士で戦わずにすんだぜ……マジ、サンキューな」
「……大丈夫だよ」
はぁ~、と溜め息を一つ吐いてから、ギルドマスター――確か、クラインだったか?に顔を向ける。
「氷姫って?」
「あぁ~……それは……あんたが誘いを無下に断り続けてソロを貫いてんのが原因――って」
クラインは何かを思い出したように、目を見開いた。
「そ、そうだ! キリトの野郎は!?」
「キリト……? ああ、ブラッキーか。彼がどうかしたの?」
「どうしたもこうしたも!! 今あいつ独りでボス戦やってんだよ!!」
「なっ――!?」
無茶だ。
いくらあの《黒の剣士》でも、フラグMob相手に単騎で挑むのは無茶を通り越して無謀だ。
「……もう遅いかもしれないけど、行ってみよう。ここで待ってるよりはずっと良いよ」
「遅くなんかねェよ……あいつは……!!」
「無事かどうかは、フレンドリスト見れば解るでしょ? 僕が遅いかもって言ったのは、もうボスが倒されてるかもしれないってことだよ」
呆然と自分を見下ろすクラインを見詰め返し、スッと立ち上がる。
「僕がここへ来たのは、そもそもニコラス倒すためだし……別に問題無いよね?」
それはこの場にはいない、黒衣の剣士に向けての問いかけだった。
†
無心に、機械のように、只々剣を振るう。
何度もHPが危険域に達するが、その度に回復結晶を使って存命し続けていた。
ここで自分が死ぬのは構わない。でも、サチが生き返る可能性が目の前にある今、まだ死ぬわけにはいかなかった。
「うお……ああああああああああああああああああ!!」
喉を引き裂かんばかりに絶叫しながら、数多の斬撃を放つ。
それは、システムに規定された必殺の剣技――ソードスキル。だが、ソードスキルは手数が多ければ多いほど、隙も大きくなる。
グロテスクな容姿の怪物の口元が、にやりと歪んだ気がした。
しかし、もはや動きを自分で止めることは叶わない。
ニコラスが右手に持った大斧が、頭上へ向かって振り下ろされる。
――死ぬのか? 俺は。
そうだ。俺は無意味な死を望んでいたではないか。
情けなく目を閉じる。
結局、意味など無かった。俺が無謀にも独りでクリスマスボスに挑んだことも、サチが怯えと苦しみの果てで死んだことも。……全ては、無意味だった。
誰の目にも留まらない場所で、誰の記憶にも残らず、いかなる意味も残さず死ぬ……――あの言葉が、真実になるんだ。
――何だ?
しかし数秒待っても予想した衝撃は来ず、おずおずと瞼を開ける。
最初に飛び込んできたのは、斧と鬩ぎ合う純白の刀身。
次いで視線を動かすと、銀色の髪を靡かせ、赤い眼光で鋭く相手を見据えた少女の横顔が目に入った。
「馬鹿野郎ぉキリト!! オレの前で死んだら許さねェつったろうがッ!!」
背後から、聞きなれた声が聞こえた。
「……クライン」
振り向かずに、ぼそりと呟く。
「ボーッとしてないで、さっさと回復してくれないかな……? これ、重いんだけど」
重量に耐えかねたのか、少女が大きく叫ぶ。
「誰かスイッチ!!」
斧を跳ね上げ、髪を巻き上げながら大きくバックジャンプする少女。
《風林火山》の壁役と思われる数人が、ニコラスに斬りかかる。
「止めろ……そいつは俺が……ッ!!」
錆び付き、焼け爛れた喉から、それだけ漏らす。
右手の長剣を煌かせ、邪魔者に向かって斬りかかる。
「――ッ」
だが刃は届かず、途中で阻まれる。
この細腕の何処にそんな力があるというのか。
少女の温かい掌が、俺の手首を掴んでいた。
「止めるのはそっちだよ、キリト。……いい大人を泣かせるものじゃないよ」
少女の顔には見慣れた嫌悪の表情はなく、労わるような面持ちだった。
それは俺に向けてのものなのか、クラインに向けてのものか、或いはその両方か。
「キリト……キリトよぉ……」
見れば、無精ひげの生えた頬に一筋の涙が伝っている。
「…………」
数少ない友人の涙は、しかし、狂熱に冒された俺には何の効力も無かった。
「うるせぇよ」
呟き、手首を掴んでいた腕を振り払う。
――全員斬り殺す。
もはや、歯止めは利かなかった。
雪を蹴り上げ、少女に向かって斬りかかる。
じゃりん、という金属音が鳴り響く。
少女の放った斬撃によって、俺の剣は弾かれていた。
「……クライン、あなたは仲間の所へ行って。僕がキリトを止めるから」
「そ、そりゃ――」
「大丈夫だよ。どっちも死んだりしないさ」
クラインは一瞬の躊躇いをみせてから頷き、ニコラスに向かって走り出した。
「さて、と……」
呟き、こちらを向く少女。
「今夜はイヴだ。業突く張りのスクルージの元にはクリスマスの
静かに、ゆっくりと白刃がこちらに向けられる。
「僕が相手だ、キリト」
学祭が終わったので久々の投稿です。
いよいよオリジナル展開へ突入ですね。