Fa#e/also sprach "FAKER"   作:ワタリドリ@巣箱

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Prologue

 一九四五年二月十三日――ドイツ東部はドレスデンにて。

 時刻はやがて午後十一時を回ろうかという頃合いであったが、古都は煌々と輝いていた。

 街中を埋め尽くすのは橙色の光――燃え盛る炎。街全体を炉の薪としてくべるが如く、大地は炎に舐め尽くされていた。

「糞ッ、連合国の野郎……今更この街を焼くことに何の意味があるってんだ」

 ヴァルター・ゲルリッツ親衛隊曹長は苦々しげに毒づいた。彼の任務は被害状況を確認することであり、つまりは否応なしにこの街の生傷を目の当たりにさせられるのだった。

 英国空軍のランカスター爆撃機が上空に飛来したのは、夜の十時を過ぎた頃。海を隔てた島国から訪れた鉄の鳥たちは、この美しい街にも容赦なく地獄の卵を産み落としていった。諸外国では武装親衛隊の非道が憤られているが、この惨状を前にしては、怒りの拳を振り上げる彼らとて同じ穴の狢としか思えない。ヴァルターは傍らに控える部下に痛ましげな目を送る。

「…………」

 引きつった笑みを浮かべながら瓦礫の山を眺めているのは、まだ二十代という年若い青年――ヨアヒム・ブラウナー。聞けば彼はこの街の出身であり、更には目の前の瓦礫こそ彼の実家に他ならなかったのだとか。

 青年はありとあらゆる感情を失った虚ろな目で、かつて自分の家だったものを呆然と見つめていた。母と妹が心配だと真っ青な顔をしていた頃の方が、よほど生気に満ち溢れていた。

「俺は先へ進む。貴様はここで休んでいろ」

 敢えて無感動を装いながら、ヴァルターは言った。返事はない。

「……早まった真似はするなよ」

 けれどもその言葉にだけは、微かに首肯する気配があった。後ろ髪を引かれる思いがしながらも、ヴァルターは任務を遂行するべく、ヨアヒムをその場に残して、次なる町区へと移動した。

「…………」

 再度、問いたい。あの青年に対してもなお、振り上げた拳を下ろすことができるのかと。それがお前たちの口にする正義なのかと。

 正義。その言葉を脳裏によぎらせただけで、不意に自嘲するような笑みが零れた。果たして自分は正義などという漠然としたもののために戦ったことがあっただろうか。

 否――彼はただ、祖国を守りたかっただけだ。先の大戦に引き続き、幾度となく辛酸を舐めさせられ続けているこの国の、せめてもの一助となりたかっただけだ。

 だのに、一体どうして自分たちはこんなところへ来てしまったのだろうか。

 

 都市内の主要箇所を一通り見て回ってきたところで、ヴァルターはヨアヒムを置いて残してきた町区へと戻ってきた。

 街中では生き残った市民たちが懸命に消火活動を行っており、真昼もかくやというほどの喧噪に包まれている。そんな中で、ぱぁん、という銃声を聞き漏らさなかったのは、ひとえに彼がその音色を聞き慣れた兵士であったからに他ならない。

 はっとして、ヴァルターは弾かれたように駆け出した。杞憂であってくれればいい。そう願いながら。

 しかし現実はいつも残酷だった。幾度となく乗り越えた戦場の中で、その真実は嫌というほどに知ってきたにもかかわらず、それでもやはり悲嘆せずにはいられなかった。

 ヨアヒム・ブラウナーは拳銃で自身の頭を撃ち抜いていた。即死しただろうことは一目瞭然だった。けれども不思議とその死に顔は晴れやかで、嗚呼、こいつは死んだ家族に会えたんだな、と妙に安心した。自殺した人間は死後に地獄に落ちるというのは、もしかすると迷信なのかもしれない。

勝利(ジーク)…、万歳(ハイル)…………、――くくっ」

 けれども、どうしたことだろうか、こうして眦から涙が溢れてしまうのは。たった一滴――されど一滴。涙など疾うに枯れたものだとばかり思っていたのに、どうやらこの青年の死を悼むための最後の一搾りが残されていたようだ。

 脆い。人の身の、その命の、何とも脆いことか――。

 その時、ヴァルターの心中をよぎったのは、若者の死に対する悲嘆であり、若者を死に至らしめたことに対する憤怒であり、つまりは悲憤慷慨に類される想いであった。

 

「――O Freunde, nicht diese Töne!

