「こ……ここは……」
目が覚めると、ノエルは見知らぬ場所にいた。
見渡すとそこが廃工場だということがわかる。薄暗く錆び付いた鉄の匂いが漂ってくる。
そして気づけば自分は手足を拘束されており、身動きが取れない。
「ど、どうしてこんなことに……」
「お目覚めか? 図書館の雌犬」
「ひっ!」
何がなんだかわからなくなっているノエルに話しかけてきた強面の大男。
ノエルにはそれが"敵"であることがすぐにわかった。
ノエルは強気な口調で男に質問する。
「ここはどこですか!? いったい何があったのですか!?」
その質問に、男は余裕を持って答えた。
「ここは俺達のアジトだ。そんでもって姉ちゃんは俺達にさらわれたのよ……悪いが交渉の道具になってもらうぜ」
「さ……さらわれたって……」
ノエルは信じられない物を見たような顔になった。
そう、ノエルは今、統制機構に反逆する組織、いわゆるテロリストにさらわれた状態にあったのだ。
いったいなぜこんなことになったのか、それは今から5時間前までさかのぼる。
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5時間前、いきなりノエルがジンに怒られるシーンからそれは始まる。
「はぁ、この報告書も書き直しだクズめ」
「す……すいません」
見慣れたいつもの光景である。
ノエル・ヴァーミリオンはイカルガの英雄であるジン・キサラギの部下でありながら、戦闘以外はからっきしといういわゆる"ドジな部下"であった。
いつも何かする度にミスが付きまとい、簡単な仕事でさえも何かが抜けている。
そのたびにジンが怒り、ノエルは謝る。
特にノエルがクッキーを作ってきた日には、ジンのユキアネサが暴走する始末である。食ったら死ぬというのにノエルが懲りずに作ってくるからである。
そんなこんなで今回もノエルはジンに怒られているのである。
「まったく、そろそろ私の方も新しい秘書を雇うことを考えておかねばならんな」
「そ……そんな~」
ノエルのそのいやがる反応に、ジンは当たり前のことを言うように……。
「出来ない部下など僕には必要ない、そのことをふまえて次から仕事をするのだな……特に、"敵に情報を漏らすようなこと"があったらその時は貴様の命を持って制裁してもらうぞ」
ジンはそう言ってノエルを部屋から追い出した。
ノエルは落ち込みながらもパトロールの仕事があったためカグツチの街中へと出向く。
そこでパトロールと言うことも忘れ、遠くを見てトボトボ歩いていた……そんな時であった。
「私……だめなのかな……」
ドン……。
ノエルがブツブツと呟いていると、話の冒頭に出てきたあの強面の男に正面からぶつかった。
ノエルが気づくと同時に、睡眠薬を飲まされ誘拐……そして拘束監禁までにいたったわけだ。
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これが、現在のノエルの状況の経緯である。
ついさっきジンに、敵に情報を漏らすようなことがあったら、等を言われていたためにノエルは本気で焦りを見せる。
なんとかここから出なければ、しかし拘束術式が思いの外頑丈で、おそらくどこからか流出した統制機構の術を行使しているのだろう。
このままでは……ノエルは若干涙目になる。
「悪く思うなよ、俺達も図書館の連中には色々としてやられてるのよ、そうだ……てめぇらはうざってぇんだよ。おかげで俺達のような裏社会の人間はまともに金も稼げない」
「ぐ、悪いことをして巨額を稼ごうなど豪語同断! 今すぐ私の拘束を解いて、そしておとなしく自主しなさい!」
「てめぇらはいつもそうだ。正義だ正義だ正義がどうたら……じゃあ聞くがてめぇらの正義ってのはなんだ? 力で弱い人間を押さえつけるそれのどこが正義なんだよ!?」
そう言って男はノエルの腰に入ってる携帯電話を奪い取った。
「な、何をするんですか!?」
「お前、あのジン・キサラギの直属の部下なんだろ? ならいい交渉道具になるよなぁ? 情報とかめちゃくちゃ知ってるはずだ。その英雄にちょっと電話かけさせてもらうぜ」
「な……うぅ、ごめんなさい少佐……」
ノエルは本気で自分を情けなく思った。
仕事もろくに出来ない上に、こんな小悪党にさらわれてしまったのだから。
きっとジンは呆れてものも言えないだろう、こんな私を軽蔑するだろう……。
しかしノエルの心の中ではこんな一筋の光もあった。
