ポケットモンスター虹~交差する歪み~   作:ザパンギ

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『これはぼくの恋なのです。古ぼけた呼び名であっても激しくて、物静かで、それでいて優しい』


(プサルラ=キダムビ)


不可能のバラッド

 僕はネイヴュ行き砕氷船のシートに座っていた。その巨大な鉄塊は分厚い流氷を割りながら真っ直ぐに進み、ネイヴュ港に到着しようかというところだった。

 雲が大地に暗がりをつくり、外套を纏った船員たちや、閑静な港に不釣り合いな灯台や、ラフエル放送の広告板やそんな何もかもを気だるげな画家の油絵のように見せていた。

 ついに来た、それ以外の感想はなかった。

 

 

 港に停泊した船から乗客が慌ただしく降りてゆく。スピーカーからは控えめな音量でBGMが流れ始めた。その方面には疎い僕ですら知っている『ラプラスに乗った少年』のメロディーはこの雪国に似つかわしいものだった。

 その甘く優美なメロディーから逃げるように僕は船を降り、司法局の出先機関に駆け込んだ。

 

 役所仕事は大変だというのがなんとなくの認識だがラフエルの最果てにあるネイヴュ支部ともなればさらに気が滅入る。僕はそう思ってしまうがここの人々は誰も彼も真摯に職務に向き合っていた。

 

「ああ、トオルくんだね。話は聞いているとも。これが居住区への立ち入り許可証だ」

 そうだ。これが欲しかった。リングマのような強面の男性職員はトレーナーカードとバッジを確認するとすぐにパスを渡してくれた。

 

「それにしても顔色が悪いな。大丈夫かい?」

「大丈夫です、ありがとうございました」

 僕はそれだけ言い、出張所を出た。フローゼス・オーシャンの上空に浮かぶ暗い雲を眺め、この牢獄のような街の奥に足を踏み入れるために。

 

 世界一周旅行が当たった。幸運を喜ぶというよりこれまで無為に過ごしてきた時間を埋める何かが得られるのではないかという気持ちが勝った。

 記憶というのは実に都合よくできているものだ。その時は自分にとってのベストを追求していたとしても、今こうしてふりかえれば後悔に次ぐ後悔で細部まで塗り固められている。

 正直なところ大学に籍を置きながらも今回の一大決心に踏み切ったのは少しでもそれらから解放されたかったからだ。

 

 

 このネイヴュで何があったか。絶対の牢獄は破られ、閉じ込めていたものたちが溢れた。表面張力で震える水面に最後の一滴を投じた輩がいたということらしい。

 バラル団という連中のことを僕はよく知らない。社会に対して何らかの鬱屈とした不満が燻っているのなら別の方法もあるだろうに、軽率なことだ。

 

 

 降り積もった雪。同世代の女子ならば狂喜乱舞しつつフラッシュを雨霰と浴びせただろう。写真に映える眺めについて否定するつもりはない。

 

 ふと見ると出来の悪い雪だるまのようなものがあることに気がついた。ここの住民は避難しているらしいので、ここに駐在している誰かが作ったのだろうか。

 

「そうだな、僕ならこうやって」

 胴体だけで頭がついてないから違和感がある。手頃なサイズの雪玉を上に乗せてやればいい。

 

「待っちくり」

 作りかけの雪だるまに語りかけられれば腰を抜かさない人間はいない。僕もそんなところでマイノリティを気取るなどという高校生じみたことはしたくなかった。

 

 胴体のほうの雪玉が割れて中から赤い帽子を被っていた男の顔が現れた。

 どんな意図で雪のなかに潜っていたのかは分からないが健康に良くないことは明らかだ。

 

「何をしているんですか?」

 何者ですか、通報してもいいですか、など候補はいくらでもあったが一番優しいものを選択した。

 

「道に迷っちまって。雪にズボーり足をとられてたら頭の上に雪が積もるわ積もるわ……」

 

