ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第6話 The Ghost of Christmas Past

「――僕が相手だ、キリト」

 

 背後の声に後ろ髪を引かれるが、それでも足を止めずに走り続ける。

 

「……くそったれがッ!!」

 

 ギリッと歯軋りを鳴らし、悪趣味な怪物を睨みつける。

 一先ずキリトのことは彼女に任せ、今は目の前の敵に集中する。

 キリトの独力で既に七割近くのHPが削られているが、こいつは年一のフラグMobだ。難易度的にはフロアボスとそう変わらないだろう。――気を抜いたら、殺される。当然、自分自身も。

 オレはギルドマスターとしてメンバーを……いや、ダチをこんな所で死なすわけにはいかねェ!! もちろんキリトだってダチの一人だッ!!

 だからこそ、今のあいつにやらせるわけにはいかない。

 倒す――そして、勝つ。

 

「お前ェら気合い入れていくぞッ!!」

 

 リーダーのその声に、SAO以前からの馴染みでもある五人の男達は声を上げて応じる。

 星一つない寒空の雪原に、辺り一面の雪を溶かすかのような、荒々しい鬨の声が響き渡った。

 

 

 格好付けたのは良いものの……――どうしましょうか?

 冷や汗が噴き出しそうになるのをどうにか堪え、相手を見据える。

 《黒の剣士》キリト。高ランカー……所謂“攻略組”のプレイヤーで知らないなんて言うのなら、よっぽどの潜りだといって差し支えないレベルの相手だ。逆にボリュームゾーン以下のプレイヤーに彼の名前を知る者は殆どいない。

 逆に僕はといえば……今日、誠に不本意ながら恥ずかしい二つ名を頂戴していることを知ったわけだれど――まあ、特に有名というわけでもあるまい。生きてこの世界から脱出するためなら、利用できるモノはたとえ長年のコンプレックスだろうと利用する……逆に言えば、そこまでしないといけないようなレベルの人間だ。

 クラインの話が正しければ、数日前に会った段階で既にキリトのプレイヤーレベルは69だったらしい。……ならば恐らく、現時点で70か71。対して僕は63だ。まともにやり合って勝てる見込みは、殆どゼロに近い。だから――時間稼ぎに徹する。正攻法で戦う必要はない。

 ピンチこそ笑え、なんてどこかで見たのを思い出し、意識して口角を上げる。

 

「……どけよ」

「どけないよ」

 

 挑発するように、敢えて笑顔と共に言う。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「来なよ“ビーター”……僕が相手してやるって言ってるんだ」

 

 ビーター、という単語に明確な反応を示した。まあ、そう言われて良い顔する人間なんているわけないけど。

 

「ッ……!!」

 

 一瞬で間合いを詰められる。レベル補正による現実じゃ有り得ない跳躍。それによって現前したキリトの、僕の顔面を狙っての突きに近い切り払い。

 

「くっ……!!」

 

 それを殆ど反射神経のみで刀の刃で滑らせるようにして、なんとか軌道を逸らす。飛び散る火花が互いの顔を照らす。

 だがそこで動きを止めず、更にバックステップで距離を取る。

 はらり、と銀色の髪が数本宙を舞う。

 

「うっ……」

 

 冷や汗が背筋を流れる。正直、生きた心地がしない。

 だけど、そんな愚痴を言っている暇もなさそうだ。

 更に間合いを詰められ、次々と繰り出される手練手管の速技を――刃で、切っ先で、時には体捌きのみで――ギリギリのところで躱し続ける。もはや距離を離す隙すら貰えない。

 

「……ふざけてるのか?」

 

 体感的にはおよそ十分、実際は数十秒というところの一方的な剣戟を鍔迫り合いの格好で中断し、こちらを睨むような目付きでキリトは口を開いた。

 

「生憎……はぁはぁ……まともにやり合うつもりは、ないよ」

 

 荒く吐いた息は、氷点下の外気に触れ、白く輝く。

 恐らく、病院のベッドで今も横たわっているだろう現実の僕の肉体も、息は上げてないにせよ脈拍くらいは上がっているはずだ。

 そう、ここは現実じゃない。

 多くの人間が、この世界を現実と捉えて生きている。人間というのは元来、その環境に“慣れる”生き物だけれど、この世界では、この世界を否応にも“現実”だと思わなければ生き残れなかった。

 でも、僕は敢てこの世界を現実だと、本物だとは思わない。いや、言葉を変えよう。僕は、茅場の『この世界は現実だ』という言葉を否定する。――人が居れば本物なのか? 人が死ねば本物なのか? ……いいや、違う。どんなにリアリティーだろうと、結局、ここはあいつの箱庭でしかない。あいつは、僕ら人形が踊り狂う姿を眺めてほくそ笑んでるだけだ。

