何故だろう。何故こうも心躍らないのだろう?
いやね。普通ね。娘から恋の相談を受けるとなれば、母親としては心躍るものではないだろうか?それも高校の時から色っぽい話なんて一つたりとも無かった娘がだ。おら、もっと楽し気な気分を醸し出せよ。何故自身の脳内物質はこの状況下においてこんなにも気分を陰鬱にさせてるのだ。
いや、まあ、解っているんだけどね!
理想と現実の乖離という奴だ。我が長女を思う。思い悩んで、なんなら涙目で、一縷の助けを求めて子犬の様な様相で恋の相談を打ち明ける様な―――そんな少女漫画じみたシチュエーションがそこで繰り広げられる訳がない。どうせ、どうせだ。酒にでも酔った下品な親父共の如き色気のいの字も無いような調子でゲラゲラ笑って打ち明けるに違いない。愛宕洋榎という娘はそう言う女で、そういう風に育ってしまった。
しかもね。もう一人の娘から半ば匙が投げ込まれたような文面で押し付けられたとなれば、もう見ずとも解るであろう。きっと、そうきっと、ロクでもないに違いない。
―――むしろだ。胃が痛い。
恋愛事を持ち込んだのが絹恵であるならば、手を叩いて喜んだであろう。あの子が本気を出して落とせない男の子はそうそういないはずだし、例え駄目でも慰めて次に向かって頑張れと言えるであろう。
だが、今回は洋榎だ。
アレなのだ。
こんな好機、千載一遇所のお話ではない。もうここを逃してしまえば、彼女はきっとアラフォールートまっしぐらだ。ここは、人生を分ける分水嶺。生半可な覚悟で向き合う訳にはいかない。
「なあ----おかん。目ぇ怖い。何でそんなに据わっとるん---」
「なあ、洋榎----母にとって、娘の幸せは何よりも望むべくものなんや」
「お、おう」
両肩がギリギリと掴まれている。目が、目が、まるで我が子を人質にでも取られたかの如く鋭い力を孕んでいる。その目を直視してしまい、思わず情けない声がその喉奥から漏れだす。
「ええか?これはな、失敗が許されへん。アンタがこの先、あの約束された喪女になるかどうかの分水嶺や。ここでトチったら、アンタの未来は暗澹だと思え」
「お、大袈裟やなオカン------」
「阿呆。洋榎。アンタ、この恋が破れて、ついでにプロの世界に入って、その先次の恋愛に至るまでの難易度がどれだけ跳ね上がる思ってんねん?」
「------」
「ええか?―――絶対に失敗は許されへん。今回ばかりは、こっちも全力を挙げて協力したる。だから、下手な事は絶対許されへん」
愛宕雅枝は、実に重々しい口調で、そう宣言した。
「―――絶対に、落とすで」
※
「こんにちわー。この馬鹿娘の母親で、千里山女子の監督の愛宕雅枝や。今回、アレから指導の依頼受けたから、出来る範囲で教えたるわ。よろしくなー」
そんな力ない声によって、大学麻雀部は驚きと困惑の声が聞こえてきた。主にこんな感じで。
「え、あの人アレの母親なん?」
「アレって誰やねん。あんな大きいおっぱい誰も持ってへんやん。人違いや人違い。おい、愛宕の名字の女、他に誰かおったか―?」
「おらんわなー。なあ、須賀。お前実は愛宕って名前の女やったりせーへん。あの人お前のママやろ?」
「そんなわけないでしょう。どんな発想の転換ですか」
きゃいきゃいと好き勝手に喋る失敬な連中を、プルプル肩を震わせアレは見ていた。
「-----おう、お前等、絶対に後で地獄見せたるからな。今すぐ卓につきーや」
口元をひくつかせながら、アレはそう言った。いつもの弄りの光景である。
「まさかまさかその反応----ホンマにあの人アンタの母親やったんか!はよ言わんかーい!」
「やかましいわ!何で親子関係まで疑われなあかんねん!」
「ああ、でも確かに目元そっくりや!目元だけやけにそっくりや!本当に目元だけ!」
「強調すんな!ほんまええ加減にせーやこの阿呆共!」