 彼の言う道とはルートではなくてライフなのかもしれない。本当の本当に深い問題ならば僕が立ち入るのはむしろ無粋に思えた。

 

「でもそんなとこにいたらさすがに風邪引いちゃいますよ」

「だいじだいじ。ヤシュウ男児はナンタイおろしで鍛えられて――ちょっと引っ張ってくれっかい」

 独特の訛りがあるがこの男は丁寧に言葉を選んでいるように思えた。そうか。

 

 立端のわりには軽く引き抜くことができた。彼はズボンのポケットからカイロを僕に手渡してにっこりと微笑んだ。

 

「助かったよ。あんがとます」

 こちらも礼を返した。

 

 彼は大きく両手を広げた。

「オレはヤシオ。旅のトレーナーだ。そんれにしてもルシエって前に来たネイヴュとよく似ている街並みだんべな」

 一瞬理解が追いつかなかった。ただひとつ分かったのはこの人が迷っていたのはライフではなくてルートだということだった。

 

「そんじゃありが」

 手刀を切りながらのとうは口の動きだけで終わった。ヤシオさんは雪原に倒れ伏し、そのまま動かなくなった。

 

 参った。病院などないし、港までこの人を連れていくのも厳しい。電話してもすぐに助けは来ないだろう。

 

 仕方なく彼を背負って歩を進める。体育会系ではない僕にとって鉛のように重い。このままでは共倒れだ。

 

 凍死だけはしたくない。徐々に奪われていく体温は死そのものより恐ろしい。自分だけならいくらでもなんとかなるが道連れがいる今、下手には動けない。

 

 

 そんな気持ちが天に届いたのか、遠くを男性が歩いているのを見つけた。地獄に垂らされたアリアドスの糸に声をかぎりに叫んだ。

 

「どうした。行き倒れかな」

 その男性はヤシオさんの額に手をやった。父さんよりは若いが僕よりもだいぶ上に見えた。

 

「熱があるみたいだ。とりあえずジムに連れていこう」

「ジム――もしかしてあなたはユキナリさんですか?」

 

「そうだ。とりあえず話は向こうに着いてからにしよう」

 ユキナリさんはマンムーを繰り出し僕とヤシオさんをその背中に乗せ、自らも飛び乗った。

 凍土から掘り起こされて息を吹き返したことさえあるというこのポケモンならばこの寒さも足場の悪い雪原も脅威になり得ない。

 

 ジムまでの雪原をマンムーは真っ直ぐに駆け抜けた。カロス地方では一部地域で移動に使われるらしいが他地方でも検討していいのではないか。

 

 流れていく景色が沈黙を忘れさせてくれた。僕は口が達者ではないしおそらくはユキナリさんもよく喋る人ではない。聞こえるのはマンムーの鼻息だけだ。

 

 ジムの応接室。ヤシオさんは薬を飲まされたうえで仮眠室のベッドに寝かせられた。

「改めて自己紹介しよう。僕はネイヴュシティジムリーダー、ユキナリ。まさかこんな時にPG以外の人が訪ねて来るとはね」

 

「トオルといいます。ラフエル地方のジムについて論文を書いています」

 要は大学生を苦しめる状態異常のようなものだと思う。

 

「すると君はジムに挑戦に来たのかな?」

 ユキナリさんはおそろしく乾いた声で言った。黒々とした彼の目は、僕を通りすがりの青年から氷雪の要塞を破ろうとする挑戦者へと映し変えた。

 

 この街に立ち入れるのは基本的には25歳以下かつジムバッジを6つ持った者に限られる。ここまでのラフエルの旅で僕もその条件を満たしてはいた。勝利を重ねてリーグを目指すわけではないが、より活きのいい論文を書くには勝たないまでもいい勝負をすることが必要になってくる。

 

