ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第7話 春風の来訪者

『pipi……pipipipipi……』

 

 無機質な電子音が鳴り響き、仮想の睡眠から意識が覚醒する。

 

「ん……ふぁぁ~……」

 

 眠い目を擦りながら小さく欠伸する。

 午前七時丁度。毎朝の起床時刻であり、それは現実世界から変わらない習慣でもあった。

 しかし現在寝床としているベッドは、現実の自室のシングルサイズのベッドとは同じカテゴリーの家具とは思えない代物だ。でかい、とにかくでかい。幅百七十センチ長さ百九十五センチという一人で使うに広すぎる所謂クイーンサイズと呼ばれる天蓋付きのベッドだ。

 現実と違うのはベッドだけではない。家具という家具、それどころか家そのものが豪邸といって差し支えないレベルで豪奢だった。

 もちろん単純に贅沢したかった、というわけではない。有体に言えば経済を循環させる為である。

 SAO内の貨幣……コルは、現実と同じように無限に溢れてくるわけではない。SAOの全システムを管理統括するカーディナルによって流通する貨幣の量は一定に保たれている。つまり、一部のハイレベルプレイヤー達が財産を使わず貯め込むと、やはり現実と同じように市場に出回るお金が減る。

 経済が回らないとどうなるか……? 言わずもがなだが、デフレーションが起こる。

 もちろんデフレにはデフレでメリットがないわけではないのだが……こと、SAOにおいてはデメリットしか存在しない。

 一例を挙げると、デフレによってプレイヤー間での商売は利益縮小に追い込まれるのに対し、NPCが宿屋や武器屋でプレイヤーに求める料金は殆ど変わらないのだ。これによって何が起こるか? 答えは簡単で、物価は変わらないのに収入が減るので下層プレイヤーが貧困に喘ぐことになる。今でさえ少ない収入をやりくりしている彼らが、その日に食べるパンさえ買えなくなるのだ。

 僕が最前線の未踏破エリアで他のプレイヤーに先んじてレアアイテムを手に入れることによって、そのアイテムを必要としている人、または商人クラスのプレイヤーに売ることができる。そして、それで手に入れた資金を更に使い込む……こうして、貨幣経済は回るわけである。散財サイコー!! ――なんてね。

 

「でもこのベッドはなかったなぁ……広すぎて落ち着かない」

 

 因みに僕が二週間ほど前に購入したこの家は、女性プレイヤーに人気が高く桁違いの価格設定がされている第四十七層主街区《フローリア》にある住宅の中でも、更に高い部類の一軒だった。木を隠すなら森の中だと選んだのだが、お陰で財布の中身がすっからかん……いや、財布は無いんだけれど。

 

 ――まあ、そんなわけで少し肌寒い、初春の朝である。

 寝巻きに着ていたTシャツと短パンから、ウィンドウを操作して一旦下着姿となる。

 

「さて、と」

 

 三月も終わりに近づき、《フラワーガーデン》などと呼ばれるこの層では、既に一足早く春の花々が咲き乱れている……のだが、流石にシャツ一枚で出歩くにはまだまだ寒いだろう。

 少し思案し、アイテムを選んでいく。

 上は赤のシャツにその上から水色のパーカーを羽織って、下は青のジーンズ。頭には黒のキャスケット……もちろん、当たり前だがこれらは女物ではなく男物である……と、ファンタジー色が一切ない現実でも着ていたようなシンプルなチョイスとなった。

 鏡の前に立ち、全体を眺めてみる。まあ、こんなものだろう。悲しいことにどう見てもFemaleにしか見えないが。

 

「はぁ~……」

 

 毎日のことなので溜め息もそこそこに、朝食の支度をするためにリビングに向かう――と。

 

「うへぇ」

 

 思わず凄く嫌そうな声が出た。いや、実際嫌なんだけれど。

 

「あら、おはようティンクル。今日もお美しいわぁ」

「五月蝿い!」

 

 リビングのソファーに背中を預け、だらしなくこちらを見上げて開口一番ヒトの神経逆撫でしてくれたのは、僕にとり憑く悪霊……守護霊元い、カーディナルから独立したプログラムで動くAIアウローラである。

 ここ最近更に学習を重ねたのか、口調も少し変わり、言葉の毒も更に強化された感がある。そんな彼女との付き合いも、随分長くなってしまった。僕と彼女の関係は――協力者、或いは共犯者、だ。

