Fa#e/also sprach "FAKER"   作:ワタリドリ@巣箱

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宿命の夜(4)

 暴風もかくやという勢いで出現したのは、夜においてなお目映い一体の魔人であった。

 腰丈まで届く金色の髪。燃えるように爛々と輝く火色の瞳。だが何よりもその男を特徴づけていたのは、耳の下まで裂けた大きな口であった。嗤えば、その口端から牙が覗くほどの。

 その姿を何と形容すべきか。紘人の脳裏に、ふと一つの単語が閃いた。

 ――人狼。

 そう、この魔物はまさしく、人の形をした狼に他ならなかった。

 音もなく羽毛のように軽やかに地面に降り立つ男。どこから跳躍してきたのかは知らないが、尋常ならざる身体能力だ。

 と、男は地面に磔にされた通り魔には目もくれず、真っ直ぐ紘人だけを見下ろした。ある種の親しみすら感じさせられるその視線に、紘人はぶるりと悪寒を覚える。

 何だこいつは、何なのだ。困惑する紘人。

 一目見ただけでその異常性を看破する。それはまるで――一人の中に数百、ないしは数千もの人間が蠢いているかのような違和感。眩暈がする。この男が傍にいるだけで、人混みに酔わされているかのようにも錯覚する。これを魔人と呼ばずして、他の何をそう呼べようか。

「よう、死に損ないの餓鬼。五年ぶりだなァ。今度は腹に大穴を開けてんのか、つくづく痛いことをされるのが好きみてぇだなァ?」

 裂けた口を開き、牙を覗かせながら呵々と大笑する人狼。その傲岸不遜さを隠そうともしない声音は、聞いているだけで頭痛がしてくる。

 が、たった今、眼前の人狼は聞き逃せない一言を発した。――五年ぶりだ、と。

「五、年…ッ?」

 無意識に漏れた呟きに血反吐が混ざり、紘人は思わず咳き込んでしまう。その様の何が面白いのか、より一層破顔する人狼。

「おいおい大丈夫かァ? んなことで我輩(オレサマ)に立ち向かえるのかァ? ……ま、どの道今はまだ論外っつーことに変わりはねえけどよ?」

 その不快な声がぎしぎしと脳を軋ませる。やめろ、黙れ、口を開くな。

 誰か――誰かこの男を沈黙させてくれ。

 よもやその念が通じたわけでもないだろうが、不意に魔人は背後を振り返った。魔剣によって地面に縫い止められていたはずの通り魔が、全身を引き裂かれながらも、拘束を解いて脱出していたのだ。

「あァん、まだやるのか?」

 途端、興を削がれたとばかりに人狼は眉間に皺を寄せる。金毛火眼の野獣が牙を剥く。

 男の周囲で不可視の何かが凝り固まっていくのを紘人は幻視する。その形状に名を与えるならば、剣、という言葉がやはり相応しい。

 空中に投影された不可視の剣が次々と通り魔を目掛けて走る。だが通り魔もまた果敢だった。その手刀を振り回しては、見えざる剣を次々と弾き飛ばしていく。そのまま逃げるのかと思いきや――予想外にも通り魔は人狼の懐へと飛び込んでいった。

「ほぅ、たかが三下の分際にしちゃあ、ちったァ見所があるじゃねえか」

 剣の数が増え、速度も増していく。ただでさえ満身創痍であった通り魔の体が更に削られていく。それでもなお通り魔は突き進む。

 手負いの獣さながらの特攻に、然しもの人狼も一瞬瞠目する。そしておそらくは、それこそが通り魔の狙いだったのであり。

 通り魔は人狼にタックルを掛けると、ほんの微かに生まれた隙を突いて、全速でその場から離脱した。人狼の胸元には、通り魔の手刀によって付けられたのだろう、浅い切り傷が走っていた。

