固まっていたのは数秒か、数分間か。
我に戻った琢磨は目の前の状況をゆっくりと確認する。
湯気が立ち昇っている為に少し見づらいが、シャルルの体は胸の膨らみや腰つきからいって女性とみて間違いない。
シャルルはやはり男性では無かったのか。
思ったより胸が大きいがよく隠せていたものだ。
そんな考えが心の中に浮かんでは消えていく。
「そ、そんなに見ないで…!」
やがてシャルルも我に返り、顔を真っ赤にして両手で体を隠そうとする。
彼女の仕草を見て自分がまじまじと見ていたことに気づいて琢磨は慌てて目を逸らす。
「す、すいませんでした…。入浴中にも関わらず突然入ってしまって…。」
「……。ううん、だ、大丈夫。」
「…では、私はこれで。」
そのままシャワールームを後にする。
ドアを閉じるときに目をやると、シャルルは青ざめた表情で俯いていた。
(…とんでも無いことをしてしまいましたね。二つの意味で…。)
ベッドに腰かけて自分の迂闊さに頭を抱える。
異性の裸を見てしまったこともそうだが、予定外のタイミングで彼女の秘密に気づいてしまった。
村上と相談して対応を考えたかったがこうなってはそうもいかない。
(ただ、もう…。こうなっては動くしかない。賽は投げられたというやつですね。)
思えば琢磨は決断を下すことを避けていた。
それはシャルルとの共同生活が楽しかったから。
しかし、偽りの平和が無くなった今、事態に決着を付けなければならない。
やがて、シャルルがシャワールームから出て来た。
薄手のジャージを羽織った彼女は静かにベットに腰かける。
まだ濡れている髪をタオルで拭いているが、その動きはどこか上の空のように見えた。
長い沈黙が流れる。
沈黙を破ったのはシャルルのどこか投げやりな声だった。
「……はは、バレちゃったね。僕のこと。」
「…はい。」
「びっくりしたでしょ? それと…ごめんね。本当にごめん。ずっと僕は君を、皆を騙してた。」
「…シャルルさん。説明していただけますか?」
何て言葉をかけるべきか迷ったが敢えて直球で行くことにした。
シャルルは強く目をつぶり、琢磨をじっと見つめた。
その瞳には悲しみが籠っているように見えた。
「…僕は本当は女の子なんだ。って、さっき見たから分かるよね。僕はデュノア社の社長の…父さんの本妻の子じゃないんだ。」
覚悟を決めたのか、自分の心だけに留めておくのが限界だったのか。
シャルルはぽつぽつと自分の境遇を話し始めた。
二人で暮らしていた母が二年前に他界し、デュノア社に非公式に引き取られたこと。
検査でISへの適性が高いと判明してからはテストパイロットをさせられたが、モルモット同然の扱いを受けていたこと。
義母…デュノア社長の本妻にはいつも嫌がらせを受け、誰も助けてくれなかったこと。
学校も辞めることになり、デュノア社に信用できる人物が居なかったのでずっと孤独だったこと。
思ったよりも重い内容に心を痛める琢磨の前でシャルルは暗い表情で話を続ける。
同情を買おうという意図はなく、自分の身に起きた出来事を話しているだけだと琢磨は判断する。
前世ではスマートブレインの幹部で、時として自分に媚びを売ったり嘘の報告をする者を見て来たので観察眼には自信がある。
彼女が言っていることは真実だ。
「僕はいつしか、全てを諦めるようになった。このままずっとここで嫌がらせを受けながらテストパイロットをやっていくのかなって。でも、それも長くは続かなかった。」
「デュノア社の第三世代開発の遅れ、ですか。」
琢磨の呟きにシャルルはこくんと頷く。
「流石に詳しいね、琢磨くん。そうさ。正解。僕の周りでも不穏な噂が流れるようになった。このままではシェアを他社に奪われる。それどころか第三世代開発の権利も取り上げられるかもしれない。何とか新型機のデータを入手しなければ。ってね。そんなある日、父さんに呼ばれたんだ。嬉しかったな。引き取られてから会うことは殆どなかったから。でも、父さんが僕に告げたのは…君へのスパイ活動だった。」
(…引き取ってから顔も合わせずにテストパイロットとして運用。そしてスパイを命じる。これではまるで道具に対する扱いです。とても…親の行動とは思えない。)