「今すぐに相手をしようと言いたいところだが君にも休憩が必要だと思う。準備ができたら声をかけてほしい」

 そう言ってユキナリさんは出ていった。PGとしての顔も持つ彼は何かと忙しいらしい。そんななか時間を割いてもらっている以上ひとつの可能性を見せなければならない。

 

 準備というほどすることもないのだがヤシオさんの様子だけは確認しようと彼が寝ている部屋に入った。

 

 眠り込んでいるかと思ったが、彼はベッドから起きて乾パンを景気よく食べていた。まじまじと見るとがっしりとした体型とはいえない。彼を背負うのに悪戦苦闘した自分の馬力を疑ってしまう。

 

「ヤシオさん気分はどうですか」

「最っ高。それにしてもあんた誰だっけ?」

 

 そういえばこちらが名乗る前に彼は倒れてしまった。僕は椅子にかけて身の上について語った。

 

「ジム戦か。ここがルシエじゃなくてネイヴュだったのは驚いたけど観戦できるのはついてんな」

 ヤシオさんは目を丸くした。たぶん僕は相当驚いた表情をしたのだろう。

 

「オレにはそれが一番なんだ。そんなもんよ」

「起きてて大丈夫なんですか」

「だいじだいじ。ヤシュウ男児はニョホウおろしで鍛えられてるかんね」

 ナンタイはどこにいった。

 

 厚着したうえに毛布をすっぽりと被っているヤシオさんは平気だとは思うがこのジムは非常に寒い。そのうえジムリーダーがこおりタイプ使いとくれば寒がりはポケモンより先に参ってしまう。雪を被っていたような人間にはあまりに酷だ。

 

 

 寝巻きから着替えたヤシオさんとジムに向かった。ギャラリーがいたところで何も変わらない。

「来たねトオルくん。それでは試合を始めよう。使用ポケモンは君の手持ちに合わせて1体、相手を戦闘不能にさせたほうの勝利ということにしよう」

 

 窓から見えるジムの外の景色は散々たる状況だった。民家も商店も倒壊し巨大な何かが街を犯し、踏みにじっていったように見えた。ニュースや新聞で連日報道していたような人災ならどれほどの恐怖だったのだろう。

 外に気をとられユキナリさんの言葉は半分くらいしか届かなかったがここはやることをやるだけだ。

 

「ユキノオー、頼む」

 ユキナリさんが繰り出したのはユキノオー。くさとこおりの2タイプを併せ持つポケモンだ。冬と雪の権化という喩えも大袈裟ではないポテンシャルを秘めた強敵とどう戦うか、策は正直なところなかった。

 とくせいによってあられが降りだしたのもこちらにとっては痛い。

 

「ブースター」

 僕の手持ちは2体だけだ。さらに純然たる僕のポケモンという但し書きをつけるならばこのブースターしかいない。必然的にこのほのおポケモンが一番槍にして中堅、かつこちらの総大将に違いなかった。

 

「ブースター。相性をしっかりついてきたといったところか」

 ユキナリさんはそれ以上の評価をしなかった。本当はもう少しユキノオーを観察してから切り出そうとしたが頭の中で何かが弾けて、それが僕を追いこしてしまった。

 

「『だいもんじ』だ」

 タイプ一致でしかも相手の弱点を2つとも突いている。ユキノオーの実力を推し量るよりよほど建設的な一歩だと思った。

 幼少の頃から慎重だの思慮深いだの言われるがそんなことを耳にするたびに笑ってしまう。僕はこういう男だ。ひょっとするとユキナリさんもその点は読み違えたのだろうか。

 

「『ふぶき』」

 ユキノオーがその巨体から吹雪を発射しているというより発生している吹雪の核にユキノオーが存在するというのが近い。それらがどうこの戦いを左右するかまでは分からないが、先手をとったこちらの攻撃をさらなるパワーで打ち消した。

 

