しんしんと雪の降る、ある深夜のこと――
何故だか眠る気にもなれず、さりとて友人らはもう寝ているであろう時間であり、テレビは古ぼけた井戸を映し出したまま沈黙しているという状況に暇を持て余した大学生がすることといえば何だろうか。
……そう、コンビニである!
ちょっと人に言えない本を買いに行くとか、深夜テンションのままよく分からないお菓子だの飲み物だのを買いに行くのは高校時代からの暇つぶし方だ。
というわけで、この雪の降るクソ寒い深夜の町中を雪を踏み鳴らしながら歩いているわけだが……
「なんでいるんですか、大家さん」
「あら、わたしがいると何か不都合でも?」
「いや、不都合っていうか……」
ちら、と横に視線を向ける。
まるで雪の中に溶け込むような着物姿の、たおやかな女性だ。肩にかかる程度の黒髪が歩く度に揺れて、仄かに花のような香りが漂ってくる。
隣を歩いているだけで、心臓の鼓動が止まらない。
俺の想い人が今まさに隣を歩いているこの女性であり、出来ることなら嫌われたくないというかむしろ好きになってほしいというか端的に言ってしまえば結婚を前提にお付き合いしていただきたいというのが本音である以上、変なことは言えない。
結果、言葉に詰まる。
しばらくあー、とかうー、とか答えあぐねていると、くすくすと楽し気な笑い声が聞こえてくる。
「別に、気にすることはないのに。あなたがちょっと人に言えないような性的嗜好を持っていたからと言ってむやみに言い触らすような真似はしないわ。……少し参考にさせてもらうかもしれないけれど」
「いや気にするでしょ。どう考えても知られたら色々と不味いし。誰よりも大家さんが一番知られちゃいけない人だって」
「心配しなくても、あなたのためにならないことは――あら、いけない」
不意に立ち止まった大家さんの方を振り向く。
いつも通りの、何を考えているのか分からない、しかし優しい笑みを浮かべている。
――その手に一振りの
「……それ、前のやつと違いますね」
「気付いたかしら? そう、新しいコ」
「で、なんでそんな物騒なモン持って歩いてんすか?」
「ほら、最近何かと物騒でしょう? 身を守るために必要になると思って。早速役に立ってくれたわ」
「ちょ、今なんか大変なこと言いませんでした!?」
慌てて周りを見回しても、特に人の死体だの赤い液体だのは見当たらず。ああまたいつもの冗談か、と安心する。
「いや、ほんとにやめてくださいよ大家さん。確かにこの辺は全然人通りもありませんし、誰かに見咎められる心配も少ないですけど――」
「約束、忘れたのかしら」
「ぐっ……」
数日前、俺と大家さんはちょっとした約束をした。
余りにも気恥ずかしく、ついつい忘れたふりをして逃れようとするのだがその度にこうやって大家さんは指摘してくるのだった。
「………………
「ええ」
ただ名前を呼んだ。それだけで嬉しそうにふわりと笑うのだからこちらとしては堪ったものではない。ちくしょう。可愛い。
思わずうっかりと、勢いのままに告白してしまいそうだった。
だがするわけにはいかない。その先に待ち受けるのはバッドエンドだ。
「……? どうかした?」
「いえ、何でも」
――両儀式。
『空の境界』における主人公であり、万物の「死」を視ることが出来る直死の魔眼を持つ女性である。ただ、本編ではほとんど姿を現すことのなかった『 』という人格のようだった。全ての始まりである根源に接続しているために、その感性は人のそれとは大きく乖離していて、やろうと思えば世界を意のままに改変することすら出来てしまうスーパー無敵お姉さんである。
転生者であるこの身をして驚愕せずにはいられなかった。
前世では突然に発生したゾンビの大群を前にショッピングモールに籠ったのはいいが、ついに破られたバリケードから入り込んだゾンビたちからまだ高校生の少年少女を守るべく、ここは俺に任せて先に行け! と叫んでかゆうまされた。
流石にそんな衝撃的な事件を体験しているからか、転生したことに関しては何の驚きもなかったが、大学進学と同時に引っ越した先の大家さんが両儀式という衝撃の事態に鼻血を吹きだし、玄関ホールを真っ赤に染め上げて倒れた。
以来何かと世話をしてくれる彼女とちょっとずつ仲を深めているのだが、そういう仲になるわけにはいかない事情があった。
彼女には既に結ばれた、あるいは結ばれるべき人がいるのである。
故にこの想いを打ち明けた所で受け入れられることは無い。まあ、それはいい。俺が彼女への想いを抱えたまま一生独り身でいたとしても問題はない。
ただ、彼女に好きだと伝えて困らせることだけはしたくない。叶うことならば彼女には何も知らないまま幸せになってほしい。
そう、思っていたのだが――
「で、何故腕を組むんですか?」
「もう夜は明けないのだから、少しくらい積極的になってみてもいいでしょう?」
「は?」
夜、は……そのまんまだろうし、明けないというのは一体……?
