(ビター=ハラワタール)
「おっと、動くなよ。膝から下とお別れしたいのか?」
物騒極まりない警告だった。
だが、それを向けられたヤシオのほうはといえば、両手を軽く上げながら困ったように眉尻を下げているだけだった。
「PGって職質するとき毎回そんな感じなんですか?」
「貴様のような手合いにはな」
「まだオレ、名前しか言ってねぇんだけども」
「コバルオンを狙ってここまで入り込んだ。それだけで十分だ」
アシュリー・ホプキンスは言葉を交わすほどに隙を消していく。ヤシオもそれに気づいていた。
立ち姿が綺麗すぎるのだ。
ただ立っているように見えて、いつでも左右どちらへも踏み出せる。こちらの腰、肩、視線を順に確認しているのも分かった。おそらくPGの中でも相当に現場慣れしている。
「あっ、あー、そうだ、オレのスターミー見てください。ほらなんとなく賢そうでしょ。いつかコイツが二足歩行を始めてもオレは驚かない自信があります」
紹介されたスターミーは誇らしげに胸(?)を張った。
「雑談で気を逸らそうとするとは狡猾な奴め」
アイスブレイクに失敗したヤシオはスターミーをボールに戻した。
「……ラーレさんとヒヒノキ博士に聞いてもらえば分かるって。オレは用心棒みてぇなもんなんです」
「なるほど、それならその2人はどこだ?」
「それが分かんねぇから困ってんだよなぁ」
「……は?」
「さっきまで一緒だったんですけど、急にここへ飛ばされちまって」
「ずいぶん都合のいい話だな」
「オレもそう思うんです」
「貴様が同意するな!」
遺跡にアシュリーの声が反響した。
ヤシオは頭を掻く。
「とりあえずさ。ここは穏便にいきましょうや。PGならトレーナーカードでもなんでも見せます。なんならレコードも交換しますか? オレの秘密基地もお見せします」
「それで私が信用すると?」
「しねぇの?」
「偽造の可能性がある」
「じゃあ何見せりゃいいんだよ!」
アシュリーの眉がきりりと吊り上がった。
「実力だ。たしかにバラル団にしては貴様はあまりにも間抜けだ。しかしラフエルの脅威は何もバラル団だけではない」
「なんでそうなんの!?」
慌てるヤシオにかまわずアシュリーの手が腰へ伸びる。
「キュウコン!」
投げられたボールから炎が躍り出た。否、それは金色の毛並み。9本の尾が扇のように広がる。キュウコンの登場だ。
続けざまにもうひとつ。
「ユレイドル!」
奇怪な植物のようなポケモンが床に着地した。いわつぼポケモンのユレイドルは触手を揺らしながらヤシオを窺う。
「2匹か。もしかしてブルーベリー学園のご出身で?」
「貴様が本当にただのトレーナーなら、降参すればいい」
無視。どうやらアシュリーは本気のようだった。
「それで話聞いてくれんすか?」
「拘束してから聞く」
「どっちにしろ捕まんじゃねぇか!」
戦う以外に選択肢はないことは明らかだった。
ヤシオはため息をつくと、腰から二つのボールを抜いた。
「しゃあねぇ。マッギョ、アーボック!」
二匹が飛び出した。
地面へべちゃりと張りついたマッギョ。その横でアーボックが鎌首をもたげる。
「マッギョ……?」
アシュリーが一瞬だけ目を細めた。
「なんか文句あっか?」
「いや。ない」
「今ぜってぇあったろ」
「キュウコン、『かえんほうしゃ』!」
会話の途中から攻撃が飛んできた。周囲が急激に明るくなるほどの火力だ。
「アーボック!」
ヤシオはそれ以上を告げなかった。それだけでアーボックが動く。長い胴体をくねらせ、マッギョを尾で弾いた。
「なに!?」
マッギョが円盤のように滑る。炎が元いた場所を通過した。
「マッギョ、『だくりゅう』!」
床を這う濁流。
「ユレイドル、『エナジーボール』!」
草のエネルギーが濁流を引き裂く。
しかし。
「そっちは囮、だんべよ」
「!」
濁流の陰からアーボックが飛び出した。
「『へびにらみ』!」
キュウコンと視線が交錯する。
キュウコンの動きが鈍った。
「ユレイドル、アーボックを止めろ!」
「マッギョ、『とびはねる』!」
「マッギョが!?」
アシュリーが初めて大きく目を見開いた。
平べったい身体が床を蹴る。マッギョが跳んだ。
そのままユレイドルの頭上へ落下する。
「ユレイドル!」
「今だべ。アーボック、『ほのおのキバ』!」
狙われたのはユレイドル。
炎をまとった牙がその身体へ食らいついた。
「くっ……!」
「マッギョ、『じゅうでん』!」
「攻撃しない?」
マッギョの身体に電気が蓄積する。
アシュリーの眉が動いた。
「キュウコン、『だいもんじ』! マッギョを狙え!」
「アーボック、『あなをほる』!」
アーボックが消える。大文字の炎がマッギョへ迫った。
「避けろ!」
マッギョは床を滑って炎から逃れる。
だが完全には間に合わない。
爆炎がマッギョを飲み込んだ。
「マッギョ!」
炎の中から飛び出したマッギョはまだ倒れていない。
「『ほうでん』!」
蓄えた電気が一気に解放された。
「キュウコン、かわして!」
麻痺した脚が遅れる。
電撃が直撃。
同時に。
ユレイドルの真下からアーボックが飛び出した。
「なっ……」
アシュリーの視線が二方向へ割れる。
「『アイアンテール』!」
アーボックの尾がユレイドルを薙ぎ払った。
岩を含む身体が大きく揺れる。
「まだだ! ユレイドル、『ギガドレイン』!」
触手が伸びた。そのままアーボックを捕らえようとする。
「マッギョ踏め!」
「踏む!?」
アーボックがマッギョの身体を踏み台にして跳躍した。触手が空を切る。
「今度は逆!」
空中のアーボックが尾を伸ばす。マッギョがそれへ噛みついた。そしてアーボックが身体を捻る。
勢いよくマッギョが振り回された。
「いけぇ!」
投擲。
マッギョそのものがユレイドルへ飛んだ。
「『とびはねる』!」
「それもう『とびはねる』なのか!?」
思わずアシュリーがツッコんだ。
そして激突。ユレイドルが床を滑った。
「……!」
アシュリーは言葉を失った。
ふざけているようにしか見えない。だが、すべてが繋がっている。
マッギョとアーボック。決して珍しいポケモンではない。突出した速さもない。
それを位置取り、技、身体の形状まで利用して互いの欠点を埋めている。
そして何より。
(こいつ……)
アシュリーはヤシオを見た。
