暖かい光の中。
温度を、失った。
全身から吹き出る汗は、いつも走り回っている時に排出されるモノじゃなかった。ナメクジに這い回されるているかのようなぞわぞわとした悪寒と共に、温度を心底から奪っていく冷や汗。
痛みなんてない。
肩を中心に全身の感覚が放棄されたかのように、何もかもが奪われていた。痛みも、思考も、何もかも。
仲間たちの喧騒。響くサイレンの音。
何も感じなかった。
何も。
なのに。
なんで------視界が、滲んでいるんだろう。
・ ・
――脱臼と同時に、いくつかの神経も切れちゃってるね。-----暫くはリハビリ生活になってしまう。君には辛い事だろうが。
日常生活には戻れるだろうけど、多分投げる動作をしてしまうと痛みが走ってしまうと思う。-----こればかりは、多分何年間かは続いてしまうと思う。ハンドボールを続けるのは、厳しいかもしれない----。
けど、話を聞いた限りだと、今回怪我した時の試合では、そんなに肩を動かしていなかったみたいだね。パスワークも身体の接触もそれほどなかったみたいだし。多分、試合前に肩に異変があって、試合の時に一気に負荷がかかってしまった感じかもしれないね。
須賀京太郎君。
試合が始まる前に、肩に負荷がかかる様な動作をしなかったかな。
肩を激しくぶつけてしまったりとか。
もしくは
――思い切り、何かを引っ張ってしまったり、とか。
※
高校生活の、その次の世界。
私には、決めたことがあった。
「――鹿児島を出るんですかー、霞ちゃん」
「うん」
私の一番の親友―ー初美ちゃんの問いに、私は答える。
「何でですかー。大学に行くなら無難に地元の国立に行けばいいじゃないですか」
「無難じゃない道にちょっと行ってみたいって思ったのよ。冒険心ね」
「気を付けてくださいよー。霞ちゃん含めてここに居る皆箱入りのお上りさんなんですからね。都会に行って痛い目見ても知らないですよー」
「あらあら。大丈夫よ。――私、人を見る目はあるもの」
「まあ、霞ちゃんはしっかりしてますから。姫様が同じことを言いだしたら、お付きの人を何人も総動員しなきゃいけないですもんねー」
はぁ、と一つ溜息を吐くと―ー初美ちゃんはさらに私に問いかける。
「それで、どうやって行くつもりですかー」
「実家に余計な負担を強いる訳だし、推薦で行けるところの中で、学費免除の特待が受けられるところに決めたわ」
「それって、永水の推薦ですよね」
「そうよ」
「枠は何個あるんですか?」
「確か、三つだったと言われてたわね」
その言葉を聞いて――初美ちゃんは、やれやれと手を掲げながら、
「------じゃあ、私もそこに行きますよー」
と。
そう言ったのでした。
え、と首をかしげたその瞬間―ーぐわ、と私に顔を近づけ(届いてないけど)捲し立てる。
「だって―ー!霞ちゃんだけずるいじゃないですか!私だって都会で大学生活送ってみたいじゃないですかー!」
私の巫女服の袖口を引っ張りながら、初美ちゃんは心の底からの叫びをあげていました。
「――いいですか?霞ちゃんの所の両親はゆるゆるのゆるゆるですけど、うち皆がそうじゃないんですよー。うちの所なんか、絶対に都会に行かせてはくれません!」
「そうなの?」
「そうなんですー!------だから、私は霞ちゃんを利用させてもらいます!」
「利用?」
「そう。――私の目がないと、絶対に霞ちゃんは痛い目に遭うから!私がしっかりと見張っててやりますよー!------という訳で、まずは霞ちゃんの家にお邪魔しますね」
「え?何故かしら?」
何故なのかしら?すぐさま今の口上を自分の両親に伝えるものかと思ったのだけれど。
「こうなりゃ霞ちゃんも霞ちゃんの両親も全員巻き込んで利用してやります。まずは霞ちゃんの家に私の存在のありがたさを説き伏せて、石戸家全員で私の県外行きを支持してもらうんですよ!」
ええ------。
本当に、文字通りに私を利用するつもりなのか。この親友は。