きっとジンは、なんやかんやで助けてくれる。本部で私の居場所を関知しすぐさまかけつけてくれると……。
そして男はジンに電話をかけた。
プルルルルルルガチャ……。
「はいこちらジン・キサラギ、どちらさまですか?」
相も変わらずジンはノエルの携帯番号を登録していないようだ。
大丈夫かな……ノエルは少々不安になる。
「よぉ英雄様よ、ちょっとお宅の部下を預かったわ。ちょろいもんだったよ~」
「……なに? ノエル・ヴァーミリオンを?」
電話から色々と会話の声が聞こえてくる。
ノエルは信じて、それを聞くことしかできなかった。
「んでよ、そのノエルちゃんはお前にとって大切な秘書官なんだろ? ならばそれ相応のものを払ってもらわないと……」
男がそこまで言ったら十分、ジンは顔色を変えずにこう答えた。
「あぁなんだその程度のことか。あぁ私だ、今すぐ他の秘書官を用意してくれ」
そう電話越しから聞こえた。
あれ、もしかしてこんなにあっさりと……。
ちょっとまってこの展開って……。ノエルの顔色が少しずつ青ざめていく。
「お……おいおい英雄よぉ、お前の秘書官は色んな情報を……」
「はん……この私がそのような出来ない部下に色々な情報を提示すると思っているのか? よくてレベル2までの情報、一般人でさえ知れる程度の情報しかそいつには与えていない」
男の言葉に対してジンは鼻を鳴らした。
男はまさかといった顔でノエルの方を見ると、ノエルは黙り込んでいた。
確かにこんないとも簡単に捕まるような英雄の秘書官、これははったりなどではない……本気だった。
「というわけで犯人とやら、貴様らはそいつをさらった時点で時間の無駄だ。私はそいつを助けたいなどと微塵も思っていないし、ましてやそいつの身代金に1プラチナダラーも払うつもりはない」
「そ……そんな……少佐……」
ノエルはジンの言葉の数々に絶句した。
言葉が出ないとはこのことだ。予想していた通りの展開というか予想以上の展開が待ちかまえていた。
ノエルは今、完全にジンに見捨てられたのだ。
「んだよおい! ジン・キサラギがここまで冷徹な男だったとは聞いてねえぞ!!」
男もさすがに焦りを見せ始めた。
男もノエル自身も、ジンに完全にしてやられたのだ。
そして最後にジンは、とどめの一言を言い放った。
「そういえば私レベルの直属の秘書官になったやつの心臓には、超小型爆弾が埋め込まれているとか聞いたことがあるな。いざという時にその部下がヘマをやらかした際に切り捨てられる要に」
「な、なんだとーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「そ……そんな……そんな……そんなそんな……」
男はあまりの驚きで顔が真っ青になり、ノエルに至ってはもう絶望しかないような顔で涙を流していた。
そんなノエルに伝えるように、ジンはこれでもかというくらいまで電話越しにこう話し出した。
「おい障害……」
「ひっ!」
「私は言ったはずだ……"敵に情報を漏らすようなことがあったらその時は貴様の命を持って制裁してもらうぞ"……とな、こんなくだらん連中のために貴様を肉爆弾にするハメになったわけだが……哀れだな。貴様の人生クソゲーだったな」
「あ……あぁ……」
そこまで言ってジンは、電話をガチャと切った。
もうノエルに救いの手はなくなった。そして絶望してるのは男も同じであった。
男の部下はすぐさま男にかけよる。
「兄貴! どうします!!」
「くそ! おい女! 今すぐここから離れろ! 拘束も解いてやる!!」
男はノエルに対してそう叫び、拘束をはずそうとしたのだが……。
「あは……あははは……あはははははははははは!! そうですね少佐!! 私の命で最後にあなたに貢献できるのなら……あは、あははははは!!」
「こ……こいつ壊れてる……」
ノエルは完全に壊れ、例えるならテンションがマックス時のニューみたいな笑い方をしている。
こうなっては拘束を解こうが解くまいが、ノエルは意地でもここを離れないだろう……。
そして壊れたノエルは、もう全てを投げ出すようにこんなことを言う始末。
「ふふ……ふふふふ……どうせ最後の時ですからねぇ……私の体使って好きなことやってもいいですよぉ……」
「おい……この小説R-15指定までしかしてねぇぞ……」
もうこれはだめかもしれない……。
犯人達とノエルが全てを諦めていた、その時……。
パリパリパリ……ガシャーン!!