 

「口ではそう言いつつも、パラメーターには然程変化は無いわよ。今日もメンタルバッチリね!」

「……あっそう」

 

 必ずしも良いのかは解らないけれど、精神的に安定しているのは少なくとも悪いことではないだろう。

 

「でも、本来はあまり良い傾向ではないわね」

「え?」

 

 そう結論付けた矢先、否定の言葉が呟かれたので首を傾げるしかない。

 

「あなたみたいにこの世界を所詮ゲームだと一貫して割り切っている人間なら別に問題はないのだけれど――」

 

 現実世界の話題がタブー視されるようになって久しいが、それはこの世界を自分が今生きている現実なのだと捉えることで、命を軽視しない為に取られた措置だ。だから、逆に僕のような人間の大半は既に亡くなっている。

 

「あなたの言葉を借りれば人間は慣れる生き物だから……慣れてしまうのよ、この世界に。現実に帰るという意欲が徐々に削がれていく。精神の安定はそれに発車をかけるわ。なにせ、この異常な状況に平穏を感じるようになってしまうのだから」

 

 彼女の言う通り、この異常な生活が日常と化してる人間は少なくない。低層エリアは《はじまりの街》を中心にスラムのようになってしまっていると聞くし、中層エリアのプレイヤーなどは農業や釣りなどの趣味スキルで生計をたてている人も多いらしい。日常的に死の危険がない彼らの感覚は、相当鈍っていると言わざるを得ない。

 そして、最も危惧すべきことが思い浮かび、アウローラに問いかける。

 

「つまり……攻略のスピードが落ちる?」

「落ちるぐらいならまだ良いでしょうけど、階層が上がれば上がるほどフロアボスの難易度は理不尽なほどに上がるでしょうし、それによってボス戦における死亡者ゼロ、なんていう方が珍しくなってくるでしょうから……今のままじゃ九十層越える辺りには攻略プレイヤーがいなくなっているかもしれないわねぇ」

 

 眩暈がしてきた。それと同時に、《攻略の鬼》などと呼ばれてしまっているアスナには感謝しなければならないだろう、と思う。現在の攻略のペースが保たれているのは、彼女の存在が少なからず影響しているだろうから。

 

「だからこそ」

「僕らは別口を探さないと、な」

「そういうこと」

 

 カーディナルの――システムの穴を見つけ出す。……それが恐らく、茅場のシナリオを崩す突破口に繋がるはずだ。

 

 

 改めて気を引き締めてみたものの、システムの穴などそう簡単に見つかるはずもなく……朝食を簡単に済ませた後、アウローラは再び電子の海へと姿を消し、僕はと言えば友人宅を尋ねる為に外へと出た。

 やはり少し肌寒いけれど、春の陽光が心地良い。風に乗って運ばれてくる花の香りを嗅いでいると、趣味ではないにしろここを選んで正解だったとも思う。

 

「ん~……」

 

 友人宅、というのは最近開店したリズベット武具店であり、今日の訪問は開店祝いを兼ねているのだけれど……。

 

「女性から女性への贈り物ってどんなもの何だろう……?」

 

 あの日アブノーマルなサンタコスチュームでいたために、羞恥心も相まって咄嗟に口調から何から完全に女性として振舞ってしまったわけで……彼女の場合は“誤解を解かない”ではなく、明確に騙さなければいけない。

 そう考えると、途端にどうすればいいのか解らなくなる。アウローラには「素でいたってばれないんじゃないですかぁ~?」と言われたが、女の勘ってやつは存外侮れないものだ。

 

「はぁ……」

 

 気が重い。

 もうその辺の花でも摘んで花束でも作ればいいか。なんて投げやりになりそうになるのを堪えて、アイテム欄を眺める。

 

「いや……でも……う~ん……」

 

 ――散々悩んだ結果、花束はそのまま採用して――それとは別に、女の子なら皆が好きそうなプレゼントにすることを僕は決めたのだった。

 

 

「ありがとうございましたー! ……ふぅ」

 

 苦手な接客を終え一息吐く。

 念願の《リンダース》のこの家を購入して店を構えて早一週間だけれど、元々の固定客も相まって中々の盛況ぶりだ。が、そこには自分の鍛冶の腕だけではなく、アスナによっていじられ……元いコーディネートされたこの髪とコスチュームの効果も加味しなければならないだろう。