 炎と吹雪がぶつかってフィールドに靄がかかった。あられとともに目眩ましにするには心許ないがもう一度こちらのフルパワーをぶつけてみたかった。

 

「もう1回『だいもんじ』」

 ギアをいれる意味もある。ほのおタイプの技を連発することでブースターに文字通りのウォーミングアップを済ませたかった。

 

「いい技だ。威力も充分だし何よりトレーナーへの信頼を感じる」

 ユキナリさんが右手を挙げた。発声せずともユキノオーは彼の意思を汲み再びブースターの炎をかき消した。

 

 ヤカンにかけた火を消すような、子どもがバースデーケーキのロウソクを消すような、そんな決まりきった動作に重なって僕は自分でもわからない頭のどちらか片方が重くなった。

 

「しかし肝心の君に迷いがある。決断しているようでそれを裏打ちするものがない」

 

 大きな声ではないが音叉の響きのように体全体が震えた。僕はどんな顔をしているだろう。ブースターは、ユキノオーは、ユキナリさんはどのように僕を見ているだろう。そんな感情が止めどなく巡った。

 

「こちらからもいこうか。『こおりのつぶて』」

 ポケモンの技には確実に先手をとれるようないわゆる『出の早い』ものがある。でんこうせっかやマッハパンチなどそれなりに種類があるがこのこおりのつぶてはあられのせいで見えにくい。非常に厄介だ。

 

 避けるよう指示を出したが間に合わなかった。速さという尺度で表すことが適切なのかさえ怪しい。相性があるためダメージはいくらか抑えられているにしても危険だ。

 

「ブースター、『でんこうせっか』」

 スピードに乗ってしまえばブースターも一端のスプリンターになる。流れが相手にあるのでこちらも攻め方を変えたかった。

 

「『ウッドハンマー』」

 ユキノオーはこちらの技をあえて受け、無防備なところに棍棒のような腕のフルスイングを食らわせた。

 

 その図体ならば回避行動をとるよりもカウンターに備えたほうが合理的ではある。消耗すらリスクと考えない敵に追い詰められているのはむしろこちらだ。

 

「すぐにユキノオーから距離を」

「逃がすな、『じしん』」

 こおりタイプの弱点はいくつかあるがそのいくつかはじめん技で対策ができてしまう。当然ユキノオーが覚えていてもおかしくはない。

 

 揺れる地面から逃れるには大きく跳躍するしかない。

 

「『ふぶき』」

 迂闊だった。ジャンプしたブースターを強烈な吹雪が襲った。人間ならば病院送りになっていたであろう大技、ブースターは耐えたがその代償は大きかった。ここまで相手に読まれていた。

 

「大丈夫か?」

 ここに来る途中飽きるほど目にした氷の塊。ブースターはその中に囚われてしまった。声をかけるが応答はない。

 

「戦闘不能と受け取ってもいいかな。このユキノオーは数多くの挑戦者を退けてきた。たとえタイプ相性が悪くともそう易々と不覚はとらない。……降参、するかい?」

 これはきっと彼からすると何度も見た光景なのだ。技の餌食となって凍ってしまったポケモンとすがりつくトレーナーは切り取った日常に過ぎない。ギブアップの呼び掛けはせめてもの気遣いなのだろう。

 

 答えられなかった。ユキナリさんの言葉を借りるなら僕の迷いがそうさせた。この勝負を負けという形で終えても論文の作成上は問題がない。敗者ならではの視点というのを盛り込むのも悪くはないように思えた。負けたままが嫌なら何度だって挑戦しにくればいい。

 

「それでいいのか、それでいいのか僕は?」

 世界旅行を気楽に楽しむ苦学生としての役を演じることに後ろめたさを感じていたのではないか。様々な地方のジムの特色を探ることで叢書に名を連ねるだけでなく何かを変えたかったのではないか。そのためにあえて不安定な状況にあるネイヴュを訪れたのではないか。

 