突如入り口側から、何かが砕けたような音が工場内に響き渡った。
「!?」
「おっと、散歩に出かけたらこんな鉄臭いところまで来てしまった」
そこにいたのはなんと、先ほどまで電話で散々なことを言いまくっていたジンであった。
剣を片手に、ユラリユラリと近づいてくる……。
犯人の男はジンに圧倒され一歩下がる……。
「ぐぅ……ジン・キサラギ!!」
「さてと……ノエル・ヴァーミリオン」
「うへへへへへへ……くくくくく……」
壊れ果てたノエルを見て、ジンは哀れみを秘めた顔で犯人に向かってこう言った。
「ここまで壊れるとは……貴様ら、いったいこいつになにをした?」
「全部おまえのせいじゃ!!」
他人事のように言うジンに男は全力でツッコミを入れる。
ジンは全く反省の色を見せてはいなかった。
「暇だったから助けにきてやったものの、まさかあの程度のことを言っただけでこうまで壊れるとはなぁ」
「1円の価値もないとか肉人形だとか人生クソゲーとまで言ったのがあの程度て……」
男はなぜかノエルに同情した。
もしかしたらこの人はいい人なのかも知れない。
一方で正義側なのに何故か悪い人みたいになってしまったジンは、その得物を犯人の男につきつける。
それを見た男は、ノエルを人質にとって防戦一方に……。
「ぐ……だが結局貴様はこの女を助けに来たってわけだ! こうしてればお前は動け……」
「氷翔剣……」
「動け……へぇ?」
その氷翔剣は犯人と同時にノエルの頬をかすめた。
ジンには躊躇が無い。犯人を殺るならノエルごと剣で貫くつもりだ。
あ、こりゃノエル人質にしても効果ないかもしれない、男は心底そう思った。
「むしろその女を殺してくれれば、ものの3秒で貴様らをかたつけられるのだが……」
「こ……殺される!!」
「だが、犠牲も払わないくらいの完璧さが私の主義……なのでな」
そう言い終わるとジンは剣を鞘に収めた。
「な……なんだ……?」
「回りを……よく見てみろ」
「い……いったいなに……!?」
そう、男が回りを見渡すとそこには、先ほどまで立っていたはずの部下が……。
全員血まみれでそこに倒れていたのだ。
何気ない会話で男に気配を気づかせないほどの瞬撃で、このアジトに入ってきたその直後に男の部下は全滅していた。
ジンは不気味な笑顔を男に見せ、そしてユラリと近づいていった。
「や……やめろ!!」
「ヴァーミリオン少尉、そいつを抑えていろ……貴様ごと殺る……」
「ふふふふふ……」
「く……くそ!!」
男がノエルを突き離し、その場から離れたその瞬間。ジンが刹那の早さで動く。
その時を待っていたかのように、巧みな話術で男をノエルから引き離し、彼が逃げ出したところを一撃で沈める。
ジンは先ほど言ったはずだ。"犠牲を払わないくらいの完璧さが私の主義"……と……。
「最初から、その女を助けるつもりだったな……?」
「あぁ、こんな使えない部下でも……自己満足程度にはなるからな……」
「ちぃ……くそ……が……」
そういって男は口を開かなくなった。
その時のジンの顔はとてもつまらなそうにしていた。まるで何かが物足りないかのように……。
この程度では彼の渇きは飢えはしない、彼の渇きを飢えさせるものこそ……。
――ラグナ・ザ・ブラッドエッジ。
彼という存在、ただ一人なのだから……。
そしてジンはノエルの方へと顔をやった。
「さてと障害……いいかげん現実に帰ってこい」
「…………は!? キサラギ少佐……? なぜこんなところに……? 犯人は……!?」
「貴様は夢でも見ていたのではないか?」
ノエルの質問攻めに、ジンは呆れるようにそう答える。
ジンはそう言うものの、それが夢でないことはノエルにはすぐにわかった。
その男は血を流して倒れているし、工場もそのままだった。
これは間違いなく、ジンがノエルを助けに来てくれたという事実そのものであった。
ノエルはその事実認識すると、顔を赤らめ最大限の感謝と謝罪を述べた。
「あ……ありがとうございます少佐! そして申し訳ございませんでした!!」
「貴様がドジを踏むのは日常茶飯事だ。それくらい取り柄の無い部下がいないと暇するのでは……」
そしてジンは帰り際、訂正するようにこう言葉を付け足した。
「勘違いするな、貴様のためにしたわけではない」
「……ふふふ、はい」
こうしてノエルは、ジンのその背中を追ってその場から去っていった。
ノエルはこの時改めて、ジンを心の底から尊敬したという。
いつも粗雑な扱いをしてくる少佐であるものの、ほんのちょっぴり、ノエルのことを思ってくれている。
その気持ちが、ノエルにとっては満足であった。
そういえば……。ノエルはあることをジンに質問した。
「時に少佐……私の心臓に埋め込まれている爆弾の話なのですが……」
「あぁ、あれは嘘だ」
あの話は嘘であった。
ノエルは心の底から安堵し、膝から地面に崩れ落ちたという。