 まあともかく、今日の納期は全て捌き終わったし、飛び入りのお客でも来ない限り後は暇だ。

 

「休憩でもしますかぁ~――」

『コンコン』

「――うっ」

 

 休憩に入ろうと扉から店内へ振り向いた矢先にノックの音が響き渡った。

 

「はいはい、開いてますよー」

 

 若干不機嫌になりながらも、努めて冷静に扉の向こうに居るであろうお客に声をかける、が反応がない。

 

「このっ! イタズラか!!」

 

 怒鳴りながら勢いよく扉を引く。

 異様な光景が目に飛び込んできた。……扉の前に立っていたのは、明らかにプレイヤーではなく、学校の理科室に置いてあるような骸骨だったのだ。

 

「……は?」

『ガタガタ……ガタガタ……』

「うわぁっ!!」

 

 いきなり揺れ動き始めた骸骨に驚いて、あたしは悲鳴を上げる。

 よく見れば、この骸骨は幾らか下の層にいた《アンデッド》系のモンスターのはずだ。

 何んでこんな所にモンスターが……遂に、《圏内》すらも安全圏ではなくなってしまったというのか。

 

「そ、そんな……」

 

 一歩後ずさるが、ガシャリと《スケルトン》も一歩音をたててこちらに迫ってくる。そして、背に回していた右手をあたしに向かって振り上げた。

 

「……!!」

 

 もう駄目かと思わず目を瞑り――しかし予想した衝撃は来ず、あたしはおずおずと目を開けた。

 

「――……え?」

 

 目に飛び込んできたのは、振り下ろされた《スケルトン》の右手に握られた色とりどりの大きな花束。そして――

 

「ドッキリ成功!!」

 

 ――という声と共に《スケルトン》の背後から笑顔で飛び出したのは、銀髪赤目の友人だった。

 

 

 

「ご、ごめんねリズ」

「むぅ……」

「この通りだから……ね?」

 

 上目遣いで手を合わせての“お願い”のポーズ……。あざとすぎて怒っているのが馬鹿らしくなってくる。

 

「はいはい、許してあげますよ」

「ありがと~リズ」

 

 にこやかスマイルと共にそう言われると、何でも許せてしまえそうだ――が、これではあたし的には八十点ってところだ。“抱きつく”が抜けている。おしい、非常に惜しい。しかし何だろう……この子悪女でも目指してるんだろうか? いや、既に十分悪女かもしれないけれど。

 

「で、今日はどうしたのよ? 研磨? それとも強化?」

「いやいや、リズ念願のお店の開店祝いだよ」

「いや、それでドッキリはないでしょ!! 心臓飛び出るかと思ったわよ!!」

「ぼ……わたしも少なからず不謹慎かとは思ったんだけど」

「そう思ったんなら止めなさいよね!」

「本場のサプライズイベントってこんな感じじゃないの? あの国ってドッキリも過激だし」

「なんで米国式準拠なのよ……!! はぁ~……――ところで」

 

 ここまで敢て触れずにいたけれど、やはり気になって仕方がない。

 あたしは“それ”に向かって指差しつつ疑問を口にする。

 

「で? この骸骨は何なの? ……どう見てもモンスターだけど」

 

 椅子に腰掛けるティンクルの傍らに、まるで使用人のように佇んでいる《スケルトン》……。よく目を凝らしてみると、微妙に骨が光り輝いているように見える。それに、通常のモンスターとはカーソルの色が違う。……これって――

 

「もしかして《使い魔》ってやつ? ……あれ? でも《使い魔》になるのって一部の小動物型のモンスターだけのはずじゃ……?」

「まあ、そうなんだけどね……」

 

 本人もよく解っていないのか、唇に指を当てつつ何か考える素振りをして「わたしもよく解らないんだよね」とやはり解っていなかったらしく、肩を竦めてそう苦笑した。全く、仕草一つ一つが妙に色っぽいのは年齢の差なのか……幾つなのか知らないけど……同じ女として劣等感を感じずにはいられない――が、そもそも比べるのが間違っているのかもしれない。それぐらい彼女は圧倒的だ。ただ……まあ――

 

「……胸はあたしの勝ちよね」

「え? リズ何か言った?」

「いや、何も言ってないわよ」

 

 貧乳を通り越して壁、絶壁、ぺったんこ。いや……でも、世の中にはこういうのが好きな人もいるらしいし……。

 

「う~ん……」

「な、何? どうかした……?」

「いや、スレンダーなティンクルにはボーイッシュな服装が似合うなと思って」

「……ああ、そう。ありがとう……」

 

 何故涙目なのだろう? やっぱり胸がないのを気にしてるんだろうか?

