高校に上がってから二回目の六月を過ぎて、気温と湿度の両方が高い時期がやってきた。あの夏祭りからの毎日も特に変わることなく、一緒に通学して、授業を受け、わたしの作ってきたお弁当を食べてもらって、一緒に帰る。
そんな、なんでもないような幸せな日々が続く――はずだったのに。
「……むぅ」
――ラブレター。白い便箋に、ハートのシールという、いっそ男らしいほどの隠す気のなさ。あからさま過ぎてちょっと疑ってしまうほどのラブレターが、彼の机の中から出てきた。
床にかさりと小さな音を立てて落下したそれを拾って、注意深く便箋の裏表を確認しながら、彼はこちらを見てくる。
「うん? ……手紙、か? 愛歌が入れたのか?」
「いえ、残念だけど心当たりはないわ。……わたしならもっと直接的に行くもの」
それもそうか……と呟きながらもう一度注意深く見ると、躊躇わずにその封を開ける――って、ああ!?
「ま、待って。……その、今開けるの? ここで?」
「ああ。どういう要件にしろ、開けてみなくちゃ分からないしな」
「え……ええと、もう少し後がいいんじゃないかしら!? ほ、ほら、もうすぐ朝のホームルームも始まってしまうわけだし! ……心の準備も出来ていないし」
「ああ……まあ、それもそうか」
訝し気な目で見られながらも、なんとかパンドラの箱が開くのを遅らせることが出来た。とはいえ根本的な解決にはなっていないし、いつかは開かれてしまうわけなのだけど……
それでも、ラブレターを貰った彼の反応を直接見るのが怖くてしょうがない。……いえ、その、万が一にも誰かと付き合うなんてことがないのは分かっているのだけど? 記憶とか色々沈めてしまったことが原因で何か影響があるかもしれないし……もし、もしもの話だけれど、告白されてそれに頷く、なんてことになったら――
……あれ?
今、意識が飛んでいた、ような? ……あ。
「……愛歌? その机の上に散らばってるのは……筆ば、こ……?」
「ち、ちがっ、違うのよ!? これは……その、違うから!」
「分かった! 分かったから! 泣かないでくれ!」
無意識に握りしめていた筆箱が中身ごとバラバラに砕け散って、散らばっているところを見られた恥ずかしさで泣きそうになる。本当に無意識だったから粉々にしているところまで見られてしまった。
まるでわたしが怪力の持ち主みたいに見えたかもしれないけど、本当に違うから! 少し根源的なアレが出てきただけだから……!
……うう。
今日はいつもより少しだけ、気を付けて過ごすべきね。
……。
…………。
…………うー! 気になって何も手につかない!
「――愛歌?」
「わひゃあっ!?」
突然顔を覗き込まれて文字通り飛びあがるほどにびっくりする。ほんとに、いきなりそういうことをするのは昔から変わらないけど……心臓に悪いし、こ、心の準備的にも大変だし。
「悪い、そんなに驚くとは思わなかった」
「え、ううん。わたしの方こそ……あ、その、それで、手紙読んだの……?」
飛びあがるほど驚いてしまった恥ずかしさを誤魔化すために髪の毛の先を弄りながら、今日一日わたしの頭を悩ませ続けた事について問い掛ける。
よく考えたら、今日一日中驚いたり恥ずかしい思いをしたりし過ぎじゃないかしら……? あまりにもラブレターによる精神的動揺が大きくて、『沙条愛歌』を保てない。わたしは彼の考える『沙条愛歌』でないといけないのに。
「ああ……うん。愛歌にも、一応聞いてもらうかな。あれ、ラブレターだったんだよ。勘違いのしようがないくらいに直接、あなたのことがずっと好きでしたって書いてあってさ。けど、返事はなくてもいいとも書いてあったから、どうするかは迷ってる」
「へ、へぇ……そう、なんだ……」
思わず首に下がるネックレスを握りしめる。わたしが視たのは、夕焼けに染まる教室の中でわたしと彼が話している姿とか。雰囲気はそんな悪くは視えなかったけど……そう、よね? 別れ話(そもそも付き合っていないのだけど)とか、付き合い始めた報告をしているとか、そういったものでは、ない、はず。
しばらく煩悶していると、彼が心配そうに覗き込んでくる。
「愛歌……? 大丈夫か? 悩み事とかなら相談に乗るぞ?」
「その、ごめんなさい。でも、こればっかりはあなたには話せないっていうか……とにかく! あんまり『関係ない』から、もう忘れて?」
「っ……! あ、ああ。そうだよな」
実際は関係ないどころかむしろ彼のことだからこそ悩んでいるのだけど、まさか「あなたのことで悩んでるの……」なんて言えるわけもないので必然的に誤魔化すことになってしまう。
……少し、悪いことをしてしまったかしら。一瞬彼の顔が引きつり、それっきり無言になってしまった。
心を読んだりしていないから、彼がどう思っているのかが分からない。分からないから、怖い。もしもさっきの一言が原因で嫌われたりなんかしたら……! いえ、彼ならきっとそんなことはないもの。大丈夫、きっと……
「なあ、愛歌。君にとって俺は……なんなんだ?」
「え? それはその……改めて聞かれると、なんていうか、言葉に困るわ。ええと、あのね? 決して嫌いってわけじゃないのよ? ただ、真っすぐ言葉にしろと言われると困るっていうか、わたしとしてはもうちょっと雰囲気のある時にしたいっていうか……えへへ」
「……まあ、そりゃそうだよな。……はぁ」
何故か悲し気にため息をついた後、彼は目を合わせてくれなくなってしまった。
後から思えば、この時の不用意なわたしの言葉が彼を傷つけていたのは確かだった。けれど、この時のわたしはいろんな意味で冷静じゃなかったから……というのは言い訳ね。
この時のわたしは、彼があんなことになるだなんて思ってもいなかった――
あんなこと(完全に吹っ飛んだ思考で青森まで逃げようとか考えだす例の事件)
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