……深く考えても仕方ないか。この人はいつだってこうやって訳の分からないことを言ってこちらを惑わせるのだから。
「ああ、安心して? さっきは言いそびれてしまったけれど、あなたのためにならないことはしないから」
「いまいち信用ならないところがまた……」
けれども何故だか物凄い説得力を持っているのも確か。
この人が俺をどうこうしようと考えはしないだろう、と根拠のない信頼感があった。
「ここはもう、閉じられた夢。終わりのない夢幻。正直なところ、わたしもここまでする気はなかったのだけど……面倒なのに覗かれそうだったから、つい、ね」
「よく分かんないけどとりあえず大家さんが何かしたということは分かりました」
「……意外と忘れっぽいのね、あなた」
ちょっと拗ねたような言い方。
分かりにくいけどちょっと怒っている時のサインだこれ――!
「……式さん」
「忘れていた罰として今度から呼び捨てにしましょう」
「えっ」
こういう時、素直に従っておかないとこの人は更に面倒なことを要求してくる。
べ、別に呼び捨てくらいどうってことないし。こちとら精神年齢だけ見ればもうおじいちゃんの域に入るわけですし。女性の名前を呼ぶくらいなんてことないし。
震える喉を何とか動かし、声を出す。
「……………………し、式」
返事は無かった。
けれど、今まで見た中でもっとも嬉しそうなその笑顔を見ただけで彼女がどう思っているのかはわかる。
たったそれだけのことで、うだうだと考えていたことが全部どうでもよくなってしまうのだから俺も大概ちょろいやつだった。
だからなのか気のゆるみか眠気かそれ以外の要因か。
本当に何も考えず、その言葉を放ってしまった。
「――好きです」
あ、と思ったのも束の間。
ぴしりと動きを止めた彼女がこちらをじっと見つめてくる。
「もう一度、言って?」
気付いた時にはお互いの息がかかるような距離まで詰められていた。
今までなら考えられない状況に思考は既に溶けて、必死に守ってきた心もぐずぐずになって口から漏れ出す。
どうしようもなく惨めで、みっともない告白だ。
「――好きです。他に代えようがないくらい、好きなんです。駄目だと知っていても、困らせるだけだと分かっていても、それでも好きなんです」
言った。言ってしまった。
彼女に出会ってから一年……あれでも待てもっと長い期間だったような気が
「……そう」
小さく頷いた彼女はくすりと笑みを零して――
「これから末永くよろしくね。
そう、言ったのだった。
……おん?
つまり、なんだ。その……ええと。
「ん゛っ」
「あら」
急激に熱を持った顔と鼻腔。
瞬時に噴き出した血が真白だった地面を染め上げる。
薄れていく意識の中で彼女の驚いたような顔を目に焼きつけながら、瞼を閉じた。
――それからの日々に特筆するようなことはない。
俺と彼女の関係性にも、大きな変化はない。
変わったことと言えば……そう。俺が大家の仕事を手伝い始めたことと、彼女が少し甘えてくるようになったことくらいだ。
辛い……Wi-Fiないの死ぬほどつらい……
お蔭で花騎士もオトギもアイギスもブレガも艦これもかんぱにも全部出来んもん……
早く研修終わんねーかな
次の話は?
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