焦っていない。こちらの技をほとんど見てから対処している。なのに指示が短い。
それだけポケモンとの意思疎通が完成している。これでアシュリーには十分だった。
「キュウコン、ユレイドル。ありがとう。戻れ」
二匹をボールへ戻した。
「ん?」
「もういい」
「終わり?」
「ああ」
アシュリーは小さく息を吐いた。
「私の誤認だったようだ」
「分かってくれたと?」
ヤシオは目を輝かせた。
「少なくともバラル団ではない。私が思うような悪人でもないのだろう」
「いや、最初からそう言ってんだけどなぁ」
「やかましい。悪人が『私はならず者です』と言うと思うのか?」
「うーん、たしかに言われてみりゃそうだべ」
「納得するな。調子が狂う」
「どうしろと!?」
アシュリーは腰へ手を当てた。
「改めよう。PG捜査官、アシュリー・ホプキンスだ。謝罪する。すまなかった。良く育てられたポケモンだ」
潔く頭を下げた。きつい印象ではあるが根は優しい人物のようだ。
「ヤシオです。トレーナーやってます」
二人は握手した。
「それで、貴様は本当にコバルオンを探しているのか?」
「そうそう。写真撮りたいおっさんと研究したい博士のお供」
「……さっきのラーレ氏とヒヒノキ博士か?」
「知ってるんですか?」
「PGでも把握している研究者だ。先に名前を言え」
「オレ言ったべ!?」
ヤシオの抗議を無視して、アシュリーは遺跡の奥を見た。
「ならば目的は同じだ」
「アシュリーさんも?」
アシュリーは頷いた。
「この周辺で異常な空間反応が観測された。それを追ってきた。原因は不明だが、バラル団が伝説のポケモンを狙っている可能性も否定できない。現に奴らは豊穣の神を手駒に加えているからな」
「なるほどねぇ」
そのときだった。
マッギョがびくりと身体を震わせた。アーボックが振り返る。アシュリーの2匹も反応した。
「どうした?」
空気が変わった。
遺跡のさらに奥。暗闇。
そこから。
カツン。硬い蹄が床を叩く音がした。
カツン。もう一度。青い身体が闇から浮かび上がる。
「……コバルオン」
アシュリーが息を呑んだ。
今度こそ。紛れもなくコバルオンだった。
ヤシオは無意識に笑っていた。
「会えたな」
コバルオンは答えない。 静かに二人を見る。
それだけで分かった。試されている。
「どうやら歓迎されてはいないらしい」
「まあ人間を信用する理由もねぇし。どっかの誰かさんも初見では信じてくれなかったべ?」
「来るぞ!」
コバルオンが床を蹴った。速い。
「マッギョ、アーボック戻れ!」
4つの赤い光。
入れ替わるようにヤシオが別のボールを投げる。
アシュリーも先ほどの2匹を戻して同時にポケモンを繰り出した。
「ハッサム!」
「エンペルト!」
鋼。
鋼。
そして鋼。
三者が向かい合う。
「『せいなるつるぎ』か!」
コバルオンの角が輝く。
「ハッサム、『バレットパンチ』!」
鋏と角が激突した。金属音が地下空間に響き渡る。
「すげぇパワーだ!」
押し負けたのはハッサムだった。
後方へ吹き飛ばされる。
「エンペルト、『ハイドロポンプ』!」
凄まじい水流がコバルオンへ迫る。コバルオンは横へ跳んだ。
「そこだ! ハッサム!」
着地点。そこを狙った
「『シザークロス』!」
両腕が交差する。
しかし。
コバルオンは真正面から角で受けた。
ハッサムが押す。コバルオンも押す。
「鋼同士の力比べか」
ヤシオの目が細くなる。
「ハッサム、いったん離れろ!」
後退。
コバルオンが追う。
「エンペルト、『ラスターカノン』!」
横から光弾。これをコバルオンは角で弾いた。
「嘘だろ!?」
「驚いている場合か!」
「いや、かっけぇなと思って!」
「真面目にやれ!」
「やってますって!」
コバルオンがハッサムへ突進する。
「『アイアンヘッド』だ!」
「ハッサム『バレットパンチ』!」
「馬鹿か貴様! 撃ち合うな!」
正面衝突。凄まじい金属音。両者ともに弾かれた。
「『アクアジェット』!」
これをコバルオンは角の一撃で受け流し、エンペルトを後ろ足で蹴り飛ばした。
「わはは! やっぱつえぇ!」
「何を喜んでいる!」
「だってさ!」
ヤシオの顔からふっ、と笑みが消えた。目だけが、鋭くコバルオンを追っている。
「あいつはハッサムに足りねぇもんを全部持ってんだ」
「……何?」
速さ。踏み込み。重心。身体の使い方。
コバルオンは決して巨体の重量級ではない。それなのに一撃が重い。速さを、そのまま破壊力に変換している。
対してハッサムはどうか。
鋼の身体。巨大なハサミ。優秀な攻撃力。それをヤシオはこれまで真正面から生かしてきた。
だが。
「違うな」
「何がだ?」
「ハッサムはもっと速くなれる」
「ハッサムが?」
アシュリーが怪訝な顔をした。
ハッサムは高速飛行するポケモンではない。むしろ進化前のストライクと比べればパワーと硬さと引き換えにスピードそのものは落ちる。
だがヤシオが見ているのは数字ではなかった。
「ハッサム!」
振り返った相棒へ叫ぶ。
「コバルオンの真似してみっか!」
返事は即答。ハッサムは小さく鋏を上げて応えた。
「来るぞ!」
コバルオンが走る。
「エンペルト、『アクアジェット』!」
エンペルトが水をまとって突進した。コバルオンが身を翻す。そこへハッサム。
「『いわくだき』!」
大振りの攻撃をコバルオンは難なくかわすが、フォロースルーで速度が上がる。
「まだだ! エンペルト、『ハイドロポンプ』」
大技に備えてコバルオンが迎撃態勢を取る。
「『バレットパンチ』!」
ハッサムの身体が弾けた。弾丸の如く拳を撃つ。これまでならそこで終わる。
「もう一発!」
反対の拳。さらに。
「地面!」
ハッサムのハサミが床を叩いた。反動で身体が横へ飛ぶ。
「なに!?」
アシュリーが目を見張る。
ハッサムは翼だけで飛んでいるのではない。
腕。脚。重量のある鋼の身体。そのすべてを推進力へ変えている。
「そうか……!」
コバルオンの走法。蹄で地面を蹴る。加速。その速度を角へ乗せる。ならばハッサムも。
「全部使え!」
脚で蹴る。翼で姿勢を制御する。拳を振った反動で回転する。もう一方のハサミを壁へ当て、軌道を変える。
直線ではない。ジグザグでもない。
跳弾。鋼鉄の弾丸が地下空間を跳ね回る。