 Sondern laßt uns angenehmere

 anstimmen und freudenvollere.」

 

 先の銃声も唐突であったが、しかし場違いのほどで言えば、この歌声には決して勝らなかったことだろう。そしてその音色を――調子っ外れな声音ながらも、その声の主が歌おうとしている曲の名を、その作曲家を、ヴァルターはよく知っていた。

 否、この国の誇るかの偉大な音楽家の名を知らぬ国民などいるはずがない。我らが総統閣下はワーグナーを甚くお気に召しているようだが、ヴァルター個人の感想を言わせて貰えば、彼は楽聖ベートーヴェンの音楽こそ至上と信じて疑っていない。

 だからこそ、耳をつんざく金切り声で交響曲第九番が奏でられることは、ひどく癇に障ることなのでもあり。ましてや戦火に焼け出されたこの状況下で口ずさむものでは、もっとない。

 

「Freude, schöner Götterfunken,

 Tochter aus Elysium

 Wir betreten feuertrunken.

 Himmlische, dein Heiligtum!」

 

 なおも歌は続く。音痴にも程がある。――否、その割に音程の外し方には一定の特徴がある。これはわざと巫山戯た歌い方をしているのか。

 とはいえ真相が何であるにせよ、許されざる行いであることに変わりはない。一刻も早く、この忌まわしくもある呪歌をやめさせたい。

 果たしてヴァルターが走った先で待ち受けていたのは――一人の東洋人であった。

 おそらくは同盟国の出身者だろう。が、その男を一目見た瞬間、どうしてかヴァルターはこう思った。まるで――死神のようだと。

 手足の異常に長い男であった。更には髑髏のように骨張った顔立ちの持ち主とあって、そのシルエットは骨格標本のようでもあり。

 また男の衣装は、ヴァルターたち武装親衛隊の制服に似て非なるものであった。けれども彼が必ずしも同胞でないと確信を抱けるのは、その腕章に描かれた意匠がヴァルターたちを束ねる鉤十字とは似ても似つかぬものであったからだ。

 男の歌は不意に止んだ。男がヴァルターのことなど眼中にないことは――男がヴァルターのことなど塵芥ほどにも気に留めていないことは、直感的に察知している。

「やれやれ……やはりハイドリヒを欠いた状態で錬成を試みるのは無謀でしたか。まぁ、あの程度で死ぬ以上は、所詮はその程度の男だったということなのでしょうが――」

 遠い異国の言葉で男は呟いた。ゆえにヴァルターにはその意が解せない。が、それでも〝ハイドリヒ〟という名だけは、かろうじて聞き取ることができた。《黄金の獣》との異名を取ったかの冷徹な高官の名は、末端に程近いヴァルターの耳にすら届いていたほどであったから。

「とはいえアインツベルンの秘儀を再現することには概ね成功した訳ですし……何より宣伝省の雇われ占星術師が生み出した秘術というのも実に興味深い。とりあえずは、これだけで得るものはあったと見なしても良いでしょうね」

 男は何やら思案し、そして一応の納得を得ることができている様子だった。悲嘆と憤怒だけが支配するこの火事場において、どこか物柔らかですらあるこの男の雰囲気は、有り体に言って異質であり――そしてその愉快げな表情が部下を喪ったばかりであるヴァルターの神経を酷く逆撫でした。

「……ッ!?」

 刹那の後、男と目が合った。やはり男はヴァルターの存在に特別驚いたような素振りは見せなかった。が、代わりに値踏みするような目を向けられていた。

 皮の張り付いた髑髏に見据えられて、自然と肌が粟立った。まるで心の奥底までも見透かされているかのように錯覚する。

 ヴァルターの何が男の興味を惹き付けたのか。少し考えて、不意に浮かんだ答えは――この男に対するヴァルターの殺意であった。幅広くは敵意と呼べるもの、即ち男は〝敵〟としてヴァルターの存在を認識したのではないだろうか。こめかみを冷たい汗が滴る。

