須賀京太郎はふぅむと頷きながら――自宅で頭を捻っていた。
「よし、取り敢えずこんなものかな」
考えていたのは、人生設計。
28歳:テレビ解説者
ここからスタートし、
30歳:十分な貯蓄をこの年までに蓄え仕事の量を調整する。
考えるのは、30という年齢を超えた後の事。
テレビ・ラジオの解説の仕事が何年も続けられるとはこちらとて考えていない。恐らくは選手時代よりも寿命は短いだろう。ならば、この期間、稼げるだけ稼いで後に備えておくのがいいだろう。
その後はどうするのか?
「----長野に帰って、リンゴ農園でも始めようかなぁ」
34:故郷に帰り農園を開く(仮)
現在でも十分すぎるほどの貯蓄もある。試算ではこの一年で年収も昨年の六倍(!)にもなるらしい。このまま数年も働けば、無借金で農業を始める事も十分に可能だろう。
別に農業じゃなくてもいい。テレビ解説がガッチリ嵌まってくれたのならば、そのまま続けてもいい。何なら麻雀教室兼雀荘でもはじめてみるのもいい。アラサーの未来は、意外にも輝いているようだ。
予定は結局未定のまま。まあそれもいいじゃないか。家庭の無い男の一人人生なんざ、お金さえあれば何とでもなるのだ。
仕事が始まるのは、一週間後から。
「-----うーん」
手に持っているのは、一枚の手紙。
中学時代からの男友達の結婚式の招待状。
「行ってやりたいんだけどなぁ-----。ごめんな、俺この日仕事だ」
須賀京太郎は欠席の欄に丸を押し、行けない旨と謝罪の言葉を記した手紙を同封し、封筒に入れた。
「どんどん、周りは結婚していくなぁ」
自分の男友達が次々と結婚していく。
その事自体は非常に嬉しいのだが、何となく自分が置いていかれているような感覚がある。
何というか----人生の留年期に入っているというか。人生のステージに上がっていないというか。
「-----結婚、かぁ」
------高校時代は、和をお嫁さんにしていた妄想なんてよくしていたなぁ。
その和もまだ独身な訳だけど。
今はどうだろう?
まだ結婚したいなんて思っているのだろうか。
今はあまり思っていないのだろう。
ならば、この先一年が過ぎ、二年が過ぎ、――アラフォーという人生のステージの階段上に自分がいた時、まだまだこのままでいられるのだろうか。
身体は衰え、上手い事動いてくれなくなるのかもしれない。
その中で――孤独をより感じるようになるのではないのだろうか。
何だか、それは確かに切ないなぁ。
とはいえ、現状の自分に出会いなんざないのだから、仕方ないのだけど。
ちょっとだけ-----考える必要はあるのかなぁ、などと思うのでした。
※
一週間。
何をするでも無しに、須賀京太郎は家でひとまず選手ごとの牌譜をまとめていた。
やる事が無い。
牌譜を纏め編纂し分析をするのは、須賀京太郎にとっての日常だった。
自分には、特別な才能が無かった。
だから、変わらぬことを続ける事だけが、彼にとってのか細い雀士としての蜘蛛の糸だった。
だが、そんな線が長く続く訳もなく。
こうしてクビという結果になった訳なのだが。
まあ、でも。
糸が切れ、落ちた所は別に地獄ではなかった。
それだけでも、幸運ではないかと思う訳でもあるのです。
その日常は、クビになっても抜けきれないものだった。
呼吸と同じ様に続けてきたモノだった。
呼吸を止めても生きて行けると言われて、じゃあ止めるかとなるかと言えばそうでもなく。
その続けてきた事が、最大限に活かせる仕事が与えられて、心の中でホッとしたというのもまた本音だった。
こうして、結局変わらぬ日常を過ごしている須賀京太郎の下に、着信音が鳴り響く。
スマホのあて先を見ると、――染谷まこであった。
「はいもしもし。須賀です」
「おお、久しぶりじゃのう。元気にしとるか、須賀。まこじゃよ」
「はい。お久しぶりです染谷先輩」
電話先では、変わらぬ快活な声が響いていた。