「ハッサム、『バレットパンチ』!」
右。かわされる。
左。角で防がれる。
「まだ!」
壁を蹴る。上。
「まだまだ!」
天井近くで反転。急降下。
コバルオンの表情が初めて変わった。
「今だ! エンペルト!」
アシュリーも理解した。
「『ハイドロポンプ』!」
水流。コバルオンが逃げる。その逃げ道には。
「ハッサム!」
鋼鉄の赤が待ち構えていた。
「『シザークロス』!」
交差したハサミがコバルオンの身体を捉えた。
鈍い衝突音。
コバルオンの四肢が床から離れる。
「入った!」
「いや、まだだ!」
アシュリーの声とほぼ同時。吹き飛ばされたコバルオンが空中で身を捻った。
着地。四本の脚が石床を削る。それでも倒れない。
むしろ。
「……怒らせちまった?」
「そう見えるか?」
「見えねぇです」
「なら聞くな!」
コバルオンの顔に怒りはなかった。
静かだった。静かすぎる。
だからこそヤシオは背筋に走るものを感じた。
目の前にいる存在は自分たちを敵として排除しようとしているのではない。
見ている。試している。どこまで立っていられるのか。
何のためにここへ来たのか。それを言葉ではなく技で問うている。
「上等だ。やってやんべ」
ヤシオが帽子を被り直す。
「こういう面接なら慣れてっからな」
「どんな人生を送れば伝説のポケモンとの戦闘が面接になるんだ」
「長くなるけど聞きます?」
「今はいい!」
コバルオンの角が輝いた。
「来るぞ!」
「ハッサム!」
ハッサムとエンペルトが身構える。エンペルトはアシュリーの指示に応えて『アクアジェット』でコバルオンを牽制した。
しかしヤシオは転換を図った。
「ハッサム受けるな!」
ヤシオの指示。
「『こうそくいどう』!」
赤い身体が横へ流れる。
コバルオンの『せいなるつるぎ』が床を裂いた。
切り替えしたエンペルトの『ハイドロポンプ』がその横っ面を叩いた。
「もう一回!」
ハッサムが加速。コバルオンが追う。
速い。圧倒的に。
直線速度だけならまだコバルオンに分がある。
だがヤシオは先ほど気づいた。ハッサムにはハッサムの速さがある。
「壁!」
ハッサムが壁へ拳を叩きつける。その反動で直角に近い軌道変更。コバルオンが目で追う。
「床!」
今度は脚。踏み込み。
「『バレットパンチ』!」
加速。拳を突き出す。これもかわされる。
「反対!」
空振りした拳を引かない。
むしろ振り抜く。
重量のあるハサミが生み出した回転運動に身体を預ける。
一回転。もう一方の拳。今度はコバルオンの頬を掠めた。
「なるほどな」
アシュリーが目を細める。
「速く動こうとしているわけではないのか」
「へっ?」
「今ハッサムにさせていることだ」
「オレが?」
「自覚がないのか!?」
アシュリーは頭を抱えたくなった。
ハッサムは羽があっても飛行に特化したポケモンではない。ならば無理に飛ばす必要もない。
脚で床を蹴る。ハサミで壁を押す。羽で姿勢を変える。攻撃の反動すら次の移動へ繋げる。
止まらない。それがヤシオの思いついた戦い方だった。
「お前のハッサムは一撃ごとに加速している」
「ああ! それそれ! オレも今そう言おうと思ってた!」
「嘘をつけ!」
だが説明されてヤシオの中でも形になった。
「止まんねぇってことか」
ハッサムを見る。
「だったらもっとやれっか?」
ハッサムはこちらを振り向かず頷いた。
「いい返事だ!」
コバルオンが地を蹴った。
「エンペルト、『れいとうビーム』!」
冷気が床を走る。コバルオンはかわす。しかし着地で凍った地面で脚を滑らせた。
そこへハッサム。
「右!」
右の拳を床へ。反動で跳ぶ。
「左!」
左のハサミで壁を押す。さらに加速。
「翼!」
羽を広げる。空気を噛む。姿勢だけを変える。
「脚!」
壁を蹴る。
「『バレットパンチ』!」
一直線。コバルオンが角で受け止めた。甲高い音とともにハッサムが弾かれる。
だが。
「まだ止まんな!」
弾かれた方向にある柱。ハッサムが両脚をつける。
膝を曲げ、そして跳ぶ。
「もう一発!」
反射。二発目。コバルオンが再び受ける。
「まだ!」
三発目。
「まだまだ!」
四発目。
拳。床。壁。翼。脚。拳。
戦場そのものを踏み台にして、ハッサムが跳ね回る。
赤い軌跡。それはもはやポケモンが動き回っているというより、一発の弾丸が何度も跳弾しているかのようだった。
「すげぇ……」
言ったのは指示を出しているヤシオ本人だった。
「お前が驚くな!」
「だってオレが考えてたよりすげぇんだもん!」
「ハッサムが不憫になってきたぞ!」
しかし。いつまでも一方的にはいかない。
コバルオンの瞳がハッサムを捉えた。
「ハッサム、来る!」
次の瞬間。
コバルオンが踏み込んだ。
ハッサムが壁を蹴った、その着地点。
先回り。
「読まれた!?」
「『せいなるつるぎ』が来るぞ!」
光る角。ハッサムは空中。これは避けられない。
「ハッサム!」
ヤシオが叫んだ。
「『バレットパンチ』!」
「正面から!?」
拳と角が激突する。 今度はハッサムが大きく吹き飛ばされた。壁に叩きつけられる。
「ハッサム!」
壁伝いにずるりと落ちる。膝をついた。
ハッサムに蓄積したダメージは小さくない。
コバルオンも肩で息をしている。互いに限界が近い。
「ヤシオ!」
アシュリーが呼ぶ。
「ここからは合わせろ。幸い私のエンペルトは体力を温存できている」
「へ?」
「私たちはタッグを組んでいるんだろう」
エンペルトがハッサムの横へ並んだ。
「水臭いじゃないか」
「アシュリーさんが?」
「貴様ァ!」
コバルオンがゆっくりと構える。
エンペルト。
ハッサム。
二匹も構えた。
「一気に行くぞ」
「おう!」
「エンペルト、『ハイドロポンプ』!」
水流。
コバルオンが駆ける。
正面から水を切り裂くように突き進む。
「ハッサム、『こうそくいどう』!」
ハッサムも走る。
「『せいなるつるぎ』だべ!」
コバルオンの角が輝く。
「ヤシオ!」
「分かってる!」
ハッサムが拳を振るう。
コバルオンの角がハッサムを押し、その脚が床を削る。
「エンペルト!」
横から迫る。
「『アクアジェット』!」
グリーンヒット。コバルオンの身体が傾く。コバルオンは力負けせずエンペルトを弾き飛ばした。
「今だ!」
ハッサムが角を受け流す。
「跳べ!」