 僕もブースターもまだやれる。いや、それは客観だ。僕もブースターもまだやりたい。

 

「いや、最後までやらせてください」

 ユキナリさんは小さく頷いた。10分の1秒ほど微笑んだ気がした。

 

「よく言った。トオル、こっから逆転いけっぺ。ブースターはまだ燃えてんぞ」

 半壊している観客席からヤシオさんが叫んだ。無視するのも忍びない、小さく手を振って応えた。

 

 もちろんまだやるといってもブースターは凍ってしまって動けない。必然的にユキノオーに先手を譲ることになる。

 

「ユキノオーとどめだ。『ウッドハンマー』」

 凍ってしまったことでブースターは自由を犠牲に鎧を得た。強力なこおりタイプの力によって構成された氷はブースターの体を外部の衝撃から守ってくれる頼もしい存在ともいえる。つまりユキノオーはブースターを直接殴ることでしかダメージを与えられない。吹雪も氷の弾丸も揺れる地面すら氷に阻まれる。

 

 ヤシオさんが身ぶり手振りで何か伝えようとしているのが気配で分かる。声に出さないのは勝負の公平性を守るためと解釈した。今回は間違えない。

 

 フレアドライブ。

 

 ブースターの高い攻撃力とほのおタイプの力を最大限に活かせる大技だが反動のリスクがある。そしてクリアしなければならない壁もある。

 ギリギリまでユキノオーを引き付けること。ユキナリさんに作戦を気取られないこと。一瞬で氷を溶かしてそこからさらに熱く熱く燃えること。

 

 ユキノオーが左腕を振りかぶる。その一撃は氷を突き抜けてブースターまで到達する。そんなビジョンが脳裏をよぎった。

 

「いまだ、『フレアドライブ』!」

 飯が絡めば馬鹿力を発揮するブースター。能あるムクホークこそ爪を隠している。

 

 そこからは全てがコマ送りに見えた。ブースターは一瞬で氷を蒸発させ、炎を纏ってユキノオーに突撃した。ユキノオーもフルパワーでそれを迎え撃った。離れて立っている僕たちにも伝わるほどの衝撃がこの勝負に幕を引いた。

 

 タイプ相性ではこちらに分がある。しかしユキノオーの実力とあられも含めたブースターの消耗まで天秤にかけると最悪の想像もできた。

 

 天気が晴れた。そこにはユキノオーとブースターが共に倒れていた。相討ちだ。

 

「なるほど。迷いがあったのは君ではなくて僕のほうだったか。学ばせてもらったよ」

 にこやかに握手を求めてきたユキナリさんの言葉を上の空で聞いていた。

 

「プリズンバッジだ。ネイヴュは氷と牢獄の街だけど、君の力は氷を溶かし牢獄すら打ち破った。お見事だったよ」

 引き分けでそこまで褒められてもどうしたらよいか困る。いくらジムリーダーは自らの判断でバッジを授与してもいいとはいえ逆に気まずくなった。

 

「よく見てごらん。ブースターはユキノオーの背中の上に倒れている。最後まで立っていたのは彼だ」

 ありがとうございます、バッジに恥じないよう精進します、台詞なんてなんでもよかった。

 駆け寄ってくるヤシオさんに今度は大きく手を振りながら僕は意識を手放した。

 

 

 

 その後僕は丸一日寝ていたらしい。目覚めた時にはヤシオさんはルシエに向かって旅立っていたらしくそこにいたのはユキナリさんだけだった。

 

 精神力が切れたのか寒さで風邪をひいたのかは分からない。それはどうでもいいことだ。

 

「また病人かと思ったが、むしろジム戦前よりいい顔をしているよ。若い世代にはそうあってほしいものだ」

 月並みな表現ではあるが心が晴れた。それが表層にも出ているのだろう。

 

「このままルシエジムにも行くのかい」

 それについては考えていた。

 