シャルルの父に静かな憤りを感じ始めている自分に気づき、呼吸を整える。
(…今は彼女の話を聞きましょう。判断を下すのは全てを聞いてからでも遅くない筈です。)
何とか落ち着きを取り戻した琢磨は視線で話の続きを促す。
「それからは君の知ってる通りかな。スパイの教育を受けさせられて、男装してIS学園に来て、君に接触して。そしてデータを取るつもりだった。」
「ターゲットは僕だけですか? 一夏さんは?」
「彼はあの織斑先生の弟だし難しいんだろうって父さんは言ってた。だから、琢磨くんに近づけって。君と同室になれたのはそう細工したわけじゃ無かったけど、ラッキーだったな。」
彼女は張り付けたような笑顔を浮かべた。
まるで、自分が悪い女だと思ってほしいかのように。
琢磨はやりきれない思いを抱えながらも疑問を口にする。
次の質問はこの会話が始まって最も聞きたかったことだ。
「……貴方は、これからどうするのですか。いえ、どうなるのでしょうか?」
琢磨はシャルルを怪しいと思いながらも好感を覚えていた。
そんな彼女の行く末が気にならないわけがない。
質問されたシャルルは、何か恐ろしいものに耐えるように目を閉じ、軽く身震いして答えた。
「そう、だね…。明日にはもうこの学校にはいないと思う。本国に連行されて…良くて牢屋行き。でもデュノア社がこんな汚点を残すとは思えないから、まぁ暗殺でもされるのかな。殺し屋に依頼して…。僕の命っていくらくらいなんだろ。」
軽口を叩き、何でもないように話しているつもりだろうが、シャルルの手は微かに震えていた。
それを指摘するような野暮なことはせず、再び沈黙が支配した部屋で静かに考え始める。
(彼女はスパイ行為をした。これは違法行為であり、許されることでは無い。でも…私は…。)
琢磨は自分の立場をわきまえている。
ならば取るべき行動は決まっているのに、心のどこかでそれはいけないと何かが訴えている。
良心の呵責というやつだろうか。
そんな琢磨の葛藤を知ってか知らずか、シャルルは再びベットに座り込んで大きく伸びをした。
泣き笑いのような表情で琢磨に話しかける。
「ごめんね…、嫌な話をした。僕が明日織斑先生にこの事を言うよ。白状する。」
「……。貴方は、それで良いんですか。」
衝動の赴くままに問いかける。
その言葉はシャルルが押さえつけようとしていた何かに触れてしまったらしい。
張り付けたような笑みが消え、ベットから勢いよく立ち上がる。
「良くなんて無いよ! 僕だって、本当はスパイなんてしたくなかった! いやだ…。こんな、何で僕ばかりこんな目に…。僕は普通に生きたいだけなのに!」
「貴方は本当は助かりたいのですか?」
「当たり前だよっ! でもっ、でも無理なんだ! もうどうにもならない! デュノア社が僕を逃がさない…。そうに決まってる。」
その美しい顔は恐怖と苦しみに染まっていた。
無理もない、と琢磨は思う。
母に先立たれ、唯一の肉親である父親にも道具のような扱いをされ続ける。
学校も辞めらせられて義母には嫌がらせをされ、周りには味方は一人も居ない。
挙句の果てにはスパイ活動を命じられ、異国で性別を偽りながら周囲をだまし続ける毎日。
普通ならば耐えられるはずも無い。
(ここまでシャルルさんを追い詰めるとは…。酷い、酷すぎる。私は…。私の取るべき道は…。)
琢磨はある決断を下し、頭をフル回転させる。
自分が持つ世界で二人目の男性操縦者という肩書と、スマートブレイン社へのコネ。
これをフルに利用して、彼女を救ってみせる。
何故自分がこうもシャルルに肩入れしているのか分からないまま、彼は口を開いた。
「貴方はデュノア社を裏切る覚悟はありますか?」
「えっ…?」
「どうなんです。」
「…ある。やっぱり…耐えられない。もう嫌なんだ。普通に、幸せに生きたい!その為なら…。」
顔を上げたシャルルに迷いはなかった。
それを確認してゆっくりと頷く琢磨。
「私に考えがあります。上手くいくかどうかは五分五分ですが…。」
「えっ…。ど、どういうこと?」