エンペルトの背中を踏む。
「なに!?」
アシュリーまで驚いた。ハッサムが高く跳んだ。
「そのまま!」
天井。両脚をつける。
「いっけぇぇぇ!」
蹴った。
落下。加速。右腕を引く。
「『バレットパンチ』!」
コバルオンが見上げた。
角を構える。鋏。角。ぶつかる。
衝撃が地下空間を駆け抜けた。
床に亀裂が走る。ハッサムが弾かれる。コバルオンも後退した。
一歩。
二歩。
三歩。
そこで止まる。
「……」
「……」
静寂。ヤシオは息を呑んだ。
ハッサムが立ち上がる。
コバルオンも立っている。
「まだやんのか?」
ヤシオが尋ねた。答えはない。
それでもコバルオンはこちらを見つめている。
ハッサムも命令を待っている。
エンペルトも構えている。
アシュリーも動かない。
やがて、コバルオンが一歩進んだ。
ハッサムが身構える。
「待て」
ヤシオが止めた。敵意がない。
コバルオンはハッサムの前まで歩いてきた。
互いの赤い瞳と黄色い瞳が交わる。
そして。コバルオンは静かに頭を下げた。
「……!」
ほんの一瞬。それだけだった。
顔を上げる。今度はアシュリー。最後にヤシオを見る。
「なんだ?」
ヤシオは笑った。
「認めてくれたん?」
答えはない。コバルオンは背を向けた。
「待て!」
アシュリーが呼び止める。
コバルオンは止まらない。遺跡の奥へ歩いていく。
そして闇の中へ溶けるように姿を消した。
「……行っちまった」
「ああ」
「PG的には捕まえなくてよかったんです?」
「私の任務は捕獲ではない」
「そっけ」
「それに」
アシュリーはエンペルトをボールへ戻して苦笑した。
「今の私たちに捕獲できると思うか?」
「無理だべな」
「即答か」
「ハッサムもエンペルトもヘロヘロだし」
ハッサムとエンペルトは肩をすくめてやれやれというポーズをした。
「だ、そうです」
「いいハッサムだな」
「そちらのエンペルトもですよ」
ヤシオは笑いながらハッサムの鋼の頭を撫でた。
「でも面白ぇもん見つけたな」
ハッサムが首を傾げる。
「さっきのやつだよ。壁とか床とか使ってビュンビュンするやつ」
ハッサム自信にも手応えがあったようで身ぶり手ぶりで興奮を表現した。
「まだ荒削りだけどよ。あれもっと練習しようぜ、おー!」
ヤシオとハッサムの拳が上がった。
「名前もつけっか!」
「やめておけ」
「なぜに!?」
「お前が名付けると嫌な予感がする」
「ひでぇな。『ハッサム超高速跳ね返りスペシャル』とか」
「ほら見ろ」
「まだ仮称だべ! そんなら『ハッサム超高速アタック』とか」
「『超高速』から離れろ。そして永久に仮称にしておけ」
ともかく。目的のひとつは果たした。
問題はひとつだけ。
「……あ」
ヤシオの顔から血の気が引いた。
「どうした?」
「バシャーモ」
「何?」
「置いてきた」
「どこに」
「テツノカシラんとこ。もともとそっちと戦ってたんだった」
「……」
「……」
アシュリーの眉間に深い皺が刻まれた。
「それを先に言えぇぇぇぇ!」
その頃。
「ヤシオく〜〜〜〜〜〜ん!」
ヒヒノキの悲鳴が地下に響き渡っていた。
「博士! こっち、こっちです!」
「どっちだい!?」
「僕のほうです!」
「だからどっち!?」
「バシャーモの後ろ!」
「それなら分かる!」
二人が転がり込む。
直後に光の刃が壁を切り裂いた。
石片が飛ぶ。
「ひぃっ!」
ヒヒノキは頭を抱えた。
テツノカシラ。その二本の角から放たれる光刃。ヤシオが『タキオンカッター』と呼んだ攻撃は恐ろしく速い。
しかも二発。
「なんでヤシオくん消えちゃうのさ!」
「僕に聞かれても困ります!」
「こういうとき用心棒は最後までいてくれるものじゃないの!? 見捨てないでおくれーっ!」
「ヤシオくんですし」
「それで納得できるようになってる自分が嫌だ!」
一声鳴いてバシャーモが2人の前に立つ。
炎を噴き上げる。テツノカシラを睨みつけた。
「バシャーモ……」
ヤシオはいない。しかしバシャーモは残った。
そして主人から最後に受けた命令も残っている。
2人を守る。
テツノカシラが突進する。
「来るよ!」
バシャーモが自ら動いた。跳躍。鋼の頭部を蹴りつける。だが浅い。テツノカシラが頭を振る。
「バシャーモ!」
吹き飛ばされた。
着地。よろめく。それでも立つ。
「まずいな」
ラーレの顔からいつもの軽薄さが消えていた。
「ヤシオくんがいたときのダメージも残ってる」
「それに指示がないんだ」
ヒヒノキにも分かっていた。
バシャーモは強い。経験も豊富。自分で考えて戦うこともできる。しかしポケモンバトルはそれだけではない。
トレーナーが相手全体を見る。
ポケモンが目の前の敵を見る。
二つの視点が重なって初めて可能になる戦いがある。
(僕たちが指示するしかない)
「博士」
「なんだい?」
「ここはお任せします」
「なんで!?」
「僕はコレクターですよ!?」
「ボクは研究者だよ!」
「僕だって預かりシステムの管理人ではありますけど副業なんです!」
「いや、博士じゃなきゃダメなんです。ヤシオくんも言ってたじゃないですか、あのバシャーモはオダマキ研究所出身なんですよ」
「うん…」
うまく言いくるめられた感は否めないがヒヒノキは決心した。
再びテツノカシラの角が輝く。
「来る!」
「バシャーモ、避けて!」
ヒヒノキが叫ぶ。バシャーモが跳んだ。
一発。回避。二発目。
「後ろ!」
振り返る。しかし遅かった。
光刃がバシャーモの肩を掠めた。直撃ではない。だが明らかに効いている。
「ご、ごめん!」
「博士、謝ってる場合じゃないです!」
「分かってる!」
テツノカシラが追撃する。
「バシャーモ、『かえんほうしゃ』!」
炎。テツノカシラが回避する。
「よし! 炎技なら戦える!」
「いやダメだ!」
「え?」
避けた先。
そこにはヒヒノキがいた。戦闘慣れしていない彼は技を避けた相手の動きまでは想定していなかったのだ。
「うわっ!」
テツノカシラが突っ込んでくる。
そこへバシャーモが割り込んだ。
「バシャーモ!」
激突。ヒヒノキの身体へバシャーモがぶつかる。
二人まとめて吹き飛んだ。
「ぐっ……!」
「博士!」
ラーレが駆け寄る。
「だ、大丈夫」
起き上がろうとして、ヒヒノキは顔をしかめた。
腰を打った。