 

「君にだって待っている人がいるはずだ! こんな所で無意味に死んでいいのか!?」

 

 一体、この一年で何人の人間が亡くなったと思っているんだ。

 ……この状況すらも、笑って眺めているのだろうか。蘇生アイテムなんていうまやかしに釣られた憐れな道化の殺し合いを。

 

「蘇生アイテムは機能しない!! そんなこと、解りきっているはずじゃないか!!」

「黙れッ!!」

 

 叫び、叫び返され、間合いを取る為お互い距離を取る。

 キリトをスクルージに例えたけれど、僕がジェイコブ・マーレイだとすれば、後に控えているのは誰だろうか?流石にそう都合よく“過去”が現われるとは思えないけれど。

 特に合図をしたわけではない。が、これで最後とばかりにお互い構える。――必殺の一撃を、ソードスキルを相手に叩き込む為に。

 力の限り地面を蹴りつけ、システムアシストに背中を押され、一気に加速する。

 髪が靡き、雪が飛び散る。

 刃に灯った二つの明かりが周囲を照らす。

 

「――――シッ!!」

「セアァァァァ!!」

 

 光芒が交錯し、そして――――

 

 

 

 顔に当たる風は冷たいが、後頭部に感じる二つの膨らみは、温かく柔らかい。

 ……気を失っていた、というよりは眠っていたらしく、身体にはヴァーチャルだとは解りつつも確かな倦怠感があることを否定できない。

 一体どれだけこうしていたのか。もう少しこのまま横になっていたいという気持ちはありつつも、やはりそういうわけにはいかないだろう。

 俺は瞼を開け、口を開いた。

 

「……あんた、何やってるんだ?」

 

 俺が意識を取り戻した……いや、現実の俺は今もベッドの上なのだが……ことに全く気付いていなかったようで、一瞬驚きの表情で固まった少女は……しかしそれはやはり一瞬で、すぐに苦笑と解る笑みを浮かべて答えた。

 

「膝枕……かな?」

 

 呆れつつも起き上がって彼女の正面に座り、思わず悪態をついた。

 

「ヒトの両腕切り落としといて、何が膝枕だ」

 

 俺はちらりと自分の両腕を見やる。

 左右どちらの腕も、コートの袖ごと前腕の中ほどから断ち切られていた。

 “部位欠損”……。所謂状態異常の一つだが、モンスター戦対人戦に関わらずまず起こらない。起こるとすれば、身動きがとれない相手を一方的に攻撃できる状況か、相手が相当に気が緩んでいたか、単に偶然か……或いは、意図的に起こすことができるほどの技量を持っているか。

 コントローラーのボタンを押せばいい従来のゲームと違い、ナーヴギアを介してとはいえ、現実の肉体を動かすようにアバターの身体を操るこのVRMMOというジャンルでは、クラインがそうであったように初級Mobに攻撃を当てることすらままならない。当たり前といえば当たり前だ。相手はこちらが攻撃するまで止まっていてはくれないのだ。相手の動きを想定してタイミングを合わせる必要がある。

 只、相手に攻撃を当てるだけもそれ程難しいのに、ある一点のみを狙って攻撃を当てるなど……難易度は当然上がるし、そもそもそんなことをしなくてもHPを削りきればいいのだから、わざわざ意識的にやる必要はないのだ。

 それでも敢えてそれをやるとすれば……対人戦。相手を殺さずに制圧する必要があるときに限られるだろう。

 《武器破壊》ならぬ《部位破壊》。

 デュエルならまだしも、本気で殺すつもりで向かってくる相手に使うにはリスクが大きすぎる技だ。

 そんな風に他人事のように考えてから、特に意識せずに少女の顔に視線を送ると、少女のカーソルの色が変化していることに気付いた。グリーンから“犯罪者”を表すオレンジに。

 俺の視線に気付いたのだろう、少女は今度こそ明確に苦笑した。

 

「あはははは……どうしよ、クリスマスだっていうのに町に帰れない」

「…………」

 

 こうして見れば、普通の女の子……いや、艶やかなその容姿は十分普通ではないが……とてもあそこまでのプレイヤースキルを持っているとは思えない。

 装備も、恐らくレベルも俺の方が上。ほぼ同時にソードスキルを発動させたあの状況で、しかし彼女は俺の腕を斬り飛ばすという方法で、俺の高威力のスキルの強制終了とどちらも死なないという結果、その両方を掴み取ったのだ。

 

 ――完敗だ。

 

「……クラインや《風林火山》の連中は?」

「向こうで休んでいるよ。君が起きないから、心配してた」

「じゃあ、倒したんだな……ニコラスを」

「……まさか、これでもまだ諦めていないの?」

 

 少女の表情が曇る。

 

