Fa#e/also sprach "FAKER"   作:ワタリドリ@巣箱

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宿命の夜(2)

 自主練中の生徒や、放課後の教室にたむろしている生徒たちに早く帰るように伝えるのは、思ったよりも難しいことではなかった。やはり例の通り魔事件の四件目が、この学校からもそう遠くない場所で起きたという事実は、それなりに動揺を誘ったようだ。事件の存在をちらつかせると、大半の生徒は痛いところを突かれたという顔をして、帰り支度を始めてくれた。

「近所だからって、野次馬はしていくなよ」

「ばーか。俺がそんな不真面目な奴に見えるかよ。大人しく家に帰って布団被ってるさ」

「いや、それはそれでビビり過ぎだろ」

 生徒の背中を見送りながら、また一つメモ帳にチェックを増やし、いよいよ最後の難関――例の〝アレ〟に挑む時がやってきた。

「さて、行くぞ転校生――心の準備は充分か」

「う、うん……ていうか、なんでそんなに気構えないといけないの?」

 それには答えず、紘人は先立って廊下を進む。やがて辿り着いた先は、体育倉庫。閉め切られた扉が、城門のような堅牢さを以て見る者を威圧してくる。

「……ここ?」

「ああ、ここだ。今月はここで〝会合〟が開かれる。既に情報は得ている」

「会合……」

 鉄扉の奥からは人の気配。時たま歓声のようなものも漏れ聞こえてくる。さすがの史太もただならぬものを感じたのか、ぶるりと肩を震わせた。

「安心しろ、フミたん。いざとなれば僕が守ってやる。いたいけな少年の未来を守ることも、先達の務めさ――」

「いたいけって……ボクはそんなに綺麗なものでもないんだけれどね」

 史太が自嘲するような笑みを浮かべたのは気になったが、今は火急の問題が別にある。大きく深呼吸した後、紘人は鉄扉の把手に手を掛ける。

「フミたん……もし僕がここで散ったら、真里花に伝えて欲しいことがあるんだ」

「え? それって――」

「〝中学二年の夏に真里花のプリンを勝手に食べちゃったのは、実は僕なんだ。謝る。ごめん〟――って」

「いや、それはちゃんと自分で謝ろうよ。……というか、さっきから何でそういう変な台詞が多いの? 甲斐くんって実は、昔〝左手の封印が解ける!〟云々とか言っちゃってた人?」

「失敬な。僕の左腕は本当に疼いていたんだ。……いや、もういい。それじゃ――開けるぞ」

 史太がごくりと唾を飲み込むのを横目に、紘人はがらりと勢い良く鉄扉を開け放つ。

「生徒会だ! 全員その場を動くな!」

 薄暗い倉庫内に冬日が射し込み、中を一斉に照らし出す。

 うぎゃあ、と驚きの声を漏らしたのは数人の男子生徒たち。

驚いた調子に床にばらまかれたのは、俗に言う〝いかがわしい絵〟の数々。その内の何枚かが床を滑り、紘人たちの足許にまで流れ着く。

 と、史太がその内の一枚を取り上げた。最初は怪訝な顔をし、次にその意味を理解して頬を赤らめ、しかし最後は困惑したように紘人を見上げてきた。

「あの……甲斐くん、これって――」

「見ての通りさ。十八歳未満は閲覧禁止なアレだ」

「あ、うん、それは解るんだけど……これって――」

「よ、ようヒロ。ご機嫌麗しゅう……?」

 入り口を塞ぐように立つ紘人たちに、倉庫内にいた男子生徒の一人が妙にへりくだった調子で話しかけてきた。誰あろう、紘人の憎めない友人――宵山九郎その人に他ならなかった。

「やあ、九郎。情報提供、感謝してるよ」

 引きつった笑みを浮かべる悪友に、紘人もまたにっこりと微笑み返す。途端、九郎は発狂したかのようにくわりと目を剥いた。

「巫山戯んな! 何あっさり親友を売りやがってんだ! 俺たち紳士の真摯な集いを何だと思っていやがる!?」

「紳士だろうが真摯だろうが、君たちが十七歳だという現実は変えられないんだよ。道を踏み外しそうになっている友人を諫めるのも、麗しき友情だと思わないか?」

「だーもう、ああ言えばこう言う……。けどな、これだけは声を大にして言わせて貰うぜ。――俺たちは断じて邪な気持ちでこの絵を眺めていたわけじゃねえ……日本の誇る芸術作品として崇めているんだ! なあ、そうだろ、みんな!」

 九郎の呼びかけに、彼の背後で固唾を呑んでいた他の生徒たちが一斉に「応!」という声を上げた。

「そうだ、俺たちは芸術を愛しているんだ!」

「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を!」

「僕らの敬愛する喜多川歌麿先生の筆致を学んでいるだけです、それの何が悪いと言うんですか!」

「……君の掲げているそれは鈴木春信だよ、『風流江戸百景』の中の一枚だね」

 紘人が半眼でツッコむと、その絵を掲げていた男子生徒は「うっ…」と鼻白んだ。すかさず九郎から「馬鹿野郎!」という叱責が飛ぶ。

「歌麿先生の作品はこっちだろうが! 修行が足りねえぞ、修行が!」

「お、押忍!」

「……九郎、君の持ってるそれも葛飾北斎の絵だよ?」

 ちなみに喜多川歌麿の描いたと伝えられる一枚は、史太の手の中にあるのだった。

〈春画愛好会〉――それが彼らの集いに冠せられた名前であった。

 本を正せば美術部から分派した一団である。と言うか、美術部を追い出された連中である。

 当初こそ「浮世絵に親しんでいるのだ」というお題目を掲げて周囲の目を欺いてきたが、あらゆる秘密はやがて日の下に晒されてしまうもの、その実態が春画――要するに古き良きエロ画像の蒐集や模写だったと知られるや、彼らは忽ちの内に部を追い出されてしまったのだった。