それでも動けないほどではない。
「それよりバシャーモは!?」
少し離れたところでバシャーモが片膝をついていた。すぐに立ち上がって炎を噴き上げる。
まだ戦える。いや。戦おうとしている。
「まただ……」
ヒヒノキが呟いた。
「え?」
「ボクのせいだ」
最初の『タキオンカッター』。
今の突進。
どちらも自分たちを庇って受けた。
ヤシオがいなくなってから、バシャーモはずっとそうしている。攻撃よりも防御を優先していた。
「ボクたちを守ってるんだ」
「そりゃそうですよ。ヤシオくんのポケモンなんだから」
「違う」
ポケモン研究者のヒヒノキには分かってしまった。ヤシオの指示が残っているからだけではない。
このバシャーモは自分で決めている。2人を守ると。
トレーナーでもない。ろくに指示すら出せない。そんな人間を。
「バシャーモ……」
呼びかける。一瞬だけ振り返った。
その顔を見て。ヒヒノキは思い出した。
オダマキ研究所。初めて訪れた日のこと。
まだ博士号も持っていなかった頃。研究者として何を専門にするのかさえ曖昧だった頃。
研究所の庭を駆け回るキモリ。
水辺で遊ぶミズゴロウ。
人懐っこく足元へ寄ってきたアチャモ。
その中心で豪快に笑っていた男。オダマキ博士。
『研究室の中だけじゃ分からないこともあるぞ!』
何度聞かされたか分からない。
実際、オダマキはフィールドワークを好む。
ポケモンを知りたければポケモンの暮らす場所へ行けばいい。あまりにも単純。
それでいて、ヒヒノキには眩しかった。だから憧れた。同じ研究者になった。ラフエルを歩き回った。
それでも。同じにはなれなかった。
オダマキ博士は野生のポケモンに襲われることもある。危険な場所へ踏み込むこともある。そんな時でもポケモンと向き合う。
対して自分は。
「……戦うの、苦手なんだよなぁ」
「知ってますよ」
ラーレは容赦がない。
「そこは励ますところだよ!」
「嘘ついてもしょうがないじゃないですか」
「そうだけどさ!」
このやりとりで少しだけ。本当に少しだけ肩の力が抜けた。
テツノカシラを見る。
怖い。当たり前だ。見たこともないポケモン。見たこともない技。しかも明確な敵意を持っている。怖くないわけがない。
でも。
「研究室の外じゃ、データ通りにいかないんだよね」
バシャーモの背中を見る。オダマキ研究所出身。偶然だ。そんなことは分かっている。
それでも。あの日見たアチャモたちと、目の前のバシャーモが重なった。
「ボクも研究者なんだ」
「急にどうしたんです」
「ちょっと格好つけたくなった」
「今!?」
「今だからだよ。フィールドワークならホームグラウンドじゃないか。何をビビる必要があるんだ」
ヒヒノキが立ち上がった。
脚が震える。彼が見てきたトレーナーたちのようにはいかない。
情けない。それでも一歩前へ出る。
「バシャーモ!」
バシャーモが振り返る。
「ボクの指示を聞いてくれるかい?」
バシャーモはヒヒノキを見た。
一秒。二秒。
「……」
長い。
「断られる流れじゃないかな?」
「不吉なこと言わないで!」
バシャーモが前を向いた。
「どっち!?」
「たぶんオッケーってことです!」
「本当に!?」
「自信持ってください!」
「無茶言うなぁ」
テツノカシラが動いた。
「来る!」
ヒヒノキの身体が強張る。
逃げたい。しかし。
「見るんだ」
相手を見る。観察する。それなら。ずっとやってきた。
「右の角が先に光った!」
ヒヒノキが叫ぶ。
「バシャーモ、左だ!」
光刃。バシャーモが左へ跳ぶ。
一発目を回避。
「もう一発来る! 止まらないで!」
着地と同時に走る。
二発目。背後を通過。
「避けた!」
「博士、やった!」
「まだだよ!」
テツノカシラを見る。
何度も見た。角が光る。
二連撃。撃つ瞬間には脚が止まる。
「……そうか」
ヒヒノキの目が見開かれた。
「『タキオンカッター』を撃つとき、あいつは動かない」
「それが?」
「動かないんじゃない。動けないんだ!」
高速の光刃を正確に二発放つ。
そのためには身体を固定する必要がある。少なくとも今まで観測したすべての攻撃でそうだった。
「バシャーモ!」
ヒヒノキが叫ぶ。
「次の『タキオンカッター』まで待つんだ!」
バシャーモが構える。
「本当に大丈夫?」
「分からない!」
「博士ぇ!」
「でも仮説ならある!」
「研究者すぎる!」
テツノカシラが走る。バシャーモが逃げる。
追う。逃げる。
「まだ!」
距離が開く。テツノカシラが止まった。角が輝く。
「今だ!」
光刃。
「右!」
回避。二発目。
「跳べ!」
バシャーモが高く跳躍した。光が脚の下を通過する。
「そのまま『かえんほうしゃ』!」
空中から炎が降り注ぐ。動けないテツノカシラを直撃した。
「やった!」
「いや!」
炎の中からテツノカシラが飛び出した。
「バシャーモ!」
着地したばかり。避けられない。
「『ブレイズキック』!」
炎をまとった脚がテツノカシラの頭部と激突した。火花が散る。押される。
「負けるな!」
ヒヒノキが叫んだ。
「炎なら効いてる! 押し切れ!」
炎が大きくなる。テツノカシラの脚が滑った。
一歩。後退。
「いけぇ!」
蹴り抜く。テツノカシラが吹き飛んだ。
「……」
「……」
ヒヒノキとラーレが固まる。
「やった?」
「それ言っちゃダメなやつじゃない?」
「え?」
瓦礫が動いた。
「ほらぁ!」
「ボクのせい!?」
テツノカシラが立ち上がる。
しかし明らかに様子が違った。
身体が揺れている。ダメージが蓄積している。
そしてそれ以上の変化があった。
「下がってる」
ラーレが気づいた。
一歩、テツノカシラが後退する。
さらに一歩。
「逃げる気だ」
「追わなくていいよ!」
ヒヒノキが即答した。
「ボクたちは調査に来ただけだ。倒す必要なんてない!」
バシャーモも追わない。テツノカシラを見据える。
テツノカシラがさらに下がる。暗がりへ。
「よ、よかったぁ……」
ヒヒノキの膝から力が抜けた。
「終わった……」
「博士!」
「大丈夫。腰が抜けただけ」
「大丈夫じゃないですよ」
「いやぁ、でもボク結構やれたんじゃない?」
「最後のほうはちょっとトレーナーっぽかったですね」
「ちょっと?」
「かなり」
「本当?」
「訂正。そこそことしましょう」