「戦力外になった時以来じゃのう。身の振り方は決まったかえ?」
「はい。解説の仕事を受ける事になりました」
「おお!そりゃよかった!これからまた忙しくなりそうじゃな!」
戦力外の通知を受け取り、その報道がなされた時――京太郎を心配して真っ先に電話をくれたのが、まこであった。
内心、戦力外は確信していたし、その覚悟もしていた。だから内心は落ち着いているかのように思えたのだが。
まこの声を聞いて、その声を聞いて――通話を終えた後に泣き崩れた記憶がある。
密やかでさりげない優しさと母性を持つこの人の声で、感情が抑えられなかった。
「仕事はいつからじゃ?」
「一週間後からですね」
「そうかい。長野には戻るか?」
「いえ。丁度親も旅行に行っていまして。実家に帰るのはまたの機会にしようと思います」
「おお、それは残念じゃな。戻ってきたら、いつでも店においで。歓迎しちゃるけぇ」
「はい。それは是非とも」
「それにしても、本当に良かった-----。捨てる神あらば拾う神あり。この縁は大事にするんじゃぞ」
「はい。本当、そう思います。------この歳で捨てられてこんな所で拾われるなんて思ってもみなかったです」
「-----そう自分を卑下しなさんな。京太郎。歳を重ねた人間は、積み重ねたものの大きさを周りに見られるんじゃ」
「-----」
「おんし自身が積み重ねたものの大きさを見てくれている人がいた。だから拾ってくれたんじゃ。プロの世界はここで一区切りかも解らんけど-----そこでの姿は、ちゃんと周りは見とる。だから、その仕事はおんしの今までの勲章じゃ。同情で仕事は与えられん」
「------染谷先輩」
この人は、本当に凄い人だと思う。
新しい一歩を踏み出す時――的確な言葉で背中を押してくれる。
「頑張れ、京太郎。――それじゃあ、電話切るからの。あ、そうそう」
「ん?何ですか?」
「おんし、仕事始まるまで暇なんじゃろ?それじゃあ、再就職祝いにわしからのプレゼントを送っちゃる」
「プレゼントですか?」
「そうそう。この前、友人から貰ったんだがの。どうしても使う暇がないからおんしにやる」
「へぇ。それは嬉しいですけど-----。何をプレゼントしてくれるんですか?」
「高校時代、決勝で阿知賀と当たったろ?そん時の姉妹が女将しとる宿の宿泊券じゃ。名前は確か――松実館、じゃったかの」
阿知賀。
何とも――懐かしい名前だった。
※
友達から結婚式の招待状が来た。
迷わず、欠席の欄に印をつけ、送り返した。
特に理由はない。
-----本当に、ないのだ。
新子憧。
三十路真っ最中、日常の一ページであった。
「はぁ」
日常の中。
ふとした瞬間――こういう他人の幸せにだってやっかみの感情が先行するようになったのは、いつからだろう。
余裕がない。
仕事が充実しているという感覚から仕事に忙殺されているという感覚に変わったのも何時からだろう。
少女漫画を、手に取ろうとして-----ふと、止まる。
本能が告げている。
今ここでこの本を取り出せば、明日の仕事の事なんてすぐに忘れてしまう。
そんな危機感で妄想の世界へのチケットを手放した。
「明日、松実館の取材だしなぁ。流石にちょっと気合い入れてかないと」
明日、憧は中継の為奈良へ行く。
かつて共に雀士として戦った戦友の元へ。
「はぁ-----寝よ」
彼女はそのまま家に作り置きしていたカレーをちょびちょび食べ、風呂に入り、歯を磨き、少女漫画原作のアニメソングをかけ、ふりふりのパジャマを着込んで、ぬいぐるみを抱いてベッドに潜り込み、寝た。
そんな、28歳の一日だった。
今日はいい夢見れたらいいな。
できれば明日の現実も夢のようであればいいな。
そんな願いを胸に抱きながら――夢の中へ。
探し物は何ですか?
いくら探しても見つからないけど――かっこいい王子様、ちょーだい。
今年中に仕事を辞める事を決意。
さよなら~