 そこで話が終わるのであれば、まだ可愛いものであったのだが――エロスに情熱を燃やす自称〝真摯な紳士〟たちは、この苦境にもめげずに、再び立ち上がった。部という形にこだわらず、同好会という形で校内に隠れ潜むことで、彼らはその息を長らえさせてきたのである。

 ――という説明を受けた史太は、一言こう呟いた。

「…………………………バカなの?」

「バカじゃねえ、だから死なねえ!」

「まぁ死にはしないだろうが、とりあえずここにある分は証拠品として生徒会が押収させて貰うよ」

「そんな殺生な! こいつらを印刷するために使った印画紙は安くねえんだぞ!? そんじょそこらの藁半紙とは比べ物にならねえんだぞ!!」

「こっちだって先生たちに知られる前に生徒会で内々に処理してやろうと言ってるんだ、これでも譲歩しているんだ。何ならこのまま職員室に通報してもいいんだぜ?」

「ぐ……」

 親の敵を見るような目ながらも押し黙る九郎と、どこまでも涼しい顔の紘人。

 やがて――九郎は力なく項垂れた。その背中に他の男子生徒たちが励ますような、或いは縋るような声を掛ける。

「宵山! こんなところで挫けるお前じゃないだろう!」

「そうですよ宵山先輩! こんな横暴に膝を屈していいはずがありません!」

 声援を受けて、九郎は肩を震わせる。よもや泣いているのか――否、笑っているのだ。くつくつと喉を鳴らしているのだ。

「くっくっく……これで勝ったと思うなよ、ヒロ。元の画像データさえ残っていれば――」

「ああ、ちなみにパソコン部には回線の強化を条件に快く協力して貰ったよ。先日、この学校のサーバーで不審な隠しフォルダを発見してね。パスワードでロックされていたけれども、解除できるまでそう時間は掛からないだろうってさ」

「ブルータスお前もか!?」

 ――果たしてここに、〈春画愛好会〉は息の根を止められたのだった。

「ま、今日のところは暗くなる前に大人しく帰るんだね。何かと物騒な世の中だからさ」

 颯爽と去りゆく勝者の背中に向けて、不屈の闘志を燃やす敗者が声高に叫ぶ。

「が、諦めん。諦めんぞ見るがいい。俺の辞書にそんな文字は存在せん! なぜなら誰でも、諦めなければ夢は必ず叶うと信じてるのだァッ!」

 

 生徒会室に戻る道すがら、紘人はくすくすという小さな笑い声に気づいた。傍らを歩く史太が、ことのほか楽しげに肩を揺らしていた。

「どうしたんだ、フミたん」

「あ、ごめん。何でもないよ」

「何でもないってことはないだろう。……まぁ、我ながら痛快な一幕ではあったと思っているけれども」

「うん……宵山くんたちにはちょっと申し訳ないけど、正直、ちょっと楽しかった」

 そう言って、はにかんだような笑みを浮かべる史太。その造作こそ少女的で柔和だが、夕陽に照らされた笑顔は、やはり快活な少年のそれに他ならなかった。

 が、雲が太陽を覆い隠すにつれて、史太の表情もまた少しずつ翳っていく。

 外を振り返って、不意に少年の紅唇が小さな呟きを零す。

「今夜もまた出るのかな……通り魔」

 史太の声は不安げに揺れていて、その細い肩の華奢さがなお際立つ。

「怖いのか?」

「怖い、かな。何の理由もなく人を殺せる気持ちなんて、ボクには一生理解できそうにない。そんなのは人間じゃない……ただの獣だよ」

「獣、ね」

 果たして本当にそうだろうか。紘人は内心で自問する。

 何の理由もなく相手の命を奪うのは、むしろ人間の特権だ。獣たちの方こそ、明確な理由がなければ相手の命を奪わない。――生きるためだけにしか、彼らは命を奪おうとしない。

「ともあれ殺人者の気持ちだなんて、なってみないと解るものではないよ」

 そう言って、紘人は肩を竦めた。或いはなってみたとしても、やはり理解できるかどうかなど怪しいものだ。人はそれぞれ自分の思いを持っているのだから。思いは交わることこそあれども、混じり合うことは決してないのだから。

 結局、どうあっても他人のことなど理解できないのだ。そういう風に、できているのだ。

 ――だからこそ。

「…………」

 どうして史太がこう、縋るような目を向けてくるのかは、紘人には解らない。

 解らないからこそ――彼が解って欲しいと言ってくれるのを、ずっと待っている。

 生徒会室の前まで来たところで、紘人は肩越しに最近新しくできた友人を振り返った。

「人にせよ獣にせよ、大切な誰かのために力を惜しまないというところは、どっちも同じだと思うんだ。……だからさ、どっちも捨てたものじゃないと、そう僕は思うよ」

 史太の言葉は待たない。元より期待していない。ただ彼に何かが届いていればいいなとだけ思いつつ、紘人は生徒会室の扉を開けるのだった。

 

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