「少し待って居てください。…形式上とはいえ、私が彼と会話をする時は周囲に人が居てはならないことになっているので。」
「か、彼って?」
「スマートブレイン社の社長、村上峡児さんです。」
戸惑うシャルルの前で琢磨はファイズギアを手に取り、一言断って部屋を後にする。
向かうのは故障中の女子トイレ。
ここは最近琢磨が発見した場所で、故障中である為誰かが周囲に居る事はまずない。
彼の電話の相手は勿論、スマートブレイン社の社長である村上だ。
アポもなしに電話して大丈夫か不安だったが、数回のコール音の末に村上は通話に出た。
世界でたった二人の男性操縦者である琢磨からの通話は、優先的に村上に通ることになっている。
そのことを知らない琢磨は電話が通じたことに安堵しながらシャルルから聞いたことを話した。
『…なるほど、それは興味深い話ですね。それで、貴方は私に何を求めているのですか?』
「フランスが誇る大企業であるデュノア社が非人道的な実験を娘に強要し、男装させてIS学園に潜入させスパイ行為を行わせていた。この情報は世界を揺るがすものであると私は考えています。この情報を有効に利用して頂きたい。貴方の手腕ならば可能だと思います。」
『高く買われたものですね。』
「どうなのです?可能か、不可能か。」
『…可能です。実はわが社でもその方面で話を進めていたのですよ。シャルルさんの経歴偽造はデュノア社としても相当の決断だったようですが、私からみれば随分とずさんな行動でしたからねぇ。証拠を入手するのは容易でした。この情報がデュノア社を、いやフランスという国自体を揺るがすものであることは間違い無いでしょう。勿論、あまり追い詰めれば暴発する危険性もあるので、裏から脅す形となりますが。』
琢磨は驚きに目を丸くする。
自分が言うまでも無くそこまでことを進めていたとは、やはりこの人物は侮れない。
「ならば…デュノア社やフランス政府を脅すついでで良い。シャルルさんを救って頂きたいのです。できれば、被害者という形を前面にして欲しいんです。」
『そうですね…。結論から言えば可能でしょう。』
「…!!」
『もともと、現社長であるデュノア氏は阿漕な商売で様々な訴訟を受けている人物でしてね。それに今回の件が加われば責任を追及される形での退陣は確実でしょう。そうなればシャルルさんは自由の身となる。スパイのことを法廷に持ち込むつもりはありませんが、仮にそうなったとしてもこちら側の弁護士を使って無罪にすることは可能です。』
「そうなれば…デュノア社は実質別の会社となることになりますね。そしてそんな状況ではシャルルさんを暗殺することも出来ない。」
『そういうことです。IS学園側にもこちらから話を通しておきましょう。』
絶句するしかない。
琢磨は村上の能力を、スマートブレインという会社の能力を過少評価していたようだ。
ここまでのことが出来る組織だったとは。
ある程度の打ち合わせをして電話を切る。
部屋に戻り、待ちきれないという顔のシャルルに今の会話を早口で伝えると、彼女は呆気にとられたような顔になった。
「ほ、本当なの? それって…!」
「ええ。彼は信用にたる人物です。…今回の件はかなりの大事になるとは思いますが、貴方の無事は保障されるかと。」
琢磨の言葉を聞いたシャルルは突然の出来事に理解がおぼつかない様子だったが、やがて全身を震わせすすり泣きを始めた。
焦る琢磨の前でシャルルは涙声で思いを伝えようとする。
「良かった…。僕、ここに居られるんだ…!ありが、ありがとう琢磨君。本当に…ぐすっ、ありがとう!」
つっかえながらの言葉には万感の喜びが込められていた。
それ以上は言葉にならずに泣き崩れてしまい、琢磨はシャルルの髪をいたわるように撫でてやる。
今まで自分を追い詰め続けていたものから解放された喜びか、彼女は琢磨の隣で泣き続けた。
(今回の件では私が言うまでもなくスマートブレイン社が動いてくれていた。私にできた事など殆ど無かったと言っていい。でも、彼女がこれで救われたなら…それは本当に良かった。)
シャルルに密着されて顔を赤らめながらも、琢磨はそう思うのであった。