「…………」

 

 諦め……られるわけがない。

 ――だけど。

 

「……あんたの言う通り、口では否定しても、本当は解ってたんだ。……この世界で死ねば、現実の自分も死ぬ。あのはじまりの日、俺は茅場の宣言は全て真実だと理解した。あの場に居た約一万人のプレイヤーの中で、恐らく真っ先に。だからこそ、俺はビーターとして、誰よりも速く次の村に辿り着いたし、多くのリソースも手に入れることができた。……俺は、そんなことも忘れていた……いや、思い出そうとさえしなかったんだ」

 

 少女は黙って、俺の告解を聞いている。

 

「本当に、サチが生き返ると思っていたなら……無謀な賭けに出ないで、より確実な……それこそクラインの提案を受け入れるべきだった。なんとしてもサチを生き返らせたいなら、本当に、サチが生き返るんだと信じていたなら。結局俺は、サチを生き返らせるという免罪符を利用して、罪悪感から逃れたかっただけなんだ」

「……馬鹿だね」

 

 ぼそり、と。黙って聞いていた少女が呟いた。

 

「短絡的なんだよ。発想が貧弱だ。少しは客観的に考えたらどうなんだ」

 

 苛立ちを隠そうともせずに少女は続ける。

 

「クラインに少しは事情を聞いた。確かに、君なら悲劇を未然に防げたのかもしれない。でも、だから何だ? 彼らは、君無しじゃ何も出来ない木偶の坊だったのか?」

「…………それはッ」

「違うだろ? 彼らは、自分自身の意思で行動したんだ。前線の迷宮区へ足を運んだのも、宝箱のトラップを解除できなかったのも、モンスターを倒せず殺されたのも、彼ら自身の責任だ」

「それは、俺が自分のレベルとスキルを隠してさえいなければ――」

「いいや。彼らは事前にダンジョンについて調べられたはずだ。トラップのレベルが上がることも、どんなトラップが配置されているのかも……何せ、最前線の未踏破エリアじゃないんだ、情報屋が出してる攻略本でも読めば少しは違ったはずだ。なのに、そんな初歩の手順を彼らは怠った」

 

 俺の言葉は遮られ、少女は理詰めで捲くし立てる。

 

「そもそもだ。現実で会ったことすらない、それどころか本当の名前すら知らない相手の為に、何故君が死ななければいけないんだ? 君は彼らを助けこそすれ、危害を加えたわけじゃない。君が責任を感じるのが、そもそもの筋違いだ。彼ら自身の責任を、君が奪うんじゃない」

 

 何か返そうと……だけれど、返す言葉が出てこない。

 少女は少し表情を和らげた。

 

「君には、君を信じて帰りを待っている人がいるはずだよ」

 

 先ほどは、聞く耳すら持たなかった言葉。

 待っている人……待ていてくれているだろう、オヤジも母さんも……直葉も。

 

「その人達のためにも、短絡的に死を選ぶな。辛くても、生き残ってみせろ」

 

 そして、最後に彼女は笑顔を浮かべて言った。

 

「現実に負けるな、キリト!」

 

 

 後日談。

 偉そうなことを言ったけれど、そんなことで何も解決するはずもなく、キリト本人自分の力で立ち直るしかない、というのが正直なところだ。

 そして、やはりと言うべきか、蘇生アイテムは機能しないも同然だった。蘇生できるのは、対象のプレイヤーが死亡後およそ十秒間の間だけ。案の定、これでは死人が出るような戦闘では使えない。

 茅場は意図的にこれを残したのか……僕にはそうとしか思えないが、だとしたら本当に下劣な奴だ。

 最後に。あの後、オレンジプレイヤーである僕は寒空のした野宿をすることを強いられ、一日がかりで免罪クエストをクリアして町に戻ったのだけれど、僕がホームにしている宿屋の前に、誰から情報を買い付けたのかキリトが待ち構えていた。なんでも、元ギルドメンバーの少女――サチからの音声メッセージが届いたそうだ。

 “過去のクリスマスの精霊(The Ghost of Christmas Past)”が本当に現われた、というわけだ。

 この分だと、“現在”も“未来”も近い将来現われるのかもしれない。……いや、不謹慎な話か。

 でも、よく考えてみれば……今の僕らは肉体の無い――ある意味“(ゴースト)”なのかもしれなかった。




 お久しぶりです。なんとか更新再開です。

 何度書き直しても駄文にしかならず、妥協してしまいました。やっぱり人死にが出る話は難しいです。
 原作ではキリトを諭すキャラ、というか怒ってやるキャラがいないので、そういうポジションを今回はオリキャラに与えてみました。

 取り敢えずこれで次回以降は気楽に書けそうです。



 3月16日に挿絵差し替えました。

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