ちょっと呆れてしまう。
-------なんてのは、嘘だけど。
本当は心から嬉しい。
初美ちゃんの言葉の真偽は、本当に解り易い。
私を心配している言葉は、きっと本心。
本当に心配してくれて、だからこそここまでなりふり構わず一緒の大学に行ってくれると言ってくれているのだと思う。
「ふふ。しょうがないわね」
「それはこっちのセリフですよー。しょうがなく!私は霞ちゃんの所に行ってあげるんですから」
「あらあら。都会の大学に行きたいんじゃなかったかしら?」
「それとこれとは、話は別です!」
うん。解っているわ。
ありがとう、初美ちゃん。もう大好き。
※
大学生活というのは、本当に不思議の連続だった。
ここには、色んな人がいた。
違う目的と、千差万別の色と背景を持った人たちが集まった、巨大な人間交差点。
それが、大学だった。
一年目。右往左往していた私(と初美ちゃん)によくしてくれた人がいて、その縁もあって今は麻雀サークルに籍を置いている。
二年目になるとさすがに私も慣れて、色々な事を積極的に行うようになっていった。
喫茶店や書店でアルバイトをしてみたし、外国人留学生の交流会にも行った(その時、三年で当たった宮守のエイスリンさんに偶然会った。凄く嬉しかったけど、名前を忘れておっぱいさんと呼ぶのはやめてほしかった)。
色々なところに足を運び、それだけ色々な側面を知ることができた。
人が集まり、出会いを重ねていく。
その一つ一つの出会いを経て―ー私の中にある、私という人間が少しずつ深まっていくように感じられた。
鹿児島の皆と一時的にお別れした痛みも。
その分だけ新たな出会いを重ねていく喜びも。
私という人間を、少しずつ変えていく。
そのことに―ー例えようのない喜びを感じてしまう。
それも、彼に教えてもらったことだ。
新たな出会いの中で、私は私の中に新しい価値観が生まれた。
それ故に、積み重ねられている今を。日々を。
感謝をして、感謝をした分だけの祈りを捧げて、私は私として今を生きています。
――また会えたなら、絶対にお礼をするわ。
今でも彼は、渡したお守りを持ってくれているだろうか。
そうであれば、いいなぁ。
※
「---------」
「---------」
現在。
一人の男と、一人の女が向かい合っていた。
「--------あの」
「--------なんですかー?」
一人は、金髪の男性であった。
手提げポーチを下げ、ジーンズに紺のシャツにグレーのジャケットを引っ提げたこの男は、視線を足元近くに向けている。
その視線の先に、向かい合う女の顔がある。
その女は、街路にて―ー「巫女娘メイドカフェどうですか♡」と書かれた看板を背負って、そこにいた。
「確か、永水の――」
「------いいえー。私の名前は鹿児島系巫女娘”初”ですー。人違いも甚だしい。何処のどいつですかー。その永水っていうのはー」
「--------」
「--------」
いや。
だって。
明らかに―ー。
その表情の変遷は、きっと解り易かったんだろう。男の感情が戸惑いに起伏すると、女の表情も戸惑いに揺れる。
そして、彼女は地面を指差し―ー男に身をかがませるように求めた。
「-------いいですかー?」
「はい----」
「-------絶対に口外しないで下さいね-------!」
「--------」
やっぱりか、と思った。
そりゃあ、そうだ。
こんな特徴的な人、そうそういる訳がない。
「--------」
「--------それじゃあ」
男は手を振ってその場を去ろうとするが。
「--------逃がしませんよ」
その手が、掴まれる。
「私の秘密を知ったのです。-------せめて、一つ貴方に貸しを作らせてもらいますよー-------!」
こうして。
――須賀京太郎と、薄墨初美は出会った。
この出会いが――再会の切っ掛けになるとは、未だ知らず。