「なんで下げたの!?」
バシャーモが唸り声をあげながら振り返った。ヒヒノキの前まで来る。
「あ……」
大きい。近くで見ると改めてそう思う。そして傷だらけだった。
「ごめんね」
ヒヒノキがその腕に触れる。
「ボクたちを守ってくれてありがとう」
「……」
「それと……」
少し照れ臭い。
「ボクの指示で戦ってくれて、ありがとう」
バシャーモはしばらくヒヒノキを見つめた。
そして。
「バシャ」
大きな手をヒヒノキの頭に乗せた。
「え」
ぽん。
「……」
ぽんぽん。
「僕より博士の扱いが上手いね」
「なんでボクが褒められる側じゃないの!?」
その瞬間。バシャーモの表情が変わった。
「え?」
ヒヒノキを突き飛ばす。
「うわっ!」
同時に。
暗闇が光った。
「博士!」
テツノカシラ。 逃げていなかった。
いや。逃げるために。
最後の一撃を放とうとしている。二本の角が眩く輝く。
「まずい!」
ヒヒノキには分かった。
距離がある。だからこそ。
かわしにくい。しかもバシャーモはヒヒノキを突き飛ばしたせいで体勢を崩している。蓄積したダメージも大きい。
「バシャーモ!」
光が収束する。一発目が発射される。
「避けて!」
間に合わない。光刃が迫る。バシャーモが腕を交差する。
ヒヒノキを庇い受ける気だ。今の状態で。
「ダメだ!」
ヒヒノキが手を伸ばした。
その視界を。奇妙な多面体が横切った。
「え?」
「ポリゴン!」
ラーレの声。
ポリゴンがバシャーモの前へ飛び出した。そしてタキオンカッターを2発なんとか受け止めた。
「ラーレくん!?」
「いやぁ」
ラーレは笑っていた。額から汗を流しながら。
「戦うのはからっきしなんですけどね」
再びテツノカシラの角が光る。
「さすがに見てるだけっていうのも格好つかないでしょ!」
「でもポリゴンじゃ!」
ヒヒノキは叫んだ。
ポリゴンはノーマルタイプ。相手は少なくとも鋼タイプを持っているがそれ以上は分からない。そもそもあのタキオンカッターが何タイプの技なのかさえ。
「大丈夫」
ラーレの指がポリゴンへ向く。
「僕はコレクターだからね」
「今それ関係ある!?」
「ありますとも!」
ラーレの目が輝いた。
「集めたポケモンのことなら、ちゃあんと知ってる!」
タキオンカッターが眼前に迫る。
「ポリゴン!」
ラーレが叫ぶ。
「『テクスチャー2』!」
ポリゴンの身体が明滅した。
赤。青。緑。その表面を無数の光が走る。
「『テクスチャー2』!?」
ヒヒノキが目を見開く。
『テクスチャー2』は自分のタイプを変化させる技。
相手が最後に使った技。そのタイプに抵抗できる属性へ。
ポリゴンの身体が変質する。直後。タキオンカッターが直撃した。光が弾ける。
「ポリゴン!」
衝撃。ラーレが腕で顔を庇う。光が晴れる。
「……!」
ポリゴンは。そこにいた。吹き飛ばされながらも。耐えた。
「耐えた!」
「まだだよ!」
二発目。
「ポリゴン!」
ラーレが叫ぶ。
「踏ん張れぇ!」
再び直撃。ポリゴンの身体が激しく揺れる。
「ポリゴン!」
後方へ飛ばされた。ラーレが駆ける。
「うおっと!」
両腕で受け止める。
「ぐぇっ!」
勢いのまま尻餅をついた。それでも離さない。
「大丈夫か!?」
「いったたた……」
腕の中。
「……」
ポリゴンの目が点滅した。
「よし!」
ラーレが抱き締める。
「偉い! さすが僕のポリゴン!」
ポリゴンはラーレに頭を擦り付けた。
テツノカシラを見る。もう角は光っていない。
身体を翻す。今度こそ。暗闇の向こうへ走り去った。
足音が遠ざかり、小さくなる。やがて完全に聞こえなくなった。
「……」
「……」
誰も喋らない。数秒間沈黙の妖精が飛び回った。
「…………勝った?」
ラーレが呟く。
「勝った……というより」
ヒヒノキが座り込んだ。
「追い払った、かな」
「た、助かった…」
「研究者として厳密に表現するなら撃退に成功したというべきだね」
「どっちでもいいですって」
バシャーモまで呆れたように息を吐いた。
「あ」
ヒヒノキがバシャーモを見る。バシャーモも見る。一人と一匹。
「……」
「……」
「やったね、バシャーモ」
拳を差し出してみる。バシャーモはその拳を見る。ヒヒノキを見る。
そして。ごつん。拳と拳を合わせた。
「……へへ」
ヒヒノキが笑った。
「博士」
「何だい?」
「顔がすごいことになってます」
「えっ」
「砂と煤と涙と鼻水」
「最後の2ついらないよね!?」
「記録写真撮ります?」
「絶対やめて!」
「貴重な資料?」
「研究対象がボクになってる!」
ラーレがカメラへ手を伸ばす。
ヒヒノキが止める。
その横でポリゴンが浮かび、バシャーモが肩を落とす。
死闘を終えた直後とは思えない光景だった。
だからこそ。二人とも笑えた。
「しかし」
やがてヒヒノキが真面目な顔になる。
テツノカシラが消えた暗闇を見る。
「何だったんだろうね。あのポケモン」
「テツノカシラ、でしたっけ」
「うん」
「コバルオンに似てるけどコバルオンじゃない」
「生態も何も分からない。どうしてここにいたのかもね」
「写真」
「え?」
ラーレの動きが止まった。
「撮った?」
「……」
「ラーレくん」
「……」
ヒヒノキの顔からも笑みが消える。嫌な沈黙だった。
ラーレはゆっくりと首から下げたカメラに手を伸ばした。
「いやいやいや」
乾いた笑い。
「僕を誰だと思ってるんですか」
「コレクター」
「そう! 天下に名高いコレクター、ラーレです!」
「天下に名高いかは知らないけど」
「僕が未知のポケモンを目の前にして写真の一枚も撮ってないなんて、そんなことあるわけないじゃないですか!」
「じゃあ見せてよ」
「もちろん! 博士が頑張ってる間に必死に撮ってましたよ」
「あっ、だから戦闘を押し付けたのか」
ラーレがカメラを操作する。
撮影履歴。
1枚目。地下へ落ちる直前に撮った王城の床。
2枚目。穴。
3枚目。落下中に誤ってシャッターを切ったらしく、恐怖に歪んだヒヒノキの顔。
「消して」
「これはこれで希少価値が」
「消して」
「はい」
4枚目。暗闇。
5枚目。暗闇。
6枚目。バシャーモの後頭部。
「……」
「……」
7枚目。猛烈な勢いで迫る光の刃。
「おお! タキオンカッター!」
「肝心のテツノカシラが写ってない!」