 

「大丈夫だって、あんまり完璧過ぎても近寄り難くなるもんだし、欠点が一つくらいある方が可愛げがあって良いんじゃない? それに胸は大人になってからでも成長するし!」

「……そういう意味では、最大の欠点は性別なんだけれどね」

 

 ぼそぼそと何事か呟いたのは聞こえたけど、何て言ったのかは解らない。

 

「そんなことより、リズにプレゼント渡さないとね」

 

 何かはぐらかされた感があるけど、まあそれは別にいいだろう。コンプレックスは誰しも抱えているものだろうし。

 

「プレゼントって、この花束じゃないの?」

「それも一応プレゼントではあるけど、家の周りに生えてるの摘んできただけだからね」

「家の周りって…そういえば訊いたことなかったけど、ティンクルってどこ住んでるの?」

 

 何と無く予想はついてるけれど、やはりここは本人にちゃんと答えてもらうべきだろう。

 

「ん? 《フローリア》だよ、四十七層の。それがどうかした――」

「一体幾ら貢がせたぁぁぁぁ!?」

 

 あたしはティンクルの胸倉を掴みかかり、彼女の身体をぐわんぐわん揺らす。

 

「ちょっ!? リズ! 揺らさないで! お願いだから揺らすの止めて!」

「一体幾ら貢がせたんだコラァ!! あたしがどんだけ苦労してこの家買ったと思ってんのよ!? まだ借金残ってんのよ!?」

 

 《フローリア》の住宅といえば《リンダース》より一層下のくせに、平均三倍近い価格設定がされていたはずだ。

 否応にも手に力が入る。

 

「ち、ちょっと! ホントに! 脳が! 脳が揺れる……!!」

「脳が揺れるわけないでしょうが!!」

「リズ、ちょっと落ち着きなさいっ!!」

 

 まるで子供でも叱るかのような台詞だけれど、不思議と手が止まった。

 

「ご、ごめん」

「取り敢えず、その手を離しなさい」

「はい……」

 

 彼女の胸倉を掴んでいた手をおずおずと放す。

 

「いい? リズ。何か誤解があるようだから言っておくけれど、わたしは他人に貢がせたことなんて一度も無いから。そんな“ヒモ”みたいなこと……わたしは絶対しない。《フローリア》の家は、レアアイテムを売って手に入れた資金で買ったの。それだって誰かから貰った物じゃないから安心して」

「うぅ……」

 

 どうやら彼女の逆鱗に触れたらしい。いや、あんだけ揺らせば普通怒るだろうけど。

 

「まあ、解ってくれたなら良いよ。リズもさっきわたしのこと許してくれたからね」

 

 数瞬前の怒りは何処へやら、そこには天使のよな微笑を浮かべる一人の少女が……。何だろ、この切り替えの早さ。

 

「あ・り・が・とっ! で? 話を戻すけど、もう一つのプレゼントっていうのは?」

 

 我ながら図々しい気がしないでもないけれど、貰える物は貰っておきたい。

 

「う~ん……リズの趣味じゃないかもしれないからあんまり期待されても困るんだけれど」

 

 そう言いながら彼女が実体化させたのは、あたしの肩まであるかという巨大なクマのぬいぐるみだった。

 

「ぬいぐるみ……?」

「うん、ぬいぐるみ」

「こんなのどこに売ってるの?」

「売ってないと思うよ? クリスマスに倒した限定ボスのドロップアイテムの一つだから――」

「クリスマスボス!?」

 

 あたしは自分の耳を疑った。

 

「あれ? リズに話さなかったっけ?」

「一言も聞いてない!!」

 

 もしかしたら――

 

「思えばもう三ヶ月も前の話なんだね……え~とね――」

 

 ――あたしが思っている以上にこの友人は、凄い人物なのかもしれなかった。




 サプライズイベントの本場がアメリカっていうのは個人的な偏見です。実際どうなのかは知りません、ごめんなさい。

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