 ややあって、男は場違いにも人懐こい笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。まるで商人が商談を持ちかけようとしているかのような態度だ。予想外の展開に、軽く毒気を抜かれるヴァルター。

「失礼――」

 と、その男は思いのほか流暢なドイツ語で、こう切り出した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 その突拍子もない台詞に、ヴァルターは思わず絶句する。完全なる不死の軍団――一体何の世迷い言だ。命あるものは必ず死ぬ。それは絶対不変の真理だ。数多くの戦場で、そしてたった今この街で、その事実を何度となく再確認させられてきた。

 ――いや、或いはこの男もまた、戦災の衝撃で心を病んでいるだけなのかもしれない。

 であるならば、この地に足が付いていないかのような、浮世離れした雰囲気にも得心がいく。寝る暇もなく銃火に晒され続けた結果、心を病んでいった同胞たちもまた、ヴァルターの知る限りでも両手どころか両足の指にさえ余る。

「いやいや、アナタを驚かせるつもりはないのですよ。これは世間話――と言うには少々込み入っていますが、ええ、そうですね……端的に言って、アナタの願いを叶えるお手伝いをさせて頂きたいと、つまりはそういうことでして」

「俺の、願い……だと?」

 ええ、そうですとも、と男は頷く。

 男はロクジョウと名乗った。東洋人の名には疎いので、それがファーストネームなのかファミリーネームなのかは解らない。一方でロクジョウは親しげにヴァルターの名を呼ぶ。

「アナタの目を見れば解りますとも、ヴァルター。我らが戦友(カメラード)! アナタは数多くの死を目撃し、そのことに絶望してきました。そして絶望の果てにこう思われたことでしょう――人間の命の、何と脆いことかと。……嗚呼、ちなみに日本語では〝ハカナイ〟と言うのですがね」

「…………」

「我々が(いざな)って差し上げましょう――不死の境地へ」

「……ッ!?」

 ロクジョウの言葉が鼓膜を震わせる都度に、脳が痺れる。

 本能が警告する。これ以上、この男の言葉に耳を傾けてはならないと。

 その一方で、本能が歓喜する。この男の言葉には真実味が伴っていると。

 むろんその真偽など常識で計り知れるものではなく、信じるに足る確たる証がある訳ではない。だが違うのだ。理屈ではないのだ。本能よりもなお深い領域にて確信を覚えているのだ。

 言うなればこれは――魂を揺さぶられているのだ。

 そうとしか形容しようのない感覚がヴァルターを襲う。

「……貴様たちの軍門に降れば、何を手に入れられる?」

 それは親衛隊への不忠ではなかろうか。脳裏の片隅、かろうじて残った冷静な部分が囁く。

 ――ロクジョウはにぃと唇の端を吊り上げた。

「むろん、完全なる勝利を」

 だがその言葉を境に、いよいよヴァルターの思考は狂熱に呑み込まれた。

 勝利。そう、勝利。

 それぞ我らが祖国が最も欲するもの。忠誠こそ我が名誉――然れば〝勝利〟を捧げることこそが真の忠誠に他ならず。

 炎上する古都、やがて滅び行く国の象徴とも言うべきその場所に置いて、一人の兵士が声高らかに咆吼する。

 

「ジークハイル・ヴィクトーリアァァァァァ―――――ッ!!」

 

 それがヴァルター・ゲルリッツという男の最期の叫びであり――そして不死の頂に手を掛けた魔人の戦奴として生まれ変わった者の産声でもあった。

 

     †

 

 ちなみに、と灰燼に帰した古都を歩みながら、六条(ろくじょう)紅虫(あかむし)は呟く。

「今度の爆撃は、どうやら我々の〝儀式〟を邪魔しようとする意図が働いているようでしてね……一体どこの誰でしょうね、時計塔と政府との間に繋がりはないなどと戯れ言を口にしていたのは」

 後に〝戦略上不必要〟と指摘されることになるドレスデン爆撃。

 その真相は、しかし誰にも知られることなく、歴史の闇へと葬り去られるのであった――。

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