「芸術点は高いですよ!?」
「研究資料に芸術点はいらない!」
「待って! まだあります!」
8枚目。地面。
9枚目。ラーレ自身の靴。
10枚目。何かから逃げている最中だったのか、天地が逆転したヒヒノキ。
「なんでボクばっかり写ってるの!?」
「被写体として魅力的なのかな」
「嬉しくない!」
「待って博士!」
ラーレの指が止まった。
「これ!」
「え?」
「写ってます!」
2人が液晶画面へ顔を寄せた。
そこには確かに。青い身体。2本の角。紛れもなくテツノカシラ。
「撮れてるじゃないか!」
「ほらね! コレクターを舐めてもらっちゃ困りますよ!」
「すごいよラーレくん! これなら未知のポケモンの貴重な資料に――」
ヒヒノキの言葉が止まった。
「……ラーレくん」
「なんですか?」
「これ」
「うん」
「すごく小さくない?」
「……」
画面のほぼ全域を占めているのはバシャーモだった。
その奥の遥か後方のさらに画面の端っこにテツノカシラらしきものがちょこんと写っている。
「拡大してみよう」
「そうしましょう」
拡大。粗くなる。
「もうちょっと」
拡大。さらに粗くなる。
「もうちょっと……」
拡大。モザイク状になった。
「……」
「……」
辛うじて青い。それ以外は何も分からない。
「これ……」
ヒヒノキが慎重に言葉を選ぶ。
「知らない人に見せたら『青い何か』だよ」
「そんな」
ラーレの手が震えた。
「僕は……」
「うん」
「コレクターなのに……」
「うん」
「未知のポケモンに遭遇して……」
「うん」
「写真を……」
「ほぼ撮れてないね」
「うわああああああああああああああああああっ!」
絶叫。
先ほどまでの悲鳴とは比較にならない。
テツノカシラにやられかけたときよりも遥かに悲痛だった。
「僕のテツノカシラがあああああああ!」
「君のじゃないよ!」
「一生に1度かもしれないシャッターチャンスがああああああ!」
「命が助かったんだからいいじゃないか!」
「よくない! コレクターですよ僕は!?」
「さっき命懸けでボクたちを守ってくれた人とは思えないな!」
「それとこれとは別!」
ラーレがその場に膝から崩れ落ちた。
「もう1回……」
「え?」
「追いかけよう!」
「絶対に嫌だ!」
「まだ近くにいるって!」
「だから嫌なんだよ!」
「ポリゴンも行くよ!」
さすがのポリゴンも後退した。
「バシャーモ!」
バシャーモも首を横に振った。
「なんで!?」
「むしろなんで付き合ってくれると思ったのさ!」
ラーレは絶望した。未知のポケモンとの遭遇。命懸けの逃走。ポケモンとの共闘。そして生還。
得られたものは数え切れない。
ただし。コレクターとしての戦果だけは。
「ゼロじゃないかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
その日。
メーシャ王城の地下から響いた最大の絶叫は、テツノカシラに襲われた時のものではなかった。
「なんだなんだ!?」
そしてその絶叫を頼りに、迷子がやってきた。
「ヤシオくん!?」
「ヤシオくん!」
「おお! 博士、ラーレさん! よかった無事だった!」
暗がりの向こうからヤシオが駆けてくる。
その後ろをアシュリーとハッサムが歩いていた。
「本当にいた……」
アシュリーは若干引いている。
「貴様、さっきから『こっちのような気がする』だけで進んでいただろう」
「でも着いたべ?」
「絶叫が聞こえたからだ!」
「結果オーライ!」
「貴様に道案内だけはもう絶対に頼まん」
アシュリーは汗を高級そうなハンカチで拭った。
「ヤシオくんも無事だったんだね、よかった」
「こちらのアシュリーさんのおかげだんべ、さすがはラフエルイチ、皆の人気者」
「持ち上げるな」
ヤシオはアシュリーを置いて2人のもとへ駆け寄った。
「怪我ねぇですか?」
「なんとかね」
「いやぁ、死ぬかと思ったよ」
「バシャーモも!」
ヤシオが駆け寄る。
「無事か!」
バシャーモの表情が明るくなった。ヤシオの胸へ拳をぶつける。
「いてっ!」
コツンコツン。
「悪かったって! 置いてったのはわざとじゃねぇから!」
コツンコツンコツン。
「わっわっ、ごめんて!」
コツンコツンコツンコツン。
「結構怒ってるね」
「そりゃそうだよ」
ヒヒノキとラーレが苦笑した。
「でも」
ヒヒノキはバシャーモを見る。
「助かったよ。キミのバシャーモのおかげだ」
「?」
「本当にね」
ラーレも頷く。
「博士なんて最後はなかなかだったよ。『右だ!』『跳べ!』『かえんほうしゃ!』って」
「ちょっとラーレくん!」
「マジで?」
ヤシオがヒヒノキを見る。
「博士、バトル苦手っつってませんでした?」
「苦手だよ! 今でも!」
「でもやったんですね」
「……まあね」
「へぇ」
ヤシオは笑った。
「バシャーモ、どうだった?」
バシャーモは腕を組んだ。考える。そして親指を立てた。
「よかったじゃないっすか!」
「バシャーモがそんな仕草するの!?」
「オレが教えた」
「なるほど」
妙に納得できた。
「それで?」
ヤシオが周囲を見る。
「テツノカシラは?」
「逃げていったよ」
「そっかぁ」
「ほら、お前のせいで散々な目に遭ったんだぞ」
アシュリーが呆れたように言った。
「急にいなくなるトレーナーがあるか」
「オレだって好きで消えたわけじゃねぇって」
「それでヤシオくんは何をしていたの?」
「コバルオンと戦ってた」
「「えっ!?」」
ヒヒノキとラーレが同時に叫んだ。
「本物の!?」
「Yes」
「本物って表現も変だけどな」
アシュリーが補足する。
「少なくともテツノカシラではない。コバルオンだった」
「ど、どどどどどこで!?」
ラーレの目の色が変わった。
「この先」
「写真は!?」
「へ?」
「写真! 撮った!?」
ラーレがヤシオの両肩を掴んで揺する。
「いや、オレは撮ってねぇけど」
「なんでぇ!?」
「戦ってたから」
「コバルオンだよ!? 今回の目的忘れたの!?」
「覚えてるって」
「だったら!」
「だってこっちはそれどころじゃなかったし」
ヤシオは不思議そうにラーレを見た。
「テツノカシラは撮れたんじゃねぇの?」
「……」
静寂。ヒヒノキが目を逸らした。ポリゴンも目を逸らした。バシャーモまで目を逸らした。