「肉を切らせて骨を断つ、ってか? まぁ退屈しのぎにはなったぜ、なァ糞餓鬼?」

 そう言って魔人が振り向いた、その瞬間。

 紘人の蹴技もまた、ありったけの殺意を込めて人狼の横面を叩いていた。

 

 見失っていた断片が浮かび上がってくる。欠けていた記憶が繋ぎ合わされていく。

 あの炎に包まれた世界で、何があったのか。その真実の一端が呼び覚まされる。

 なぜ今まで忘れていたのだろうか、この手足の異常に長い男と、狼に酷似した魔人の存在を。

『――ほう、ではこの少年に《左腕》を?』

『ああ。お誂え向きに左腕がぶった切られていやがる。さすが教会だな、神サマって奴も小粋なことをしてくれやがるぜ』

 やがて人狼は屈み込み、少年の顔を覗いた。

『よう、死に損ないの餓鬼。大変なことになっちまってるなァ。つーても全部我輩(オレサマ)たちの仕込みだけどよ? つーわけで恨みたけりゃあ我輩(オレサマ)を恨め。憎悪を滾らせ、瞋恚の炎を燃え立たせろ。そして――いつか我輩(オレサマ)たちを殺しに来いや。ま、できればの話だがなァ?』

 そして呵々大笑する人狼。聖堂の焼け落ちる音に負けず、げらげらと下卑た笑い声が響き渡る。

『おっと、忘れてたぜ。我輩(オレサマ)の名はヱミヤ。これがオマエから全てを奪い、そしてオマエに生きるための力を与えた元兇の名だ、忘れんなよ』

 忘れんなよ、という言葉が脳裏に反響する。

 ああ、忘れないとも。二度も名乗らせるまでもなく、その名を思い出したとも。

 

 不意打ちの足刀は確実に人狼に入った。だがこの感触は何だろう。まるで鋼鉄の柱を蹴ったかのような激痛が紘人に返ってくる。

「ほォ?」

 だがその程度で怯んだりはしない。否、この場において既にまともな感覚など疾うに忘れ去っている。

 たった今、紘人の脳裏に満ちているのは、恐怖でもなければ痛みでもない。ただ純粋な憎悪。それ一色に染まって、どこまでも澄み切った憎悪。

「ヱ…ミ、ヤ―――――ァァァァァッ」

 喉が潰れても構わないと言わんばかりの勢いで咆吼する。有り余るエネルギーをそういう形でも放出しなければ自分が保てそうになかった。

 かはっ、と人の形をした狼――ヱミヤは歓喜に震えたかのような声を漏らす。

「そうだ、そうだ、そうだそうだそうだそうだ、それだ! そういうのを待ってたんだよ、糞餓鬼ィ!!」

 號、と人狼もまた吼える。

 ――が、それは束の間のことに過ぎなかった。

「……………と言いたいところだったんだがよォ、言っただろ、今のオマエじゃ論外なんだよ。一瞬だけでもテメェのノリに合わせてやっただけ感謝してくれや」

 技も芸も何もあったものでなく仇敵に飛び掛かる紘人を、ヱミヤはほんの少しだけ口惜しそうな様子ながらも、無造作に振り払った。不可視の剣が紘人の胸元で爆弾のように炸裂し、そのまま後ろへと仰け反らせられる。

 どさり、と少年の体躯が地面に落ちる。コンクリートの味を舐めるのはこれで何度目だろうか。もはや口の中に広がる血の味しかしない。

「まァ、もうちっと強くなってから出直すんだな。それに――」

 それに、〈教会〉からのお客サマが来ちまったようだ、という言葉を残して、ヱミヤの気配が徐々に遠ざかっていく。待て、という紘人の言葉は声にすらならず、人狼の背中には何も届かなかった。

 ヱミヤ――全てを奪った仇敵。絶対に許さない、絶対にだ。

 胸の奥はどこまでも熱く、しかし脳は徐々に冷めていく。

 闇に呑まれていく意識の中で、紘人はなぜか、ここにはいないはずの尼僧の声を聞いた気がした――。

 

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