「もしよかったらなんですけど」

 この街にもう少しいさせてほしい。今のこの街だからこそ学ぶことがある。迷惑はできるだけかけない。僕はユキナリさんにそう頼み込んだ。断られたらどうしようというのは杞憂に終わったことも添えておく。

 

「それにしても熱い戦いだった。ヤシオくん以降の連勝も君で途切れてしまったよ」

 穏やかに語ってくれた。

 

「ヤシオさんもこのジムに?」

「まさかまたネイヴュに来ていてさらにジムの近所に埋もれていたなんてびっくりしたよ。とっくにルシエに着いてると思ってたからね」

 その言葉が意味すること。ヤシオさんもこのジムに挑戦し、そしてユキナリさんを破っている。あれだけクセが強い男ならそう簡単には忘れないだろう。

 

「ヤシオさんって強かったんですか?」

 失礼な質問だとは思う。しかし学生の陰に隠れていたトレーナーの血が呼び覚まされてしまったようで聞かずにはいられなかった。

 

 雪原に埋まっていた時から彼の目は輝いていた。自分の立つ位置に微塵の惑いもない、そんな目だ。今は僕もそうなのだろうかと気になった。

 

「面白い質問だね。もちろん僕を破ったトレーナーを弱いと評することはない。しかし彼の場合は強いというか、こう――」

 トレーナーではなく水や空気を相手に戦う感覚だったという。あまりに哲学めいていてその言葉の意味を噛み砕くことはできなかった。

 

「じゃあヤシオさんなら最後のジムリーダーにも勝てますか?」

「またまた面白い質問だ。ルシエジムリーダーのコスモスについて知っているかな?」

「ドラゴン使いの女の子ですか」

 

 間違ってはいないと思ったが今度は褒めてはくれなかった。

「あの子は天才だ。僕ら7人のジムリーダーに勝利したチャレンジャーでもそのほとんどが彼女の手持ちを1体も倒せずにやられてしまう」

 ドラゴンタイプのポケモンたちがいかに強いかは妹からしょっちゅう聞かされていた。彼らはおそらく僕には縁がないがどこか身近に感じる存在でもあった。

 

 7つのジムバッジを揃えたトレーナーを待ち受けるラフエルリーグ最後の門番。コスモスというのは人智を超えた化け物か何かなのだろうか。

 

「でもヤシオくんなら。もしかしたら違う結末を見せてくれるかもしれない。不落の飛竜(コスモス)が待ち望む天を墜とす英雄(ジークフリート)になってくれるかもしれない」

 昨日本土行きの船には乗せてあげたけど今ごろまた迷子になっているかもしれないけどね、とユキナリさんは笑った。僕も笑った。

 こんなに笑ったのは久しぶりだ。窓の外を見ると厚い雲の隙間から僅かに光が差してきている。

 

 今日はいい天気になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 とあるフレンドリィショップ。

 

「いんやそれにしてもトオルは凄かった。オレも負けてらんね、早くルシエに行かんとなぁ」

 

「あの。すみません。ちょっとよろしいでしょうか」

 

「なんですかい。あっ、そっちの棚のあなぬけのヒモを取ってもらえます?」

 

「はいどうぞ――ラフエル放送局の者です。実力あるトレーナーさんを是非密着取材させていただきたいと思いまして」

 

「それってテレビです?」

 

「テレビです! 全国ネットで流れますよ」

 

「やったぜ! どうぞこんなオレですけど密着してください! 嬉しいなぁ。ところであなたはどちらさんで」

 

「これは失礼しました。私はクロックと申します。よろしくお願いしますね、ヤシオ(赤い帽子のトレーナー)さん」




今回の執筆にあたりまして

@Joshua_0628 様の『ポケットモンスター虹 ラフエルの休日』

@HandstanD_p0l0d 様の『ポケットモンスター虹~A Aloofness Defiers~』

村上春樹 様の『ノルウェイの森』

を参考にさせていただいております

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