「え?」
ヤシオだけが分からない。
「ラーレさん?」
「ヤシオくん」
「はい」
「人間にはね」
「はい」
「触れちゃいけない傷があるんだよ」
「急に重いな!?」
「ヤシオ、放っておいてやれ」
アシュリーが肩を叩いた。
「何があったん?」
「聞かないでくれ」
「余計気になるべ!」
「それよりヤシオくん!」
ヒヒノキが割って入る。
「コバルオンを見た場所まで案内してくれないか!? まだ何か痕跡が残っているかもしれない!」
「おお。いいっすよ」
ヤシオは即答した。ラーレが顔を上げる。
「……まだ」
目に光が戻った。
「まだ間に合う?」
「少なくとも場所が分かれば調査はできる!」
「ヤシオくん!」
「おう!」
「案内して!」
「任せろ!」
「待て!」
アシュリーが叫んだ。
しかし遅かった。
「こっち!」
ヤシオが堂々と先頭を歩き出す。
ラーレとヒヒノキが続く。
「ちょっと待て!」
アシュリーが慌てて追いかけた。
「そっちは違う!」
「え?」
「コバルオンが消えたのは反対方向だ!」
「マジで?」
「つい数分前のことだぞ!?」
「いやぁ地下って景色似てっから」
「似てない! そっちは私たちが来た道だ!」
「あれ?」
ヤシオが首を傾げた。
「じゃあこっち?」
「そっちは壁だ!」
「おかしいな」
「何がおかしいんだ!」
ラーレの表情から希望が消えていく。
「ヤシオくん」
「ん?」
「まさかとは思うけど……」
「おう」
「コバルオンがいた場所、覚えてない?」
「いやいや」
ヤシオは笑った。
「さすがのオレでもそこまでじゃねぇって」
「よかった……」
「たぶんこっち」
「『たぶん』!?」
一同の声が重なった。
「大丈夫だって! こういう時は勘で行ったほうが意外とうまくいくもんなんだよ」
「さっきそれで1時間近く彷徨っただろうが!」
「1時間!?」
「そんな経ってた?」
「貴様は時計も読めんのか!」
ヤシオは左右を見比べた。
「じゃ、とりあえず右!」
「待てヤシオくん!」
「ヤシオ君待って! 僕のコバルオンが!」
「貴様は二度と先頭を歩くな!」
騒がしい一行が地下の奥へ消えていく。
その後ラーレのカメラにコバルオンの姿が収められることはなかった。
代わりに残されたのは、先頭を意気揚々と歩くヤシオの後頭部が42枚。
壁が13枚。同じ場所を3度通った証拠写真が6枚。
そして。道を間違えるたびに険しくなっていくアシュリーの顔が9枚。
後日。ラーレはそれらすべてを削除しようとした。
しかし1枚だけ。ヒヒノキがどうしても残してほしいと言った写真があった。
疲れ果てて床に座り込む3人。
「いやぁ、やっぱ地下って迷うな!」
その真ん中でまるで自分だけは何も悪くないとでも言いたげに笑っているヤシオ。
写真の題名は。
『用心棒』
撮影者ラーレは後日、こう語ったという。
「次から紐つけとこうかな」
なお本人の許可は取っていない。
そして。
その日は誰も気づいていなかった。
一行が去ってから、どれほどの時間が経った頃だろうか。
再び静寂を取り戻した孤高の住処。
人の足音も。ポケモンの鳴き声も。今はもう聞こえない。
その暗闇の中を。カツン。硬質な音がひとつ。
青い影が歩いていた。コバルオン。
その身体にはハッサムとエンペルトとの激闘の跡が残っている。だが歩みに乱れはなかった。長い通路を抜ける。
人の手によって作られたのか。あるいはもっと古い何者かが残したのか。今となっては分からない石柱の間を、コバルオンは悠然と進んでいく。
やがて立ち止まった。
振り返る。もちろん、そこにヤシオはいない。
ハッサムも。アシュリーも。
誰もいない。それでもコバルオンはしばらく闇の向こうを見つめていた。
人間を信じたわけではない。ましてや従ったわけでもない。捕らえようとするなら拒む。害そうとするなら戦う。それはこれからも変わらない。
ただ。今日ここへ迷い込んだ人間たちは、少し違った。
鋼の身体を持つポケモンと。そのポケモンと共に、何度倒されても立ち向かってきた男。
勝つためだけではない。捕らえるためでもない。拳を交えるたび。男は笑っていた。そしてハッサムもまた、応えるように戦っていた。
コバルオンが一歩を踏み出す。その足元。何かが落ちていた。小さな赤い欠片。ハッサムの鋼の身体から、激突の際に剥がれ落ちたものだった。
「……」
コバルオンが鼻先を近づける。しばらく眺めた。
やがて顔を上げる。
それだけだった。欠片を拾うこともない。もう一度振り返ることもない。
青い身体は静かに闇の向こうへ歩いていく。
その姿が薄れていく。そして完全に消える寸前。
遠く離れた通路から、微かに声が響いた。
『だからそっちはさっき通ったと言っているだろう!』
『いやでも今度はこっちな気がすんだって!』
『同じ台詞を三回聞いたぞ!』
『ヤシオ君! 僕もう足が限界なんだけど!』
『おっかしいなぁ』
コバルオンの耳がピクリと動いた。足が止まる。
「……」
しばしの沈黙。
そして青い影は歩き出した。
先ほどよりほんの少しだけ速く。
まるで二度とあの騒がしい男に見つからない場所を探すかのように。
静観の狭間は、再びその名の通りの静けさに包まれた。
ただ床には赤い鋼の欠片がひとつ。
この場所で確かに交わされたものの証として、いつまでも残されていた。
【ラーレさん、単刀直入にお伝えします。イッシュ警察本部に何者かが侵入しプラズマ団に関する記録を盗んでいきました。これをラーレさんに復元してもらいたいんです。あたし達だけじゃ手が足りなくって……先日プロ崩れの強力なトレーナーが本部近くで暴れたことがあったんです。警官隊でも歯が立たないくらいだったんですけど、イッシュのチャンピオンがやっつけてくれたんです。しかしそれが囮だったようでその隙にやられたみたいです。そのトレーナーの持ち物からラフエルとの通信履歴が見つかったんです。僕には関係ない〜って言われそうですけど、最後まで聞いてくださいよ? それで盗まれたデータなのですが、公表されていないんですけどプラズマ団がかつて使用したプラズマフリゲートという帆船型の要塞に関するものでした。この船の最大の特徴は冷凍エネルギーの主砲。街ごと凍結させる威力があります。これを使うにはとあるポケモンの力が必要なのですが──】