ぎゃいぎゃいと喚きながら部室内で走り回る光景を尻目に、愛宕雅枝は目的の男に近付く。
―――須賀京太郎。
見た目からすれば、如何にもチャラチャラしてそうな男だ。高身長の金髪で、体つきもがっしりしている。しかし、目元が実に柔和で、見ただけで温厚な性格なのは理解出来る。
「おーう、君が須賀君かね?あの馬鹿娘が世話になっとるみたいやな。改めて、アレの母親の愛宕雅枝や。よろしゅうな」
「あ、よろしくお願いします。須賀京太郎です」
え、何で真っ先に自分に近付いてきたのだろう-----そんな不審げな困惑感がちょっと今のやり取りで伝わって来た。もうこれだけでこの男の子との進展はプーチンの毛ほども無いのだと確信できた。
「いやー、よく洋榎からアンタの話聞くねん。ちょっとどんな男の子か気になっただけや。そんな警戒せーへんといてや」
「あ、そうなんですか」
「仲良さげやね?あんまり色っぽい話ないから、男の子の話題が出て来て驚いたんやで」
あんまりどころか、最早ゼロに等しいのだが。日本語とは便利だな、とちょっと思う。
「仲はいいですよ。あの人、面白いですし」
出た!面白い人!
このキーワードを聞いた瞬間、自分の予想は兎にも角にも最悪の形で的中していたと彼女は確信した。異性関係で「面白い」が出てきた瞬間、それは二つの意味のどれかでしかない。照れ隠しか、本気で異性の意識が無いか。
「おもろいんやな?へー、あの子普段、どんなけったいな事やっとるん?」
「えー------何か、もうやりとりからしてザ・関西人って感じで。前はキャバクラの真似事までさせられましたし------」
「へ、へー」
「あ、そうそう、以前一緒に出掛けた事もありましたね」
「ほう!ちなみに何処へ?」
「甲子園」
「---------------------」
「もう、周りの応援団の方たちと全く遜色ない位必死になって応援していて、ヤジする姿まで堂に入っていましたね。本当に面白かったです」
言葉を、失ってしまう。
閉口したまま半ば意識を失ったかの如く呆然としていたが、彼はそれに気づかず周りの声に応答する。
「あ、須賀君。アカンで。この人美人でも人妻やからな。流石に手を出すのは引くわー」
「しませんよそんな事!」
「そらせーへんわな。偉大なる先輩の母親に手ぇ出すなんて、チキンオブチキンな須賀に出来る訳あらへんもんな?」
「何ですかそのバンドみたいな形容詞は------」
「焼き鳥&臆病もんの二重の意味や?上手いやろ?」
「うん------やっぱり、何というか、古いです。先輩。感性が」
「何やとこの野郎!」
ぐるる、と須賀京太郎に掴みかかった所で、周りの茶々も入っていく。
「せやせや。洋榎は時代に取り残された可哀想な女なんや。須賀、許したれ」
「時代に取り残された女、って何かかっこええな。中島みゆきが似合いそうや」
「中島みゆき?アホ言うな。あんなスマートなお人、この関西人に似合う訳あらへんやろ。吉幾三で十分や吉幾三で」
「吉幾三か!ええな、あの感じめっちゃ似合っとる。頭巾被ってひょっとこ躍りしている洋榎先輩-----最高や!」
「--------お前等、本気でええ加減にせーよ!おら待てーや!」
おおう、何か襲いかかって来とるで!こっち来んなや!アンタ母親の前でも変わらへんのやな!やっぱりアンタホンマにあの人の娘なん?こんな気性あらへんやろ!
周囲からの扱いをジッと見る。
いや、アレはじゃれ合いだと解ってる。実に関西的なノリだ。
だが―――問題なのが、彼もまたこのノリを受容し、洋榎を「ああいう女」だと完全に思い込んでしまっている事だ。
この状況下から、彼の意識を改善し、あの子を女であると意識させねばならないのか-----。
こ、こんなの、こんなの
「-------無理やん」
思わず、そう呟いてしまった。